歌舞伎役者は俳優の中の俳優でなければならない。
CMばかり出ている松本幸四郎と中村吉右衛門は相当仲が悪いらしい。
私は中村富十郎の芝居を良く見るので一緒に出ている吉右衛門も見ることになる。
吉右衛門はうまいと思う。富十郎さんは年齢が年齢だけに冷や冷やする場面に出くわす。
引退したくともおさな児を二人も抱えているために辞めることも死ぬことも出来ない。
松本幸四郎はCMの帝王である。娘も親とそっくりでCMの女王を目指しているのであろう。
NHKは歌舞伎役者にぞっこんの放送局である。松竹と仲が良いのだろうか?
視聴料を払っているのは一般人である。
一人五役を演じるのは海老蔵の息子である。下手くそ役者として一世風靡したのはあのNHKの『宮本武蔵』である。いままで武蔵役でこれほど下手くそ役者はいなかった。どこか阿呆中学の学芸会である。最近の阿呆中学ではすべての生徒が宮本武蔵役を演じるらしい。巌流島の決闘でも佐々木小次郎は出てこない。武蔵が小次郎敗れたりというと、もう一人の武蔵も小次郎敗れたりという。
要するにだだっ子や糞親の子どもたちが、この歌舞伎役者そっくりである。
それをやらせているのはNHK並びに民放という親たちである。
役者という以上役を演じる力量が無ければならない。日本の役者は地の人間と大して変わらない。
寅さんは渥美清ではない。コロンボ刑事はピーター・フォークではない。
演じるということ演技するということが分かっていない俳優たちを作りだしているのはマスコミと女たちである。いまや女以上に男は阿呆化しつつあるが、それにしても植民地には心棒に当たるところがない。
相撲の新弟子の待遇を上げることが立派な力士を育てることではない。
辛抱は心棒を作り出すのである。
歌舞伎役者は文樂の厳しい修行を見習えばよい。世襲でない文楽の世界は訓練と才能が一致しなければならない。歌舞伎はオタマジャクシでも王様ガエルになっている。
それを喜ぶのは日本の阿呆女たちである。