四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

選択とは自分を奴隷化することである。

2015年11月14日 22時19分44秒 | 事件・事故・自殺
誰かを好きになることや、何かを食べたくなることは、必ず自分が選択した事ではない。

何かに夢中になりそれで画家や音楽家や作家になるというのは自然の勢いである。

ところで人間と言ふのはいろいろな事を想念し、選ぶという事をやり出す。何処の大学に入って、どこの企業に就職したい。できればそこのトップに躍り出るなどという願望を持つ。

そういう意味でなくともどんな部屋を借りたい。キッチンはこうでなくてはいけない。畳間でなくフローリングがよい。壁はこういうデザインの壁紙で窓はアルミサッシの三重ガラスがよい。などと考えていると行動するのに時間が掛かり、ああでもない、こうでもないと、自分を束縛することが多くなる。

端的にいうと人生は自分の思い通りにはならないが、情報が多くなると他人の思い通りに操られることは多いのである。

選択は直感力を弱め、優柔不断な人間を作り上げる。映画でもそうだが直感力をもったスパイや刑事、検察などが事の真相を突いていく。

本質を見極めて物事を考えるにはエベレスト登頂を考えてみるとよい。
高山の登頂には危険が付き物である。必ず何らかの痛みが伴う。パックツアーのような快適な空間や時間を提供して貰える事はない。その変わり登頂の喜びは一塩である。あるいは後世に名を残せる僥倖に預かることもあり得る。

登山道具は命を守るための道具であり、この選択は理に適っている。たとえばアパートや住宅を建築するのに元は沼地を選ばない。杭を打ち込むには固い岩盤の上で無ければならない。そうしなければ旭化成のような大問題になってしまう。

もし登山道具を好みやファッションで選ぶとしたら、危険は増大する。安全を基準にするにしても万全ではない。高所登山はそれほど過酷な道である。

慥かに、学歴は人生を安全にするかもしれない。炭坑夫よりも国土交通省の役人の方が安全でいられるかも知れない。無理に強いた勉強は必ず自らを失っていく。日本の受験にはそういう危険が伴う。詰め込むのは必ずしも悪いことではないが、出来損ないの教授たちの書いた教科書を詰め込むのと、3000年も続いている旧約聖書を暗記するのとでは訳が違う。

リンカーンは新約聖書とシェークスピアーはすべて暗記していた。

日本人も価値あるものを暗記する方向に行かなければならない。
訓練は強制である。これは金儲けとは違うのである。
登山者は訓練無くして登頂が出来ないという意味において。




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