40年ほど前だったか、初めて浅草・三社祭に出かけた時のこと、吹く風、祭りの物音、
食べ物や油のにおい、全て昔から知っているもののように見えた。
いわゆるデ・ジャ・ブというやつだ。
驚いて親に聞いたら、「そりゃ当たり前だ。先祖はずっとここにいたのだから」との答え。
曽祖父(慶応3年・1867年生まれ)は大工の棟梁で、祭りの時は纏を振り回していたという。
いわゆる「め組」である。
新門辰五郎の配下だ。
その娘、つまり祖母は、品川の歩行新宿(かちしんしゅく)で芸者修行をし、
40代には浅草で待合を経営していた。
晩年には、置屋のおかみも経験し、30年ほど前、95歳で亡くなったが、
私は一度しか会ったことはない。
複雑な家庭の事情(戸籍上は叔母)があり、いろいろ差し障りがあったのだろう。
コラムニストの山本夏彦の本に出てくる○○○○は多分彼女のことである。
一度聞いてみようと思っていたが、こちらも亡くなってしまった。
美空ひばりの「お祭りマンボ」にでてくる「隣りのおばさん」のキャラクターそっくり。
また祭りに出かけ、立ち飲み屋で一杯やってきたい。
浅草に行くと先祖に会える気がする。(2011.2.27記)
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