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鬼怒川氾濫の犯人は?

2015-09-14 06:56:11 | 日記

まったくよく雨が降るものだ。

50年に一度の降り方をあらわす「特別警報」が各地にのべつまくなしにでる
というのがそもそも異常だが、降雨自体は人間にはとめられない。

あくまでも「対策」をとることしかできないのだ。

鬼怒川とはよく言ったもので、ふだんは穏やかな川が一朝ことあると「ヘンシーン」
憤怒の形相の鬼と化す。

川の名にも古代以来の先人の知恵が詰まっている。

 

ニュースを見ていると、堤防決壊の個所や、避難警報の遅れなどを詳しく報じているが、
どうも隔靴掻痒だ。

なぜ鬼怒川が氾濫したのか原因にはひとつもふれていない。

上流で大雨が降っても、通常ならどんどん下流にはけるので、中流であふれることは
考えにくい。

しかし今回の場合、下流の利根川の上流にも大雨が降っていて、鬼怒川の水が合流
しても利根川の水位が高いから平地ではまったく下流にはけず、鬼怒川の水位は
下がらない。そこにさらに上流から大量の雨水が押し寄せるという最悪の状況。

その原因は何か。

私はズバリ徳川幕府の河川政策だと思う。

家康は関東入国に際し、当時東京湾に注ぎこんでいた利根川(下流は隅田川)や渡良瀬川が
江戸の洪水の危険性を高めると判断し、伊奈忠治らに川筋変更を指示した。

中流の埼玉県内(当時武蔵国)で川を付け替えて、銚子方面に流れる現在のルートを
採用したのだが、ここで利用されたのが鬼怒川である。

改修工事でいくらか広く深くなったとはいえ、中規模の河川に利根川という大河が
合流したわけ。

やはり無理があったのだろう。

そのツケが今回まわってきたのか。

だから被災者は堤防のカサ上げを怠っていた(一部工事中だが間に合わなかった)
国土交通省ではなく、家康をこそ糾弾すべきだ、というのが私の考えである。

しかし家康も、まさか今のように鬼怒川の中流域にまで住宅が密集するとは
考え及ばなかったのでは。

結局、誰が悪いという問題ではないが、自然を改変できると考える人間が
傲慢なだけ。

でも今更もとに戻せないしな。

 



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