作家・伊藤整の歩みを主として「家」から観察してみようと思う。
ただし各種評伝の類からの抜書きなので、深く検証したわけではない。
明治36年 伊藤昌整、広島の伊藤三蔵(次兄)戸籍から北海道松前郡炭焼沢村字宮ノ下3番地に分家
38 1月伊藤整、昌整の長男として炭焼沢村77番地にて出生
39 1月伊藤家、余市町大川町394番地に転居
4月同、忍路郡塩谷村大字塩谷字伍助沢番外地に転居
42 10月伊藤昌整、塩谷村大字塩谷85番地に新築転居
大正6年 4月整、小樽中学校入学、小樽区緑町1丁目3番地小林トヨ方に下宿
その後姉と二人で潮見台町の小柳方、緑町の石屋の奥座敷に移転
8 7月整、自宅に帰る
11 4月整、小樽高等商業学校に入学
10月昌整、85番地の家を原川氏に売却(3年間居住の条件つき)
14 3月整、小樽高等商業学校を卒業
4月整、小樽市中学校教諭となる。花園町西2丁目18番地岩船作太郎方に転居
9月整、東雲町16番地に転居
10月整、富岡1丁目52番地牧野キサ方に転居
昭和2年 5月昌整、塩谷85番地の家から退去し、塩谷115番地の借家に転居
3 4月整、上京
8 塩谷村、蘭島村、忍路村、桃内村が合併して塩谷村成立
29 7月整の出生地、合併により松前町字白神と表示変更
31 小樽市と塩谷村が合併、小樽市となる
44 伊藤整死去
なおその後国道5号線拡幅により、整の旧宅は解体された。
これはただの目次に過ぎない。
もう少し暇ができれば、それぞれの事項に解説を加え、原稿が書けるのだが、いつの日になることか。
期待しないでお待ちください。(2013.8.7記)
最新の画像[もっと見る]
- 調所広丈に会いたい 4年前
- ラジオ体操第三の謎(続) 5年前
- 骨董市に行きたい2 6年前
- デジタル遺品について 6年前
- 林竹治郎に会いたい 7年前
- 徳田球一に会いたい 7年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます