新書大賞2011に輝くなど、硬い内容の割りにやけに(30万部も)売れてしまった
「ふしぎなキリスト教」(講談社)~以下「原書」と略~
には、各方面からの毀誉褒貶の嵐が続いており、ついにはこれに対抗して
「ふしぎな『ふしぎなキリスト教』」(慧文社)~以下「対抗書」と略~
なる批判本が現れる始末。
昔の「『買ってはいけない』は買ってはいけない」現象を彷彿とさせる。
が、私のようないいかげんな人間には「どっちもどっち」と感じられてならない。
論議の土台があまりにも違いすぎ、話がかみ合わないのだ。
私に言わせれば、「原書」の方は、要するにキリスト教をネタにした新作の
掛け合い漫才にすぎない。
これにまじめに反応した「対抗書」は、言ってみれば若手の芸人が、
因習にがんじがらめになっている古典落語の世界にあきたらずに
打ち出した新機軸にショックを受けた、老舗の寄席の経営者が、
必死になってあげつらった、時代考証の誤り百科事典みたいなもので、
その努力は多とするが、どう考えても売れそうにない、
マーケティング上は無価値な不幸の塊のような本である。
自費出版とした「業界」の判断は正しい。
ここまでは一般論。
ただ、私個人にとっては、「原書」は大いに笑えるゴラク本であったが、
得るところは少なかった。
これに対し「対抗書」の方は、非常に勉強になったが疲れる本だ。
あまり人に勧める気にはなれない。
結局のところ、大学のゼミで読まれるべきなのは多分後者だろう。
どちらも「信仰」の擁護にはあまり役立つとは思えないが。
問題があるとすれば、「原書」の著者たちの思想や記述内容ではなく、
これを「入門書」と銘打って大々的に宣伝した出版業界の姿勢なのでは。
一般人が買ってくれなければ、商売にならないのはもちろんだが、
内容はシロウトに対する説明としてはあまりに難解な教理や史実について、
極端な単純化がみられる。
もちろんその中にも一面の真実が(それゆえ信仰者にとっては不快な表現が)
みられるから一部のインテリは拍手喝采するわけだ。
それゆえに、「原書」および「対抗書」を本当に楽しめるのは、
学者でも研究者でも聖職者でも、まじめな信徒でももちろんなく、
もともと宗教界の末端構成員であったが、今は距離を置いている私のような
「マージナル」マンに限られるという気がしてならない。
勝負の行方は、10年後のアマゾンの時価評価に如実に現れるだろう。
(2012.10.23記)
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