長田幹彦は分類不能である。少なくとも文学史に残るような意味では作家ではない。
大正初年の流行作家としては文壇トップ級の稼ぎはあったろうが、赤木の奴にたたかれて祇園専門のエロ文士に貶められた。
流連荒亡の末だから自業自得と言えなくもないが、今に残るのが「祇園小唄」の作詞者としてだけというのは、過小評価
に過ぎるのでは。
放送局(現NHK)の開局に際してはシナリオを書いたり、番組の構成に関わるなど八面六臂の活躍をしたが、
すっかり忘れられているようだ。
戦後オカルト評論?に手を染めたのが悪かったのか。
江戸川乱歩と一緒に「降霊会」を主催したりしているようでは、キワモノ扱いもやむをえないか。
昭和39年に死去した際、昔の仲間佐藤春夫は新聞に大きく扱われたが、長田はほとんど無視された。
虚言癖は困りものだが、私は今でも幹彦が大好きである。
誰か正確な伝記をものしてくれる物好きはいないものか。
ウソ八百の自伝を無視して、客観情報だけに基づく生涯再現!
大変な作業だが、やり終えた後の満足感もひとしおかと。(2010.9.23記)
生誕100年が無視されたのは悲しかったが、2014年の没後50年すら何もなかった!(泣)
「ムー」にでも頼んでみるか。
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