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江戸の境界線

2015-04-05 06:08:25 | 日記

江戸村はもともと武蔵の国の一寒村に過ぎない。
しかし太田道灌の江戸城築城に始まり、家康の関東入国による一大街づくり事業の結果、
江戸の市街は急速に拡大が進んだ。
今日、江戸と武蔵の国との境界を明確にするのは困難だが、わかりやすい場所の
一例として港区青山と渋谷区神宮前を挙げるのは妥当だろう。
実際に歩いてみればわかることだが、現場にはなぜここが境界なの?
というくらい、住宅地の中に人為的に線が引かれている。
現在の港区と渋谷区。かつての原宿村と青山村。
意味不明だが、江戸時代には重要な意義を持っていたはず。
町奉行の権限が及ぶのはこの内側までだし、ところ払いで市中立入を禁じられた罪人は、内側には入れない。
線引きの理由をいろいろ考えたが、江戸時代以前、このあたりが一面の雑木林だった時に、原宿村、青山村の
農民代表が話し合って決めた入会権(薪を取る権利等)の境界が今に残っているのでは。
こんなヒマなことを考えている人は今の青山にいるはずもない。
当時二束三文の山を買い占めた人の勝ち。(2010.9.20記)
私は青山の地主親子の会話を立ち聞きしたことがある。
「今年は俺の年収が8000万、おまえが3000万でどうだ。来年はあと1000万足してやるから」



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