先日の相模原市の身障施設における大量殺人事件にはいろいろなことを考えさせられた。
犯人は元同施設の職員であり、館内の構造を熟知しているから、防止策は容易でないだろう。
思想的に思いこんだ確信犯なのか、それとも一時的に精神障害を発生した妄想に基づくもの
なのか、判断に困るが、いずれにせよ凶悪な犯罪であることは間違いない。
全員が彼を非難することだけは確実。
しかし、仮に彼の行動が信念に由来するものであったとしたら、厄介な事態が想定される。
一般論で言えば、これは優生主義である。
人類の遺伝子はより優等なものへと変化させるべきで、劣等な部分は取り除く必要が
あると考えるグループは、以前から存在する。
それを国家的規模で大々的にやったのがナチスのユダヤ人排斥で、国際的には明確に
否定されたものの、民族的な部分では一部の底流に残存する模様。
個人のレベルでは「出生前診断」の活用に露骨に現れる。
これを理由とする中絶はあとを絶たない。
家庭単位では十分理解できる行動でも、全人類がこれをやったらどうなるかなんて研究は
どこにもないだろう。
たとえば、障碍を発生させる遺伝子と、何か未知の有益な遺伝子がセットで準備されていたとしたら。
よかれと思ってしたことが、人類を破滅させる引き金を引くことだってないとはいえない。
我々は、異常な犯罪者として、彼を断罪する資格など、誰も持ち合わせていないことを肝に銘ずる
必要があるのではないか。
世界はわからないことだらけ。
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