ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

王妃が愛したブーゲンビリアの花咲く町「オビドス」

2019-04-08 10:03:33 | ポルトガル旅行
2019年4月8日


 
リスボンから北へ向かうこと80キロにあるオビドスは「谷間の真珠」と呼ばれる中世の城壁に囲まれた人口12000人ほどの小さな町だ。5月から秋にかけては、真っ青な空と白壁の家並みにブーゲンビリアの花々が映え、訪れる人は鮮やかさに目を奪われること請け合いだ。ポルトガルでもとりわけ美しい町である。


ディニス王がイザベル王妃にオビドスを結婚と贈り物にしたのは13世紀のこと。以来、19世紀半ばまでポルトガルの歴代王妃が所有権を受け継ぎ、村は「ウェディングプレゼント・タウン」として人々から愛されてきた。 


城門ポルタ・ダ・ヴィラをくぐるとたちまち中世の町へタイムスリップ。メインストリートのディレイタ通りには小さなレストラン、カフェ、土産物屋が軒を並べている。路地から路地を歩きまわっても小一時間で十分だ。中世のまま今に至る造りの家も見られ、オビドスはどこにカメラを向けても格好の被写体である。
 

丘に建つオビドス城は少し改造され、1951年からポザーダ(高級宿泊施設)として利用できるようになっている。村を囲む城壁は約1.5kmなので時間が許せば一周してみるもよし。




また、毎年3月から4月にかけて「国際チョコレートフェスティバル」が開催されることでも知られる。一通り町を歩いた後、お勧めしたいのがこの地方特産の黒サクランボ酒こと「ジンジーニャ」。お値段も手軽で通りのあちこちで味わうことができる。甘くコクがあるが、アルコール度数は20度と高いのでご注意を。


ジンジーニャについては次回のご案内にて。

え!鍵はふたつ?

2018-06-26 14:21:45 | ポルトガル旅行
2018年6月26日

鍵二つって、そりゃspacesisさんはそうでしょよ。二つどころか三つ四つあっても使う人が同じだから、自分の家から自分を締め出すのは再三起こりますってば。なんて、だれだぃ、そんなことを言ってるのは(笑)鍵社会のポルトガルです、実は何度もうっかり鍵をもたずしてドアを閉めてしまい、何時間も家に入れず大汗をかいているのでした。

今日はそのずっこけネタじゃないんです。ポルトガルでも美しい教会のベスト10に入ると言われており、以前から見たいと思っていた教会を見にオヴァール(Ovar)まで探して行って来た時のことです。

オヴァールの町中にあると思いきや、探して行ったふたつの教会はどちらもかなり奥まったところにありました。今日はそのひとつ、Igraja Mátriz de Cortigaçaの紹介です。



(コルティガッサ)というオヴァールの村にある教会は、ポルトのイルデフォンソ教会のように建物の外側が全てアズレージュで被われています。12世紀のものであろうと言われます。残念ながらその日は閉まっていて中が見学できませんでした。

アズレージュは向かって左が聖ペトロ(ポルトガル語ではサン・ペドロ)、その下がアッシジのサン・フランシスコ、右が聖パウロ、その下がサンタ・マリア(聖母)が描かれています。

教会入り口中央の上部にはサン・グラールこと聖杯が見られます。その下にも聖杯と十字架が交差しているシンボルが見えます。写真を撮っていると、ぬぬ?サン・ペドロは二つの鍵をもっているではないか。



サン・ペドロはイエス・キリストの12使徒の一人で、昨年初秋にわたしたちが旅行してきたバチカンの初代教皇でもあり、「天国の鍵」を手にしています。

すると、後ろにいた夫も「あれ?鍵がふたつあるぞ」と言う。「あ、ほんとだね。ふたつって?」とわたしが応じると、夫、すかさず、「スペアキーだよ、君同様、サンペドロも時々自分を締め出してしまうので、天国に入るのに合鍵が要るんだろ」・・・・

側で我ら夫婦のやりとりを聞いて大学講師の仕事が冬休みで一時帰国していた息子がぷっと吹き出している。しばらく前の締め出し事件を彼に話して「また、やってたの?梯子のぼるの危ないよ」と息子に言われたところであった。

夫のこの手のジョークは毎度のことで、言い得ているのが、これまた腹が立つのであります。ちがうわ!なんでサン・ペドロが、天国に入るのに合鍵がいるんだぃ!と、いきり立ち、よし!家に帰ったら早速調べてみようと思い、したのでありました。

サン・ペドロが天国の鍵を持つ、というのは知っている人も多いかと思います。かつては国民のカトリック教徒が多かったポルトガルです、夫もカトリックではありませんが、こと聖書に関してはやはり色々知っています。

しかし、日本語では単数複数の表現はなく「鍵」です。ポルトガルの伝統陶芸家ローザ・ラマーリュのサン・ペドロも手に一つの鍵を持っているし、わたしは昨日までサン・ペドロの鍵は一つだと思っていました。


陶芸家ロザ・ラマーリュの作品「サン・ペドロ」

調べた結果がこの絵で分かりました。



上の絵はバチカンのシスティナ礼拝堂にある壁面画の一枚です。下に拡大しました。



確かにイエスから二つの鍵を受け取っています。

「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」( マタイ伝 16:18)

金の鍵は天の国における権威を示し、銀の鍵は縛ったり解いたりする地上の教皇の権限を意味しているのだそうです。鍵の先は上(天)を指し、鍵の握り部分は下(この世)に向き、これらはキリストの代理人の手にあることを示唆しています。 二つの鍵をを結んだ紐は天国とこの世に渡る二つの権威の関係を示す、とあります。


Wikiより

上記バチカンの紋章にもペドロが授かった金銀の鍵が描かれています。現フランシスコ教皇はサン・ペドロから数えて266代目の天国と地上の権威を現す二つの鍵を預かる教皇ということになります。

ということなんだよ、うちのダンナ!合鍵じゃないわ・・・

悲恋の王と愛妾が眠るサンタ・マリア修道院

2017-09-08 07:45:08 | ポルトガル旅行
2017年9月7日 

ペドロ(男性の名前)、イネス(女性の名前)と言えばポルトガルではありきたりの名前ですが、小学校の歴史教科書にも必ず記述される14世紀のポルトガル王家「ペドロ王子」と「イネス」は悲劇の純愛の代名詞ですす。

その二人が眠るのがリスボンから北へ120キロほど行ったアルコバッサの「サンタ・マリア修道(Mosteiro de Santa Maria)です


12世紀にポルトガル初代王アフォンソ1世が建てたこの修道院はポルトガルに於けるシトー修道会初、国内最大のゴチック建築で、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

イネスは政略結婚でスペインのカスティーリャ王国からペドロ王子に嫁いできたコンスタンサ姫の侍女でしたが、ペドロ王子に見初められます。しかし、スペインとの関係に危機感を持った父王は、イネスの暗殺を命じます。後にペドロ1世国王となった彼は愛妾の遺体を掘り起こし、王妃の玉座に据えたといわれます。

サンタ・マリア修道院の圧巻は、戴冠後即座にペドロ1世が造らせた美しい細工のイネスと王の石棺です。二人が目覚めた時に最初にお互いの顔が見られるようにと、向かい合わせに設置されています。

また、「Roda de Vida(人生の車輪)」と呼ばれる装飾には二人の恋の歴史が彫刻されています。


華美な内部装飾を極端に控えた禁欲的なシトー派修道院に愛妾と向き合っ、てポルトガル随一の緻密で美しい石棺を納めさせた王の狂気の愛がうかがわれます。

イネスの石棺

ペドロとイネスの恋物語に興味のある方はこちらに詳しく書いてあります。
コインブラ:涙の泉