2018年5月5日
エッセイのタイトルに「ツーソン留学記」と堂々と掲げているものの、あつかましい(笑)
後にその訳を明かすのですが、移住するつもりで渡ったアメリカ大陸でしたが、志を翻し、実は半年で日本へと、とって返したわたしでありました^^; しかし、このわずか半年のアリゾナ生活は、その後のわたしの人生の指針になり、方向づけしてくれたような気がします。
たいしてお金は持っていなかったので、帰国すると決めた後も、思い出の品物は皆目買いませんでした。「これが若き日に訪れたアメリカの記念品だぜ。」と、だから、しみじみと手に取って眺めるものはほとんど皆無。あるのはこれのみです。
ツーソン周辺にはインディアン保護地区がある。シンプルなインディアンアート細工が施された銀のバングル。奮発して4つ手に入れたが、ひとつは我がモイケル娘が今は保持する。
アリゾナの思い出は、茫洋とした記憶のなかで漂っては、時折ひょこっり姿を現す。その時に決まって脳裏で流れてくるBGMが、トム・ウエイツの「Waltzing Matilda」であり、「 I wish I was in New Orleans」だ。
ハウス・シェア仲間の一人、ジョンはエピソード②でも、ちょこっと言及したツーソンのカレッジの歴史講師です。夜間授業をしており、日中はというと、いつの日か自分の歴史本を出版したいと原稿を書いているだった。
8時半からの大学のESL授業を終えて帰宅する午後、927番地のドアをあけると、直ぐがリビングルーム、それに続くダイニングホール、そして、その向こうにある裏庭に面した縁側のような小さな細長いスペースがジョンのお気に入りの場所だ。タバコをくわえ、アンダーウッド・タイプライターを打っている。ノミ市ででも買ってきたような、旧式のステレオに載せられ、家中いっぱいに流れているLPレコードのトム・ウエイツ。ジョンがいつも聞いていた音楽だ。
このドアの向こうに・・・
♪あぁ、ニューオリンズにいたらなぁ
夢に見えるようだぜ
みんなと腕組み合って
バーガンディーのびん持ち 酒盛りをする・・・(spacesis勝手訳)
この歌とアンダーウッド・タイプライターを打つパチパチとした音は不思議に融合し、夕闇が迫りランプシェードの薄明かりの中に浮かび上がる、痩せた背中を少し丸め、前のめりになったジョンの姿は、まるで一枚のシルエットのように、今でもわたしの心に残っている。
ジョンに誘われて、わたしは一度彼の夜間の歴史講義を聞きに、カレッジへ行ったことがある。(←偉そうに書いてるが、なにを隠そう、内容は皆目分からなかったのだ^^;) それはアダルト・スクールと言われる、アメリカ特有の夜間学校コースの一環で、様々な職種の人が、居眠りもせず講義を真剣に聞いていた。
今でこそ、日本でも一部の大学の門戸が一般社会人に開かれ始めているが、これは35年も前の話で、授業料も日本のそれとは比べられないほど安く、多くの人が受講できるようになっていた。アメリカの教育制度の豊かを当時のわたしは感じずにいられなかった。やる気のある者には、チャンスのドアが開かれる。そのドアを押すか押さないかは自分次第である。少なくともあの頃のアメリカはそんな風に思われた。
その時、初めて「あぁ、アメリカに来たのだ。」と震う思いに襲われたのだった。
トム・ウエイツ「ニューオーリンズに帰りてぇ」。トムのダミ声はご勘弁。しかし、聞きなれるとすごくいい感じが出てるように思われてくる不思議な魅力があります。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
エッセイのタイトルに「ツーソン留学記」と堂々と掲げているものの、あつかましい(笑)
後にその訳を明かすのですが、移住するつもりで渡ったアメリカ大陸でしたが、志を翻し、実は半年で日本へと、とって返したわたしでありました^^; しかし、このわずか半年のアリゾナ生活は、その後のわたしの人生の指針になり、方向づけしてくれたような気がします。
たいしてお金は持っていなかったので、帰国すると決めた後も、思い出の品物は皆目買いませんでした。「これが若き日に訪れたアメリカの記念品だぜ。」と、だから、しみじみと手に取って眺めるものはほとんど皆無。あるのはこれのみです。
ツーソン周辺にはインディアン保護地区がある。シンプルなインディアンアート細工が施された銀のバングル。奮発して4つ手に入れたが、ひとつは我がモイケル娘が今は保持する。
アリゾナの思い出は、茫洋とした記憶のなかで漂っては、時折ひょこっり姿を現す。その時に決まって脳裏で流れてくるBGMが、トム・ウエイツの「Waltzing Matilda」であり、「 I wish I was in New Orleans」だ。
ハウス・シェア仲間の一人、ジョンはエピソード②でも、ちょこっと言及したツーソンのカレッジの歴史講師です。夜間授業をしており、日中はというと、いつの日か自分の歴史本を出版したいと原稿を書いているだった。
8時半からの大学のESL授業を終えて帰宅する午後、927番地のドアをあけると、直ぐがリビングルーム、それに続くダイニングホール、そして、その向こうにある裏庭に面した縁側のような小さな細長いスペースがジョンのお気に入りの場所だ。タバコをくわえ、アンダーウッド・タイプライターを打っている。ノミ市ででも買ってきたような、旧式のステレオに載せられ、家中いっぱいに流れているLPレコードのトム・ウエイツ。ジョンがいつも聞いていた音楽だ。
このドアの向こうに・・・
♪あぁ、ニューオリンズにいたらなぁ
夢に見えるようだぜ
みんなと腕組み合って
バーガンディーのびん持ち 酒盛りをする・・・(spacesis勝手訳)
この歌とアンダーウッド・タイプライターを打つパチパチとした音は不思議に融合し、夕闇が迫りランプシェードの薄明かりの中に浮かび上がる、痩せた背中を少し丸め、前のめりになったジョンの姿は、まるで一枚のシルエットのように、今でもわたしの心に残っている。
ジョンに誘われて、わたしは一度彼の夜間の歴史講義を聞きに、カレッジへ行ったことがある。(←偉そうに書いてるが、なにを隠そう、内容は皆目分からなかったのだ^^;) それはアダルト・スクールと言われる、アメリカ特有の夜間学校コースの一環で、様々な職種の人が、居眠りもせず講義を真剣に聞いていた。
今でこそ、日本でも一部の大学の門戸が一般社会人に開かれ始めているが、これは35年も前の話で、授業料も日本のそれとは比べられないほど安く、多くの人が受講できるようになっていた。アメリカの教育制度の豊かを当時のわたしは感じずにいられなかった。やる気のある者には、チャンスのドアが開かれる。そのドアを押すか押さないかは自分次第である。少なくともあの頃のアメリカはそんな風に思われた。
その時、初めて「あぁ、アメリカに来たのだ。」と震う思いに襲われたのだった。
トム・ウエイツ「ニューオーリンズに帰りてぇ」。トムのダミ声はご勘弁。しかし、聞きなれるとすごくいい感じが出てるように思われてくる不思議な魅力があります。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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