部屋を案内した手前、 あの母子が気になってしかたのない猫平さんである。
数日前「異変はないか」と電話したら、紫さんが、
「夜になると、うるさくて仕方ない」と眠そうな声で云った。
「やっぱり出るんですね」
「あの女性のものばかりじゃありませんよ。
この部屋に住んでいた人たちの、恐怖心とか、
不安などの残留意識がうるさいんです」
それで、壁紙も折角きれいだけど、替えてもいいかと云うので、
ご自由にどうぞと返答した。
どうせもう誰も借りない部屋だ。
壁紙も張り終えたというので様子見に行く事にした。
事務のサヤカさんが、凛ちゃんに…と、たくさんのお菓子を持たせてくれた。
昔ながらの商店街を通り、田んぼが広がる未開発地に向かう。
この辺りは、最近、おしゃれなアパートが目立つようになってきた。
誰も、心霊スポットに住む訳がない。
例の201号室の入口には、きれいな円錐型の盛り塩が、ひっそりと置かれていた。
インターホンを押す前に、凛ちゃんが飛びだしてきた。
「猫さん、こんにちは!」
「こんにちはー。新しい生活はどうですか?」
「わたし、やっと、お姫様になれました!!」
その意味は、部屋にお邪魔して判った。
一緒に買いに行った、ピンクのローズラグ。天蓋つきの白いベッド。
部屋は、完璧なまでの姫系の部屋に変貌していた。
白いドレーッサー、猫脚のテーブル、これまた、ピンクのバラのカーテン。
あの日、揃えられなかったものは、全て通販で購入したという。
「うわあ…」
男にとっては、ちょっと入りにくい部屋だ。
「いらっしゃい、猫さん」
紫さんも、ニコニコしながら出てくる。
「お茶飲んでって、昨日、娘とたくさんクッキーを焼いたんです」
まるで、メイド喫茶だ、これ。
落ちつかない!
「食器はわたしの趣味ですが、部屋はもう思い切って、凛の好きにさせました」
ウェッジウッドのスウィートプラム のカップに、香りのよい紅茶が注がれる。
「本日の紅茶は、フォートナム&メイソンのアールグレイをご用意しました」
英国王室 御用達ですね!
「少々語ってもよろしいですか?」
紫さんは、紅茶マイスターか何かなんだろうか。
紅茶に対する眼差しが、普通じゃない。
「アールグレイというお茶のレシピは、実は失われていて、
現在のものは一種の復元なわけです。
だから茶のブレンダーによって微妙に違ってくる。
フォートナム&メイソンのブレンドは、品が良く、強からず弱からず。
ほどよい感じです。のんびりしたい休みの日にゆっくり飲むのがお気に入りです。
ミルクと砂糖はいりますか?」
「では、ミルクを。今まで、いろんな紅茶を飲んできましたが、
こんなに香り高い紅茶があったのかと感動しました」
先程の、メイド喫茶というのは撤回する。
ここは、立派な紅茶サロンだ。
「喜んでいただけて嬉しいです」と、紫さんはにっこり。
「こんな高価な紅茶…、紫さん、お金、大丈夫なんですか?」
「その質問は、無粋です」
「はい、すみません」
「ハートのクッキーはオレンジの味。星のクッキーはプレーンタイプだよ」
凛ちゃんも負けてない。
「うわああ、幸せだなあ…」
僕は、クッキーと紅茶を交互に口に運びながら、心からつぶやいた。
「今度は、スコーンをご馳走しますので、またいらしてくださいね」
「もう、喜んで!」
そこで、僕は話を変える。「ところで、どんな感じですか。…出ますか」
「壁紙を変えたら、静かになりました。彼女はいつも、天井を見ています」
僕は、突然ぞっとなって、後ろを振り返った。
「何か、天井にあるんでしょうか」
「…見てみますか」
紅茶のお礼だ。僕は凛ちゃんが指し示す、押し入れの中の天井を見た。
ここは、天井板が外れるようになっている。
嫌な予感はしたが、ここは男だ。
でも、生首が転がっていませんように。
しかし、そこには意外なものがあった。クッキーの缶だ。
「こんなものが」
「中を拝見していいでしょうか」
「見てみましょう」
中には …、オレンジ色のノートが一冊入っていた。それと、数枚の写真。
この女性は、ここで自殺したひとだった。
「これは、日記ですね。拝見しても…」
「いいですよ、多分」
しばらくの間、瞬きもせずに、紫さんはその日記を読んでいた。
それから、ゆっくりと眼差しを上げて云った。
「なるほど。いいものを見つけました」
にっこりと笑う。「これで、浄化します」
それから、凛ちゃんを振り返って付け加えた。
「凜、引き寄せの魔法を使うわよ」
「判った」
凛ちゃんは真剣な表情だ。「この母様を呼ぶのですね」
写真に、女性と一緒に映っている母親らしきひとを指でさした。
「まあ、魔法なんて冗談だけど、このお嬢さんのお母様はご存命でしょうか。
連絡先、判りますよね」
「もちろん、資料が残っているはずです。彼女を呼ぶんですね、ここに。
どうするおつもりですか」
「ですから、浄化ですよ」
紫さんは、カップを両手で包むように持って、紅茶を飲む。
「強からず弱からず。本当に、ほどよし」
続く
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