信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

2022大雪 玄奘三蔵法師の霊骨塔

2022年12月21日 | 寺社徘徊


お早うございます、信です。
日本海側の大雪が毎日テレビで報道されています。

幸いなことに私の田舎は大したことはないのですが、4年単身赴任した新潟市中心部で50cm近くの積雪とのこと。
新潟市は日本海に突き出ており、暖かい対馬海流のお陰で雪は少ないのですが、今回は災害級の雪が降ったようです。

魚沼市の守門で190cmの積雪があり、隣の小出では80cmで大きな差が出ています。
守門は名の通り守門岳の麓ですが、魚沼市の中では一番山よりの地区でした。

昨夜から雪は一旦、小康状態になったようですが、この週末またクリスマス寒波が来るようなので
これ以上、大雪にならないよう祈るばかりです。

先週さいたま市のウォーキングコーを見ていた時に、隣の岩槻区の古刹 慈恩寺に玄奘塔という
あの西遊記で有名な玄奘三蔵法師の遺骨を、納めた塔があるというのを発見し行ってみました。

あの懐かしい「ガンダーラ」を聞きながらお読みいただければ嬉しいです。
ガンダーラ






さて歩いたのは12月17日のどんより曇り日でした。
この週末はどこを歩こうかとネットを見ていたところ、上記の岩槻の⑪慈恩寺MAPを見つけて
うちのクマさんも「行ってみよう」となりました。

自宅から歩いて50分、東武アーバンパークライン(野田線)に大和田駅から乗って岩槻へ。



慈恩寺の手前の県営諏訪山下団地前の諏訪神社に立ち寄り

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石鳥居が上下に設置されていました。




何故か山王鳥居が

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立派な本殿でした

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末社も六社設置されています 
山王鳥居は末社に日吉神社があるためかと思います。



諏訪神社から歩いて10分

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これも時代を思わせる庚申塚

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案内にあったとおり、ここから400mのところに
中華風の立派な山門がありました

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その横にあった案内です 

「千三百巻に余る経典を訳す」と書かれていますが・・想像も出来ない膨大な量です。
そもそもそれだけの量の経典を歩いて、どうやって運んだのか。


これが「玄奘塔」十三重の石塔です

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その手前に笈を背負った玄奘三蔵の銅像がありました

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良く見る玄奘の肖像画とされる絵にそっくりでした。
1978年の日テレ「西遊記」の、夏目雅子さんとは似ても似つかぬ様相。それは当たり前か。



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「玄奘三蔵天竺求法像」とあります

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記録に残る紀行図です。一体何km歩いたのだろう

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西暦629年に隋から、唐になったばかりの長安からシルクロードを経て、天山山脈北路を経由してインドのナーランダ僧院へ。
そしてインド南部を廻り、西域南道から天山山脈南路で645年に帰国したとされます。

約16年間の一人旅、帰りは1,300巻の経典と、仏具の山。
僧侶なので仏教圏では便宜を図る人もいたでしょうが、イスラム圏では難儀を極めたことでしょう。
そういう魑魅魍魎な化け物に等しい悪人たちから身を守り、荷物を守って帰国して唐の皇帝、太宗に求められ書いたものが「大唐西城紀」のようです。

改めて紀行図です 


その手前にあった「大摩尼車(転経器)」

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使い方はこちらに書いてありました 
全てサンスクリット語「梵字」で刻まれています。


右手には梵字義

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般若菩薩の真言です 


改めて石塔にお参りしました

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   左手の石塔
   
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   こちらは右手。全てサンスクリット語です
   
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   拝殿の柱に「玄奘塔」の木札
   
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   柱に川柳会の募集が貼ってありました。



十三重石塔に刻まれた文字「・・三蔵霊骨塔」だけ読めます

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出口に顕徳ノ碑がありました

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詳しいことはこちらの岩槻慈恩寺のページで。
「三蔵法師」ボタンをクリックすると「玄奘塔」の謂れが出てきます。




横にあった「林杖倭」

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ピザの石窯のようです

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毎週木曜のみ営業のようです 



こんなご主人なのでしょうか

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岩槻慈恩寺 玄奘塔でした

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それでは今日のウォーキングに出発です。


 撮影日: 12月17日
 撮影場所:岩槻区慈恩寺 玄奘塔


それでは皆様、ご機嫌よう。










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