ヤサシイヒカリ

藤木直人ファン歴17年目になります。藤木君話、おやこ劇場話、男闘呼組話、思う事、呟いてみたいと思います。

8月6日

2013年08月06日 15時03分54秒 | 思うこと
本日8月6日は、広島原爆の日です。

出来るだけ毎年、平和祈念式典のテレビ中継を見るようにしています。
今日は、朝からバタバタしていたのですが、8時15分には何とか間に合いました。


こちら地方では、朝は雨降りだったのですが、お昼近くにはあがって日差しも気温も強く高くなってきました。
68年前のあの日の広島の朝も、こんな暑い一日の始まりだったのでしょうか?


広島には、昔小学校2年生の夏に家族旅行で訪れたことがあります。
姉の夏休みの宿題(自由研究)のテーマが、広島の原爆についてだったようで
記念碑の前や原爆の子の像の前で手を合わせ、平和祈念公園の原爆資料館へも行きました。
まだ、学校の授業で戦争や原爆については全く習っていなかったためか
何も知らずに目に飛び込んできたその当時の悲惨な様子や、資料の数々にうけた衝撃は、私にとって
後々まで心の中に刻み込まれる程でした。
市内の見学を終えて宿泊先の宮島に着いたとき、まるで自分が何かしら大きな恐怖から
やっと安全な場所へ逃れてきたような感じがしたのを覚えています。




帰宅してからも、しばらくの間は夜寝るときに何故か怖くて電気をつけたままにしていたのも記憶に残っています。
怖いのだけれども、買ってきた写真集を出してきてはよく見ていたこともあります。
集団登校の集合場所に映画『はだしのゲン』のポスターが貼られていた時期は、どうしても直視できずに背を向けていました。
大人になった今でも、もう一度広島を訪れたとしたらちゃんと事実と向き合えるか自信がありません。
実際に被爆された方々のまえでは、失礼極まりない態度なのでしょうね。



自信がない代わりに、という言い方は可笑しいかもしれませんが
辛いけど、絶対にその時の気持ちを、そして二度と同じ過ちを繰り返さないようにという思いを
ずっと心に刻んでいくことをわすれないでいきたいです。


既に福島で、再び放射能が空に飛散して人々の何気ない日常を壊してしまいました。
私自身は原子力発電について何も知らず、何も考えずにいました。
原爆について決して忘れないなどと思いながら…本当に恥ずかしい限りです。


せめて、これからは原発再稼働や憲法9条改正について、ならぬものはならぬではないけれど
きちんと自分の考えをもって反対の声をあげるべき時にはしっかりと声をあげていきたいと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする