ヤサシイヒカリ

藤木直人ファン歴17年目になります。藤木君話、おやこ劇場話、男闘呼組話、思う事、呟いてみたいと思います。

段ボール迷路

2013年08月15日 14時25分53秒 | おやこ劇場
今月10日~20日まで、某デパートにて『からくり忍者迷路』のイベントが開催中です。

           

           



その、からくり迷路とは…
我らがおやこ劇場の秘蔵アイテム(?)巨大段ボール迷路なのでありまする~










             

こちら2枚の写真は、外から見たところ。忍者の絵は会員の子ども達作です。
なかなかの傑作でしょ?




こちらは上から…
 
          



この迷路は特注の段ボールをたくさんくっつけて作られた物で
中には、これも会員の子達が、いろんな絵や落書き(?)、メッセージなどが
いっぱい描いてくれました。


このイベントはデパート側から劇場にアポがあった、今年初めての企画です。

幼児さん~小6のお子さんを対象に、迷路にチャレンジしてもらい
中にある4つのスタンプをゲットして出てきたら、ご褒美のスタンプと、お菓子がもらえます。

期間中、劇場の会員3人と事務局のTちゃんで担当日を決めて交代でスタッフとしてお仕事する事になり、
一昨日、私も出勤(笑)してきました。


初めての担当日だったので、初日からいてくれる大学生のAちゃんにいろいろと教わりながら
受付や説明、子ども達の見守りなどをしていきました。



予想よりもたくさんのお客様がきてくれて、賑やかなフロアーとなりました(嬉)




子ども達の反応も様々で、
大はりきりではいっていく子、ちょっと不安そうな表情をしながらもお友達や兄弟に誘われたり励まされたりして
チャレンジして行く子などなど~。
スタンプラリーを終えて出てきた時には、ほとんどの子たちが充実感一杯に目を輝かせていました。



迷路の中は思いのほか道が入り組んでいて、自信満々で入っていったはずの子が、道に迷ってしまい
友達に助けを求めたり、ちょっぴり不安になって外で待っているお家の人に
「どっちに行けばいいの~」とSOSを出したり、はたまた、一度通ったところに2度も来てしまったりと
ちょっとしたハプニングも発生。
写真ではちょっと分かりにくいかもですが、以外に壁が高いので現在位置を確認するのもピョンピョン飛んで見てみないと
分からない、まさに迷い道。
両サイドに置いてある脚立にスタッフがあがって様子を見守り、必要とあらば中に入って救援しますが、
子ども達も結構たくましいもので、なんとか自力で脱出に成功していました(拍手~)



兄弟姉妹一緒にチャレンジする子達も多数。
中には、上の子がどんどん先へ行ってしまい、取り残されながらも一人がんばってスタンプ全てゲットした
逞しい子もいました。
逆に、ず~っと下の子のペースに合わせて動き、スタンプも押してあげるお兄ちゃんお姉ちゃんの
けなげな姿も見れました。


やっぱり子ども達の姿を見ているのって、ほんとに癒されます。足腰はかなり疲れましたが(笑)
迷路に来てくれた皆、お疲れ様でした。


まだあと2日間、担当日があるので楽しみにしています。










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8月15日

2013年08月15日 09時58分01秒 | 思うこと
8月15日になりました。

本日は、終戦記念日です。

子どもの頃には、ほとんど必ずテレビで戦没者追悼式典を見ていました。
前の記事にも書きましたが、今は亡き父の影響です。

今年は憲法9条改正論が論議されているだけに、いつも以上に祈りながら考えていかなければ…
と思います。
追悼式典の放送も、大人になってからはチャンネルを合わせることも、いつの間にか少なくなってきていました。
大いに反省…です。


先日、義父の初盆が終わってから、義母にこんな話を聞きました。

義祖父は10年前に亡くなりましたが、太平洋戦争初期の中国に4年間出征していました。
義母はまだ幼く、やはり父親が長期間いないということは心細いものだったので、義母の祖父つまり
私にとっては義理の曾祖父が父親代わりだったそうです。
まだ勝ち戦の頃だったので、義祖父は無事任期を終えて帰ってきたけれど、
4年間の空白は、すぐには埋められなかったようで、義母はしばらくの間戸惑いを感じていたと。
また、戦後しばらくは家の周りや所有している田畑から不発弾が良く出てきたそうです。
空襲の時、幸運にも家は無事だったけど庭に出してあった箪笥が引火して燃えてしまった事も
よく聞いていました。

私の周りの人たちは、実家も婚家も、幸い直接戦死者や、空襲等で亡くなった人はいません。
とてもありがたいことだと思います。
けれど、父方の祖父母は空襲の爆風で身体を飛ばされた影響や、戦後の食糧難もあり早くに亡くなってしまったので
私も姉達も顔を知りません。
だから、日本の国にいる全ての人が、必ず何らかの形で戦争の悲劇の影響があるのではないかと思うのです。

戦争を直接知らない私が、あまり大きな事を言うのは考えものかもしれませんが、せめて今日一日は
平和について、そして本当に9条を変える必要がどこにあるのか考えていきたいと思います。




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