ヤサシイヒカリ

藤木直人ファン歴17年目になります。藤木君話、おやこ劇場話、男闘呼組話、思う事、呟いてみたいと思います。

69年目の8月6日

2014年08月06日 15時01分00秒 | 思うこと
広島は雨降りの朝でしたね。43年ぶりの雨降りの原爆記念日だそうです。
犠牲になった方々が、水を求めながら亡くなったことへの涙雨なのでしょうか。

8時までに朝の家事仕事をなんとか終えて、テレビの前に。
原爆投下時刻の8時15分には、娘と一緒に姿勢を正して黙とうをさせていただきました。
画面に映されるモニュメントの言葉『安らかに眠ってください。あやまちは繰り返しませぬから』、改めて眼にしっかり焼きつけました。


しかし、去年この日に記事を書いてからの1年間で政局は思いもよらない方向へ…。
福島での悲劇がなかったかのような原発再稼働への動きが始まりました。
そして、集団的自衛権の容認と言う名の、再びあやまちを繰り返しかねないような事が推し進められようとしています。

原爆で犠牲になった沢山の方達の御霊は、どう思われているのでしょうか?
69年という長い月日が経っても決して癒されることのない苦しみと悲しみが、こうもあっさりと裏切られた事を思うと、
今を生きる私達は、なんと申し訳をすればよいのでしょうか?



あやまちは決して繰り返してはならないのです。
どんな大義名分を叫ぼうとも、戦争が生み出すものは悲しみと苦しみと恨み憎しみの連鎖だけなのです。
他国のいざこざに首を突っ込む事は、自分を守る事にはなりません。
そのいざこざを無駄に拡大させることはあって鎮める事はできません。
もし世界のどこかで戦争に苦しむ人たちがいても、武器を持っている国は差し伸べようとしている手を信用しては貰えません。

軍隊を、戦争を放棄てきたからこそ今の、今までの平和があるのです。
政治に関わる人たちが、ここまで国民の意思を無視した政治を行っていても、テロや紛争にならずに済んでいるのは武器を持たないからです。


これほどまでに憤りと不安を持って迎えた原爆の日は初めてです。
朝の雨は、犠牲になられた方々のこの現状に対する悲しみと怒りの涙かも知れません。


そんななかで、祈念式典での小学生代表の2人のよどみない言葉としっかりと足を踏みしめて大勢の人の前に立つ姿を見て、少しだけ心が洗われました。
大人よりも立派に平和への決意を述べるその声に、彼らの未来のためにも絶対に後戻りをしてはならないと強く思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする