本来なら日常カテゴリーに入る記事なんですが、ちょっと思う所がいろいろあってここにカテゴリーにしました。
3連休でしたが、我が家の場合は土曜日は男性陣がお仕事、昨日の月曜日は娘が学校と息子が出張…と言う事であまり実感はなく(笑)
パパさんと2人の日だったので、お出かけと相成りました。
行先は、徳山ダム。以前にこちらの記事にも書いた、映画『ふるさと』ウィキペディアでも有名な、一つの村を廃村にして作られた巨大ダムです。
今年は本当に台風や大雨が多くて、かつてのこの地域だったら何度も浸水被害が出ていたところですが、幸い大きな被害は起こっていません。
それはやはり、このダムがあるからこその治水作用のおかげだと思います。
なので、感謝の気持ちも込めて行ってみようと思った次第です。
まずはダムに沈んだ徳山村にちなんで名づけられたダム湖である徳山湖へ。
このあたりには、鉄筋コンクリート製の徳山小学校が沈んでいるそうです。
湖畔にある徳山会館には、旧徳山村の歴史資料、特産品の販売コーナー、村の様子やダム建設の経緯を映像で見られる視聴覚コーナーがあります。
私たちも行ってきました。会館の写真撮っていなかった…。
建物自体は大きくはないのですが、本当にたくさんの資料、展示がありました。
村が無くなる頃の新聞記事、地元の方々が撮られた村の写真の数々を見ていると時間があっという間に経ちそうなくらいです。
一口に村が無くなると言っても、住民の方々が単に引っ越すわけではなく更地にしなければならないので住み慣れた家を取り壊して焼却しなければならないと言う作業があり、仏壇もお墓も引き払わなければならないのでご供養もしなければならず、子ども達にとっては学校も沈むことになる…本当に胸が詰まるような出来事が写真やテキストで展示されていました。
ダム建設を巡っての裁判も…。
住民がいる村がすべて水没すると言う大きな犠牲が必要な事業だけに、私が子供のころからも反対運動については良く報道されていました。でも、実際には、報道されている以上に村の人たちもダムを作る側も、きっと大きな葛藤があった事と思います。
私自身はずっと今と同じ市に住んでいます。
県内では戦前からの市制であり、県庁所在地である岐阜市に次ぐ第2の都市と言われています。
比較的広いので、同じ市内でも東海道本線を挟んで地域の雰囲気などは違いが大きく、結婚して北側地域から南側地域に住所が変わった時はそれなりに心細い思いも感じたこともあります。
産まれ育った地がダムの底に沈み、二度と見る事も訪れる事も出来ないのは、さらに心細く悲しい事だったでしょう。私などには到底思いも及ばないかもしれません。
展示されている写真や地図、レポートを読み見て、今まで知らなかった事がまだたくさんあった事に自分を反省しつつ、もう一度訪れたい気持ちが新たに湧きてきたと共に、改めて大きな水害から守られていることへの感謝の気持ちがさらに強くなりました!
ちなみに、この徳山会館にはレストランもあり、今話題のダムカレーを頂くことができます。
そして、次の週末には、県内各地に移住された住民の皆さんが集まるイベントが行われるそうです。ご成功を願っています。
そこから、さらに車で移動して徳山ダムへ。
このダムは、日本でも有数の大きさ、高さがあり、戦後最後の巨大ダムとも言われています。
建設時の使用された車両もかなりの巨大さだったようで、その車両のタイヤが展示されています。もしかしたらこれも世界一なのではないかと思うほど。これまた写真撮らなかった…。
ダムが完成する少し前に、沈む地域やダム建設の視察するイベントが行われた事がありました。実はその時に家族4人で参加したことがあるのですが、息子&娘はまだ小学生だったので、そのタイヤの前で写真を撮った思い出があります。
2人の身長より遥かに大きなタイヤでした。ちょっと時間の流れを感じてしまいました。
帰りには、ちょっと寄り道して谷汲山華厳寺へ。
25年ぶりの参拝なのですが、参道の商店街が思いのほか閉店している店が多く、シャッター街のような雰囲気を感じました。
我が市の駅前通りも同じようにシャッター街化しています。
時代の流れなのか、ふるさとが活気を失っていくのは辛い事ですが、どうしたら良いかも分からないのも事実。
いろいろな意味で、稚拙ながら『ふるさと』を考えた一日になりました。
3連休でしたが、我が家の場合は土曜日は男性陣がお仕事、昨日の月曜日は娘が学校と息子が出張…と言う事であまり実感はなく(笑)
パパさんと2人の日だったので、お出かけと相成りました。
行先は、徳山ダム。以前にこちらの記事にも書いた、映画『ふるさと』ウィキペディアでも有名な、一つの村を廃村にして作られた巨大ダムです。
今年は本当に台風や大雨が多くて、かつてのこの地域だったら何度も浸水被害が出ていたところですが、幸い大きな被害は起こっていません。
それはやはり、このダムがあるからこその治水作用のおかげだと思います。
なので、感謝の気持ちも込めて行ってみようと思った次第です。
まずはダムに沈んだ徳山村にちなんで名づけられたダム湖である徳山湖へ。
このあたりには、鉄筋コンクリート製の徳山小学校が沈んでいるそうです。
湖畔にある徳山会館には、旧徳山村の歴史資料、特産品の販売コーナー、村の様子やダム建設の経緯を映像で見られる視聴覚コーナーがあります。
私たちも行ってきました。会館の写真撮っていなかった…。
建物自体は大きくはないのですが、本当にたくさんの資料、展示がありました。
村が無くなる頃の新聞記事、地元の方々が撮られた村の写真の数々を見ていると時間があっという間に経ちそうなくらいです。
一口に村が無くなると言っても、住民の方々が単に引っ越すわけではなく更地にしなければならないので住み慣れた家を取り壊して焼却しなければならないと言う作業があり、仏壇もお墓も引き払わなければならないのでご供養もしなければならず、子ども達にとっては学校も沈むことになる…本当に胸が詰まるような出来事が写真やテキストで展示されていました。
ダム建設を巡っての裁判も…。
住民がいる村がすべて水没すると言う大きな犠牲が必要な事業だけに、私が子供のころからも反対運動については良く報道されていました。でも、実際には、報道されている以上に村の人たちもダムを作る側も、きっと大きな葛藤があった事と思います。
私自身はずっと今と同じ市に住んでいます。
県内では戦前からの市制であり、県庁所在地である岐阜市に次ぐ第2の都市と言われています。
比較的広いので、同じ市内でも東海道本線を挟んで地域の雰囲気などは違いが大きく、結婚して北側地域から南側地域に住所が変わった時はそれなりに心細い思いも感じたこともあります。
産まれ育った地がダムの底に沈み、二度と見る事も訪れる事も出来ないのは、さらに心細く悲しい事だったでしょう。私などには到底思いも及ばないかもしれません。
展示されている写真や地図、レポートを読み見て、今まで知らなかった事がまだたくさんあった事に自分を反省しつつ、もう一度訪れたい気持ちが新たに湧きてきたと共に、改めて大きな水害から守られていることへの感謝の気持ちがさらに強くなりました!
ちなみに、この徳山会館にはレストランもあり、今話題のダムカレーを頂くことができます。
そして、次の週末には、県内各地に移住された住民の皆さんが集まるイベントが行われるそうです。ご成功を願っています。
そこから、さらに車で移動して徳山ダムへ。
このダムは、日本でも有数の大きさ、高さがあり、戦後最後の巨大ダムとも言われています。
建設時の使用された車両もかなりの巨大さだったようで、その車両のタイヤが展示されています。もしかしたらこれも世界一なのではないかと思うほど。これまた写真撮らなかった…。
ダムが完成する少し前に、沈む地域やダム建設の視察するイベントが行われた事がありました。実はその時に家族4人で参加したことがあるのですが、息子&娘はまだ小学生だったので、そのタイヤの前で写真を撮った思い出があります。
2人の身長より遥かに大きなタイヤでした。ちょっと時間の流れを感じてしまいました。
帰りには、ちょっと寄り道して谷汲山華厳寺へ。
25年ぶりの参拝なのですが、参道の商店街が思いのほか閉店している店が多く、シャッター街のような雰囲気を感じました。
我が市の駅前通りも同じようにシャッター街化しています。
時代の流れなのか、ふるさとが活気を失っていくのは辛い事ですが、どうしたら良いかも分からないのも事実。
いろいろな意味で、稚拙ながら『ふるさと』を考えた一日になりました。