75年は草木も生えないと言われた広島市。
その75年目の今日、8月6日は梅雨もようやく明けて、夏らしい陽射しが眩しい朝を迎えましたね。
去年のこの日は、台風上陸の影響で曇り空の記念式典だったと、このブログの記事に書いていた私です。
75年は草木も生えないだろうと言われたほど破壊された広島の街は、コロナの影響もありながら、それでも緑豊かな大都市に復興しました。
75年目の式典では、規模縮小ながらも子ども代表の小学生2人の力強い決意の言葉、被爆ピアノの澄んだ音色の演奏と高校生3人のコーラスが心に強く刻まれました。
そして、そんな今日のニュースや新聞記事を、75年目の原爆の日の記憶としてここにリンクや写真を貼りたいと思います。
私の稚拙な言葉の羅列よりもしっかりとした記録になってくれると思いながら。
わずか8か月で亡くなった赤ちゃん、生まれて数時間で被爆して名前すらなく亡くなった女の赤ちゃん…そう、このような形で本当に短すぎる命を奪われた赤ちゃんたち、たくさんいたのでしょう。それに、人間だけでなく鳥や蝉や虫たち、犬や猫。
失われた生命はどれだけ多かったのか…改めて原子爆弾と言う核兵器の威力と恐ろしさをひしひしと感じ、そして、その恐ろしさは決して忘れてはならないと思います。
こちらは、中日新聞8月3日朝刊の記事です。
本日6日の中日新聞朝刊の1面記事です。
そして、まだ知らない事実があるであろうと思い、自分への指標としてリンク貼ります。