お恥ずかしい話だが福ちゃんが金城を殺してしまい、このままでは警察に捕まって大学卒業資格が取り消されるので、証拠隠滅とアリバイ工作のために俺と新開は駆り出されたのだった。二月、雪深い群馬の高崎温泉に、俺たちは四人で早めの卒業旅行に来ていた。
酔っ払った俺たちは旅館の駐車場の隣の空き地でかまくらを作って遊んでいて、腹が減ったと新開はちょっと遠いコンビニに出かけ、俺も雪に埋もれて体が冷えたのでトイレに立った。ついでに親と部活の後輩からのメールを返した。その間二十分くらいだったと思う。俺が戻ると、かまくらの入口のところに膝立ちになった福ちゃんがいて、膝の下に敷かれた金城の上半身が見えた。
暗い視界の中、その頭の周りの柔らかな雪に、みるみる金城の血が真っ黒く沁み渡っていくのがわかり、俺は「これは本当にヤバい」と完全に心をつかまれた。
ひとまず死体を隠すため、新開が帰ってきてから三人で協力して、旅館の裏山の雪の中に埋めた。金城は頭ではなく、胸から腹にかけてをすごくでかいナイフで福ちゃんにまっすぐに切り裂かれていて、それが死因となったらしい。埋めるときは交代制でライト係、穴掘り係をローテーションした。
死体を抱えたとき、俺は致命傷から内臓的なものが覗いているのに気づいたが、それが妙に白っぽいのが意外だった。
全員溶けた雪と汗でビチャビチャだったし、福ちゃんはおまけに返り血のせいで、全身を醤油で煮しめたみたいな、大変な有様になっていたけど、とにかく対策を練ろうと旅館に戻った。
新開も俺も、コナンと金田一は一通り読んでるのに、この事件のトリックを応用しようとかそういうアイデアがさっぱり浮かばない。所詮漫画の知識なんてあてにならないのかと心もとない。そのうち飽きて、「コナンの黒の組織メンバーで誰が一番強いか」について新開と盛り上がってふざけていたら、福ちゃんがキレかけていたのでやめた。
俺は時間稼ぎに、
「あのサ福ちゃん、そもそもの、根本的な話に戻るけどォ、な、なんで金城殺しちゃったの?」と尋ねた。
腕組みした福ちゃんは、辛そうな表情だ。人殺しをしたのだから当たり前である。
「・・・・・二年の」ようやく重い口が開かれる。
「落車があったろう」
新開は言葉をつないだ。
「あのインハイの事故だろ。あれを金城君が許してくれたから寿一は」
「俺が故意に掴んで落車させた。事故じゃなかった」
「えっ」
どこまでも永遠に広がり続ける空白。何秒、何分が経過したのだろうか。口をあんぐり開けて福ちゃんの顔を凝視する、隣の新開と見つめ合う、「ええ~・・・・」と力なくハモる、黙り込む。この一連の動作を何回繰り返しても、耳が拾った言葉の意味が全く辿れない。
「・・・・ワザとは盛りすぎでしょ・・・・ワザとなら、運営に話行くんじゃナァイ・・・?」喉がカラカラで自分の声がばいきんまんに聞こえる。
「他に目撃者はいなかった。俺は言えず、金城は言わなかった」
「寿一が言えないのは分かるよ?金城君が申告しなかったってのは本当に明らかにおかしい。おめさん責任感強いから。そんな事実無かったんだろう」
新開の声は囁くようにか細く、フラフラ震えている。
「俺にも今もわからない。ずっとわからないままなのかもしれない。金城は言わなかった。だから俺も誰にも言えなかった。許されないことをして、それなのに許されて、一生二人だけの秘密を抱えて生きていくなんて、俺には理解出来ない・・・・!」
独白は約二時間続いた。途切れ途切れに、でも滔々と喋り続ける福ちゃんに、俺は恐怖した。ぞっとした。失礼かもしれないが、福ちゃんがこれほど多くの語彙や感情を披露するなんて思いもよらなかった。
色を表す言葉、色に関する認識が極端に乏しい国や文化圏があると聞く。俺たちが一応七色と認識する虹も、そこの人々はせいぜい二色ほどしか見分けられないか、もしくはただの光としてしか感知しないのだそうだ。
それはつまり、俺には感じられない、何百色もの色を虹から抽出する、逆の立場の人間もいるということだ。俺は福ちゃんを、二色派の感性で地球に生きてる人間と思っていた。そして金城は確実に何百色派だと。そういう意味では二人は正反対だ。
福ちゃんの独白を要約しておく。長く喋っていても、福ちゃんの供述はちぐはぐで取り留めなく、言いたいことは結局シンプルだった。一応それっぽい文章に直した。
「福富は自らの主体性を確立するために金城を殺した。彼の存在があると永遠に自我が確立できないと懸念し、彼の中に埋没せんとする己の自我と、金城を救済するために犯行に及んだ。蛇足ではあるが、福富は金城に恋愛感情に近しいものを非常に強固に抱いていた」
・・・・蛇足があまりにもクライマックスすぎた。全く現実感が湧かない。体に力がまるで入らない。
「・・・一度ならず二度殺すことになってしまった」一回目は半殺しだから正確には1.5殺しだ。
疲れたと溜息をついた福ちゃんは、風呂で血を流すと部屋から出て行った。助かった。すぐさま窓を開ける。立ち込める血の匂いで、頭痛と吐き気が我慢できないくらいにこみ上げていたのだ。その直後、俺は新開と胸倉を掴み合い、混乱した胸中を絶叫し合った。お互いの話なんか聞いてはいなかった。
「ヨオ!!テメェ、今の、分かったァ?ねェ!分かった!?」
「わっかんねえ・・・!ぜんっぜんわかんねえ!どうしよう靖友俺、バカかもしれない!」
「俺さァ、福ちゃんが秘密を知ってる金城を殺すってとこまでは納得いくのネ!でもネ!その前に金城が分かんねェってことが立ち塞がって頭がパンクすんの!そのパンクのダメ押しで福ちゃんが金城好きってトコで完全に詰む!」
「金城君!いや、もういないんだけどさ!おかしくない!?なんで許す?絶対おかしい!」
「そう!なんで許したのォ!?」
そうこうしているうちに朝になってしまい、チェックアウトの時間も迫っていたので、とりあえず俺たちは解散した。
「お前たちを巻き込んでしまってすまなかった。あとは俺一人で平気だ」
死体は雪の中だ。
結論から言うと俺と新開はてんで役立たなかった。福ちゃんは一人で秘密裡に対策を講じたらしく、世間が今知っているのは、金城が行方不明ってことだけだ。事情聴取などは、口裏を合わせて、あとはアドリブで乗り切った。こういうのはまだいい。問題はそこからだ。拷問の二字だった。
福ちゃんと俺の危惧通り、新開は連続ドラマ『ウサ吉ショックセカンドシーズン』の精神状態を迎え、この上なく盛り下がっている。俺も毎晩のように悪夢を見るようになり、眠るのが嫌になった。何度戸締りをしても、戸締りをしたかが気になって、結局家から出られない日もあった。胸の中が重苦しく、引きずられるように痛む。その痛みを感じる度に訝しむ。
あの二人は、こんなものを抱えてずっと生きてきたというのだろうか。どうかしている。
新開と何度も話し合っても、俺たちには福ちゃんと金城のしたことが全く理解できないでいる。当事者の福ちゃんが理解に苦しんでいるのだから、当然かもしれない。
金城がもし福ちゃんを許さなかったら、俺たちは多分出場停止を食らい、あのインターハイも、大学生活も、何もかもが失われていた。でも金城は許したので今の生活がある。それが善いことだったのか悪いことだったのか分からないのだ。そもそも許すって何?
俺の見る悪夢は毎回同じだ。あの黒歴史時代、馬鹿をしていた頃の自分が、警察にとっ捕まり補導されたときの鮮明な思い出。自転車を始めてからは殆ど忘れてしまっていた、ほんとうに欠片も思い出せなかった記憶が、蘇生し再現されているのだ。
決まって俺はパイプ椅子に腰かけ、窓の外を見ている。視界の端に映る太った婦警のババアの語りが淡々と流れる。
「警察っていうのはね、犯罪者は絶対に絶対に更生などしないという信条で動いている組織なの。だから一度罪を犯した人間は、必ず同じ過ちを繰り返すと盲目的に信じているの。信じるっていうのはおかしな言い方だけど、何か事件が起きたらまず同じ種類の犯罪者のリストを洗って、再犯を疑うの。ニュースや新聞で、非道な誤認逮捕や冤罪が報道されるでしょう?あれは、疑わしい人間がいたら徹底的に追い詰めて、自分たちの判断は正しいことが証明できるまでは、相手を殺してでもやり遂げるという集団意識の現れだわ。皮肉に聞こえるかもしれないけど、人間を信じないことを信じているのが警察。それは内部、身内に対してもそうなのよ。ほかの官庁や企業では、内部の人間が不祥事をしたら、諭旨解雇、辞めたらいいんじゃないですか、って促すことがある。でも警察には諭旨はない、規則に言葉はあってもそれは飾り。懲戒しかない。『お前は絶対に悔い改めなどしない、必ず同じ過ちを繰り返す、だからいなくなれ』って。・・・・・あなたが二度とここへ来ないことを願っているけれど、また同じような騒ぎが起きたら、私は真っ先にあなたを疑うわ」
福ちゃんの世界はシンプルだ。ゴチャゴチャ考えあぐねていたことなどどうでも良く、ただ努力して強くなって勝てばいい。それだけだ。では金城の世界は、とまで想いを馳せて、イヤな感じがしたのでそこで考えるのをやめた。
俺は福ちゃんに四月になるまでにこの件について一回話をしてほしいと懇願した。新開は疲弊しているし、俺もなんだかんだで参っているのだし、何より俺たちは四月から社会人になるのだから、こんな状態ではとても新生活を迎えられないと。福ちゃんはそれぞれに話すと約束した。
サラリーマンが出勤した後の時間帯のジョナサンは滅茶苦茶空いていて静かだ。福ちゃんは口を開く。
「・・・テストがあって」
ようやく気が付いた。俺たちは福ちゃんの考えや気持ちだけじゃなく、言葉も分からなくなっていたのだ。魔女の宅急便のキキが、黒猫のジジの言葉を理解できなくなってしまったように。
昔は俺たちそれぞれの頭の中に、自由自在な福ちゃん言語翻訳ツールがあった。無料版だった。東堂も泉田も真波もみんな持っていた。珍しくもなんともなかった。今はもうポンコツと化していた。福ちゃん本体のほうがいつの間にかアップグレードされてしまっていたのだ。
「テストって・・・後期試験?」屈辱的なものを感じながら俺は尋ねた。
「オレの入団テストだ」
「え、だって、面接だけでパスだったんじゃないのォ?」
「その一週間後に、走りを見たいと先方のコーチ陣に言われた。テストというよりは親睦のための実走視察のようなもので・・・公道を走るだけの」
福ちゃんの実業団入団の面接は去年の10月中旬ごろのはずだ。
「そこに金城が見に来ていた」
「ハァ!?なんでそこに出てくる」
「俺にも分からん。親にも言うのを忘れていたくらい、些末な用事だったんだ」
「・・・福ちゃん自分で呼んどいて忘れてたんじゃネ」
「ない。その一カ月前から金城と連絡を取っていなかった。俺は怒っていた。金城を恨んでいた。強いのに、可能性はあるのに、どうしてプロへ、俺と同じ所に来ないのかと」
「・・・・・・・・・」
「俺は金城を見つけて意味が分からなかった。金城も気づかれてひどく驚いていたようだった。本当は聞きたいことと言いたいことが死ぬほどあったけれど、もう遅かった。
スタートが迫っていた。俺は走り出さなければならなかったし、それが間違いなく俺自身の意志だったので、金城に背を向けた。そのとき分かった。恨んでいたのは悪かったと。
自分が金城に捨てられるのではなく、俺が金城を捨てるのだと。だって振り返るとやはり金城は俺を見ていた。その目が言っていた、『福富、行くな』と。俺は心の底から金城にすまないと思った。あのときから片時も忘れず金城にすまないと思い続けながら生きていたのに、まるで初めてそう感じたみたいだった。
金城は耐えるように笑って何度も頷き返してくれた。それでもういいと思った。こんな充溢がこの世にあるなんて信じられなかった。もう一生恋愛しなくてもいい気がした。金城が好きだった。いや、いつまでも好きだ。だからああするしかなかった。金城に会いたい」
やっぱり福ちゃんは強い。福ちゃんは金城からの絶対の愛というものを生涯疑うことなく持ち続けることが、信じることができるのだ。だからもし、落車のことも今回のことも、全てがいつか明るみに暴かれ、世界中から糾弾、迫害、断罪されたとしても、福ちゃんはもう不幸にはなれないのだ、今更。
口の中が甘じょっぱくなる。言葉や態度にこそ出さなかっただろうけれど、金城も福ちゃんのことがとても可愛かったんだなと思ったら、猛烈に心がいっぱいになったのだ。
俺も金城に会いたい。会って福ちゃんの話をしたかった。俺はこんな性格だから、皆がビビって訊けないことも平気で訊く。なぜ許したと逆ギレしてタコ殴りにしてお礼を言って謝りたい。
金城が福ちゃんに殺されてしまって死ぬほど悲しい。きっと誰もがそうだ。いなくなってしまったことが悔やまれてならない。 ニュースの言うように、ほんとうに行方不明なのなら何を引換えにしても探しに行きたい。
酔っ払った俺たちは旅館の駐車場の隣の空き地でかまくらを作って遊んでいて、腹が減ったと新開はちょっと遠いコンビニに出かけ、俺も雪に埋もれて体が冷えたのでトイレに立った。ついでに親と部活の後輩からのメールを返した。その間二十分くらいだったと思う。俺が戻ると、かまくらの入口のところに膝立ちになった福ちゃんがいて、膝の下に敷かれた金城の上半身が見えた。
暗い視界の中、その頭の周りの柔らかな雪に、みるみる金城の血が真っ黒く沁み渡っていくのがわかり、俺は「これは本当にヤバい」と完全に心をつかまれた。
ひとまず死体を隠すため、新開が帰ってきてから三人で協力して、旅館の裏山の雪の中に埋めた。金城は頭ではなく、胸から腹にかけてをすごくでかいナイフで福ちゃんにまっすぐに切り裂かれていて、それが死因となったらしい。埋めるときは交代制でライト係、穴掘り係をローテーションした。
死体を抱えたとき、俺は致命傷から内臓的なものが覗いているのに気づいたが、それが妙に白っぽいのが意外だった。
全員溶けた雪と汗でビチャビチャだったし、福ちゃんはおまけに返り血のせいで、全身を醤油で煮しめたみたいな、大変な有様になっていたけど、とにかく対策を練ろうと旅館に戻った。
新開も俺も、コナンと金田一は一通り読んでるのに、この事件のトリックを応用しようとかそういうアイデアがさっぱり浮かばない。所詮漫画の知識なんてあてにならないのかと心もとない。そのうち飽きて、「コナンの黒の組織メンバーで誰が一番強いか」について新開と盛り上がってふざけていたら、福ちゃんがキレかけていたのでやめた。
俺は時間稼ぎに、
「あのサ福ちゃん、そもそもの、根本的な話に戻るけどォ、な、なんで金城殺しちゃったの?」と尋ねた。
腕組みした福ちゃんは、辛そうな表情だ。人殺しをしたのだから当たり前である。
「・・・・・二年の」ようやく重い口が開かれる。
「落車があったろう」
新開は言葉をつないだ。
「あのインハイの事故だろ。あれを金城君が許してくれたから寿一は」
「俺が故意に掴んで落車させた。事故じゃなかった」
「えっ」
どこまでも永遠に広がり続ける空白。何秒、何分が経過したのだろうか。口をあんぐり開けて福ちゃんの顔を凝視する、隣の新開と見つめ合う、「ええ~・・・・」と力なくハモる、黙り込む。この一連の動作を何回繰り返しても、耳が拾った言葉の意味が全く辿れない。
「・・・・ワザとは盛りすぎでしょ・・・・ワザとなら、運営に話行くんじゃナァイ・・・?」喉がカラカラで自分の声がばいきんまんに聞こえる。
「他に目撃者はいなかった。俺は言えず、金城は言わなかった」
「寿一が言えないのは分かるよ?金城君が申告しなかったってのは本当に明らかにおかしい。おめさん責任感強いから。そんな事実無かったんだろう」
新開の声は囁くようにか細く、フラフラ震えている。
「俺にも今もわからない。ずっとわからないままなのかもしれない。金城は言わなかった。だから俺も誰にも言えなかった。許されないことをして、それなのに許されて、一生二人だけの秘密を抱えて生きていくなんて、俺には理解出来ない・・・・!」
独白は約二時間続いた。途切れ途切れに、でも滔々と喋り続ける福ちゃんに、俺は恐怖した。ぞっとした。失礼かもしれないが、福ちゃんがこれほど多くの語彙や感情を披露するなんて思いもよらなかった。
色を表す言葉、色に関する認識が極端に乏しい国や文化圏があると聞く。俺たちが一応七色と認識する虹も、そこの人々はせいぜい二色ほどしか見分けられないか、もしくはただの光としてしか感知しないのだそうだ。
それはつまり、俺には感じられない、何百色もの色を虹から抽出する、逆の立場の人間もいるということだ。俺は福ちゃんを、二色派の感性で地球に生きてる人間と思っていた。そして金城は確実に何百色派だと。そういう意味では二人は正反対だ。
福ちゃんの独白を要約しておく。長く喋っていても、福ちゃんの供述はちぐはぐで取り留めなく、言いたいことは結局シンプルだった。一応それっぽい文章に直した。
「福富は自らの主体性を確立するために金城を殺した。彼の存在があると永遠に自我が確立できないと懸念し、彼の中に埋没せんとする己の自我と、金城を救済するために犯行に及んだ。蛇足ではあるが、福富は金城に恋愛感情に近しいものを非常に強固に抱いていた」
・・・・蛇足があまりにもクライマックスすぎた。全く現実感が湧かない。体に力がまるで入らない。
「・・・一度ならず二度殺すことになってしまった」一回目は半殺しだから正確には1.5殺しだ。
疲れたと溜息をついた福ちゃんは、風呂で血を流すと部屋から出て行った。助かった。すぐさま窓を開ける。立ち込める血の匂いで、頭痛と吐き気が我慢できないくらいにこみ上げていたのだ。その直後、俺は新開と胸倉を掴み合い、混乱した胸中を絶叫し合った。お互いの話なんか聞いてはいなかった。
「ヨオ!!テメェ、今の、分かったァ?ねェ!分かった!?」
「わっかんねえ・・・!ぜんっぜんわかんねえ!どうしよう靖友俺、バカかもしれない!」
「俺さァ、福ちゃんが秘密を知ってる金城を殺すってとこまでは納得いくのネ!でもネ!その前に金城が分かんねェってことが立ち塞がって頭がパンクすんの!そのパンクのダメ押しで福ちゃんが金城好きってトコで完全に詰む!」
「金城君!いや、もういないんだけどさ!おかしくない!?なんで許す?絶対おかしい!」
「そう!なんで許したのォ!?」
そうこうしているうちに朝になってしまい、チェックアウトの時間も迫っていたので、とりあえず俺たちは解散した。
「お前たちを巻き込んでしまってすまなかった。あとは俺一人で平気だ」
死体は雪の中だ。
結論から言うと俺と新開はてんで役立たなかった。福ちゃんは一人で秘密裡に対策を講じたらしく、世間が今知っているのは、金城が行方不明ってことだけだ。事情聴取などは、口裏を合わせて、あとはアドリブで乗り切った。こういうのはまだいい。問題はそこからだ。拷問の二字だった。
福ちゃんと俺の危惧通り、新開は連続ドラマ『ウサ吉ショックセカンドシーズン』の精神状態を迎え、この上なく盛り下がっている。俺も毎晩のように悪夢を見るようになり、眠るのが嫌になった。何度戸締りをしても、戸締りをしたかが気になって、結局家から出られない日もあった。胸の中が重苦しく、引きずられるように痛む。その痛みを感じる度に訝しむ。
あの二人は、こんなものを抱えてずっと生きてきたというのだろうか。どうかしている。
新開と何度も話し合っても、俺たちには福ちゃんと金城のしたことが全く理解できないでいる。当事者の福ちゃんが理解に苦しんでいるのだから、当然かもしれない。
金城がもし福ちゃんを許さなかったら、俺たちは多分出場停止を食らい、あのインターハイも、大学生活も、何もかもが失われていた。でも金城は許したので今の生活がある。それが善いことだったのか悪いことだったのか分からないのだ。そもそも許すって何?
俺の見る悪夢は毎回同じだ。あの黒歴史時代、馬鹿をしていた頃の自分が、警察にとっ捕まり補導されたときの鮮明な思い出。自転車を始めてからは殆ど忘れてしまっていた、ほんとうに欠片も思い出せなかった記憶が、蘇生し再現されているのだ。
決まって俺はパイプ椅子に腰かけ、窓の外を見ている。視界の端に映る太った婦警のババアの語りが淡々と流れる。
「警察っていうのはね、犯罪者は絶対に絶対に更生などしないという信条で動いている組織なの。だから一度罪を犯した人間は、必ず同じ過ちを繰り返すと盲目的に信じているの。信じるっていうのはおかしな言い方だけど、何か事件が起きたらまず同じ種類の犯罪者のリストを洗って、再犯を疑うの。ニュースや新聞で、非道な誤認逮捕や冤罪が報道されるでしょう?あれは、疑わしい人間がいたら徹底的に追い詰めて、自分たちの判断は正しいことが証明できるまでは、相手を殺してでもやり遂げるという集団意識の現れだわ。皮肉に聞こえるかもしれないけど、人間を信じないことを信じているのが警察。それは内部、身内に対してもそうなのよ。ほかの官庁や企業では、内部の人間が不祥事をしたら、諭旨解雇、辞めたらいいんじゃないですか、って促すことがある。でも警察には諭旨はない、規則に言葉はあってもそれは飾り。懲戒しかない。『お前は絶対に悔い改めなどしない、必ず同じ過ちを繰り返す、だからいなくなれ』って。・・・・・あなたが二度とここへ来ないことを願っているけれど、また同じような騒ぎが起きたら、私は真っ先にあなたを疑うわ」
福ちゃんの世界はシンプルだ。ゴチャゴチャ考えあぐねていたことなどどうでも良く、ただ努力して強くなって勝てばいい。それだけだ。では金城の世界は、とまで想いを馳せて、イヤな感じがしたのでそこで考えるのをやめた。
俺は福ちゃんに四月になるまでにこの件について一回話をしてほしいと懇願した。新開は疲弊しているし、俺もなんだかんだで参っているのだし、何より俺たちは四月から社会人になるのだから、こんな状態ではとても新生活を迎えられないと。福ちゃんはそれぞれに話すと約束した。
サラリーマンが出勤した後の時間帯のジョナサンは滅茶苦茶空いていて静かだ。福ちゃんは口を開く。
「・・・テストがあって」
ようやく気が付いた。俺たちは福ちゃんの考えや気持ちだけじゃなく、言葉も分からなくなっていたのだ。魔女の宅急便のキキが、黒猫のジジの言葉を理解できなくなってしまったように。
昔は俺たちそれぞれの頭の中に、自由自在な福ちゃん言語翻訳ツールがあった。無料版だった。東堂も泉田も真波もみんな持っていた。珍しくもなんともなかった。今はもうポンコツと化していた。福ちゃん本体のほうがいつの間にかアップグレードされてしまっていたのだ。
「テストって・・・後期試験?」屈辱的なものを感じながら俺は尋ねた。
「オレの入団テストだ」
「え、だって、面接だけでパスだったんじゃないのォ?」
「その一週間後に、走りを見たいと先方のコーチ陣に言われた。テストというよりは親睦のための実走視察のようなもので・・・公道を走るだけの」
福ちゃんの実業団入団の面接は去年の10月中旬ごろのはずだ。
「そこに金城が見に来ていた」
「ハァ!?なんでそこに出てくる」
「俺にも分からん。親にも言うのを忘れていたくらい、些末な用事だったんだ」
「・・・福ちゃん自分で呼んどいて忘れてたんじゃネ」
「ない。その一カ月前から金城と連絡を取っていなかった。俺は怒っていた。金城を恨んでいた。強いのに、可能性はあるのに、どうしてプロへ、俺と同じ所に来ないのかと」
「・・・・・・・・・」
「俺は金城を見つけて意味が分からなかった。金城も気づかれてひどく驚いていたようだった。本当は聞きたいことと言いたいことが死ぬほどあったけれど、もう遅かった。
スタートが迫っていた。俺は走り出さなければならなかったし、それが間違いなく俺自身の意志だったので、金城に背を向けた。そのとき分かった。恨んでいたのは悪かったと。
自分が金城に捨てられるのではなく、俺が金城を捨てるのだと。だって振り返るとやはり金城は俺を見ていた。その目が言っていた、『福富、行くな』と。俺は心の底から金城にすまないと思った。あのときから片時も忘れず金城にすまないと思い続けながら生きていたのに、まるで初めてそう感じたみたいだった。
金城は耐えるように笑って何度も頷き返してくれた。それでもういいと思った。こんな充溢がこの世にあるなんて信じられなかった。もう一生恋愛しなくてもいい気がした。金城が好きだった。いや、いつまでも好きだ。だからああするしかなかった。金城に会いたい」
やっぱり福ちゃんは強い。福ちゃんは金城からの絶対の愛というものを生涯疑うことなく持ち続けることが、信じることができるのだ。だからもし、落車のことも今回のことも、全てがいつか明るみに暴かれ、世界中から糾弾、迫害、断罪されたとしても、福ちゃんはもう不幸にはなれないのだ、今更。
口の中が甘じょっぱくなる。言葉や態度にこそ出さなかっただろうけれど、金城も福ちゃんのことがとても可愛かったんだなと思ったら、猛烈に心がいっぱいになったのだ。
俺も金城に会いたい。会って福ちゃんの話をしたかった。俺はこんな性格だから、皆がビビって訊けないことも平気で訊く。なぜ許したと逆ギレしてタコ殴りにしてお礼を言って謝りたい。
金城が福ちゃんに殺されてしまって死ぬほど悲しい。きっと誰もがそうだ。いなくなってしまったことが悔やまれてならない。 ニュースの言うように、ほんとうに行方不明なのなら何を引換えにしても探しに行きたい。