新聞で、岩瀬崇典氏の歴史小説、『渦巻いて 三河牧野一族の波瀾』(上巻)の発刊を知りました。
著者の岩瀬氏は、牧野氏の寄騎であった岩瀬氏と関係があるのでしょうか?
史料には限界がありますので、隙間を埋めて楽しませていただきたいと思っています。
私が、戦国牧野氏に興味を持ったのは、松野武人氏の『三河戦国伝 吉田城太平記』(1987年)を知ってからです。この書は牧野伝蔵(田三)家をメインとする物語ではありますが、じゅうぶんに私の心を捉えました。このような存在がとても大事なのです。私は、そののち、戦国牧野一族を調べれば調べるほど、わけがわからなくなりましたが。
前置きが長くなりましたが、牧野氏に興味を持ってからの謎のひとつが、駿河にあった新次郎(康成)がどのようにして、牛久保に戻ったのかということです。
どこかで、これに少し言及している文書を見たのですが、その時、自分の記憶力を過信してメモをとらなかったので、忘れてしまいました。年を経るとともに記憶が薄れ、何が書いてあったのかも・・・
今となっては、どうすることもできません。
近年では、山田邦明氏の『戦国時代の東三河 牧野氏と戸田氏』(2014年)を見ましたが、そこには触れていません。もうひとつ、どなたかの、今川氏関係の論文を読みましたが、またもや論考名を忘れました。
桶狭間で、今川義元が討ち死にしてから、西三河に続いて、東三河の領主たちも今川氏から離反して徳川氏に属していきます。この過程で、今川の人質になっていた諸将の妻子の処刑がおこなわれます。
新次郎が牛久保に戻った時期が、牧野氏が家康に帰属する前だとは考えにくいのですが、無事に帰還し得たことから、吉田開城あたりでの、家康方と今川方との取引のなかに、新次郎返還の内容があったのかもしれません(まったくの想像ですが)。また、駿河にあったとされる新次郎は、吉田城内に人質であったとしたならば、より理解しやすくなりますが(史料発見を期待!)。
著者の岩瀬氏は、牧野氏の寄騎であった岩瀬氏と関係があるのでしょうか?
史料には限界がありますので、隙間を埋めて楽しませていただきたいと思っています。
私が、戦国牧野氏に興味を持ったのは、松野武人氏の『三河戦国伝 吉田城太平記』(1987年)を知ってからです。この書は牧野伝蔵(田三)家をメインとする物語ではありますが、じゅうぶんに私の心を捉えました。このような存在がとても大事なのです。私は、そののち、戦国牧野一族を調べれば調べるほど、わけがわからなくなりましたが。
前置きが長くなりましたが、牧野氏に興味を持ってからの謎のひとつが、駿河にあった新次郎(康成)がどのようにして、牛久保に戻ったのかということです。
どこかで、これに少し言及している文書を見たのですが、その時、自分の記憶力を過信してメモをとらなかったので、忘れてしまいました。年を経るとともに記憶が薄れ、何が書いてあったのかも・・・
今となっては、どうすることもできません。
近年では、山田邦明氏の『戦国時代の東三河 牧野氏と戸田氏』(2014年)を見ましたが、そこには触れていません。もうひとつ、どなたかの、今川氏関係の論文を読みましたが、またもや論考名を忘れました。
桶狭間で、今川義元が討ち死にしてから、西三河に続いて、東三河の領主たちも今川氏から離反して徳川氏に属していきます。この過程で、今川の人質になっていた諸将の妻子の処刑がおこなわれます。
新次郎が牛久保に戻った時期が、牧野氏が家康に帰属する前だとは考えにくいのですが、無事に帰還し得たことから、吉田開城あたりでの、家康方と今川方との取引のなかに、新次郎返還の内容があったのかもしれません(まったくの想像ですが)。また、駿河にあったとされる新次郎は、吉田城内に人質であったとしたならば、より理解しやすくなりますが(史料発見を期待!)。