話の種

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「草枕」の冒頭文について(人間関係)

2023-09-18 16:02:46 | 話の種

「草枕」の冒頭文について(人間関係)

夏目漱石の「草枕」の冒頭文に次のような言葉がある。

■山路を登りながら、こう考えた。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

この言葉の意味について、参考までにネットで見つけたものをいくつか記しておく。
(どれも同じようなことだが)

〇「理性ばかりでは他人と衝突し、情に流されれば足元をすくわれる。意地を通しても窮屈で、全く人の世の中というのは住みにくいものだ」

〇理知・理屈で割り切った行動ばかりしていると世間と摩擦が生じる。
個人的な感情を優先させれば、それに引きずられて事態を悪化させる。
また意志を強く持ってそれに固執すれば、窮屈な生き方を強いられる。
人間社会に生きてゆくことは容易ではない。
(「知・情・意」のいずれに力点を置いても問題が生じるということ。)

〇世間の人とつきあうときには、
頭のいいところが見えすぎると嫌われる。
あまりにも情が深いとそれに流されてしまう。
また自分の意見を強く押し出すと、衝突することも多く世間を狭くする。
人づきあいというのはなかなか困難なことだ。
(人づきあいの難しさを説いたもので、智と情と意地のバランスを上手にとらなければならないということ。)


なぜこれを取り上げたかと言うと、私も現役のサラリーマン時代にこのことは身に染みて感じていたことで、漱石は社会で生きていくことの難しさを適格・簡潔に表現しており、流石に頭のいい人だとつくづく思ったから。

社会生活に於ける人間関係の難しさというのは時代を超えての永遠のテーマといえる。
というのも人それぞれ価値観、感受性が違うからで、この違いは遺伝子の他に、性格や特性などの個人差、経験の差、環境の違い、時代背景など様々な要因が組み合わさって形成、もたらされるものであるから。
つまり、違いがあるのは当然かつ必然的なことで、そうである以上このような摩擦・衝突は必ず起こり得ると言える。(どちらが良い/悪い、正しい/正しくないという問題ではなく。)

では、どうしたらよいのかということになるが、仙人のように山奥で一人で暮らすことが出来ない以上、このような摩擦や衝突を軽減させることを考えるしか方法はないことになる。
(避けることができればそれに越したことはないが、社会生活を営む以上それは難しいことなので。)

これについてのChatGPTの回答は次の通り。
(ごく普通の一般的な回答だが、ChatGPTは「人間関係の難しさに対する一般的な解決策をいくつか提案します」と述べており、この分野は彼ら(ChatGPT)の得意とする領域ではなく、これは人間の思考とは異なるAIの手法の限界かも知れない。)

User
夏目漱石の小説、草枕の冒頭文に、人間関係の難しさについて書かれていますが、それぞれについて解決策を教えてください。

ChatGPT(回答の説明部分は省略)
・コミュニケーションの重要性
・共感と思いやり
・適切な境界の設定
・対話と妥協
・自己成長と理解
・時間と忍耐

この中で特に必要なこととしているのは、自分の意見や価値観を守りながら、相手の立場や気持ちを理解しようとする姿勢で、また適当な距離感を持って客観視することや、時には妥協も必要だということ。

*ここで、私の体験を踏まえた(ある意味自戒の念を込めた)冒頭文の解釈(注釈)を幾つか付け加えておく。

智に働けば角が立つ:
物事を理屈だけで押し通そうとすると、相手から「何を偉そうに」と思われる。
また会話の中で、独演会のごとく一人で喋り続ける人がいるが、こちらに興味のないことをいくら物知り顔で話されても疲れるだけ、迷惑なだけである。

情に棹させば流される:
人情は大切だが、深みにはまると思わぬ痛手を被ることがある。
中には、人の親切心や同情心につけ込む者もいる。
また情を示すことが必ずしも相手の役に立つとは限らない。

意地を通せば窮屈だ:
意地でも自分の意見を通そうとすれば、顰蹙(ひんしゅく)を買い、疎外感を味わうだけ。
あまりに強情だと、あいつには何を言っても無駄だということで見放されてしまい、以後注意・忠告もしてくれなくなり、自身の交友関係や考え方を狭めてしまう。


ところで、当方が定年退職をしてまず最初に何よりも良かったと感じたのは、サラリーマン時代の人間関係のストレスから解放されたということ。
(当方も退職後は好きな旅行三昧で、行先は温泉の他に、清流、湧水、花畑、日本庭園、里山巡りなどで、自然との付き合いが中心となっており、心身ともに癒されている。)
昔隠居と言う言葉があったが(今でもあるが)、社会から離れて静かに暮らす。人付き合いは気心の知れた者だけでいい。このような隠居生活(?)を送れるというのは幸せなことなのだろう。

*本日(2023/9/13)の朝日新聞の天声人語に「人はなぜ、老いるのか」と題して次のような記事があった。

「シェークスピアの『リア王』は老いに悩む人の物語である。「わしは今や、統治の大権も、国土の領有も、政務の繁雑も脱ぎ捨てるつもりだ」。年老いた王はそう引退を宣言し、3人の娘に財産を分け与えようとする▼ところが、思い望んだ安寧な老後生活はかなわない。いつの世も、誰にとっても、老いをいかに生きるかは難題のようだ。」
「そもそも老後は、野生の動物にはない。老いは進化の過程で、生物としてのヒトが手にした特権だという。」
(この後半の部分は東京大学教授で生物学者の小林武彦氏の談話で、同氏の意見は逆に隠居などするなという事だったが。)

 

話を元に戻すと、ともかく私の現役時代は昭和の良き時代と言われるように、高度経済成長期で恵まれていた時代だったとは思うが、それでも人間関係のストレスはあったのだから、今の現役の人たちは競争社会、格差社会、SNS等の同調圧力などの中にあって、さぞかし生き辛い窮屈な思いをしているのではないかと同情の念を禁じ得ない。
(更に言うならば、共働きをしなければ生活できない、年金の減額、支給開始時期の延長などということもあり、老後の隠居生活など考えられない事かも知れない。)

 


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