この「そもそもどうして」シリーズが多くの方に読まれ、非常にありがたい。
本日も閲覧いただいた皆様に少しでもなにか得られるものがあればと思い、
投稿していきたいと思う。
~人生の分岐点⑤~
念願の合格
今でも忘れない。
大学3年生の5月中旬。
基本情報技術者試験を受験しつづけて7回目であろうか、、、
大学での授業や自己啓発による学習により、
色々な知識が点から線に変わり始めていた。
手ごたえがようやく出てきて今回こそは!と思っていた。
結果は「合格」。
人生で一番嬉しかったし、苦労と努力を重ねた分喜びが半端なかった。
経済産業大臣が交付する合格証書も受領し、初めて実感がわいた。
勢いで、この年の秋に「初級システムアドミニストレータ」を受験。
基本情報技術者試験に比べると本当に簡単だった。
もちろん結果は「合格」だった。
(ちなみに、初級システムアドミニストレータは現試験制度のITパスポート試験に相当する)
ここから、いろいろなことが変わっていった。
大学4年生になると、基本情報技術者試験の合格が
自分自身に大きな影響を与えるようになる。
例えば、
・どんなに簡単な検定試験であってもそれが将来目指す難関資格の準備になることの理解
・自分に自信がつき、さらに上を目指そうという気持ちになった
・心にゆとりが生まれ、学業にも良い方向で影響を与えるようになった
・就職活動面で苦労することがすくなくなった
と、こんな感じである。
ただ、いい話ばかりではない。
このころから、周囲から残念な言葉も漏れ聞こえるようになってきた。
「そんなに資格取ってどうするの?資格マニアでも目指しているの?」
当然、このような冷ややかな言葉に免疫がなかったため、嫌な気持ちになった。
とある日、高校時代の恩師と話す機会があり、近況報告をした。
(いいことも嫌なことも全てお伝えした)
すると、こんな言葉が返ってきた。
「お前の一番の強みは継続して続けられること。
これは出来るようでできない強みだから、どんな形でも継続するということを続けるべき」
本当に救われた。
試験合格のたびに氏名が校舎に張り出され、目立つようになったこともあり、
周りの目を気にし過ぎていた。
だが、この言葉のおかげで吹っ切ることが出来た。
そして、上記のような冷ややかな言葉を聞いてもまったく気にならなくなった。
なぜなら、夢に向かって少しずつ進むためには学び続けなければならないと感じたから。
大前提として、私は素養がない。
だから必要と思う勉強を資格試験を通じて行っている。
それを続けないと夢に近づけない。
ただ、これだけなのだ。
人それぞれ考え方も違う!
こういう生き方があってもいいと思う!
誰に何言われても、自分が信じる道に全力投球すれば悔いは残らない!
だって、1回きりの人生だし!
資格試験を紹介してくれたのも、少し凹んだ私を救ってくれたのも、
高校時代の恩師たち。
本当に恵まれていたんだと思う。
今日はここまでとしよう。続きは次回。
このシリーズの投稿は非常によく見ていただけるようだ。
非常にありがたいお話であり、閲覧してくださった方や評価していただいた方に感謝である。
さて、今日は大学時代の話をしたいと思う。
目指すべき工業大学の推薦枠を得て、合格することが出来た。
高校2年生で挫折を覚えた「情報処理技術者」試験。
この勉強を続けていた。
~人生の分岐点④~
難関試験に合格するための勉強って実はいろいろと役に立つ??
工業大学では当たり前に数学や物理の授業があり、大変×10 以上苦労した。
ただ、私の出身(高校)の学歴などの背景を理解していただいたうえで
正規授業の後に私のために補講をしてくれて何とか単位が取れた。
一方、簿記や経済学、統計学、情報処理系の授業は本当に楽であった。
情報処理技術者試験の授業を通じて、
いつの間にか多くのことを勉強していたことに気づかされる。
ここで一つ気付かされたことがあった。それは、
「資格試験というのは体系立てて学べることが出来る」
ということ。
効率よく学習ができ、広く浅く満遍なくスキルの習得が出来る。
さらに、試験のレベルが上がると、もう一段広がりと深さが増し、
より専門的になったりする。
つまり、どんどん深く学べるようにカリキュラムが作られている
ことに気付いた。
しかも、自分が勉強したい領域にフォーカスが当たっているため、
効率がいい。
学校の授業と考え方は同じ。
ただ、資格試験は「国や協会などによる客観的な評価」によって、
基準を満たしたものに「合格証書が授与される」という点だ。
これが本当に楽しかったし、嬉しかった。
情報処理技術者試験はこのあたりから第2種情報処理技術者試験から
基本情報技術者に変更となった。
まだ、合格を目指している身であったが、並行して様々な検定試験
などを受験し、合格を勝ち取り、少しずつ成功体験を増やした。
大学の授業といえども、資格の勉強によって専門科目はよく理解できた。
資格試験は独学だったが、そこで曖昧な理解が大学の講義で明確に
理解することができ、相乗効果によっていろいろとつながりが分かってきた。
そろそろ、基本情報技術者試験の合格が見えてきたか?!
そんな大学1、2年生生活を送っていた。
今日はここまでとする。続きは次回。
前回投稿した記事「そもそもどうして資格試験を目指したの? (その1)」を
さらに多くに皆様に読んでいただけた。大変ありがたいし、感謝である。
さて、前回の続きである。
高校1年生で「第3者からの評価を得ることの大切さ」を学んだ私は、
何の躊躇もなく、受けられるものをすべて受験した。
結果は全て「合格」。
(検定試験は受験料が安く、立派な合格証書ももらえたので親も協力してくれた)
小さな積み重ねを続けて、成果を上げることの楽しさを覚え、
相乗効果となって徐々に大きな力となっていくのを実感した。
この「小さな成功体験」は当然学業や私生活にも反映される。
この時は人生で初めてうまくいっていると感じた。
しかし、人生は甘くなかった。
~人生の分岐点③~
高校2年生:情報処理技術者との出会い
当時高校で情報処理の授業を教えてもらっていたとある先生から、
専門科目が得意で検定試験も継続して合格しているし、
この先工業大学に進もうとするなら、
「通商産業省(現:経済産業省)が主催する国家試験を受験してみたらどうだ?」
と勧められた。
国家試験って美味しいですか???状態の私だったが、
せっかくだし、工業大学への近道につながるならやるしかないと思った。
きっと、これまでのように努力すれば合格できるだろうという軽い気持ちで決意した。
(後にとんでもない試験に目指していることに気づかされのだが、、、)
現在の情報処理技術者試験12区分+情報処理安全確保支援士試験の計13区分。
当時は、第2種情報処理技術者、第1種情報処理技術者など試験区分も少なく、
そして難易度も現試験制度に比べるととても難しかったと思う。
(引用:独立行政法人 情報処理推進機構 平成6年度秋期から平成12年度秋期までの試験制度)
少し、この試験について調べてみた。
すると、社会人から学生までの幅広い受験者層の中から、国として設定した水準
(システム開発・保守・運用に必要となる知識・経験)を満たした者に合格を与えるというものだった。
システム開発?保守??運用???なにこれ????
おれカメラマンになって、芸能人にたくさん会いたいんだけど、、、
とにかく「?」が頭の中にいっぱい並んだ。
試験当日、お父さんに車で試験会場まで送ってもらった。
高校生は数人。あとは大学生や社会人ばかり。
試験監督員も恐ろしい。というか、なんだこの受験者の数、、、
とにかく全てが見慣れない光景だった。
そして、受験。
当然ながら、全く歯が立たなかった。
初めて受験したときの感想はざっくり以下のような感じだ。
問われている知識は意味不明。
プログラミング言語は検定試験に比べると難易度が異常に高い。
大っ嫌いな数学的な要素がふんだんに盛り込まれている。
情報処理って一言で言うけど試験範囲が広すぎるし学校で習ったことないことだらけだし。
結果は当然「不合格」。
国家資格というものを知ってから、挫折を味わった。
だが、国家資格(情報処理技術者試験)に合格できれば就職にも有利だし、
そもそも仕事をしていくために必要なものが詰まっている。
高校2年生でいろいろなものを経験させたかったと先生から言われた。
でも、この経験はこの試験に合格してやろうという気持ちにさせてくれた。
そして、今からしっかりと準備して、大学生卒業までに合格できれば、
少しは差別化図れるのでは?と考えるようになる。
だんだんやってやろうという気持ちになり、悔しさをバネに頑張ろうと決意する。
学校の勉強+資格の勉強。当然、遊びもだ。
ここから、難関資格に臨むようになった。
情報処理技術者試験の勉強を通じて自分がステップアップできる。
そう信じて、さらに小さな積み重ねを日々続けることになる。
今思うとこの決意が今の自分(人生)を決めた気がする。
この挫折のおかげで、工業大学への推薦権である学業成績と
検定試験1級の合格が勝ち取れた。
工業大学推薦に向けての準備が少しずつ整い、
なんとか自分の夢に向かって前進することが出来た。
大学入試(推薦試験)日までさらに準備が必要と感じた年であった。
今日はここまでにする。続きは次回。
前回投稿した記事「振り返るとすごい成功を掴んでた!」の反響がすごかった。
大変ありがたい。読んでくださった方に大変感謝している。
少し役に立つ情報を発信できたのかと思い、大変嬉しく思った。
さて、では「なぜ資格試験をめざしたの?」という部分を発信してみたいと思う。
遡ること中学時代。
とにかくサッカー小僧だった。
キャプテン翼に憧れ、朝から晩までサッカー。
もちろん、雨だろうが雪だろうが構わずサッカー。
とにかく一番楽しい遊びだった。
一方、勉強は全くできなかった。
5教科平均40点行けば良い方だった。
そんな私は先生に恵まれた。
~人生の分岐点①~
中学3年生:「プログラミングって知っているか?」
担任でも何でもない先生から、
普通科目嫌なら工業高校か商業高校に行けば専門的なこと勉強できるし、
5教科もやるけど割合も少ないしいいかもよと助言をいただいた。
みんなスタートラインが一緒になるから頑張れば道開けるかもよとのこと。
このころ、安室奈美恵やMAXなど歌って踊れるアイドルにあこがれを持ち、
カメラマンになりたいと思っていた。
そんなこんなでこの道悪くないなと思い、この道を進もうと決意した。
(カメラマンとプログラミングは全然違うけど、、、)
早くに夢と進むべき道を決めれたことで吹っ切れ、
中学3年生の部活引退後から教科書をひたすら読み、問題を解き、
ノートを汚す日々を繰り返した。
結果的に平均点70点ぐらいまで取れるようになり、
目指すべき高校に進学できた。
~人生の分岐点②~
高校1年生:第3者の評価を受けなさい。
高校時代、情報処理、経済学、パソコン、簿記など、
後の自分に必要となるたくさんの武器に出会うことが出来た。
勉強のやり方を掴んだこともあり、かなり良い状態を進んでいった。
ただ、勘違いしてはいけない。
普通科目が「大の苦手」なのは変わらない。
専門科目が「少し得意」なだけであった。
カメラマンを目指すにはもっと工学的な部分も学ばなければならないことが
分かってきた。このころから工業大学を目指すようになる。
ここでも運命を変える先生に出会えたのが大きい。
専門科目で工業大学を目指すには、
「誰でも一定の理解を示す客観的な評価が必要」
ということを教わった。
これが、検定試験との出会いである。
専門科目が得意だったということもあり、様々な検定試験に合格した。
しかも、中学3年生で掴んだ勉強のやり方がそのまま活かせた。
だから周りが言うほど苦労せず、楽しく合格までたどり着けた。
そして、合格証書をもらった。
これが何よりも嬉しかったし、賞状をもらうことなって
サッカーで県3位になった時以外なかったから楽しかった。
でも一番大事だったことは、「学校の先生以外」の方が問題を作り、
「全国の受験生が同じ問題」を解き、それを「学校の先生以外」の方が
評価する。つまり、私にとっての第3者なのである。
第3者から、あなたこの検定試験〇級に十分値する能力があるよと
合格証書を通じて教えてもらえるのである。
そして、学校の先生からも褒められる。
「褒められる」これが最高に嬉しかった。
これが資格試験を目指すきっかけとなった。
今回はここまでにする。続きは次回。
私は商業高校卒業後、工業大学を出た。
これは中学3年生で勉強のやり方をなんとなく掴んで、それをひたすら繰り返した。
私は普通教科が大の苦手だ。英語も数学もできない。
だから、簿記や情報処理などみんなが一緒のスタートラインにリセットされる商業高校を選んだ。
簿記も情報処理もそれ以外も検定試験からスタートした私だが、
積み重ねを続けることで少しずつ夢が叶い、さらに次を目指している。
それが大学推薦を得て工業大学に進学し、本気で国家試験を目指すようになった。
もともとは勉強が出来ないから、体系立てて広く浅く学べる
資格試験というものを大事にしてきた。
(きっかけは高校時代にある資格を取得しないと大学推薦できなかったから猛勉強した)
最初は
1.教科書を何度も読む
2.ノートに綺麗にまとめて、ある種成果物が増える=分かったつもりになる
3.そろそろ練習問題にとりかかろう! だけど玉砕、、、
4.試験直前に力試しで過去問題やろう! 当然玉砕、、、
5.試験当日は全然わからず、結局運頼み、、、 当然不合格、、、
だった。
今考えると、負(不合格)のスパイラルだった。
私は情報処理技術者試験に思い入れがあり、高校2年生で初めて受験してから、
新型コロナウィルスによる中止・延期以外はこれまでずっと受け続けている。
最初は合格なんて程遠い、、、
素養もないから教科書を理解しようとしても理解ではなく覚えたことで分かった気になる。
でも、本質理解してないから応用効かない、、、
まぁこんな感じだった。
ただ、ある時から
1.教科書は通勤・通学の移動時間に繰り返し読む
2.時間があって椅子と机があるときは過去問をやり続ける
3.可能な限り第3者に見て(評価して)もらう
に変えた。
マークシート式、記述式、論述式、なんでもこれだ。
実践(過去問)に勝るものはないことに徐々に気付き始める。
本質的に問われる問題は、良質の問題。
つまり、過去問題で何度も出るものは大事なものということ。
そこに少しエッセンスを加えてあたかも新出問題のように見せているだけ。
これが少しずつ分かった。
これが分かると、たとえ論述式問題だったとしても、
「これってもしかしたら答えるべきことって〇〇だよな?」
となってくる。
つまり、なんでも核心的な部分はその試験にとって核となるものが問われることに気付く。
それを日々の学習を通じて、過去問から学ぶ。
過去問から感じ取った核心を自分の知識でアウトプットしていく。
それが解答に近いのか遠いのかを評価する(またはしてもらう)。
この繰り返しである。
これが20年以上資格試験を受け続けてわかってきた内容だ。
だから、もしなかなか試験に合格できないと思われる方は是非試してほしい。
試験は所詮ペーパテスト。
人口問題と予算(国家試験は国の予算だからなおさら締め付けがあると思われる)、
効率化を考えたらコスパ高く利益だそうと思うと、
やっぱり過去問から良問を再出題するに流れると確信する。
だから過去問。
とにかく過去問をやることをお勧めする。
これで私は少しずつ右肩上がりとなり、難関国家試験の合格を一つずつ掴んでこれた。
難易度は関係ない。
過去問から出題されることが多いのは間違いない。
簡単な試験から少しずつ勉強の仕方を理解することで、誰だって難関試験に合格できると思う。
(医師免許や司法書士、弁護士などは別物)
もし、少しでも悩んでいる方がいれば、一つの考え方としてこういう生き方があるんだなと
頭の片隅に置いてもらえると幸せだ。
これから、少しずつ私のノウハウをアウトプットしようと思う。