宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

297 『銀河鉄道の夜』のモチーフ

2011年02月25日 | Weblog
 一般に、岩手軽便鉄道(大正4年11月花巻~仙人峠間に開通)は宮澤賢治の童話『銀河鉄道の夜』の中に出てくる軽便鉄道のモデルとされているようだ。特に、遠野市宮守の「道の駅みやもり」の近くにある「めがね橋(宮守川橋梁)」はそのモチーフとされているという。

 因みに次の橋がその
《1「めがね橋」》(平成21年5月2日撮影)

である。
 ところが、この平成22年11月5日澤里武治(賢治の教え子)のご子息(澤里裕氏)にお会いできて次のようなことを教えてもらった。
 『親父(武治のこと)は宮澤賢治と河原で寝そべって「岩根橋」を眺めたものだと言っていた。その当時は近くに渡し舟があり、そこから対岸に渡って河原から眺めたのだそうだ。このあたりでは、『銀河鉄道の夜』の橋といえば「めがね橋」ではなくて「岩根橋」のことだと言われていますよ』
と。
 その位置関係は下図の通り。
《2 周辺マップ》(平成22年11月5日撮影)

          <「Googleマップ」より>
 実はこの橋のことは以前から気になっていて、その橋を眺めたみたいものだと思っていたがその全貌を見るのはむずかしいことを知った。せいぜい、国道283号線を花巻方面に向かう途中の、菖蒲沢辺りの国道端から達曽部(たっそべ)川に架かっている
《3 「岩根橋」》(平成21年5月2日撮影)

を垣間見ることしかできなかった。
 そこで、もう一度全貌を見てみようとチャレンジしてみたのだが…。まずは、対岸の渡し舟の舟着き場を探してみたところ、近くの人にお訊ねしたならば
《4 ここが舟着き場跡》(平成22年11月5日撮影)

だと言うことが分かった。またその方から、今は木が生い繁ってしまったので見ることが出来ないがかつてはここから「岩根橋」全体を眺めることが出来ましたし、そこが
《5 中州(ただし草が生い茂っている)》(平成22年11月5日撮影)

でその中州に寝そべって賢治は「岩根橋」を眺めたらしいですよ、と教えて貰った。さらに、もし橋を見るだけなら岩根橋のたもとに行けば砂利道がありますからそこを辿って行けば橋を見上げられますと言うことも教えて貰った。
 そこで、達曽部川に架かる国道283号線の橋のたもと(花巻側の)から砂利道を上流側に下りて行くと
《6 国道に懸かる方の岩根橋》(平成22年11月5日撮影)

が見えてくる。
 その橋の下をくぐって見上げたこちらはJR釜石線の
《7 いわゆる「岩根橋」》(平成22年11月5日撮影)

である。橋全体を一望は出来ないが川の水際で眺めれば
《8 岩根橋》(平成22年11月5日撮影)

はこのように見える。
 以下は位置をずらしながら写真を撮ってみた
《9 岩根橋》(平成22年11月5日撮影)

《10 〃 》(平成22年11月5日撮影)

《11 〃 》(平成22年11月5日撮影)

というわけで賢治や澤里が眺めたであろう様には「岩根橋」を見ることは出来ないし、この橋は昭和18年に改修されたらしく、賢治と澤里が寝そべって眺めた「岩根橋」そのものとは言えそうもないからこの光景でまずは満足することにしよう。
  
 なお、陽が翳りだしてきたので逆サイドから撮ってみた
《12 岩根橋》(平成22年11月5日撮影)

《13 〃 》(平成22年11月5日撮影)

である。

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