愉快な仲間 シャテンズ ( SYATENZ)  

SYATENZ⇒シャテンズと称して#bicycle#travel#Music#etcを楽しむ愉快でアホなオヤジ達です。

増刊号vol.6 寛平さんアメリカ大陸横断マラソン遂にニューヨーク到着!!

2009-07-09 | 増刊号 「シャテンズ」



アースマラソンの寛平さんがついにアメリカ大陸横断4830Kを完走しました。
ロサンゼルスを3月14日に出発してからおよそ4ヶ月でニューヨークに到着。
距離から計算すると4ヶ月間毎日フルマラソンを走ったことになります。


フルマラソン120回連続完走!! 60歳のオヤジにしては凄すぎます。

ニューヨークのゴールシーンで涙の光代さんと抱き合うを姿を見て、
こちらも感涙させられました。。

ゴール後のインタビューでは「めちゃめちゃうれしい。つらいこともあったけど、
みなふっとんだ」と言ってましたが、おそらく楽しいこともたくさん有ったでしょうが、
辛いことのほうがたくさんあったに違いありません。

そして何事もなかったかのように応援に駆けつけた皆さんへギャグの連発、

そんな寛平さんを見ていると、とてつもない事をやっているのになぜか
普通のオヤジに見えてしまいます。
そこが寛平さんのカッコいいところなんでしょう。

不思議です?笑えます?泣けます?

さて14日にはヨットで欧州に向けて大西洋横断が始まります。
そして2016年開催都市が決まる10月の国際オリンピック委員会の
総会に合わせ、デンマークのコペンハーゲンを目指します。

Voyage 寛平 Voyage!! & Run 寛平 Run !!

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増刊号シャテンズ Vol.5 「忌野 清志郎さん天国へ」

2009-05-04 | 増刊号 「シャテンズ」



忌野 清志郎さん天国へ

あまりにも突然で…。言葉になりません。ショックです。涙です。
あまりにも早すぎる死をとても受け入れることが出来ません。

ロック歌手でありながら、サイクリストでもある清志郎さんをとても尊敬してました。

「愛し合ってるか~い」の絶叫する言葉はいつまでも心に響いています。

晩年は自転車(160万円の愛車オレンジ号)で東京から鹿児島まで1500kを
走破したり、東北を走破したり、ある時は自転車が盗難にあったりと自転車が
主な移動手段になり、そしてそれが私たちに結構、刺激を与えてくれました。

清志郎さんは、闘病中に寛平さんのアースマラソンの応援歌として
「走れ何処までも」、「RUN寛平RUN」の2曲を書き下ろしました。
http://www.universal-music.co.jp/stream/kiyoshiro/20090122_01_A_45s_NB.asx
http://www.universal-music.co.jp/stream/kiyoshiro/20090122_03_A_45s_NB.asx

そして、それが最後の楽曲となってしまいました。

寛平さんは、現在カンザス州を通過中で、清志郎さんはの突然の訃報を知り、
「一日走りながら涙が止まりませんでした」と悲しい心境を語っています。
http://www.earth-marathon.com/2009/05/03/

清志郎さんは永遠に私たちの心に生きています。清志郎さん!愛してま~す!

そして、RUN 寛平 RUN!! 走れどこまでも!!

コメント (3)
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増刊号シャテンズ Vol.4 「寛平さん、アメリカ大陸爆走中」

2009-04-18 | 増刊号 「シャテンズ」


  ヨットで太平洋を横断してロサンゼルスに上陸してから1ヶ月経ちましたが、
毎日50K以上走り、総距離で1500Kぐらい順調に走り続けています。
凄いことです。

 それでもアメリカ大陸横断を終えるまでは、まだ3000K以上あります。
とんでもない事なのに寛平さんのブログを見ていると、全然辛そうには
見えましぇんがなぁ。
毎日、観光旅行しながらマラソンを楽しんでいる様にしか見えましぇんがなぁ。
でも、でも、本当のところは辛いんでしょ(本音を聞きたい)
恐らく沢山の方が応援に来てくれるので辛いところは隠してるんだよね?

 さて何故に寛平さんが、狂った様に走り続けているのかといいますと
寛平さんは2016年東京オリンピック招致大使に任命されていまして
2016年のオリンピック開催都市が決定される10月2日に、国際オリンピック
委員会(IOC)総会開催地のコペンハーゲン(デンマーク)を走る予定なんです。
だから、のんびりしてられないんです。

  2016年オリンピック開催都市に立候補している都市はシカゴ、リオデジャネイロ、
マドリード、東京の4都市です。

  さて、東京五輪誘致という国民の夢と地球一周の夢を背負って走り続けている
寛平さんの努力が実り、五輪開催都市が東京に決定するのでしょうか?

ちなみに2016年の岩手国体開催は決定しています。

RUN 寛平 RUN 走れどこまでも!!
http://www.earth-marathon.com/

東京オリンピック招致HP
http://www.tokyo2016.or.jp/jp/

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増刊号シャテンズ Vol.3 「寛平さん、ついにアメリカ大陸上陸!!」

2009-03-11 | 増刊号 「シャテンズ」

まずは、無事にアメリカ大陸上陸おめでとうございます。
1月1日に千葉の港を出航してから70日間かけてのLA到着大変お疲れ様でした。

今朝TVで上陸の生中継を見ていましたが、光代ママとの対面シーンでは、
私も涙しました、感動しました。
おそらく日本中が感動した瞬間だったと思います。(TVを見た人だけですけど)

70日間、距離1万3000K、これだけの期間、海上生活をしていると、どんな風に
変貌しているのかものすごく興味があったんですが、外見は頬がこけて髪と髭が
のびていて、インタビューに可笑しく答える寛平さんを見たら特に寛平は変っと
らんなぁーと言う印象でした。
インタビューに答える寛平さんをしばらく見ていたんですがアメリカのメディアの
人達も沢山取材に来ている様子を見て、もうランナーの域を超えて大冒険家の
域に達している事に気が付き驚かされました。

なにが一番辛かったですか? の質問に、毎日揺れているのがとってもしんど
かったと何度も言っていましたが、
よく考えると毎日揺れている生活、時化もあれば凪もあり様々な揺れがあったで
しょうが、さぞかし辛かったことでしょう。(俺、ゲロゲロです。)

それから、パートナー兼リーダーの比企さんのインタビューの中で、一番印象に
残ったのは寛平さんは海の上では初心者だったので、何も無い海上で、どの様に
精神面が変化していくのかが一番心配だったと言っていました。
幸い寛平さんは異常な状態になることはなく正常な状態を保ってくれた為、
パートナーとして、とても安心して航海することが出来、無事に到着することが
できたそうです。
(もともと寛平さんは、まともな人じゃないから、よかったのでしょう。)

そして比企さんがニューヨークで待っているから早く来いよと寛平さんに言って
いたのが航海での信頼関係の証なのかなと感じました。

この後、彼らは風呂にも入らず焼肉屋に直行し、ビールを十数杯飲んだそうです。
体の匂いをごまかすには、焼き肉の匂いが良かったかもね。(笑い)

さて3日後からは、いよいよニューヨークを目指してアメリカ大陸横断マラソンが
始まります。
その距離4700Km、約3ヶ月掛けてのマラソンです。

これまで1000Kmが自己最高だそうですが、寛平さんが3ヶ月間走り続けたら、
こんどは、どの様に変貌するのか、ものすごく興味があります。

寛平さんと共にブログを通じてアメリカ旅行&応援を続けて行きたいと思います。

走れ寛平!! RUN 寛平 RUN !!

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増刊号シャテンズ Vol.2 「 寛平 Earth Marathon 」

2009-01-01 | 増刊号 「シャテンズ」

2009.01.01 寛平 Earth Marathon ついに大海原へ

昨年12月17日大阪をスタート、14日間走り続け、およそ700Kmを走りきり千葉鴨川にゴール。

これだけでも素晴らしいことなのに、まだ全行程の60分の1ぐらいだそうです。
残行程を考えると随分と気の遠くなる話と言うか、本当に走りきれるのかなって思いますが。

3年間走ってばかりいたら頭の中はどうなるんだろうかとか、体はどのように変わって
いくのだろうかとか、進化するのか退化するのか不思議に思うことが沢山あります。
(寛平さんなので、もしかしたら猿になるのかな?)

人間って、いったいなんだろうと考えさせられてしまいます。
皆さん、人間って、いったいなんだと思いますか? 私は答えが出ません。
多分、寛平さんが答えを出してくれるでしょう。

しかし、寛平さんは、間違いなく日本の多くの人々に夢と希望を与えています。
私も影響を受けている1人かもしれません。
そして、これからは世界の人々に夢と希望を与えていくことを願います。

昨年、日本一周を完遂した森くんを見守った様に、3年間、寛平さんを見守って行きたいと
思います。(でも3年間とは随分長いですね、俺はいったいどうなってるんだろか?)
そして再び日本に上陸するときは、この目で寛平さんを確かめたいと思います。

Run 寛平 Run 走れどこまでも !!
Bon Voyage 寛平!!
 

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増刊号 シャテンズ Vol.1 「自転車日本一周」

2008-11-30 | 増刊号 「シャテンズ」

増刊号「シャテンズ」の発刊です。

記念すべき発刊、第1号の特集は「自転車日本一周」森 梓(モリ アズサ)君です。

SYATENZのブログにも写真入りで5月と6月に2回ほど登場してました。

自転車で日本一周の夢をかなえる為に、6年間勤めた仕事を止めて日本一周を
目指した和歌山の青年です。
両親には、この日本一周には猛反対されたみたいです。

実は、ちょうど一ヶ月前に彼は既に日本一周を完走しています。
要した期間はおよそ7ヶ月、走行距離13000K

森君との出会いは、岩手を通過中に息子が我が家に招待して来て宿泊させたのが
始まりです。

その後は森君のブログで現在地や状況確認を行い、時々メールや電話で連絡が
ありました。

北海道を回っている時は、札幌でのママチャリ耐久レース中にわざわざ会いに
来てくれて自らもレースに参加してました。

5月に我が家に宿泊したときには、孤独のつらさを漏らしていて、夜一人公園等で
寝ていると孤独で泣き出しそうになると悩んでいる時期でしたが、ブログの日記を
毎日拝見していると、日々を増すごとに辛さを喜びとして受け止めるようになり、
そして、いろんな人との出会いを自分のエネルギーとして蓄え、旅を楽しむように
変わっている様子が伝わってきました。

ゴールの時には、新聞社が3社、取材に来てくれたそうですが、旅の途中で
知り合った宮城の人がわざわざゴールの祝福に駆けつけて来てくれたそうです。
そして、日本一周に大反対だった両親もこの日は笑顔で迎えてくれたそうです。
ゴールの日の日記は私も拝見しましたが本人では有りませんが泣けました。

ゴールして2日目の晩ぐらいに森君から、お礼の電話が入りました。
律儀さに関心しましたが、なにか偉い人と話している様な気がしてとても
嬉しかったです。

いつかきっとまた会える日を楽しみにしてます。

おめでとう! 自転車日本一周!!  そしていつか私も...

     森君の日本一周中のブログはこちらです  http://08.mbsp.jp/1983/

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