連日の猛暑の中、長崎へのツアーに参加しました。
初日は、ハウステンボスで光のイベントを見学
遊覧船は光の中を走っていました。
光の丘
二日目は、軍艦島上陸ツアー
三菱重工長崎造船所で建造中の、豪華客船、もう1隻、姉妹船も建造されていました。
軍艦島が見えてきました。
1960年(昭和35年)には人口5200人余りで、人口密度は世界一、当然東京の人口密度より多かったそうです。
病院や映画館、派出所、小中学校などもありました。
小中学校だった建物、右の建造物はベルトコンベアーの跡、島内には150mほどの見学用通路が作られています。
それ以外は立ち入り禁止です。(上陸には誓約書が必要、幼児は上陸できないので、保護者と船内待機です。)
幹部社員用の住宅(一番高いところに建っています)
南西方向から見た、軍艦島、この付近から見た景色が、当時長崎で建造中だった軍艦「土佐」に似ていたため、軍艦島と
呼ばれるように成ったそうです。
世界遺産になってから約1ヶ月、上陸ツアーは連日、盛況みたいで私たちの後も、すぐ次の船が、後ろで待っていました。
長崎港から往復2時間30分の旅でした。
結構強行軍のツアーでしたが、楽しめました。
初日は、ハウステンボスで光のイベントを見学
遊覧船は光の中を走っていました。
光の丘
二日目は、軍艦島上陸ツアー
三菱重工長崎造船所で建造中の、豪華客船、もう1隻、姉妹船も建造されていました。
軍艦島が見えてきました。
1960年(昭和35年)には人口5200人余りで、人口密度は世界一、当然東京の人口密度より多かったそうです。
病院や映画館、派出所、小中学校などもありました。
小中学校だった建物、右の建造物はベルトコンベアーの跡、島内には150mほどの見学用通路が作られています。
それ以外は立ち入り禁止です。(上陸には誓約書が必要、幼児は上陸できないので、保護者と船内待機です。)
幹部社員用の住宅(一番高いところに建っています)
南西方向から見た、軍艦島、この付近から見た景色が、当時長崎で建造中だった軍艦「土佐」に似ていたため、軍艦島と
呼ばれるように成ったそうです。
世界遺産になってから約1ヶ月、上陸ツアーは連日、盛況みたいで私たちの後も、すぐ次の船が、後ろで待っていました。
長崎港から往復2時間30分の旅でした。
結構強行軍のツアーでしたが、楽しめました。