田吾作相談員

田吾作相談員の仕事と趣味の世界
social work,ケアマネジメント,MTB,ツーリング,シネマ

肝は「相談員」にあり

2018年03月17日 | コラム
「相談員」と名の付く職種が安易に取り扱われ過ぎる
新年度を迎える前に周辺介護事業所の閉鎖や倒産、相談員の退職が相次いでいる
加えて、介護職員の慢性的な不足
定着しない問題
これは「相談員」の資質と無関係ではない
ベッドコントロール、家族、関係機関とのマネジメントを担う「相談員」機能が低下すると介護現場は混乱する
混乱は「忙しい」「大変」に繋がり、目先の介護に追われて、本来の支援目標を見失う
結果、介護職員は定着化しない
比較的、相談員を含めた事務方がしっかりしているところは、やはり現場が安定している
こうした流れはサ高住や有老でも同じ
利用者が選ぶ基準は、まずはインテークの相談員の対応、と言っても過言じゃないはず

ハッピーバレンタイン

2018年02月13日 | コラム
明日はバレンタインデー
社会からの内在化とは面白いもので、「好きな人にチョコを通じて愛を告白する日」というオッサン世代の習慣性はどこへやら…
今の若者には「友達と交換する日」になってるようです
しかも手作り。大量の材料と、母娘総出の手間暇
結構なことだと思う反面、作りたくても作れない子もいるだろうに
そういう子は友達交換から疎外されるんだろうか?

多数派が少数派を疎外するのではなく、少数派にも気を使える子どもたちへ
すべての子に愛あるバレンタインであることを願って

回顧録

2018年01月26日 | コラム
あれから早一年

その時はバタバタと盛り上がるんだけど、一年も経つと結局「総合事業」って何だったんだろうと...

要支援とか、介護予防が追加された時と同じ熱っぽさ
単に市町村に財源化されて、単価が下がっただけ。一年の評価も無ければ、今後の展開も見えない。こうして徐々に単価が下げられ、事業対象者もサービスも行き場を失う

「総合事業」を地域作りとして捉えると展開は面白いが、単なる軽度者サービスとすると展開はない。だから、市町村事業となったしたたかさ
広報課、自治振興課、NPO支援、障害、児童、生活困窮、環境、教育、そして高齢福祉
市では各課で様々な取り組みをしてるが、この縦割りを越えないとダメ

そのための「生活支援コーディネーター」
多くは社協に委託される構図ですが、なぜ社協なのかも考えないと
単なる丸投げではなく、社協の持つ「地域福祉」機能に着目

そう思うと、総合事業はこれからの地域作りを問われるのではなく、これまでの地域作りを問われているのかも知れません

SWエゴ

2018年01月23日 | コラム
先日担当した「自立支援研究会」のアンケート結果を見ての雑観

奥が深いというか、人の「支援」に携わる難しさ、複雑さを感じています
私はあくまでも「ケアマネジメント」はソーシャルワークにおける技法のひとつと捉えていますが、
本来、「ケアマネジメント」はそこまで心理的側面に着目しない方が良いかも知れないなぁ、とアンケートを読んで思いました
熱心に考えれば考えるほど主観的ドツボにはまっている気がしてます(自分がね)
そもそも「ケアマネジメント」はもっと客観的事実に着目し、その因果関係からニーズを導きだすもの
だからこそ、そもそもの目的である社会保障費抑制に即効性をもたらすんだろう、と
短期介入も含めて

ただ、日本のケアマネジメントは本場アメリカに比べると、ドライよりも浪花節に偏ったよね、と
要は、人と人の付き合いを重視
これは白澤先生などの思いがあってなのかどうか知りませんが、ある程度、社会福祉士の業務確立に活かしたかったのかも知れません
それはそれでいいと思うんですよ、浪花節で
ただ、「自立支援」と考えた時に、ある意味「支援者主体」「支援者依存」を生んでこなかったか、というと疑問です
だから国もAIに切り込みたいんだろう、と
よりドライに、即効性と短期介入

こうなってくると、途端にケアマネジメントが面白くなくなってくるなぁ
海外では、SWよりも医師、保健師、看護師などの医療職がケアマネを担うってのも納得
見えないものを見たいってのはSWのサガなんでしょう(自己満足的な)

厄年

2018年01月05日 | コラム
数え年で行くと、今年が「本厄」とされる年齢

昨年が「前厄」、来年が「後厄」となります

昨年を振り返って、じゃあどうだったか?

厄年と言われれば厄年だし、例年と変わらないと言われれば変わらない

人の気の持ちよう、と言ってしまえばそれまで

おそらく気にしない人にとっては、別になんともないことなんでしょう

私はこう見えて、気にしいですが…

折角なんで「厄年」の所以について簡単にググってみました

要は人間80年とすれば、この年は丁度折り返し地点だし、中年期に差し掛かるってこと

当然、体力・気力の衰え、それに反して社会的責任(仕事上も、家庭上も)も重くのしかかる

おっさんになったと言えるし、いい大人になったともいえます

おっさんになったんだし、きちんと自分の身体と向き合おうと思います

いつまでも若いままではいられない

意識して身体も精神(忍耐力)も鍛えなきゃいけない

いい大人になったんだし、小さいことで腹を立てたり、我儘を押し付けたりするのもよくないでしょう

伊達に40年生きてきたわけじゃないんだし、他者の気持ちにより目を向けるべき年齢です(今更?)

おそらく、厄年のお参りの意味って、こういう「いいおっさん」「いい大人」の自己反省にあると思ってます

お祓いだけしてもらって、それに気づかないって、それは「いいおっさん」「いい大人」になれない証拠

人間は身勝手なものです。喉元過ぎれば、自分に都合の悪いことは忘れちゃう

もっと40代は惑わないとダメですね