2018.7.20土用の丑の日 家族事例検討会
現場雑感:
「喪失」
昔、同じタイトルで芝居を書いたことがある
夫婦が子供を失ってしまったことで、その穴を埋めようとする家族の物語だった
今晩検討された家族事例も、そんな家族の愛情にまつわる物語だったように思う
子どもを失くし、その喪失感を埋めようとした家族の対処方法は「役割」と「期待」だった
夫に寄せられた妻の信頼と期待。妻に寄せられた愛と期待。両親に求められた安心と期待。
そして、子供によせられた希望、そして期待を。
改めて思うのは、家族はそうして「期待」を背負い、それに応える「役割」を持つことでバランスを保ってるんだと感じた。この家族も、家族成員を失って以降、長年そのように対処しながら喪失感を埋めてきたのかも知れない。
ただ、家族は老いていく
原家族から新たな家族が生まれ、それは引き継がれていくが、昔のように多世代同居で暮らすことが無くなった家族は老いていく一方でもある。老いに伴い、疾病や障害、心理的変化が生まれ、いつしか「期待」に対して上手く「役割」の保持が出来なくなってきた。多世代同居であれば、上手くバトンを渡せるのかもしれないが、老いた家族はそうもいかない。今、家族は再び喪失を感じている。
家族が老いていくなかで、今一度、家族は語るべきかも知れない。
夫、妻、子供の思いを。
物語は続いていく。それは子供を失った家族の物語だけでなく、老いていく家族の物語でもない。悲しみと喪失を埋めるために育んできた家族の愛情の物語、老いていく家族像を受け止めながら、新たな期待と役割を持てる物語を。
「喪失」という芝居が最後にどうなったか
妻は病み、夫は絶望し、愛人が去っていく…20代の頃の容赦ないフィクション
家族ってそんな簡単に崩れないんだなぁ、と反省する土用の丑の日でした
現場雑感:
「喪失」
昔、同じタイトルで芝居を書いたことがある
夫婦が子供を失ってしまったことで、その穴を埋めようとする家族の物語だった
今晩検討された家族事例も、そんな家族の愛情にまつわる物語だったように思う
子どもを失くし、その喪失感を埋めようとした家族の対処方法は「役割」と「期待」だった
夫に寄せられた妻の信頼と期待。妻に寄せられた愛と期待。両親に求められた安心と期待。
そして、子供によせられた希望、そして期待を。
改めて思うのは、家族はそうして「期待」を背負い、それに応える「役割」を持つことでバランスを保ってるんだと感じた。この家族も、家族成員を失って以降、長年そのように対処しながら喪失感を埋めてきたのかも知れない。
ただ、家族は老いていく
原家族から新たな家族が生まれ、それは引き継がれていくが、昔のように多世代同居で暮らすことが無くなった家族は老いていく一方でもある。老いに伴い、疾病や障害、心理的変化が生まれ、いつしか「期待」に対して上手く「役割」の保持が出来なくなってきた。多世代同居であれば、上手くバトンを渡せるのかもしれないが、老いた家族はそうもいかない。今、家族は再び喪失を感じている。
家族が老いていくなかで、今一度、家族は語るべきかも知れない。
夫、妻、子供の思いを。
物語は続いていく。それは子供を失った家族の物語だけでなく、老いていく家族の物語でもない。悲しみと喪失を埋めるために育んできた家族の愛情の物語、老いていく家族像を受け止めながら、新たな期待と役割を持てる物語を。
「喪失」という芝居が最後にどうなったか
妻は病み、夫は絶望し、愛人が去っていく…20代の頃の容赦ないフィクション
家族ってそんな簡単に崩れないんだなぁ、と反省する土用の丑の日でした