昨日の「義経」、重盛に対する先週抱いたイメージのギャップ(扇子をパンパンやってイライラしている仕草がどうもね)は、今回それほど感じなかった。
役者(勝村政信)がどうしても軽い感じ(決して嫌いなわけではない)なので、それが重盛像とイマイチ合わないのだが、今回は重盛の平家嫡男としての思いが感じ取れた。
しかし、どうでもいいが、遮那王はなぜあれほど簡単に行動できるのか?
門前の見張りがどんどん増え、鞍馬寺の見張りが厳しくなったと言っておきながら、次のシーンではいとも簡単に都に下りてきているし、入る時は五足達のアシストの隙を突いてだったのに、出てくる時はふつーに門から出てきたりして(あれからずっと追いかけてるのか?)。
そのあたりのリアリティはもう少し考えてほしいなあ。
役者(勝村政信)がどうしても軽い感じ(決して嫌いなわけではない)なので、それが重盛像とイマイチ合わないのだが、今回は重盛の平家嫡男としての思いが感じ取れた。
しかし、どうでもいいが、遮那王はなぜあれほど簡単に行動できるのか?
門前の見張りがどんどん増え、鞍馬寺の見張りが厳しくなったと言っておきながら、次のシーンではいとも簡単に都に下りてきているし、入る時は五足達のアシストの隙を突いてだったのに、出てくる時はふつーに門から出てきたりして(あれからずっと追いかけてるのか?)。
そのあたりのリアリティはもう少し考えてほしいなあ。