給食費を収める日だった。
登校する時、母が袋に入れ「落とさないようにね」と言って渡してくれ、
それを無造作にポンとランドセルの中に入れた。
ところが、担任の先生に渡そうとしたら、
どこでどうしたのか給食袋がなくなっていたのだ。
世の中は朝鮮戦争後の大変な不況。
街の小さな鉄工所の経理部長だった父は苦労を強いられ、
時に遅配や欠配ということがあったらしい。
そうとあって、僕が給食費を失くしたことを知った父が
「こん、馬鹿が!」と怒鳴りつけたのも無理もなかったのだと思う。
まだ小学三年生の僕は父の怒声に縮こまり、わあわあと泣くしかなかった。
その時である。側にいた母が心配そうな顔をして小さな声で
「本当に馬鹿なんだからねぇ」と言って、頬をぬぐってくれたのだ。
不思議なことに、母の「馬鹿なんだからねぇ」という声に
僕の心は少しばかり軽くなったのだった。
父はもう僕をにらみつけることはせず、横を向きそれ以上は何も言わなかった。
『馬鹿』というのは不思議な言葉だ。すそ野が広く、奥が深い。
一般的には「馬鹿野郎」だとか「馬鹿者」などと相手を罵り、侮辱する時に使われる。
その一方で、相手に対する思いやり、親しみ、
愛情などの気持ちを込めて使われることがある。
声を荒げて僕を叱った父に対し、
母は「馬鹿なんだからねぇ」と慰めるように優しく言ってくれ、
その一言が僕の心をスーッと和らげたのは確かだ。
そんな風に言われれば、罵られただの、侮辱されただのといった思いは誰もしないはずだ。
両親はそんな言葉のあやを上手に使ったのかどうか、
もしかすると子を叱る時の父と母の絶妙の掛け合いだったのかもしれない。
いずれにしても、言いよう、聞きようによって
意味合いがまったく違ってくるのがこの『馬鹿』である。
また、「馬鹿! あきらめるな」と言われればどうか。
「馬鹿」と言いつつも、そこには「頑張れよ」という意味合いが込められてくる。
だから「何を!」と腹を立てることはないはずだ。
ただ、そこを取り違えると言い争いになりかねず、
せっかく「頑張れよ」と言ってくれた相手から「馬鹿馬鹿しい」と一笑されるに違いない。
つくづく日本語というのは、ややこしくも面白いものだ。
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