1993年に埼玉県の愛犬家ら男女4人が殺害された事件で、殺人などの罪で死刑が確定した元犬猫繁殖販売業、関根元死刑囚(75)が27日、東京拘置所で死亡したことが関係者への取材で分かった。
病死とみられる。
判決によると、関根死刑囚は93年4~8月、犬の販売をめぐるトラブルから、会社役員の男性=当時(39)=に猛毒入りカプセルを飲ませるなどして4人を殺害。一、二審は死刑を言い渡し、2009年6月に最高裁が上告を棄却し、確定した。
関係者によると、昨年11月に体調を崩し、治療を受けていたが、27日早朝に死亡したという。
埼玉愛犬家連続殺人事件
1.世の中のためにならない奴を殺す
2.すぐに足がつくため、保険金目的では殺さない
3.欲張りな奴を殺す
4.血は流さないことが重要
5.死体(ボディ)を透明にすることが一番大事
どうやって人間を透明にするのか、俺たちのやり方を見ておけ 「愛犬家連続殺人」2被告の死刑確定 2011年5月
「若い頃、どうすりゃ金が手に入るのか考えたもんだ。いくら考えても結論は一つしか出なかった。金を持っている奴から巻き上げて、そいつを消す。捕まんなきゃ、これが一番早い。だが、殺すのはいいとしても、問題は死体だ。これが悩みの種だった」(『愛犬家殺人事件』より)
1993年(平成5年)4月20日 - 行田市の会社役員A(当時39歳)が勤務先から帰宅途中に失踪。
埼玉県熊谷市にあるぺットショップ「アフリカケンネル」を以前から
煩繁に訪れていた産廃処理会社専務 川崎明男さんに
関根はライオン狩に使う大型の猟犬ローデシアンリッジバックの利殖話を
持ちかけていた。そして1匹50~60万円の犬をつがいで
1100万円で売りつけることに成功する。しかし騙されたことに気付いた
川崎さんに販売代金の返却を求められた。最初はうまくなだめて
言いくるめようとしていたが、川崎さんがなかなか思いどうりにならないので、
販売代金を返却するからと車庫に呼び出し車の中で硝酸ストリキニーネを
混ぜた栄養ドリンクを飲ませて殺害した。事情を知らずに関根に頼まれた
使いから戻ってきたアフリカケンネル役員の山崎永幸を
「お前もこうなりたいか」とおどして山崎の自宅である群馬県片品村に
死体を運ぶのを手伝わせ、風呂場で死体を牛刀で解体して近くの川に遺棄した。
「最初の脅し文句は、『お前もこうなりたいか』というものだった。さらに、『子どもは元気か』『元気が何より』と畳みかけてきた。話し口調は、普段と少しも変わらない」
1993年7月21日 - 大里郡江南町(現:熊谷市)の暴力団幹部B(同51歳)と住み込みの運転手C(同21歳)が自宅から失踪。
この後、関根に騙されたことを聞かされていた川崎さんの義弟に、
「兄貴をどこへやったと」としつこく追求されたので、
関根は仕方なく川崎家との話し合いの場を持つことにした。
そこに同席したのが以前から関根と親しかった稲川会係高田組の遠藤安亘だった。
(遠藤は関根が過去に何度も殺しをしていることを知っていた)
川崎さんの家族が川崎さんの行方についてあれこれ質問しても
関根は白を切るだけである。そんなやり取りを見ていた遠藤は、
関根が川崎さんを殺したことに気付き、関根に高額の口止め料を要求した。
その要求に関根は数千万円を払っていたが、ゆすりはそれでも収まらず
最後には土地の権利書まで要求してきた。
税金対策のために偽装離婚していた元妻の風間博子に
「遠藤に土地も家も皆搾り取られちゃう」と泣き付かれ切羽詰った関根は、
遠藤殺害を決意、遠藤の自宅を権利書を持ってきたと訪れ
硝酸ストリキニーネ入りの栄養ドリンクを遠藤とその運転手の和久井に
飲ませ殺害した。この二つの死体も群馬県片品村に運び込んで解体遺棄した
1993年8月26日 - 行田市の主婦D子(同54歳)が買い物に出掛けたまま失踪。
四件目の殺しはアフリカケンネルの従業員の母親である滝口良枝さんだった。
息子が犬に手を噛まれ負傷したことでアフリカケンネルを訪れた滝口芳枝さんは、
関根と知り合い急速に親しくなり肉体関係を持つようになった。
そして関根から犬4匹を900万円で売りつけられた。
最初は自慢げに犬を散歩させたりしていたが、
やがてだまされたことに気付き販売代金の返却を求めてきた。
そこで関根は金を返すどころか、アフリカケンネルへの投資話を持ちかけ
滝口さんの口座に老後の生活費として残されていた270万円を騙し取り
その直後に毒殺した。この死体も前回と同様に処理した。
関根さんが「ボディを透明にする」と呼んだ遺体の処理方法
被害者4人の遺体は風呂場で解体された。骨・皮・肉・内臓に分けられた上、肉などは数センチ四方に切断。骨はドラム缶で衣服や所持品と共に、灰になるまで焼却され、それらは全て山林や川に遺棄された。遺体を埋めても骨は残ることから、焼却してしまうことを考案。しかし、遺体をそのまま焼くと異臭が発生するため、解体して骨のみを焼却したという。燃え残りが出ないよう、1本ずつじっくり焼くという念の入りようであった。
風間博子死刑囚(59)の挿絵原画展 2016年4月
病死とみられる。
判決によると、関根死刑囚は93年4~8月、犬の販売をめぐるトラブルから、会社役員の男性=当時(39)=に猛毒入りカプセルを飲ませるなどして4人を殺害。一、二審は死刑を言い渡し、2009年6月に最高裁が上告を棄却し、確定した。
関係者によると、昨年11月に体調を崩し、治療を受けていたが、27日早朝に死亡したという。
埼玉愛犬家連続殺人事件
1.世の中のためにならない奴を殺す
2.すぐに足がつくため、保険金目的では殺さない
3.欲張りな奴を殺す
4.血は流さないことが重要
5.死体(ボディ)を透明にすることが一番大事
どうやって人間を透明にするのか、俺たちのやり方を見ておけ 「愛犬家連続殺人」2被告の死刑確定 2011年5月
「若い頃、どうすりゃ金が手に入るのか考えたもんだ。いくら考えても結論は一つしか出なかった。金を持っている奴から巻き上げて、そいつを消す。捕まんなきゃ、これが一番早い。だが、殺すのはいいとしても、問題は死体だ。これが悩みの種だった」(『愛犬家殺人事件』より)
愛犬家連続殺人 (角川文庫) | |
クリエーター情報なし | |
角川書店 |
1993年(平成5年)4月20日 - 行田市の会社役員A(当時39歳)が勤務先から帰宅途中に失踪。
埼玉県熊谷市にあるぺットショップ「アフリカケンネル」を以前から
煩繁に訪れていた産廃処理会社専務 川崎明男さんに
関根はライオン狩に使う大型の猟犬ローデシアンリッジバックの利殖話を
持ちかけていた。そして1匹50~60万円の犬をつがいで
1100万円で売りつけることに成功する。しかし騙されたことに気付いた
川崎さんに販売代金の返却を求められた。最初はうまくなだめて
言いくるめようとしていたが、川崎さんがなかなか思いどうりにならないので、
販売代金を返却するからと車庫に呼び出し車の中で硝酸ストリキニーネを
混ぜた栄養ドリンクを飲ませて殺害した。事情を知らずに関根に頼まれた
使いから戻ってきたアフリカケンネル役員の山崎永幸を
「お前もこうなりたいか」とおどして山崎の自宅である群馬県片品村に
死体を運ぶのを手伝わせ、風呂場で死体を牛刀で解体して近くの川に遺棄した。
「最初の脅し文句は、『お前もこうなりたいか』というものだった。さらに、『子どもは元気か』『元気が何より』と畳みかけてきた。話し口調は、普段と少しも変わらない」
1993年7月21日 - 大里郡江南町(現:熊谷市)の暴力団幹部B(同51歳)と住み込みの運転手C(同21歳)が自宅から失踪。
この後、関根に騙されたことを聞かされていた川崎さんの義弟に、
「兄貴をどこへやったと」としつこく追求されたので、
関根は仕方なく川崎家との話し合いの場を持つことにした。
そこに同席したのが以前から関根と親しかった稲川会係高田組の遠藤安亘だった。
(遠藤は関根が過去に何度も殺しをしていることを知っていた)
川崎さんの家族が川崎さんの行方についてあれこれ質問しても
関根は白を切るだけである。そんなやり取りを見ていた遠藤は、
関根が川崎さんを殺したことに気付き、関根に高額の口止め料を要求した。
その要求に関根は数千万円を払っていたが、ゆすりはそれでも収まらず
最後には土地の権利書まで要求してきた。
税金対策のために偽装離婚していた元妻の風間博子に
「遠藤に土地も家も皆搾り取られちゃう」と泣き付かれ切羽詰った関根は、
遠藤殺害を決意、遠藤の自宅を権利書を持ってきたと訪れ
硝酸ストリキニーネ入りの栄養ドリンクを遠藤とその運転手の和久井に
飲ませ殺害した。この二つの死体も群馬県片品村に運び込んで解体遺棄した
1993年8月26日 - 行田市の主婦D子(同54歳)が買い物に出掛けたまま失踪。
四件目の殺しはアフリカケンネルの従業員の母親である滝口良枝さんだった。
息子が犬に手を噛まれ負傷したことでアフリカケンネルを訪れた滝口芳枝さんは、
関根と知り合い急速に親しくなり肉体関係を持つようになった。
そして関根から犬4匹を900万円で売りつけられた。
最初は自慢げに犬を散歩させたりしていたが、
やがてだまされたことに気付き販売代金の返却を求めてきた。
そこで関根は金を返すどころか、アフリカケンネルへの投資話を持ちかけ
滝口さんの口座に老後の生活費として残されていた270万円を騙し取り
その直後に毒殺した。この死体も前回と同様に処理した。
関根さんが「ボディを透明にする」と呼んだ遺体の処理方法
被害者4人の遺体は風呂場で解体された。骨・皮・肉・内臓に分けられた上、肉などは数センチ四方に切断。骨はドラム缶で衣服や所持品と共に、灰になるまで焼却され、それらは全て山林や川に遺棄された。遺体を埋めても骨は残ることから、焼却してしまうことを考案。しかし、遺体をそのまま焼くと異臭が発生するため、解体して骨のみを焼却したという。燃え残りが出ないよう、1本ずつじっくり焼くという念の入りようであった。
風間博子死刑囚(59)の挿絵原画展 2016年4月
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