2012年も押し詰まってきました。
それで、というわけではありませんが、今年の春に開催された展覧会、発行された雑誌について覚え書きをしておきます。
今年の春、国立新美術館が『セザンヌ―パリとプロヴァンス』と題した大規模なセザンヌ(Paul Cézanne 1839~1906)展を開催しました。それとあわせたように、詩の専門誌『ユリイカ』が、セザンヌの特集号(四月号)を発行しました。
その中にいくつか興味深い文章がありましたが、岡田温司(1954~ )が書いた『思考するイメージ、イメージする思考』(岡田温司1954~ )という七頁ほどの、短い論文もそのひとつです。この論文には「セザンヌと解釈者たち」という副題が付されていて、哲学者や批評家、思想家たちが、セザンヌをどのように解釈してきたのか、ということが概観できる内容になっています。
この文章では、主に一九四〇年代以降の「セザンヌ解釈」について論じられているのですが、それ以前の「セザンヌ解釈」はどのようなものであったのか、この論文ではミッシェル・テヴォー(Michel Thevoz 1936~ )の言葉として次のように整理されています。
「セザンヌといえば、構築性、記念碑的性格(モニュメンタリティ)、構造地質学的厳密さ、円錐や三角形や球による配置等々について私たちは語り、そうして彼を印象派の画家たちに対立させるのが通例である」が、もはやこの「美術史上の紋切り型は吟味に耐えうるものではない」、と。
(『思考するイメージ、イメージする思考』)
「紋切り型」とは、セザンヌを後期印象派の画家として、美術史的に位置づけるような解釈のことでしょう。テヴォーのいう通り、この「紋切り型」が「吟味に耐えうるものではない」とするならば、それにかわって見出される「セザンヌの解釈」とは、どんなものでしょうか?
かくして前景化されるのは、反対に、「中心の脱落」、「爆破した表面」、「カオス的なタッチに砕け散った輪郭」、「解体されて相互に浸透しあう形態」といった特徴である。
(『思考するイメージ、イメージする思考』)
この論考で取り上げられている「セザンヌ解釈」では、テヴォーに限らず共通して「中心の脱落(脱中心化)」や、絵の中の「矛盾」した要素、あるいは「両義性」、「混沌(カオス)」といったセザンヌの特徴に注目しています。そのうえで、彼らはそれぞれ違った解釈を模索したのです。
ここでは、メルロ=ポンティとグリーンバーグのセザンヌ解釈について、触れてみたいと思います。
「紋切り型」の「セザンヌ解釈」から脱し、その転換点となったのが、哲学者のメルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty 1908~1961)です。
周知のように、このフランスの現象学者は、一九四五年に上梓した「セザンヌの疑惑」という先駆的な論考において、その絵画がはらむ矛盾や両義性を暴いて見せたのだった。その名高い解釈によれば、エクスの画家(セザンヌ)が捉えようとしているのは、主体と客体、精神と身体、思考と視覚が区別される以前の世界であり、諸感覚が分離する手前の原初的な体験である。それは言い換えれば、知覚とともに生まれつつある世界であり、世界がいかにしてわれわれに接触しているのかということである。
(『思考するイメージ、イメージする思考』)
メルロ=ポンティは「知覚とともに生まれつつある世界」、つまりよけいな知識や概念を捨てたときに、人間が知覚するであろう「世界」を、セザンヌの絵画に見てとったのです。
これは、人間の「知覚」という哲学上の根源的な問題を、セザンヌを通じて提起した点で画期的だったのだと思います。セザンヌは、単なる後期印象派の画家ではなく、普遍的な意味を持つ画家として認識されたのです。そこには「現象学」というメルロ=ポンティの学問的な立場や、考え方が反映されていますが、その後の「セザンヌ解釈」は、そんなメルロ=ポンティの立場を超えて広くこの問題について考えることになります。
現象学的な「セザンヌ解釈」は、セザンヌの特集があるたびに取り上げられてきました。しかし今回、岡田の論考において興味深かったのは、『セザンヌの疑惑』の三年前に、セザンヌの絵画の不調和な「欠落」を積極的に評価した評論家がアメリカにいた、という指摘です。それがグリーンバーグ(Clement Greenberg 1909~1994)でした。
一九四二年のニューヨークでの展覧会の短評『コロー、セザンヌ、ウィンフレド・ラム』において、この戦闘的な批評家(グリーンバーグ)は、セザンヌの作品を「統一性と多様性が同時に結びつくことなく、実現された全体の各部分の絆にも欠けている」と評したのだった。ここで彼が言及しているのは主に、《黒い城》(ワシントン、ナショナルギャラリー)など後期から晩年にかけての作品である。だが、そうした欠落は、「セザンヌが時代のずっと先を行っていた」結果であり、その「芸術の最上の部分の多くはいまだ消費されていないように見える」。つまるところ、「セザンヌの偉業は、それを定義するのに十分な留保を要するほど、鋭敏にして遥か彼方を向いているものなのである」。
(『思考するイメージ、イメージする思考』)
グリーンバーグがこのようにセザンヌを評価していたことは、一般的に知られていないと思います。それにフォーマリストのグリーンバーグが、セザンヌの絵画の不調和な「欠落」に積極的な意味を見出していた、ということも意外に感じます。
グリーンバーグは、前回も触れましたが、カント(Immanuel Kant 1724~1804)に端を発する「自己批判」のうちに、モダニズムの本質を捉えようとしました。これは有名な『モダニズムの絵画』(1960)に書かれていることです。グリーンバーグにとって、セザンヌの絵画に見られる「欠落」が、「絵画における自己批判のひとつの先駆的な形態として、積極的に評価されるべきもの」だったのです。グリーンバーグは、絵画を「自己批判」的に検証していくなかで、その「平面性」だけが絵画芸術にとって独占的な特徴だ、という結論に達しました。絵画の「平面性」に注目することは、絵画の表面を見ること、つまり視覚的に絵画を見ることにつながります。この視覚の「特権化」とも言うべきグリーンバーグの態度は、「諸感覚が分離する手前」の感覚をセザンヌの絵画に見出していたメルロ=ポンティの態度とは、対照的な立場に立つものだと思います。
ヨーロッパとアメリカという別々の大陸で、そして異なった文脈において美術とかかわった二人が、セザンヌの絵画の共通した特徴にほぼ同時期に注目していたという事実、これはとても興味深いことだと思います。その後は互いに対照的な方向へと進んでいきましたし、グリーンバーグのセザンヌ解釈については、翻訳された資料がほとんどありませんので、いまのところこれ以上、考察を深めることはできません。
それにしても、グリーンバーグの、先の展覧会の短評はみごとだと思います。「芸術の最上の部分の多くはいまだ消費されていないように見える」。というのは、まさにその通りですし、「セザンヌの偉業は、それを定義するのに十分な留保を要するほど、鋭敏にして遥か彼方を向いているものなのである」と書かれたことに対し、私たちはいまだに「遥か彼方」に達していないのではないか、と考えてしまいます。
セザンヌの絵画は興味が尽きない、というよりも、そのことばかり考えています。
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