平らな深み、緩やかな時間

374.映画『コーダ あいのうた』『ノマドランド』から考える

不覚にも、年度の移り変わりの忙しい時期に新型コロナ・ウィルスの陽性反応が出てしまいました。春なので、見たい展覧会がたくさんあったのに、とても残念です。今週末も仕事や家事以外の外出は厳しそうです。案内状をいただいた方々には、本当に申し訳ないです。

 

熱で頭が朦朧としていたので、寝ながら本を読むわけにもいかず、かといって寝ようとすると咳で寝付くことができません。それで前から見たかった映画をiPadで見ることにしました。

その視聴の中で気に入った映画を2本ご紹介します。両方とも、映画館の大きなスクリーン、もしくは良好な音響で視聴できれば、さぞかし映画の醍醐味を堪能できただろう、と思いますが、この際、贅沢なことは言えません。それにだいぶ前の映画で時期外れになりますが、その分、オンラインで視聴できる、という利点があります。時間さえあれば、どなたでも見ることができます。

 

まずは心温まる映画から・・・

 

『コーダ あいのうた』(2021)

 

ストーリーについては、公式ホームページのデータを紹介します。

 

豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。

https://gaga.ne.jp/coda/

 

この映画は、一人の少女が自分の才能に目覚めて歌の道へと進む、という骨格を持っていて、これだけならありふれた青春映画になっていたかもしれません。しかし、タイトルにあるように『コーダ』という宿命を背負った少女の物語なのです。それ以外にも、仲介業者から搾取される漁業労働者たちの貧困や、耳が聞こえない人たちへの差別など、さまざまな社会的な問題が物語に投影されています。ですから、これは少女の成長の物語であると同時に、耳が聞こえない家族、および漁業労働者たちの成長の物語でもあるのです。

 

ところで、皆さんは「コーダ」という言葉を知っていますか?

 

「親のどちらか、あるいは両方がきこえない・きこえにくい」という、耳がきこえる子どもたちは「CODA」と(コーダ)呼ばれます。「CODA」は、「Children of Deaf Adults」の略です。

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230925a.html

 

上記のホームページをぜひご覧ください。そこにはこのようにも書かれています。

 

自らもCODAである専門家は、親の近くに耳代わりになって通訳を担ってくれる子どもが近くにいると、どうしても、その子どもに頼ってしまい、子どもたちに負担がかかるとしています。そして、その負担を減らすことが大切だと指摘しています。

 

この映画の主人公は、まさにこのような「コーダ」であることの役割と責任に悩んでしまいます。そして自分の将来と家族の援助と、どちらかを選ばなければならない時に、家族の援助を選ぶのです。しかし、最後には家族の愛が少女と家族自身を救うことになります。この公式ページ以上のことは書けませんが、大体筋書きがわかっていても、最後の数十分には泣けてきます。

 

それから、この「コーダ」の問題は、現在では広く「ヤングケアラー」の問題ともつながります。例えば日本に暮らしていて、日本語を話せない親と暮らす若者は、必要に応じて家族の通訳としての役割を果たします。お役所などの手続きは課業時間が学校の時間帯と重なるため、時には学校を休んで親に付き添うということが生じてしまいます。この映画が提示する問題は、決して特殊な問題ではないのです。

そしてこの映画では、「コーダ」であるために少女が自分の発音に自信を持てないことも描かれています。そのことによって、友達からからかわれてきた、とも言っています。障がいのある方への差別、その周辺にいる方への思いやりなど、自分自身にも何か欠けているのではないか、と考えてしまいます。

 

さて、このような「コーダ」や「ヤングケアラー」の生徒、学生と出会ったときに、教師はどのように事態を理解し、生徒を指導したら良いのでしょうか?私のような立場だと、それも気になるところですが、この映画に出てくる破天荒に見える音楽の先生が実にいいです。厳しくて、情熱があって、それでいて少女の境遇を素早く察知して、最後まで見放しません。こんな教師でありたいと多くの先生方が思うのでしょうが、日本のように授業の持ち時間が多く、人によっては何種類もの科目を担当し、かつ担任業務や事務仕事など抱えていては、なかなか実践できません。

これは「コーダ」や「ヤングケアラー」に関することだけではなく、一般的な進路指導であっても公立高校の教師には個別に生徒対応する時間が不足しています。だから塾や予備校が流行っているのですが、それでいいのでしょうか?

私自身、この先生のように美大受験を希望している生徒に対し、個別にサポートすることがありますが、その際には放課後、休日などの時間帯しか対応できないので、土日のどちらか、あるいはいずれも出勤ということになります。もちろん、今の教員の給与制度では、その手当は出ません。それでも、希望した大学に受かったと聞けば、すべての苦労が報われた気持ちになります。このような教員のモチベーションだけに頼っていてはうまくいくはずがありません。多くの、予備校に行くお金のない生徒、予備校という場所が自分に合わない生徒などは、影で涙をのんでいるのだと思います。

なんとかならないものでしょうか?

 

そんな深刻な問題はさておいても、この映画は音楽を楽しむ映画としても一級です。

主人公の少女と、少女が思いを寄せる少年が音楽の先生から出された課題曲が、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの「You're All I Need To Get By」です。映画の中で二人が歌う場面が、YouTubeに上がっていますね。

https://youtube.com/shorts/4gjeUfvjQzE?si=YbeFAVjk4TJ7IzX4

原曲はこちらです。

https://youtube.com/shorts/16s6NNLCJn4?si=3zg4zY2IP3SNUdRi

それから、何と言っても感動的なのはジョニ・ミッチェル「Both Sides Now/青春の光と影」の使い方です。 こちらも映画の場面がYouTubeに上がっています。最後まで見てしまうと、映画のネタバレになってしまいますので気をつけてください。これから映画をご覧になる方は、見ない方が良いかもしれません。とはいえ、手話を使いながら歌うことで、少女の緊張が解けて本来の歌声を聴かせる場面は、何度見ても素晴らしいです。

https://youtu.be/QUAg5sJEDww?si=zNfAh23kLvUnvpVd

 

その映画のシーンで最後に力強く歌われる一節です。

私は人生を見るようになった、今は両サイドから
・・・
ほんとうに分かっていない、人生のことを

https://yougakuyaku.com/both-sides-now-joni-mitchell/

 

上記サイトから、全曲とその解説を読むことができます。人生をboth sidesから見るようになった、というのが深いですね。映画の主人公にもぴったりです。

そのジョニ・ミッチェルさんの歌はこちらです。初期の彼女の傑作ですが、映画の中で音楽の先生が「ジョニ・ミッチェルの傑作だぞ!なんでちゃんと歌わないんだ!」と叱責するところが微笑ましいです。ジョニに対するリスペクトを感じます。本当にジョニは天才的なシンガー・ソングライターですね。

https://youtu.be/bcrEqIpi6sg



さて、もう一本、こちらはハードな映画です。

 

『ノマドランド』(2020)

 

こちらは、ストーリーと映画の概要を映画紹介サイトから引用します。

 

「スリー・ビルボード」のオスカー女優フランシス・マクドーマンドが主演を務め、アメリカ西部の路上に暮らす車上生活者たちの生き様を、大自然の映像美とともに描いたロードムービー。ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、「ザ・ライダー」で高く評価された新鋭クロエ・ジャオ監督がメガホンをとった。ネバダ州の企業城下町で暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに全てを詰め込んだ彼女は、“現代のノマド(遊牧民)”として、過酷な季節労働の現場を渡り歩きながら車上生活を送ることに。毎日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ね、誇りを持って自由を生きる彼女の旅は続いていく。第77回ベネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞、第45回トロント国際映画祭でも最高賞の観客賞を受賞するなど高い評価を獲得して賞レースを席巻。第93回アカデミー賞では計6部門でノミネートされ、作品、監督、主演女優賞の3部門を受賞した。

https://eiga.com/movie/93570/

 

先ほどの『コーダ あいのうた』では、中間搾取されていた漁業労働者が、少女の家族を中心として自立していくので、映画の中で一つの解決がもたらされますが、この『ノマドランド』では、私たちはさらに厳しい現実を突きつけられることになります。

 

ところで、決まった住まいを持たず、キャンピングカーで過酷な季節労働を渡り歩く人たちを、「ノマド(遊牧民)」というのだそうですが、もちろん、皆さんは「ノマド」という言語をご存知だと思いますが、念のため・・・。

 

〘名〙 (nomade) 遊牧民。また、放浪者。

 

しかし、最近ではもう少し現代的な意味で広く使われているようです。

 

「ノマドライフ」

俗に「ノマドな生き方」という意味合いで用いられる語。仕事場を一箇所に定めず、自由な場所で仕事をするあり方といった意味。ノマドはもともとは遊牧民という意味の語。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%8E%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95

 

インターネットで調べると、例えばIT業界などでは、オフィスに縛られない働き方を広く「ノマド」と呼ぶようですが、ただし、自宅からのテレ・ワークというのではなくて、場所を転々と移動するような働き方をしている人、あるいはウェブ・ライターのように旅をしながら取材をするような働き方をしている人を指すようです。

この人たちの場合は、だいぶ恵まれた印象を受けますが、この映画の主人公は過酷な肉体労働を移動しながら渡り歩く、とても辛い生活をしています。しかし、その反面、アメリカ各地の広大な風景が堪能でき、彼女の生活が自由であることを証明しています。主人公にとって、その自由な立場が生きていくモチベーションになるのです。

 

それにしても・・・と映画を見ていて思う方もいると思います。

この主人公も、恵まれた家庭生活に戻った男性から求婚されるなど、定住して生きる道もあったのです。それを拒絶して、彼女は過酷な旅生活へと還っていくのです。この主人公の生き様の中に、私はアメリカという国の成り立ちを感じます。映画の中でも、私たちは開拓者のようだ、という会話が出てきますが、これは単に西部劇の時代のようだ、ということではないでしょう。

この映画の中で、主人公が姉のところへお金を借りにいくシーンがあります。そこでもてなしを受けるのですが、食事中の会話で不動産業に関する話になります。土地代が上がる前に買い占めて売れば必ず儲かる、とある男性が言うのです。その時に主人公が、「人に貯蓄をはたかせて、借金をさせて、身の丈に合わない家を買わせるというのは、何だかおかしくない?」と口を挟むのです。場の雰囲気は一気に険悪になり、そこにいる人たちと主人公が決して折り合えないことがわかるのです。

この時に私は1940年にウディ・ガスリー(Woodrow Wilson "Woody" Guthrie, 1912 - 1967)さんが書いた最も有名な歌、「This land is your land/わが祖国」を思い出しました。ウディさんは国民的なフォーク歌手であり、シンガー・ソングライターですが、その立場は反権力であり、自由を何より愛した人です。「わが祖国」はアメリカの愛国歌のように受け止められていますが、実はそうではありません。この国はすべて私たちのもの、あなたたちのものであり、みんなのものなのだ、と言うのが歌詞の趣旨です。歌の中心にあるのは「国」ではなく、「人々」なのです。

https://magictrain.biz/wp/2018/09/post-26301/

歌詞の中で、レコードでは歌われていないという断り書きのある部分に、次のような強烈な一節があります。

 

その看板が云うには「不法侵入禁止」
・・・
そうさ、あの場所だってあなたとわたしのために創られたんだよ!

(上記ホームページより)

 

この一節は、ウディさんが放浪している時に、「不法侵入禁止」の看板を見て、思わず憤って書いたものだ、と聞いたことがあります。なぜなら、ウディさんにとってのアメリカという国は、次のような国だっただからです。

 

この国はあなたの国
この国はわたしの国
・・・
この国はあなたとわたしのために創られたんだ

(上記ホームページより)

 

ウディさんは次のように言っているのです。

 

この国はあなたと私のために作られたはずでしょう?それなのに「この土地は入っちゃダメ!」というのはおかしくないですか!

 

とても単純な論理です。

ところが今は、私有、国有されていないものはないんじゃないか、というぐらいあらゆるものに所有者がいて、キャンピングカーで放浪する人たちは、車を止める場所にも事欠く状況です。そんなふうに複雑化した社会では、その中でうまく立ち回れる人たちばかりが優遇され、そうでない人たちは置き去りにされるばかりです。

この映画は、そういう社会に疑問を突きつけ、ノマドの人たちの誇りや、彼らが出会う美しい風景をふんだんに見せて、この問題を切り捨てていいものではないことを私たちに伝えています。

 

こんなことを考えていたら、とんでもないニュースが入ってきました。

静岡県知事の辞職のニュースです。

 

静岡県の川勝知事は1日、新人職員への訓示の中で「県庁というのは別のことばで言うとシンクタンクです。毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたりするのとは違って、基本的に皆さんは知性が高い方たちです」などと発言しました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240403/k10014411261000.html

 

政治家のとんでもない発言には、もう驚かなくなっていますが、これが新人職員への訓示だったなんて、あまりにも悲しすぎます。この知事は私よりも10歳以上年上のようですが、このような偏見は高齢からくる時代遅れ、ということもあるのでしょうか?そうだとしたら、政治家にも定年制を導入した方が良いですね。それに合わせて被選挙権の年齢を引き下げましょう。仮に20歳の若者が県知事になったとしても、新入職員への訓示でこのような毒のある言葉を吐くことはないでしょう。私は、私より高齢の政治家の悪い時代の経験よりも、若い人たちの無垢な知性に期待します。

 

ちょっと脱線しました。

しかしこの『ノマドランド』の突きつける問題は、まさにこの知事のように、職種と個人の知性を安易に結びつけ、自分の手を汚して何かを作る人、物を運ぶ人、あるいは清掃をする人たちを知性がないと決めつけて蔑む意識なのです。彼らが定住して、豊かになることが問題なのではなく、彼らの存在を認め、誇り高く生きていけるような社会にしていかなくてはならない、ということなのだと思います。

日本では、この主人公のようにキャンピングカーで生きていくのは至難の技ですが、実際の労働に見合わない賃金で働かされている人たち、それなのになぜか見下されて、何かことが起これば矢のようなクレームに晒される職業の人たちがたくさんいます。福祉、保育、教育、いずれも日本では扱われ方が理不尽です。どうしてみんな、それぞれの立場を理解し、お互いに尊重して生きていけないのか、不思議でなりません。不幸の連鎖しか生まない社会では、容易に希望を見出すこともできません。

『ノマドランド』を見ても、その連鎖を断ち切る方法はわかりませんが、今の複雑な社会を単純化せずに切り取っているところは見事です。忘れた頃に見直すと、原風景のように違った様相を私たちに見せてくれるのかもしれません。

 

ところで、この映画の原作は、ジェシカ・ブルーダーさんのノンフィクション本「ノマド 漂流する高齢労働者たち」だそうです。彼女のインタビュー記事を見つけたのですが、その最後に低賃金による労働問題について語った部分があるので、引用しておきます。

 

―原作、映画でも描かれたアマゾンのキャンパーフォースのように、企業がワーキャンパーを安価な労働力としてみなしていることについての意見を聞かせてください。

 

この問題は、一企業よりもずっと大きいと思っています。独占禁止法はデジタル時代になっても守られていません。労働組合さえないこともざらです。人々が、自分にはもっと価値があるという意識を常に持っていられない状況を悲しく思います。(ドナルド・)トランプ前大統領が退陣したいま、状況が少しずつ変わっていくことを期待しています。労働者と雇用者の間には大きな格差があり、所得格差はますます開き、悪化しているからです。新型コロナウイルスの感染拡大がそのすべてを悪化させていますし……。教養として、思いやりを持つ余裕を持ち、このような問題をじっくりと考えられる状況になればいいと願っています。

https://eiga.com/movie/93570/interview/

 

うーん、難しいですね。トランプさんは労働者の人たちに人気があるようですし、それは目先の政策と、インターネットによる情報操作によるもののようですから、ブルーダーさんが言うように「教養として、思いやりを持つ余裕を持ち、このような問題をじっくりと考えられる状況になればいい」という状況とは真逆に進んでいるような気がします。そのトランプさんが再選する可能性はかなり高そうです。覚悟をしておきましょう。



さて、同じ頃に制作された全く違う映画を2本並べてみました。意図したわけではありませんが、良い映画はその時の現実をも反映してしまうので、両作品ともに厳しい現実を感じます。しかし、これも全く年齢の異なる女性の主人公が、希望を失わずに前を見ている姿が印象的でした。しかも、この二作品とも監督が女性です。女性だから・・・、という形容詞はすでに必要なく、良い映画を見たらたまたま監督が女性だった、という時代ですね。映画に限らず、最近そういうことが多いです。少しは時代が、進んでいるのかもしれません。この後の時代が少しでも良くなることを望みますが、そんなことを書いている間にも、台湾で地震がありました。被災された方々には、お見舞いを申し上げます。

とにかく、私たちはそれぞれの場所で少しでも前を向いて歩きましょう。そういう力を映画からもらったような気がします。

 

未見の方は、よかったらお時間のある時にご覧ください。

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