平らな深み、緩やかな時間

323.柄谷行人と美術批評について④

前回と同様のお知らせです。もうすぐ、会期末となります。

2023年6月3日(土)ー7月9日(日)の期間に開催されている、三浦市の諸磯青少年センターの『HAKOBUNE』という展覧会に作品を三点だけ出品しています。この展覧会のパンフレットのpdfファイルが私のHPからご覧いただけます。ぜひ、ご一読ください。

http://ishimura.html.xdomain.jp/news.html

遠方で、ちょっと不便なところですが、神奈川県の南の方にいらした折には、ぜひ覗いてみて下さい。天気が良ければ、海を見ながら潮風に吹かれるのも気持ちの良いものです。

 

さて、本題に入ります。

このところ哲学者の柄谷行人さんについて考察していますが、そのblogの四回目です。

文芸批評家としてデビューした柄谷さんですが、その後の仕事は哲学はもちろんこと、かなりアクティブな社会学的な領域にまで思考を広げています。大きな賞も受賞されているようですが、これはその記事です。

 

◎「バーグルエン哲学・文化賞」に哲学者の柄谷行人さん

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230427/k10014051691000.html

“哲学のノーベル賞”を目指してアメリカの研究機関が設けた「バーグルエン哲学・文化賞」に、アジアで初めて柄谷行人さんが選ばれた、という記事です。

 

柄谷さんは、文芸批評を書いていた時から、カール・マルクス( Karl Marx、1818 - 1883)の資本論をモチーフにするなど、文学の枠に収まらない活躍をされていました。この「バーグルエン哲学・文化賞」の受賞の理由も、そのスケールの大きな視野で思考を深めていたことが評価されたようです。

しかし、前にも書いた通り、柄谷さんの本の話題が広がれば広がるほど、こちらの教養がついていけなくてに困っているのが正直なところです。それでも今回は、なんとか最近の柄谷さんの著作『力と交換様式』(2022)について、私のわかる範囲のことを書いてみたいと思います。

まずは、この本の紹介文を抜粋してみましょう。

 

生産様式から交換様式への移行を告げた『世界史の構造』から一〇年余、交換様式から生まれる「力」を軸に、柄谷行人の全思想体系の集大成を示す。戦争と恐慌の危機を絶えず生み出す資本主義の構造と力が明らかに。呪力(A)、権力(B)、資本の力(C)が結合した資本=ネーション=国家を揚棄する「力」(D)を見据える。

(『力と交換様式』紹介文)

 

私たちはふだん、さまざまな不満を抱きながらも、資本主義経済と国家という集団について、それらが自然とあるべきもののように受け入れています。ところが柄谷さんは、社会生活にとって根本的なその構造について疑問を抱き、思考を続けてきました。柄谷さんの思考の、その全体像がどれくらい妥当なものなのか・・・、私には判断ができません。現在の世界のあり様について、私なりに疑問を抱いて生きてきましたが、柄谷さんの考察が私の疑問を解消するものなのかどうか、もう少し時間が経たないと、私にはわからないのです。私のように頭が悪くて、感覚の鈍い人間は、普通の人よりも10年ぐらい遅れていろいろなことがわかってきます。もうそんなことを言っていられる年齢ではないので、生きているうちにいろんなことを理解したいものです。

ただ、そんな私にも、柄谷さんの言っていることのなかで、これはユニークだな、と思うところがあります。そしてそれが、芸術表現にも関わることなのではないか、と予感しているのです。それは、最新の著作の『力と交換様式』の、「力」にあたるものの説明の中にあるのですが、それについて一足飛びに書いても、何のことやらわかりませんね。

まずは『力と交換様式』の「序論」にあたる文章から読み進めてみましょう。

 

私は『世界史の構造』で、「生産様式から交換様式へ」の移行を提唱した。本書はそれを再考するものである。簡単にいうと、マルクス主義の標準的な理論では、社会構成体の歴史が、建築的なメタファーにもとづいて考えられた。つまり、生産様式が経済的なベース(土台)にあり、政治的・観念的な上部構造がそれによって規定されているということになっている。私は、社会構成体の歴史が経済的ベースによって決定されているということに反対ではないが、ただ、そのベースは生産様式だけではなく、むしろ交換様式にあると考えたのである。交換様式には次の四つがある。

 

A  互酬(贈与と返礼)

B  服従と保護(略取と再配分)

C  商品交換(貨幣と商品)

D  Aの高次元での回復

 

私がこのように考えるようになったのは、経済的ベースを生産様式(生産力と生産関係)に見出すマルクス主義の見方ではうまく説明できないことが多かったため、それがさまざまな形で批判され、最終的に、経済的ベースという考えそのものが否定されるにいたったからだ。その最初の重要な批判者として、マックス・ヴェーバーを挙げてよい。彼は、史的唯物論を原則的に認めながら、観念的上部構造の相対的自律性を主張した。たとえば、マルクス主義では、近世の宗教改革(プロテスタンティズム)を資本主義の発展の産物として見るが、ヴェーバーは逆に、それが産業資本主義を推進する力として働いたことを強調した(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)。つまり、宗教のような観念的上部構造は、たんに経済的ベースによって受動的に規定されるだけでなく、むしろ能動的に後者を変える「力」をもつとみたわけである。

(『力と交換様式』「序論 1上部構造の観念的な『力』」柄谷行人)

 

この柄谷さんの「交換様式」の分類で言うと、今の社会の交換様式は「C 商品交換(貨幣と商品)」にあたります。このように分類されてみると、「貨幣」を介することで「商品」として「もの」が交換される、ということは決して当たり前のことではありません。そこには、何か飛躍的な変化があったのですが、そのためには変化の「力」となったものがあったはずです。その「力」となったものが、「宗教のような観念的上部構造」だったというのが、柄谷さんの説明です。

そして、その「宗教のような」と言いたくなる不思議な構造のことを、よく理解していたのがマルクスでした。そしてマルクスは「貨幣や資本を“物神”として見た」のです。『力と交換様式』の終わりの方で、そのことを説明した部分を読んでみましょう。

 

これまで述べてきたのは、マルクスやエンゲルスが、それぞれ、“マルクス主義”(史的唯物論)の観点をもつと同時に、それとは異なる観点から、資本主義や社会主義を見ていたということである。特に、それは晩年の仕事において見られる。しかし、そのことに気づいた人は少なかった。たとえば、マルクスは『資本論』において、貨幣や資本を“物神”として見たのだが、このような見方は、マルクス主義者の間では、たんに冗談と見なされた。その典型的な例は、ここまでに何度も言及したように、ルカーチの『歴史と階級意識』(1923年)において、『資本論』でマルクスが「物神化」と名づけた事柄が無視され、それが「物象化」という言葉に言い換えられてしまったことである。

物象化が意味するのは、人間と人間の関係が物と物の関係として扱われる、すなわち人間が物として扱われる、ということである。一見すると、物神化が観念論的な見方であるのに対して、物象化は唯物論的な見方であるようにみえる。そして、そのような資本主義経済における物象化からの解放にこそ共産主義があると、ルカーチは考えた。したがって、彼は物象化を、『資本論』がもたらした“科学的”認識の核心であると見なしたのである。

しかし、そのような理解は、『資本論』の画期的意義を見失わせるものだといわねばならない。ルカーチがいう「物象化」はむしろ、史的唯物論以前のマルクスが『経済学・哲学草稿』で論じた「自己疎外」という概念に近いものだ。そこから生じる搾取と欺瞞の構造は、労働者階級が自ら社会的存在を自覚することによる、団結と革命的実践を通して克服される。ゆえに、『歴史と階級意識』は、マルクス主義に初めて主体性の問題を提起した著作として評価されたのである。

しかし、われわれにとって重要なのは、“初期”でも“中期”でもなく“後期”の、というよりむしろ『資本論』にのみ見出されるマルクスの考え方である。そして、彼がそこで強調したのは、「物象化」ではなくて「物神化」なのだ。いいかえれば、彼がそこで見ようとしたのは、“生産力”ではなく、交換様式Cから生じる“力”であった。

ゆえに、物神化の問題を省略して、たんに「物象化」を見出すような『資本論』の読み方は、誤読も甚だしい。ところが、以後はむしろ、それが一般的な見方となってしまったのである。そしてその最大の原因は、ロシア革命にある。

(『力と交換様式』「第三章 社会主義の科学3 /1物神化と物象化」柄谷行人)

 

この柄谷さんの説明を読んで、どのように感じますか?「思想書」の類としては、最もとっつきにくいと思われていた『資本論』が、不思議な魅力を孕んだ著作なのかもしれない、という気持ちになってきます。しかしその一方で、「物神化」などと言われると、ちょっとオカルトめいた話のように感じられて、マルクスは(あるいは柄谷さんは)大丈夫なのか?とも思ってしまいます。マルクスよりも後年の思想家であるルカーチ(Lukács György 、1885 - 1971)は、「物神化」という言葉を無視して、「物象化」という言葉に置き換えて『資本論』を読み込んだようですが、それも致し方ないことなのかもしれません。

柄谷さんは、この「物神化」について、次のように緻密な説明をしています。

 

交換において、物は《感覚的でありながら超感覚的な物に転化してしまう》。商品の価値とは、そのとき物に付着した何かである。《これは、労働生産物が商品として生産されると、ただちにそこに付着するものであり、それゆえ商品生産と不可分のものである》。マルクスはそれをフェティッシュ(物神)と呼んだ。

彼がここに見たのは、商品交換において、「人間の頭脳の産物」であるにもかかわらず、「固有の生命」をもち人間を強いる「力」が存在するという事実である。それがマルクスのいうフェティシズムである。彼がそう述べたのは、それをたんに幻想や迷妄として批判するためではなかった。フェティシズムは交換において存在する”超感覚的”な力を指すが、これがなければ、単純な物々交換さえ成り立たないのだ。マルクスがこのとき、18世紀フランスの思想家ド・ブロスが最初に定式化したフェティシズムという概念を持ちこんだのは、その現象を揶揄するためではなかった。交換の問題を太古の段階に遡って見るためである。

マルクスは交換の起源をつぎのような場所に見ていた。《商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触する点に始まる》(『資本論』第一巻第一編第二章)。重要なのは、交換が、共同体の内部ではなく、その外にある共同体との間、つまり、見知らぬ、したがって、不気味な他者との接触において始まるということである。だからこそ、そのような交換は、人々のたんなる同意や約束ではない、強制的な”力”を必要としたのである。それがフェティシズムである。

マルクスの考えでは、貨幣はそのような物神性が発展した形態である。そして、それが資本物神となるにいたる過程を論じたのが『資本論』なのだ。しかし、マルクス主義者は、このようなフェティシズム論に必ず言及するにもかかわらず、それを真面目に検討しなかった。特にルカーチ以後、フェティシズムは、「物象化」の問題としていいかえられるようになった。

(『力と交換様式』「序論 1上部構造の観念的な『力』」柄谷行人)

 

柄谷さんはここで「フェティシズムは交換において存在する”超感覚的”な力を指す」と書いていますが、これはどういうことでしょうか?「物」が他の「物」や「貨幣」と交換される、というのは、実は不思議なことで、その時に尋常な感覚では捉えきれない、“超感覚的”な力が働くのだ、と言っているのです。

ここまで読んでくると、感覚を超えた「感覚」という、いかにも芸術表現と関わりがありそうな概念が現れましたが、実は柄谷さんは今から40年以上前に、『資本論』と芸術との関わりについて興味深いことを書いていました。1978年に刊行された『マルクス その可能性の中心』の中で、フランスの詩人、小説家、評論家であるヴァレリー(Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry, 1871 - 1945)の言葉を引用していたのです。

 

芸術という価値は(この言葉を使うのは、結局のところ私たちが価値の問題を研究しつつあるからですが)この価値は本質的に、いま申した二つの領域(作者と作品、作品と観察者)の同一視不能、生産者と消費者の間に介在項を置かねばならぬというあの必然性に従属しているということです。重要なのは、生産者と消費者のあいだに精神に還元できぬなにものかがあって、直接的交渉が存在しないということ、そして、作品というこの介在体は、作者の人柄や思想についてのある概念にに還元できるようななにごとも、その作品に感動する人間にもたらさぬということなのです。

(『マルクスその可能性の中心』「第三章 2」より 柄谷行人)

 

ヴァレリーは「物」と「貨幣」との関係を「作者と作品、作品と観察者」という芸術作品に関わる関係に置き換えて考察しています。1970年代において、柄谷さんはすでに『資本論』の探究からヴァレリーのこのような興味深い考察に辿り着いていたのです。

私は、この考察の「作者と作品」の関係をさらに根本的に突き詰めた表現者を知っています。それは画家の中西夏之(1935 - 2016)さんのことです。中西さんがつねに「人(作者)」と「絵画(作品)」の関係を念頭に置いて表現活動をしていたことを思い浮かべてしまうのです。中西さんはいろいろなところでその考察を書き留めていますが、例えば次の文章はいかがでしょうか。

 

「何と無理なく自然に描かれているのだろう」と仁清(にんせい)の壺の周りをめぐり歩きながら、局面の藤の花の数々の房の連続を眺める。無理のなさ、自然さこそが絵画を支える基底に元々ふさわしかったのではないだろうかと思ってしまうことがある。そして又それはラスコーの洞窟に居る時のように、図柄が壺の内壁に描かれている場合も同じ自然さを感ずるだろう。見る者はスペクタクルの渦中を動きまわる。

壺の単純化形態=円筒を考えても同じである。壺、或いは円筒は重力を介して自然と同化している。それに描かれた絵は自然と同化している。見る者達はそれらの内側、外側を歩き廻る。

しかし或る意志が円筒を縦切り開いてしまった時から、見る者達は歩き廻りを止められてしまった。文様や物語の連続は断たれ、この展開された平面の前に、正面から立たされる。時間をともなう歩行、歩行をともなう眺め、歴史をともなう人生は静止の瞬間を強いられる。

縦割りにされた円筒は左右に展開され、平面化されると同時に左右の辺を生んでしまった。画家はこのような拡がりに正面から出会ったのである。この出会いからすでに久しい。久しいが故に、すでに与えられて来たこの拡がりを新たに引き受けてみよう。

このように左辺と右辺に挟まれた拡がりに画家は出会う。しかしこの平面の拡がり自体も左辺と右辺の出会いの結果なのである。

この拡がりの左辺と右辺は、左極限からの、そして右極限からの接近、即ち狭まりなのである。画家は拡がりを相手に仕事をするのではなく、極大からの狭まりの中で仕事をする。

では、狭まりが遂には左右接合して一本の先になった場合はどうするのか。一本の垂直線の上下運動は道(どう)や宗教を誘い、それと同時に現実は否定されてしまう。画家は左右接合に抗してそれをはばみ、絵の場所、ここを、この現実をギリギリ確保しなければならない。それが絵の現実的な寸法なのである。

たしかに左辺と右辺は極限からやってきた。極限とは仮想だろう。が、極限はここで現象するのである。現象する場所、ここもやはり仮想である。

仮想するとは人為的なことである。絵画の場所は人為的でなければならないだろう。絵画は自然から足を切られながら屹立している。

(「絵の姿形」中西夏之)

https://wanderkokuho.com/201-00306/

 

いかがでしょうか。

さまざまな学びに満ちた文章ですが、それよりも何よりも、これはいかにも画家の書いた文章だなあと思います。例えば上記のリンクから見ることのできる『国宝-工芸|色絵藤花文茶壺(仁清作)』のみごとな壺を見ながら、それを「縦に切り開いて」しまうなどと、普通の人は考えないでしょう。

そして切り開いてしまった瞬間に、その平面には左辺と右辺が生じて、その両端の存在が画家を悩ませることになるのです。画家の目前に広がった平面は、「広がり」というよりは、むしろ「狭まり」というべきものだ、というのは、絵を描く人ならば容易に実感できることでしょう。

何もないはずの平面上に仮想の空間(イリュージョン)を見てしまう、それを表現活動として昇華するということは、人間だけになしうることです。そして「絵画」というものは、どんなに自然に描かれたように見えても、それは「自然から足を切られた」、つねに独り立ちしていなければならないものなのです。

このような絵画の成り立ちについて、中西夏之さんはくりかえし色々な言い方で表現しています。何回言っても、あるいは何枚の絵を描いても、中西さんにとって絵画は謎めいた存在だったのでしょう。その中西さんの仕事は、柄谷さんが若い頃から『資本論』について、とりわけ商品交換について探究してきたことと共通するものがある、と私は感じています。なにげなく存在していた「物」が、いつしか商品価値を持って貨幣と交換されようになることと、なにもないはずの「平面」の上に仮想空間が現れ、それが「絵画」表現として存在するようになることとの間には、唯物論的な見方では解き明かせない、「超感覚的」な構造があるような気がするのです。

かなり難しい話になってしまいましたが、私の拙い説明でご理解いただけたでしょうか?もう少し具体的に話を進めてみましょう。たとえば中西さんの絵が時に天井から吊り下げられたり、あるいは床に紫色の顔料が撒き散らされたり、という普通の絵画ではありえないような展示が実際にあったのですが、実はそれらの展示こそ、中西さんの絵画の本質を理解する上で役にたつものでした。しかし、そのような展示が一般的に理解しやすいものかといえば、そうではないのです。中西さんの作品を本当に理解するには、彼の作品を見る人たちが「絵画」という存在を当たり前のものだと思わずに、つねにその表現にラディカルな疑問を抱きながら鑑賞するということが必要なのです。

柄谷さんの『力と交換様式』という著作にも、中西さんの作品と同じような態度が必要です。柄谷さんの著作の本当の価値を知るためには、人間に対する、あるいは社会に対する根本的な疑問を抱きつつ、その著作を読むことが必要なのだと思います。柄谷さんの突きつける国家観や経済論が、現在の常識にそぐわないからといって読むのをやめてしまっては意味がありません。柄谷さんの理論を机上の空論にしてしまってはいけないのです。何とか、それを現在の自分の課題に引き寄せて学んでいきたいものです。

 

さて、最後になりますが、少し下世話な話をしておきましょう。

柄谷さんのように、「商品」の交換様式について根本的に突き詰めた話を読むと、たとえば自分の絵がオークションで高値で取引されることをあたかも芸術的な成功であるかのように考えることが、いかに素朴であり、あるいは退廃的な世界観によるものであるのかがよくわかります。そのような、貧富の差を助長するような成功に憧れること自体が、社会への背信行為であるのだと私は思います。美術ジャーナリズムも、そういう作品ばかりを宣伝するような価値観を変えないとまずいと思うのですが、それもなかなか改まりません。

この『力と交換様式』という著作については、異論を唱える人が多々いるようですが、少なくとも次のような「Cの交換様式(商品交換)」の現状分析について、反論する人はいないでしょう。

 

たとえば、われわれが今日見出す環境危機は、気候変動のような問題に還元されるべきではない。環境危機は、人間の社会における交換様式Cの浸透が、同時に人間と自然の関係を変えてしまったことから来る。それによって、それまで〝他者〟として見られていた自然が、たんなる物的対象と化した。こうして、交換様式Cから生じた物神が、人間と人間の関係のみならず、人間と自然の関係をも致命的に歪めてしまったのである。さらにそれが、人間と人間の関係を歪めるものとなる。すなわち、それはネーション=国家の間の対立を各地にもたらす。つまり、戦争の危機をもたらすのである。

(『力と交換様式』「第三章 資本主義の終わり」柄谷行人)

 

このような考察は、芸術とは関わりのないものでしょうか?

私はそう思いません。このような「人間と自然の関係をも致命的に歪めてしまった」世界において、美しいものが表現できるのでしょうか?目先の刺激的なもの、ちょっと目立つものに惑わされず、その先にあるはずの美しいものを探しに行きませんか?

真に美しいものは、人間と自然の関係の歪みをも克服するものではないか、と私は考えます。

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