平らな深み、緩やかな時間

262.『高柴牧子 1970-2022』と平井亮一の批評

<追加のお知らせ>※blog公開後(10/31)に追記しました。

このblogでご紹介している高柴牧子さんの画集が、「東京・ギャラリーなつか」に置いていただけるそうです。興味のある方はギャラリーの方へお声がけください。「ギャラリーなつか」のホームページは記事の中にもリンクがありますが、念のため次に貼っておきます。

http://gnatsuka.com/

以上です。

 

以前にもお知らせしましたが、私の尊敬する現代美術家、稲憲一郎さんのアトリエでの展覧会が始まりました。以下は以前のお知らせの再掲になりますが、ご確認いただければ幸いです。

10月29日(土)から11月14日(月)まで開催しています。その展覧会のパンフレットに、私がテキストを書きました。そのテキストもいずれここでご紹介しますが、まずは稲さんの展覧会の案内状をご覧ください。私のホームページにそのPDFファイルを貼りましたので、ご参照ください。

http://ishimura.html.xdomain.jp/news.html

 

私のホームページでも紹介してありますが、稲さんが「精神生理学研究所」の活動をしていた時の資料が東京・六本木の国立新美術館で展示されています。

『国立新美術館所蔵資料に見る1970年代の美術—— Do it! わたしの日常が美術になる』という展覧会です。展示に関する情報は次のとおりです。

2022年10月8日(土)~11月7日 (月)毎週火曜日休館 10:00~18:00

※毎週金・土曜日は20:00まで 入場は閉館の30分前まで

https://www.nact.jp/exhibition_special/2022/doit/

 

そして同じく現在、国立新美術館で同時期に活躍し、現在も現役で活動している李禹煥(リ・ウファン、1936生)さんの大規模な展覧会が開催されています。

https://leeufan.exhibit.jp/

 

美術館では1階で『李禹煥』回顧展、2階で『 Do it! わたしの日常が美術になる』の展示があり、私は1階から2階へと見に行きました。よかったらその感想を次のblogに書きましたので、ご覧ください。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/5ad201b502d12f586f6de7e804c6a717

稲さんのアトリエ展、新国立美術館の『Do it! 』、『李禹煥』の三つの展覧会をセットでご覧になることをオススメします。1970年代からを射程に入れた日本の現代美術の一断面をみることができます!

 

さて、今回は一人の現代美術家の画集の紹介です。

高柴牧子さんという作家の画集『Makiko Takashiba 1970-2022 <作品の軌跡>』が発行されました。その画集に、私が最も信頼と尊敬を寄せている美術評論家の平井亮一さんが『導かれるままに』という作家を紹介する批評文を書いています。そこで今回は、この画集のことを取り上げてみたいと思います。

ただ、はじめにお断りしておきますが、私は高柴さんとは面識がなく、残念ながら作品も見たことがありません。思い起こせば2019年の『小田原ビエンナーレ』に高柴さんは参加されていて、私はその年のビエンナーレを見ているのです。しかし、私が見に行ったときには会期違いで高柴さんの作品は展示されていませんでした。悔しいニアミスでしたね、人生にこういう不幸な偶然はつきものです。でも逆に幸運なことに、このビエンナーレに参加されていた宮下圭介さんが、私のことを高柴さんに紹介されたようで、高柴さんが私に画集を送ってくださったのです。私にはもったいないようなお心遣いですが、画集の方はできるだけ客観的に見て、この文章を書くことにします。

 

まず、高柴さんの近作についてと略歴については、次のホームページを見てください。今年の展覧会の作品と、ワンクリックしていただくと高柴さんの略歴を見ることができます。

http://gnatsuka.com/takashiba-makiko-2022/

それから、高柴さんが画集の末尾のページにご自身のことを書かれています。この画集は市販されていないようですし、なかなか皆さんの目に触れる機会もないだろうと思いますので、ここに全文を書き写しておきます。読めばわかることですが、誠実に書かれたとても良い文章です。

 

1970年に作品発表をはじめて50年余りの歳月が経ちました。

迷い悩みながらも絵を描き続けてきました。

振り返ってみれば20歳の頃、アメリカの現代美術や日本のもの派などの作品を見て衝撃を受けたことが思い出されます。中でも高松次郎の影の作品はそれまでの視点とは違って人間の存在と不在について考えさせられた作品でした。

また近所には小さな画材店ができてよく出入りしていましたが、壁に高松次郎の影の小品がかかっていたので驚きました。

その画材店は現代美術作家の吉仲太造氏の夫人が営んでいて、多摩美大の教授で末松正樹、瀬木慎一、東野芳明各氏や作家が訪れ吉仲太造からは随分影響を受け私にとっては大学以上の学びの場でした。

大学は紛争でロックアウトされ、混沌とした何も約束されていない卒業でした。

それから50年余り、自分がどこに辿り着こうとしているのかもわからないまま何かを求めて模索を繰り返してきました。

6年前に大病をして絵を描く気力も体力も失くしていましたが、次第に自分にできることをすれば良いと思うようになり、水彩絵の具を平筆で水平に引くことをはじめました。

目的も意味もなくただひたすら平筆を引き続け、修行のような行為から新しい風景が見えてきました。

50年間、私は新しい風景に出会いたくて絵を描いてきたのだと思いました。

(『Makiko Takashiba 1970-2022 <作品の軌跡>』高柴牧子)

 

短い文章ですが、高柴さんの青春時代のこと、学園紛争の世代であること、その後の現代美術との関わりなどを窺い知ることができます。吉仲さんとの出会いや影響など偶然のように見えますが、これは高柴さんの現代美術への興味がまねき寄せた結果だと思います。大学紛争によるロックアウトからはじめた画業は大変だったのだろうと思いますが、画集の充実ぶりを見ると、それは高柴さんの作家としての才能を妨げるほどのものではなかったのだろうと推察します。私のように、大学院まで修了したのにろくに学ばなかった人間からすると、むしろ卒業後に学ぶ場があった高柴さんを少し羨ましく思います。

その高柴さんの画集を見ると、現代美術ととても真摯に向き合ってきたことがわかります。大学を卒業した頃は、高松次郎さんからの影響についてご自身で書かれていたように、レリーフ状の円形の作品に、先端の尖ったもののような影が描かれています。高松さんの作品をさらに複雑にしたもののようにも見えますし、さらに絵画表現と平面的なイリュージョンとの関係を突き詰めた作品のようにも見えます。平井さんはその作品について、次のように書いています。

 

高柴は卒業の年に直径90cmの同心円状彩色レリーフを制作している。100号の絵画作品をもとにしているとのことだから、すでに絵画とそうでないものとのあいだを往還していた。

(『Makiko Takashiba 1970-2022 <作品の軌跡>』「導かれるままに」平井亮一)

 

ここで平井さんが指摘している「絵画とそうでないものとのあいだを往還」するというテーマが、その後の高柴さんの作品のモチーフになります。実際の高柴さんの作品は、そのテーマと直接関わるようなちょっと観念的な、知的な雰囲気の作品と、ペインタリーな抽象絵画的な作品と大きく2つに分かれるようです。先ほどのホームページで見ていただいた作品は、高柴さんご自身が「水彩絵の具を平筆で水平に引くことをはじめました」と書かれていた内容に該当するものだと思いますので、2つの大別からすると後者のペインタリーな作品になります。「絵画とそうでないものとのあいだを往還」する観念的、知的な作品については、次のホームページで見ることができます。

http://www.g-cp.co.jp/artists/takashiba_makiko.html

先ほどのホームページの作品とは、随分と違って見えますか?

大まかに見ると、高柴さんの作品はこの二つの傾向が何回か入れ替わって現れているようです。少し整理してみましょう。

 

①1970年から1980年代半ばまでは、やや観念的、知的な作品になります。

②それが1989年から1997年ぐらいまでは、ペインタリーな作品になります。

③そして再びやや観念的で知的な作品になるのが1998年から2011年頃になります。画集では「レリーフ作品」とも書かれています。

④再びペインタリーな絵画作品になりますが、矩形の絵画とは言っても、ややミニマルな傾向の作品が構成的に壁面にかかっていたようです。これまでの2つの傾向が合わさったような作品であるとも言えるでしょう。

⑤2018年頃から、現在の水平的な筆致のペインタリーな作品になります。ご自身の文章から察すると、その前にお体を悪くされていたということでしょうか?しかし、画集の作品写真から察すると、質と量ともに充実した作品が並んでいます。

 

このような作風の変容が画集から読み取れるのですが、本物の作品を見ると相互の作品群にもっと関連性があったのかもしれませんし、なかったのかもしれません。そして平井さんの批評の文章を読むと、例えば「順不同、いっきょに2010年代まで眼をうつそう」とペインタリーな作品について連続して語っていたり、「制作年順はさておき、1998年から2000年にかけて注目すべき油彩画がこころみられた」と観念的、知的な作品について注目したりというふうに、単純に年代順に見ていくのではなく、作品の傾向に応じて批評するという工夫が見られます。

私自身は、自分が「知的」な雰囲気とは程遠い作品を描いているので、高柴さんのペインタリーな作品に惹かれます。それに写真で見る限りにおいても、高柴さんの平面作品は凡庸な抽象的な絵画とは異なる何かがあります。

それは高柴さんが「絵画とそうでないもの」を往還することによって得た絵画に対する批判的な眼差しが影響していると思うのですが、私に分かるのはここまでです。画集を見ると、高柴さんの画業の初期に属する「シルエット」と呼ばれるシリーズにまず目を奪われますが、その画面上で具体的に何が起こっていたのか、平井さんの解説を読んでみましょう。

 

おなじ大テーマのまま1991年に<シルエット>という副題がそえられて、白地に残される図像は左右一対の房型紡錘になり、そのまわりに白のかかった「消去」の塗りが下層にすけて紡錘状のポジ・ネガ二重写しがあらわれる。その形成過程をつたえるような白地の変化とそれにかくされがちの下層彩色の影との錯綜は、べつの作品ではあざやかな下層彩色が紡錘形体の地のようにしかれ、それがなお白いヴェールの縁からはみでて下層の二枚がさねのような画面をなす。べつだんなにほどか意味をふくみもつこともなく、いずれもそうした画面ならではの知覚色面がらみの透層の様態であり、それを可能としたのはもっぱら彩色法の分化(筆のはしりと塗りへの着目による)など手法の変わりめであろう。あきらかにここでは、おなじテーマながら画面のなちらちに質的な変容をきたしている。変容は主題がそのようにみちびいたというより、手法の差がおのずと決定づけていることがうかがえる。

(『Makiko Takashiba 1970-2022 <作品の軌跡>』「導かれるままに」平井亮一)

 

この文章には、大雑把に私が②の時期の作品として分類した高柴さんの絵画の、いくつかの興味深い特徴が書かれています。

「紡錘状」という有機的な形状が「ポジ・ネガ」の「二重写し」で描かれているということ、白い色が「消去」、「ヴェール」などの複雑な役割を負っていることなどが、まず挙げられます。それが高柴さんの作品を魅力的にしていることは間違いありません。シンプルな形状の連なりが、白い色で消されたり、その白の下から透けて見えたりすることで、明快さと複雑さの両方の要素がうまく絡み合っているのです。

さらに高柴さんの作品の変容が「手法の差」によって「おのずと決定づけ」られているというくだりが、高柴さんという作家の特徴を表していると思います。彼女の興味が「絵画」の成り立ちそのものにあって、その深化は「テーマ」と「手法」とが一体化した変容によって進められているのです。植物のような形や自然の記憶が、その抽象的な形体のモチーフになっているのでしょうが、彼女の作品の変容はそういうモチーフの移り変わりだけではない、もっと絵画の成り立ちそのものへの考察が絡んでいるのです。

その考察がもっと大きなうねりを生んで、引き潮と満ち潮の繰り返しのように、ペインタリーな絵画の後から観念的で知的な絵画が顔を出します。私の分類で言うと③の時期にあたる作品ですが、その作品について平井さんは次のように書いています。

 

製作年順はさておき、1998年から2000年にかけて注目すべき油彩画がこころみられた。題して「プラスアルファ<フォルム>」。1995年まで「プラスとマイナス<自然の記憶>」で植物の参照がおこなわれたけれど、ここでは、その面影もひきながら種子とも、なにかの器官ともつかない有機体のからみが画面いっぱいに拡大されてえがかれている。その筆法がジョージア・オキーフのようにのびのびしていて、これまでみてきた画面形成とはかなりちがうものになっている。眼をひくのは、一見して同一の画布にえがかれているようでも紡錘状や円形の彩色陰影がせりだし、これがどうやらレリーフ状の彩色体のまま画面のようにのっていることだ。一部が画布からはみでているなどすこし奇異なハイブリッドである。

当然のことで、すでにとりあげた画面形成とおなじ自然由来のモチーフにもとづきながらも異質なものになっている。それにしてもこうした変容はまずはいったい何を発端とするものだろうか。すくなくても1997年と同98年とのいちじるしい相違は、手法として発泡スチロールほかを加え、それらにおそらく画布を重ね彩色を可能にしたことであるにちがいない。陰影をともなうレリーフ状はその質の構造になっている。先年の探索でそのありようがことさらアクリルでためされた紡錘形自然になにかうごきをきざしたのか、それともスチロールが期せずして手法の変換をうながしたものか。これは観客の勝手な理屈立てになるけれど、当事者の眼・観念といっぽうの媒体・物と、このフィジカルなへだたりをそうでなくする当事者の意識の往還、そうした意識の場所にかならず関与する手法や知覚ほかさまざまな条件がらみの屈折現象、この偏差という不測の事態を考慮すれば、1997年と同98年とのあいだにこれにも反転、移行、分節・・などのなりゆくままそのさき手法としてのスチロールという素材に可能性をつなげていったーかっての美大の卒業制作は絵画作品、また同時期これにちなんでレリーフ作品も手がけているので、このような手法をかえての実践とその手ごたえはひそかに記憶されていたのかもしれない。

(『Makiko Takashiba 1970-2022 <作品の軌跡>』「導かれるままに」平井亮一)

 

長い引用で恐縮ですが、平井さんの文章は密度が濃くて、途中で切ることができません。部分的に流して読むことができないので、どの部分も注意深く読まなくてはなりません。

ここでは主に2つの重要なことが書かれています。

まずその1つ目は高柴さんの観念的、知的な傾向の作品の特徴です。彼女の作品はただ観念的であるのではなく、そのフォルムにはオキーフ(Georgia O'Keeffe 、1887 - 1986)を彷彿とさせるような有機性と伸びやかさががあるということで、その感性と知性の両義的な性格が具体的な手法として表れています。それを平井さんは「奇異なハイブリッドである」というふうに書かれています。なんとも絶妙な言葉遣いで、私にはとてもこのようには書けません。

そして2つ目は彼女の作品の突然の変容についてです。そのことについて平井さんは、「反転、移行、分節」と言葉を尽くした上で、「美大卒業制作」の頃の記憶が影響しているのだろう、と具体的な解釈を述べています。先ほどから書いているように、海の満ち潮と引き潮のような自然の摂理が、高柴さんの中で生じていてペインタリーな表現の後で初期の作品への揺り戻しがあったのでしょう。

このようなことを書くと、彼女の作風の変容がとても自然で容易なことのように思われるかもしれませんが、そうでもありません。私のような凡庸で鈍感な画家の場合だと、自分の作品の脈絡を妙に心配してみたり、その作品の変容が見る人にどう受け止められるのだろうかと懸念してみたり、といったことから自分の内なる声の必然性に気づかないことが多いのです。ですから、高柴さんのような作品の移行を避けてしまいがちなのです。しかし高柴さんにとってこの作風の変容は、むしろ避けて通れないものなのでしょう。

このように、大きな力に導かれるように制作する作家が、やはりいるものなのですね。平井さんが「導かれるままに」と文章のタイトルをつけたのも、高柴さんという作家の、この本質を見抜いた上でのことでしょう。私のように、下手な作為でしか動けない者には、「導かれる」感じというのは想像するほかありません。

 

その高柴さんが、現在どのような地点にいるのか、そのことを最後に見ておきましょう。高柴さんは、最近の作品について次のように書いていました。

「6年前に大病をして絵を描く気力も体力も失くしていましたが、次第に自分にできることをすれば良いと思うようになり、水彩絵の具を平筆で水平に引くことをはじめました。目的も意味もなくただひたすら平筆を引き続け、修行のような行為から新しい風景が見えてきました。50年間、私は新しい風景に出会いたくて絵を描いてきたのだと思いました。」

ご病気のことはお気の毒だと思いますが、全体として見ればとても素敵な文章です。とくに最後の「私は新しい風景に出会いたくて絵を描いてきたのだと思いました」という一文は感動的です。これが、はじめに見ていただいた「ギャラリーなつか」での今年の展覧会のホームページ掲載の作品です。画集で見ても、確かに水平の筆致の作品ばかりなのですが、矩形の作品であるにも関わらず、延々と横に広がる風景のように感じられます。これらの作品について、平井さんはどのように書かれているのでしょうか。

 

さて、レリーフ作品、あの立面絵画のあのくぐもった漸層がたたえる微妙な地文にひそんでいたとおぼしき自然風景の気配は、そのあと2018年になってすっかり様相をかえ、紙の上で水平にのびる色彩ゆたかな帯の層に変わった。対比する純色もあり、水彩のあざやかな色面が上下に層をなしている。題して「earth color(映しとられたもの)」。左右にのびる色相の変化にところどころ筆によるえのぐのたまりとかすれをまじえ、あるいは帯のあいだに段差を設けるなどした平明な水彩画面である。一見、図式のかった抽象指向突然の出現ではあるけれど、硬質のそれではなく水辺、草原、夕映えめく外気へとわたしたちの意識がさそわれてゆく。やはりこれは自然環境にちなむひそかな偏差のしるしを平面にもとめなおそうというのであろうか。色帯のかたちと色相の変化は、ひょっとしたら2012年にいくつか色がわりで並べられた長方形「宙(SORA)」の名残り、あるいは「森羅万象」の残映なのかもしれない。積年のモチーフ参照は2020年にかけ水彩の彩度をすこしずつあざやかに深くしながら、ゆっくりとつづけられている。

1970年、全学封鎖でぽっかりあいた空白を高柴もこうして埋めようとしてきたのでは、とふとおもった。

(『Makiko Takashiba 1970-2022 <作品の軌跡>』「導かれるままに」平井亮一)

 

上の文章で印象的なところは「一見、図式のかった抽象指向突然の出現ではあるけれど、硬質のそれではなく水辺、草原、夕映えめく外気へとわたしたちの意識がさそわれてゆく」という一文です。水平方向の図形の絵画と言えば、幾何学的な抽象絵画や水平方向にシステマティックに線が引かれたミニマル絵画、果てはコンピュータ・グラフィックの絵画などいくらでも例がありますが、それらの「硬質」な作品ではなくて、高柴さんの作品は柔らかな「水辺」や「草原」を想起させることを平井さんは的確に指摘しています。そして、そのシンプルな構造の絵画の中に、それまでの高柴さんの作品が垣間見えるのではないか、というのが平井さんの解釈なのです。これをここまでの私の文章の語彙で言えば、観念的、知的な絵画とペインタリーな絵画が盛り込まれた作品だと言えるのかもしれません。それ以前の、ミニマル・アート然とした高柴さんの作品にも、それらの経歴が意図的に総合されたような感じがありましたが、大病をされた後の高柴さんの作品にはもっと自然に湧き出てきたような、そんな深い総合性があるような気がします。

私は高柴さんの近作を見ていて、宮脇 愛子(1929 - 2014)さんの絵画作品を思い出しました。これは結果的に宮脇さんの晩年の作品になってしまいましたから、まだ精力的に作品を発表されている高柴さんに対して、この連想はどうかとは思いましたが、それでも次の「カスヤの森現代美術館」のホームページを見てください。

https://www.museum-haus-kasuya.com/aiko-miyawaki-1959%ef%bd%9enew-works/

その時のblogにも書いたのですが、私は宮脇さんの有名な作品よりも、これらの絵画作品が好きです。今読むと、たいしたことは書いてありませんけれど・・・。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/4780566da493fb549bd8f42c4e07c02c

宮脇さんの作品がいつ描かれたものにしろ、優れた作家には人生のどこかでそれまでこだわってきたことのタガが外れて、伸び伸びと、あるいははじめて作品を描いた時のように制作できる奇跡のような時間が訪れるのかもしれません。もしかしたら平井さんも高柴さんの中にそのような時間を感じ取って「1970年、全学封鎖でぽっかりあいた空白を高柴もこうして埋めようとしてきたのでは」と思われたのかもしれません。

 

さて、こういうふうに一冊の画集にしてみると、作家の軌跡がわかります。それは作家の人生が丸ごと評価されるということですが、高柴さんの画集はその重たさに十分耐えうるものだと思います。

そして傾向の異なる作品が一人の画家の中で拮抗するように存在し、やがてそれらの経験が一つの傾向の作品の中で透けて見えるように存在するとしたら、それらの作品は作家の充実した時間の証なのだろうと思います。

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