平らな深み、緩やかな時間

242.「もやい.next展」お知らせ、「リヒター展」評

福島の原発事故に関する展覧会のお知らせです。

「もやい.next」展が「横浜市民ギャラリーあざみ野」で8月21日まで開催されています。

https://suzyj1966.wixsite.com/moyai/home

横浜市民ギャラリーの1階と2階のギャラリーを使った広い展示ですので、お近くにお住まいの方、福島の原発事故に興味がある方はぜひお出かけください。なお、上記のホームページだと、今回の展覧会の表紙しか見ることができないので、出品作家の阿部尊美さんのホームページの「news」を載せておきます。

https://takamiabe.jimdofree.com/news/

こちらに、今回の出品作家全員のお名前が掲載されていますので、あらかじめ確認しておきたい方は、ご覧ください。

考えてみると、津波によるあの事故から11年が経ちますが、この数年だけでも新型コロナウイルスの感染拡大やロシアによるウクライナ侵攻、最近では統一教会と政治の問題など、いろんなことがあり過ぎて、原発事故のことを忘れがちです。とくにロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー危機によって、原発の電力を定着させてしまおう、という動きが日本ばかりでなく、ドイツなどでも起こっているようです。私たちは、その時々の気分でものごとを判断するのではなく、継続した考えをもって判断するためにも、折に触れて過去の痛みを追体験することが必要です。

今回の展覧会で、阿部さんは動画作品の中で殺処分を要請された牧牛を飼育している「希望の牧場・ふくしま」を取材していました。

https://kurukura.jp/safety/20220404-90.html

現場に行かないとなかなかわからない、こういう事故後の詳細を知ると、人の営みは時間が流れても続いているのだという、当たり前のことに気が付きます。

それから、放射能に汚染された瓦礫の処分が問題となっていますが、その「瓦礫」の中にはそこで暮らしていた方の大切なものがたくさん埋まっています。これがただの津波の事故であれば、その中から思い出の品を拾い上げて持ち帰ることもできたのでしょうが、放射能の「瓦礫」はあえて人々の暮らしの表面を剥がして袋に詰めたようなものです。それを巨大なデッサンで表現した作品があり、またその巨大な袋そのものの見本が展示されていました。あらためて実物を見ると、大きくていかにも丈夫そうで、そのサイズのものが積み上げられた風景の悲惨さを実感させます。

そして汚染された農地に広がる太陽光発電のための黒いソーラーパネルを描いた絵、写真、そしてそのことを告発した短歌がありました。都会に住む私は、汚染された土地の有効利用として悪くない方法ではないか、それに太陽光はクリーンだし・・・、などと考えてしまいます。しかし、美しい故郷に黒い板が張り巡らされた人たちは、それをどのように感じるのでしょうか。放射能で汚染しただけでは飽き足らず、その上にソーラーパネルまで設置して、福島で発電された電気を都会の人間は搾取するのか!という思いを抱いて当然です。

こんなことを書いていると、さまざまなことを思い出します。例えば2020東京オリンピックは「復興五輪」と言われていました。

https://www.reconstruction.go.jp/2020portal/reconst-olympic/

今では「復興五輪」などという言葉すら忘れられています。「復興」どころか、パンデミックの中で延期の上、強行に実施されたオリンピックは、スポーツ・エリートと一般市民の意識の分断に一役買ってしまいました。これから後も、さまざまな復興計画が実施されることでしょうが、願わくばそれらの計画が福島の人たちの気持ちに寄り添ったものであることを祈ります。事故を忘れるような綺麗な街並みやモニュメントを作って、いい気分になっているのは政治家だけだった・・・、という類の悲劇はオリンピックでたくさんです。

この「もやい.next」展は、そういう華やかさとは逆の、福島の原発事故がいかに私たちの生活と地続きのものであるのか、ということを懸命に訴えているような気がします。作家の年齢はさまざまのようですし、表現技術の巧拙もいろいろとあると思いますが、広いスペースでのびのびと展示された作品が、都心のギャラリーの展示とは一味違っていて、見ていて良い気持ちになります。ウクライナの子供たちの作品も美しかった・・・、そういえば若い方は、チェルノブイリの事故のことを知っていますか?

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Henc.html

ぜひ、ウクライナの作家と、子供たちの作品をみてください。

 

ということで、知識不足、言葉足らずで申し訳ないのですが、展覧会の紹介をさせていただきました。



次は、いま評判の展覧会についてです。

東京国立近代美術館の1F企画展ギャラリーで2022年6月7日(火)から 10月2日(日)まで、ドイツの巨匠、ゲルハルト・リヒターの個展が開かれています。リヒターをご存知ない方のため、展覧会の公式サイトからリヒターの紹介を書き写しておきます。

 

ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)

1932年、ドイツ東部、ドレスデン生まれ。ベルリンの壁が作られる直前、1961年に西ドイツへ移住し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。コンラート・フィッシャーやジグマー・ポルケらと「資本主義リアリズム」と呼ばれる運動を展開し、そのなかで独自の表現を発表し、徐々にその名が知られるように。

その後、イメージの成立条件を問い直す、多岐にわたる作品を通じて、ドイツ国内のみならず、世界で評価されるようになる。

ポンピドゥー・センター(パリ、1977年)、テート・ギャラリー(ロンドン、1991年)、ニューヨーク近代美術館(2002年)、テート・モダン(ロンドン、2011年)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク、2020年)など、世界の名だたる美術館で個展を開催。現代で最も重要な画家としての地位を不動のものとしている。

(東京国立近代美術館「ゲルハルト・リヒター展」公式サイトより)

https://www.momat.go.jp/am/exhibition/gerhardrichter/#section1-6

 

話題の展覧会ですし、新聞や雑誌でさかんに紹介されています。美術関係のオークションのニュースを見ると、リヒターの作品が現代作家のものとしては桁違いの高値で取り引きされていますから、ジャーナリズムの取り上げ方も印象派の大家並みです。

そんな中で、写真と紹介文ともにわかりやすいサイトを挙げておきます。展覧会の様子を知りたい方には参考になると思います。

https://artexhibition.jp/topics/news/20220630-AEJ863199/

さて、このblogでも、リヒターのことを何度か取り上げています。例えばリヒターをモデルにしたと言われている映画『ある画家の数奇な運命』についても、紹介したことがありました。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/8496d432dacb723f63cdc0cabeec566b

このように、作品も人生も話題の多いリヒターですが、私自身がこの画家をどのようにして知って、そして今回の展覧会でどのような印象を持ったのか、かんたんに書いておきます。そしてリヒターを現代の巨匠として祀り上げるだけではなくて、偉大な先人として彼の作品を参照し、彼が抱えてきた課題を共有のものとして、できれば私たち自身がそれをどのように乗り越えていくべきなのか、考えてみましょう。

 

それではまず、公式サイトの紹介だけでは素っ気ないので、リヒターの画家としての生き様と、そのリヒターのことを私がどのように知ったのか、というちょっと個人的なことを交えながら書いていきましょう。

ゲルハルト・リヒターは東西ドイツが分裂していた頃に東ドイツのドレスデンで生まれ、30歳近くで西ドイツに移住しています。そしてデュッセルドルフ芸術アカデミーに入学するのですが、そこには世界的な美術家であったヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys、1921 - 1986)が教鞭をとっていました。学生としてジグマー・ポルケ(Sigmar Polke, 1941 - 2010)やブリンキー・パレルモ (Blinky Palermo, 1943 - 1977)などが学友としていたはずです。映画『ある画家の数奇な運命』では、ボイスがとても親身な先生として描かれていましたが、実際にはどれほど直接的な指導をしたのでしょうか?

それはともかくとして、リヒターはデュッセルドルフ芸術アカデミーに入学した時に、すでにある程度の年齢に達していましたから、情報量の限られていた東ヨーロッパの世界から一気に異次元の世界に移動した、という稀有な経験の画家だったということが言えるでしょう。だから映画の素材にもなったのですが、そのことについてリヒター自身が語った資料があります。アメリカの美術理論誌『オクトーバー(October)』の同人でもあった美術評論家のベンジャミン ・ブクロー(Benjamin Heinz-Dieter Buchloh 、1941 - )のインタヴューで、リヒター自身は次のように言っています。

 

ブクロー「1961年に西ドイツへやってきたとき、君は20世紀アヴァンギャルドの歴史を知っていただろうか?ダダイズムや構成主義について知っていたことは?とくに、デュシャン、ピカビア、マン・レイ、マレーヴィッチについては?西側へきて、すぐにこうした作家たちを発見したのか、それともゆっくりと、いきあたりばったりに吸収し学習していったのかな?」

リヒター「むしろ後者だね。ゆっくり、いきあたりばったりに学んでいった。なにも知らなかった、ピカビアもマン・レイもデュシャンも。知っていたアーティストといえば、ピカソとグットーゾ、ディエゴ・リベーラ、それにもちろん印象派までの巨匠だけだった。それ以降の芸術というのは、東ドイツではブルジョアの退廃芸術として批判されていたからね。それほどうぶなまま、1958年にカッセルの『ドクメンタ(現代美術の世界的な展覧会)』をみて、ポロックとフォンタナに強烈な印象をうけた。」

ブグロー「ポロックとフォンタナのどこがそれほど魅力的だったのか、思い出せる?」

リヒター「あの図々しさだよ!それにとてもひかれたし、とても驚いた。彼らの絵画こそ、東ドイツをすてたほんとうの理由だったとすらいってもいいと思う。僕の考え方とあわないなにかが、そこにあると気づいたんだ。」

(『写真論/絵画論』「ベンジャミン・ブグローによるインタヴュー」リヒター著 清水穣訳)

 

リヒターの現代美術との出会いは、このように急激なものでした。本人は「ゆっくりと」と言っていますが、私たちから見るとそうではないでしょう。例えば私たちも美術を学び始めたどこかで、現代美術を意識して見るようになり、そこで何か惹かれるものを感じたり、何が起こっているのか理解できたりして、現代美術に関わるようになったのだろうと思います。それがどれほど急激なもの、突然のものであっても、リヒターの場合ほどではないでしょう。

リヒターは西ドイツに移住した後で、写真を絵画に導入したり、カラー・チャートを取り入れたり、ガラスや鏡といった物質を積極的に使ったり、独自の抽象絵画を描いたり、というふうに数年ごとに方法論を変え、時に同時進行的にそれらの表現を継続していきました。このような表現のあり方は、徐々に現代美術を学んだ人間には、ちょっと考えにくいものです。私は、リヒターが作家としての自我を確立したのちに、さまざまな表現と時をおかずに出会ったことが、このような同時進行的な表現に結びついたのだろう、と考えています。一般的な現代美術の表現方法というものは、一人の作家が試行錯誤をしながら自分なりの方法を見出していくものですし、そうして見つけた方法を作家は登録標章のように大切にするものです。リヒターはそれを同時的に打ち出した点で、特異な画家だったと言えるでしょう。私がリヒターの作品と出会ったときには、彼の抽象絵画と写実絵画(といってもピンぼけのものでしたが)が同じ作家のものとして同時に視野に入ってきて、驚いたものでした。その謎めいた同時進行の異質の表現が、リヒターという作家を魅力的にしていた面があったと思います。

今では、その全貌が明らかになったわけですが、一般的にリヒターの多様な表現はどのように受け止められているのでしょうか。

「イメージの成立条件を問い直す、多岐にわたる作品を通じて、ドイツ国内のみならず、世界で評価されるようになる。」

これは、先の展覧会公式サイトに書かれたリヒター紹介文の一節です。うまいことを言ったものですね。「イメージの成立条件」という言葉の中には、絵画という平面芸術がどのように成立しているのか、という広範な意味も含まれているようです。そう考えると、ガラスの向こうに透けて見える像も、鏡に写った象も、そしてもちろんピンぼけの写実絵画も、独自の方法の抽象絵画も、すべてが絵画的な「イメージ」としてそこに含まれているように思います。もう少し狭義に、画面上に現れた像の成立条件ということに限ってみても、ピンぼけの写実絵画を中心として、この言い方はある程度、リヒターの絵画全体に当てはまります。

今回の展覧会を見て、たしかに異質の表現が同居する様には面食らう面もありますが、それよりも一人の作家の展覧会でありながら、四種類の表現が同時に見られて、さらにその一つ一つの表現にも微妙なバリエーションが見られて、鑑賞者を楽しませた面が大きかったのではないでしょうか。ふだん現代美術をあまりご覧にならない方であっても、これだけ作品の種類が多いと何か心に引っかかったものがあったのでしょう。そう考えると、私たちはもっと大胆に自分の表現を変えていいのだろう、と思います。あなたの表現のばらつきを気にする人は、得てしてあなたの周囲にいる人たちだけです。

 

さて、以前から私はリヒターの表現に対し、一抹の物足りなさを感じるということを言ってきました。それは、リヒターの作品からは現代美術の方法論が先行して見えてしまい、一つ一つの作品からリヒターの意志や感情が感じられない、ということです。例えば、先ほどのリヒターの紹介文のことで言えば「イメージの成立条件を問い直す」というのは良いとしても、その先にいったい何があるのか、リヒターはその問い直しの先で何を表現したいのか、ということがよくわからないのです。それは明確に言葉にできるものでなくてもかまいません。そこにリヒターの思考や感情が見えてくれば、作品を凝視した先に、さらに何かが見えてくるものです。しかしリヒターの作品全体からは、それこそ彼の鏡の作品を見ているように、こちらの視線がはね返されてしまう物足りなさを感じてしまうのです。

これは私だけの感性なのか、こうして批評として書いてしまって他の人にわかってもらえるものなのかどうか、ずっと悩んでいたのですが、実は先ほどのブグローのインタヴューの中で、ブグローがそのことを厳しくリヒターに問い返している部分を見つけました。とても興味深いところなので、ここに書き写してみます。

 

ブグロー「アブストラクト・ペインティング(抽象絵画)は、絵画の内容を否定して、絵画という事実だけを示しているのではなく、現代の表現主義を皮肉って、パラフレーズしているのでもないわけ?」

リヒター「ちがう。」

ブグロー「倒錯したアクション・ペインティングふうの抽象ではないのか?皮肉はないのか?」

リヒター「ぜんぜんちがう!いったいなんということをきくんだ!どうして僕の作品に内容がなかったりするんだ?それに、それなら僕とはちがって、抽象表現主義の連中にどんな内容があるんだい?」

ブグロー「彼らが求めてたのはべつのものだった。たとえばロスコだが、そこでは色彩の希薄化とグラデーションによって、空間のイリュージョンが生みだされる。君の作品では、イリュージョンは生みだされると同時に否定されるが、ロスコでは、深さ、霧、幽かな輝き、そして超越を表現している。それに色彩の組み合わせも重要な要素だ。つまり、二つあるいは多くて三つの色調ないしヴァルール(色価)が、精密に計算された繊細な方法で配置されて、この組合せから、色彩豊かなハーモニーが生まれ、そのハーモニーが心と感情に働きかけるようになっているんだ。」

リヒター「それは僕の場合でも同じだ。ただ、異なる方法でべつの効果をだそうとしているだけだ。」

ブグロー「いやちがうよ。なぜなら、感情的、精神的な効果を生む色彩の力が、君の作品においては生みだされると同時に否定されてしまうから、その力はいつもプラスマイナス、ゼロになってしまうわけだし、色の順列組合せが多すぎて、もはや秩序ある色彩のハーモニーともいえないし、色彩や空間性に秩序づけられた関係が存在しないのだから、コンポジションを論じることもできない。」

リヒター「僕の絵画に、コンポジションも関係性もないなんて思えないね。ある色をべつの色の隣へ置くとき、自動的にその色はもう一つの色へと関係するんだから。」

ブグロー「それはそうだが、絵画を構成する関係には、さまざまな構造をもつ形式と法則があって、極端にいえば、そういう関係をすべて否定することも、また一つのコンポジションだとみなせるだろう。しかし、君のアブストラクト・ペインティングでは、異質な構造をもつ諸要素が、互いにぶつかりあってできる無限の多様性が、絵画の可能性の一つとして表現され、それを通じて伝統的な絵画の相対的な秩序(シンメトリーや明暗のバランスなど)を止揚することが、めざされている。」

リヒター「そう。しかし、それでもなんとかして、作品のすべてを正しく関連づけなければならない。関連、それは描き進むにつれ、困難になるものだ。描きはじめは、なにも決定されていないからまだ簡単だが、徐々にある関連が画面に現れてくる。その関連は、あるはっきりとした整合性をもっていて、任意にある関連ができあがるというわけではない。」

ブグロー「もちろんそうだろう。でもそれは関連を知覚する仕方からして、べつのものだし、そのべつの知覚によって得られるべつの形式だ。場合によっては、ちょうど正反対の形式だ。」

リヒター「そうかもしれないね。いずれにせよ、僕の方法や、僕が作品に期待するものは、これまでとは正反対のもので、その期待が描く気にさせるんだ。」

ブグロー「なにを期待するの?」

リヒター「未知のもの、僕の計画を超え、僕よりも優れていて知的で、普遍性をもつものが生じることだよ。ある絵画作品を期待して、もっとストレートに、千あるいは四千色使ってやみたこともあるんだ。」

ブグロー「どんな絵画?」

リヒター「状況をより正しく表現する絵画。より真実味があって、未来的なところをもつ作品。未来の設計図のようにも理解できるが、それをはるかに超えるもの。つまり、教育的ではなく、論理的でもなく、ずっと自由で、どんなに複雑でもなんの苦労も感じさせない、そういう絵画だ。」

ブグロー「君の最上の絵画にはそういう質がある。なんの苦労の跡もなく、とらわれずに生き生きと、超絶技巧をもって描かれているよ。けれども、内容の話にもう一度戻ると、制作行為のほうをはっきり強調して描かれているのに、『へらで描かれた絵画上の平面は、たんなる描画プロセス、あるいは絵の具の物質性を表現しているわけではない』なんて、どうしていえるんだい?画面のそうした特徴が重要でないというなら、へらを使わないだろう。へらを使うことによって、絵画がその色彩やコンポジション、構成によって、たんなる物質ではなくなり、芸術作品として意味を獲得する可能性を断ちきってしまうんだから。描画プロセスを重視した絵画を導入する君は、もはやライマンのように、それだけに固執することはせず、それも絵画の多くの可能性の一つにすぎないと考えているのではないか。」

(『写真論/絵画論』「ベンジャミン・ブグローによるインタヴュー」リヒター著 清水穣訳)

 

すごいインタヴューですね。とくにブグローが「感情的、精神的な効果を生む色彩の力が、君の作品においては生みだされると同時に否定されてしまうから」とリヒターに告げるところがすごいです。その前には、リヒターの絵画には内容がない、それはアメリカの抽象表現主義への皮肉ではないのか、という解釈を作家にぶつけています。これも見どころです。私はブグローが例示しているロスコ(Mark Rothko, 1903 - 1970)の絵画とリヒターの抽象絵画との違いが痛いほどよくわかります。

https://www.artpedia.asia/mark-rothko/

もしも、ロスコの絵画を見たことがなくて、それでも今回のリヒター展を見て、ブグローがなにを言っているのか正確に知りたい、という方は、上階の常設展の会場に展示してある麻生三郎(1913 - 2000)の『赤い空』という作品と、リヒターの抽象絵画とを見比べてみてください。

https://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=4412

麻生三郎の作品には、ヒリヒリするような剥き出しの感性が疼いています。麻生三郎の作品を見ると、こんなに内向的に自分を傷めなくてもいいのではないか、とときどき思うのですが、それはリヒターの作品と正反対のものです。

それにしても、このインタヴューでリヒターが思いのほか楽天的な思考をする人だということが読み取れました。「未知のもの、僕の計画を超え、僕よりも優れていて知的で、普遍性をもつものが生じること」を期待して、次々と絵を描くのだ、というのですが、私のような成功体験の希薄な人間からすると、これは楽天的に過ぎます。

そして、その前の「ある色をべつの色の隣へ置くとき、自動的にその色はもう一つの色へと関係するんだから」というところも、絵を描く人間としては驚きです。「自動的にその色はもう一つの色へと関係する」ということで、それで良いのでしょうか?展覧会場のカラー・チャートの作品の解説にも、同様のことが書かれていましたが、私は「自動的」な色の組み合わせをじーっと眺めていたいとは思いません。そこに作家としての判断が働いているから、作品を見るスリルがあるのです。「判断」という言葉が、少し硬すぎるかもしれませんね。作家が、自分の成し遂げたことに関して、うまく言語化できない、ということはよくある話だからです。もしかしたら、ほとんどの偉大な画家たちが、この「言語化できない」ケースに当てはまるのかもしれません。しかしその場合でも、つまり作家自身が「言語化できない」としても、作家自身は何ごとかを成し遂げたということを、感覚的にはわかっていることでしょう。仮に偶然に、あるいは自動的にそのような色の組み合わせが成し遂げられたとしても、それを作家が意図的に選んだ時点で、すでにそれは「自動的」ではないのです。偶然性や自動性が「僕の計画」を超えたものであることを、実はどの作家も狙って絵を描いているのだと思うのですが、それが知らないうちに成し遂げられている、ということはあまりなくて、どこかでそれは作家の意識に上ってくるはずですし、繰り返しになりますが、そうでなければその作家の作品を見る価値がないのではないでしょうか。

私はリヒターの絵画の優れた方法論に感服しますし、一人の画家がこれだけスケールの大きくて多様な表現を実現していることに感動します。しかし、個々の作品をつぶさに見ていくと、彼自身が実現したいと願っているものを、もっとはっきりと表現してほしい、という気持ちになります。それがないと、私の視線は彼の作品の画面上で、鏡のように跳ね返されてしまう、ということを繰り返してしまうのです。ブグローの次の発言をもう一度確認しておきましょう。

ブグロー「いやちがうよ。なぜなら、感情的、精神的な効果を生む色彩の力が、君の作品においては生みだされると同時に否定されてしまうから、その力はいつもプラスマイナス、ゼロになってしまうわけだし、色の順列組合せが多すぎて、もはや秩序ある色彩のハーモニーともいえないし、色彩や空間性に秩序づけられた関係が存在しないのだから、コンポジションを論じることもできない。」

これは厳しい発言ですが、もちろん、これはリヒターだけの問題ではありません。新しい絵画を模索する過程で、誰しもが自分の判断が曖昧なままに投げ出す絵画を制作してしまいます。例えば、先ほども紹介した常設展示の階上の作品を見てください。辰野 登恵子(たつの とえこ、1950 - 2014)さんの展示作品は、彼女としてはベストなものだとはいえませんが、それでも画面上で色彩が位置を保とうとしているところが素晴らしいです。残念ながら、同じ壁面に並んでいる同時代の絵画は、辰野さんとは似て非なるものです。それから、リヒターのピンぼけの写実絵画が流行ったように、日本でもステイン技法(絵の具のにじみを利用した技法)による具象的な絵画、あるいは抽象的な絵画が流行りました。一見、綺麗に見える画面から、私たちはそれ以上の何を見出すことができるのでしょうか?日本には、ブグローのような優れた批評家がいませんから、リヒターとブグローのようなスリリングなインタヴューが成立することもありません。とても残念です。

 

さて、長くなりましたので、まとめます。私はリヒターの作家としての力量を疑うものではありませんし、これだけの大規模な展示で多くの人を魅了していることにも敬意を表します。その上で、まだ彼が成し遂げていないことを考えるなら、ブグローが指摘した「感情的、精神的な効果を生む色彩の力」を再検討することであり、あるいは「色彩」に限らず、絵画のあらゆる要素についてブグローの言わんとしたことを再検討するべきでしょう。

そう、私たちは間違えたって構わないし、リヒターほど上手くできなくても良いのです。そこに意志や感情を表明すること、あるいは言葉にならなくても自分の感覚をさらけ出すこと、そのことによって他者とあらたな会話をすることができるのです。

しかし、なんだかんだ言っても、これだけの展示を見せていただくと、それだけで絵を描く勇気が湧いてきます。リヒターが今世紀最高の画家であるのかどうかはわかりませんが、この機会にぜひ自分の目で作品を見ておくべきです。

最後に一言、でも、ちょっと入場料が高いですね・・・。カタログも豪華すぎて買いませんでした。ブグローの文章も掲載されていたようですし、テキスト・データだけ電子書籍で売ってもらえませんか?

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