はじめに、この季節によく報じられるニュースに関して少しだけ触れておきます。
1945年に広島、長崎に原爆が投下されてから、77年が経ちました。
8月になると決まりごとのように、その式典のニュースが流れます。
その一方で、東京新聞は、2017年のノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長(39)に取材した記事を掲載しています。フィン氏は岸田文雄首相が8月2日のNPT=核拡散防止条約・再検討会議の演説で核兵器禁止条約に言及しなかったことを批判して、現状では「日本は保有国と非保有国の架け橋になれない」と断じたと報道しています。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/194162
https://www.tokyo-np.co.jp/article/194154
核兵器廃絶運動に関しては、そんなことは現実的ではない、というのが多くの政治家の意見です。先日のロシアの暴挙を取り上げて、ロシアに対抗するには核兵器しかない、というわけです。しかし、核兵器が世界中を飛び交った後でどういう状況になるのか?むしろ、そちらの可能性の方が現実味を帯びてきたのではないでしょうか?
核兵器廃絶に限らず、何ごとにおいても積極的に論じるのは学者や思想家の役目で、何もやらないのが政治家の役目で・・・、というふうに、とくに日本では分業体制が確立しているように見えます。政治家の本当の仕事は選挙に当選することで、そのためなら怪しげな宗教団体からの協力も拒まない、というのでは情けないです。そんな選挙運動をしていると、若者の選挙不信はますます広がってしまいます。
こういう一連の問題は、もちろん政治家だけの問題ではなくて、その政治家を選んだ私たちの問題なのです。ICANの事務局長は、「民主主義を通じ、政治家が再選したいなら核廃絶に向けて何かしなければならないと要求してほしい」と私たちに訴えています。選挙で投票する時には、私たちにもいろいろな考えがあり、その優先順位もさまざまですが、フィンさんの訴えるようなことに対して、もう少し優先順位を上げてみませんか?
広島、長崎への思いを形骸化させないために、私たちには具体的な行動が求められていると思います。
さて、前回に続いて「主観的な色彩」について考えてみたいと思います。
前回では、科学的見地からは否定されがちなゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749 - 1832)の『色彩論』について触れてみました。それはゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)の絵の色使いと同様に、科学的、客観的ではないけれど、恣意的、主情的でもない、そういう位置づけとして「主観的な色彩」というふうに私は解釈してみたのです。ゲーテの色彩の分析は「独断と偏見の結晶」であるとも言えますが、そこには人間にとって普遍的な感覚を追究しようという意図もみられたのです。
しかし、そうは言ってもゲーテに肩入れするあまり、その『色彩論』を過大評価してしまってはいけません。そこで前回取り上げた『光と色彩の科学』(斎藤勝裕著)以前に、色彩の概説書として出版されていた岩波新書の『色彩の科学』(金子隆芳著)から、ゲーテの『色彩論』について解説した部分を読んでみましょう。
ゲーテの『色彩論』は三部からなる。第一巻の前半は色の主観的現象に関するもので、視覚の心理学におけるゲーテの貴重な貢献になっている。いわく黒の上の白の広がり、いわゆる「にじみ現象」、眼の明暗順応、残像と色の変化、その時間的経過など。残像には陽性と陰性がある。陽性残像は刺激色と同じ色残像、陰性残像は刺激色の補色残像である。有名な「彩られた影」現象もある。
残念ながら直観的観察による成果といえば、どうしても単純な事実の羅列にとどまらざるを得ない。それだけならよいのであるが、すべての色は白より暗いという事実は、ゲーテにとっては即ち、色は暗黒と光との混合であるという誤った結論になる。青は暗く、黄は明るいことから、青と黄は暗明の基本色であり、すべての色はこれより生まれる。
絵の具の青と黄を混ぜれば緑となる。赤は黄を濃縮したものである。すなわち太陽の光が霧や煙を、あるいは日没時に大気を通過したとき、黄が濃くなって赤となる。それが夕焼けである。
ゲーテは青と黄の二極性を証明するのに次のような対立を掲げるが、こういう議論は文学的なメタファー(比喩)としてならともかく、色彩の科学論としてはらちもない。
プラス マイナス
黄 青
明るい 暗い
光 影
温い 冷たい
能動 受動
強い 弱い
反発 索引
近い 遠い
酸 アルカリ
ゲーテ『色彩論』の第一巻の後半はニュートン理論との飽くなき論争、第二巻は光学の極めて詳細な歴史である。
ニュートンの生きた時代とゲーテの生きた時代にほぼ一世紀の開きがあり、ニュートンの『光学』(1704)とゲーテの『色彩論』(1810)の間がやはり一世紀、その頃、イングランドではヤングの色彩論(1801)が登場しつつあったが、大陸ではアリストテレスの色彩論が再び権威を得ていたことになる。
ゲーテは物理学者の拒絶反応にあったが、その二極性の概念ではショーペンハウエル(1788 - 1860)という味方があり、その後も「色彩学といえばゲーテ」の時代がなお続いた。そして現代でもゲーテ派がいないわけではない。シュタイナーなどはその極みである。
(『色彩の科学』「動物の色覚・処女開眼者の色覚」金子隆芳)
あたりまえの話ですが、前回のゲーテの『色彩論』に関する説明と重複する部分があります。青と黄がゲーテにとって大切な色であったことは、ここでも重ねて語られています。
それからこの文章を読むと、ゲーテの生きた時代のことが気になります。私たちは過去の人たちの考えや思想を読むと、なんて非科学的な、とか、なんて幼稚な、などとうっかり思ってしまいますが、そもそも彼らとは時代が違うのです。言うまでもなく、今でも名前が残っているような偉人たちは、私などが足元にも及ばないような賢者揃いです。だから彼らの生きた時代というものを、ちゃんと考慮しておく必要があります。
例えば、ゲーテの『色彩論』の末尾に、木村直司さんの書いた次のような解説があります。
幼少時代における自然との関係がやはり漠然とした宗教感情を中心としたものであったのに対して、ゲーテのライプツィヒ遊学時代(1765 - 68)から、自然は彼にとって徐々に意識的な研究対象になってきた。ほんらい法律学を学ぶべきであった彼は、初期の詩作にふけるかたわら、大学では主として自然科学関係の講義を聴講していた。とりわけヴィンクラーの物理学は彼にとって興味深いものであった。しかし彼の根本的な関心事は自然に関する個々の知識ではなく、あくまで自然の本質の統一的な把握であった。彼はファウストのように「世界を奥の奥で統べているもの」をまず究めたいと願い、そのためにフランクフルトにおける病気療養中に錬金術的な実験と考察に熱中した。彼はのちに『色彩論』の「歴史編」において、錬金術師たちの努力を克服された認識段階として見下している。しかしながら、彼の自然観が錬金術的思考といかに密接に結びついていたかは、すでに述べたとおりである。
(『色彩論』「解説 自然科学者としてのゲーテ」木村直司)
ゲーテの生きた時代は、まだ錬金術と科学が近しい関係でした。ゲーテがライバル視した先人のニュートン(Isaac Newton、1642 - 1727)は、近代科学の先駆者ですが錬金術の研究もしていたそうです。そう考えると、紀元前のアリストテレスは言うに及ばず、17世紀のニュートン、18世紀のゲーテの「色彩論」がいまだに有効である、あるいは有効な部分があるということの方が驚きです。
そのゲーテはどんな方法で色彩を研究したのでしょうか?現代のように、機械によって光学的な値を計測したり、光の加減を操作したりすることはできません。あるいは色による刺激が人間の目や脳のどの部分に刺激を与えているのか、などということを客観的に観測するような医療機械もありません。金子隆芳さんは次のように書いていましたね。
残念ながら直観的観察による成果といえば、どうしても単純な事実の羅列にとどまらざるを得ない。
これはつまり、じーっと色を見て、それが自分の感覚にどのように作用するのか書き留める、ということがゲーテの実験方法であったことを指摘しているのです。
私も授業で色彩について教える時によくやるのですが、補色残像の実験というのがあります。ある有彩色をしばらく凝視したのち、視界を白い壁などに移すと、先の色の補色が見えてくる、という現象が補色残像現象です。もう少し具体的なやり方を言えば、赤い色紙をじーっと見つめた後で、急に白い紙の上に目を移すと、緑っぽい明るい青(シアン)が視界に浮かんでくるのです。おそらくゲーテは、こういった体験や実験を繰り返し、それをひとつひとつ書き留めていったのでしょう。
実は、この補色残像現象はゲーテが発見した、と言われています。彼の『色彩論』の中に、次のような面白い記述がありますので、お読みください。
夕方私がとある酒場に立ち寄り、透き通るように白い顔をした、黒い髪の、真赤な胸衣を着た、立派なからだつきの少女が私のいる部屋に入ってきたとき、私は少し離れたところで私のまえに立っている彼女を、薄明かりの中でじっと見つめた。しばらくして彼女がその場から立ち去ると、私は向かい側の白い壁の上に、黒い顔が明るい輝きに包まれているのを見た。輪郭のはっきりした残りの衣服は美しい淡緑色に見えた。
(『色彩論』「第一編 生理的色彩 52」ゲーテ著 木村直司訳)
残像現象が起こるほど、じーっと少女を見つめていた、というのはさすがゲーテですね。それに「立派なからだつきの」という記述は、色彩研究とはあまり関係ないような気がしますがいかがですか?今なら顰蹙を買うような記述です。
もちろん、こういう偶然の出会いだけでは色彩研究になりませんから、ゲーテは意図的な実験も行ったようです。それについて、例えばある種の花が燐光を放つという話を聞きながら、自分にはその体験がなかったので「この現象を見ようと私はしばしば努力し、それを出現させるために人為的な実験さえ行った」と書いています。実験することへの向き合い方も、現代の研究者とはずいぶんと違っています。今の研究者なら、「人為的な実験」を実施するのがあたりまえで、わざわざ断るまでもありません。
そんなゲーテについて、私は親しみさえ湧くのですが、それ以上にこのゲーテの態度は、現代美術に関わる私たちに近いものだと感じます。
ちょっと話がそれますが、このことについても触れておきましょう。
例えばある種の現代美術家と言われる人たちは、自分たちの周囲にあるさりげないもののなかに美しさや、なにか感動を秘めたものを見出します。そして、それを普遍的な表現として、あるいは多くの人と共感してもらえるような表現として、作品化していきます。その表現方法や提示の仕方が適切でなければ、その作品は独りよがりの駄作となってしまいます。だからその作家は、作品の中に人間の感性にとって普遍的なものを表現しようとするのです。この現代美術家の態度は、色彩を感受する視覚と向き合うときのゲーテと似ていませんか?ただし、この場合の現代美術家は、優れた作家でなければなりません。
話をゲーテとゴッホに戻します。
ここで、ゴッホの絵の色彩について思い起こしてみましょう。前回の藤枝晃雄さんのゴッホの批評では、ゴッホの色彩は「恣意的」、「主情的」なものではない、と書いていました。私はそれを「主観的」である、というふうに表現しました。ゴッホの色彩は、ただ美しいもの、感情に訴えるものを表現しているのではなく、もっと人間の視覚にとって普遍的なものを追求しているのだ、という仮の結論に達したのです。
私はゴッホの色彩表現が、ゲーテの追究した色彩論と繋がっているように思うのです。ゲーテの色彩研究は「科学的」なものではなかったかもしれません。そしてゴッホの色彩も、「写実」や「客観」とは外れた表現であったのかもしれません。しかしその両方とも、単に個人的な嗜好を満足させるものではなくて、もっと人間にとって普遍的な真実に迫ろうとするものです。繰り返しになりますが、それを私はあえて「主観」という言葉で言い表しました。
話が長くなりましたが、やっと今回もゴッホにつながりました。ゴッホの色彩が私のいうところの「主観的な色彩」にあたるのかどうか、それが今回の宿題でした。それを探ってみましょう。
まずは、具体的な絵の中の色彩について、ゴッホはどのようなことを言っているのか見てみたいと思います。前回も書いたように、ゴッホにとって黄色は向日葵や太陽を象徴する色であり、麦の豊かな収穫を表す特別な色でした。次の手紙は、ゴッホが弟のテオに宛てた手紙の一節です。ゴッホは制作中の『種蒔く人』について、テオに自分の考えを書き送っているのです。もちろん『種蒔く人』というモチーフは、ゴッホが尊敬したミレー(Jean-François Millet、1814 - 1875)のもので、彼はその作品の焼き直しを試みているのです。
http://www.art-library.com/millet/sower.html
https://artmuseum.jpn.org/mu_tanewomakuhito.html
炎天下の麦畑で一週間、緊張して忙しく働いた。その結果、麦の習作と、風景とー種まく農夫のエスキースができた。
紫色の土塊(つちくれ)のある広い耕された畑でー青と白の農夫が地平線の方へ向かってゆく。地平線に熟れた麦畑がわずかにみえる。
その上に黄色い太陽と黄色い空がある。
君は色調の単純化があると思うか。この構図では色が重要な役割を果たしている。
それでこの20号のエスキースは、そういうわけでとても気掛かりだ、固くなってひどい画にはしたくないし、でもこれはとても描きたい、だが果たして自分にそれをやりとげるだけの力があるのかどうか。
エスキースをそのままにしておいて、それについてはなるべく考えないことにする。種まく人を描くのはかねてからの僕の懸案だ、でも長い間の希望が成就するとは限らない。なにか恐ろしい。それにしてもミレーとルミット以後、描くものはたしかにある、それは・・・大きな画布の色彩的な種蒔く人だ。
(『ゴッホの手紙 中 テオドル宛』J.v.ゴッホーボンゲル編 硲(はざま)伊之助訳)
「熟れた麦畑」は当然、黄色で描かれるのですが、その上にさらに「黄色い太陽と黄色い空」がある、とゴッホは書いています。ここでゴッホは、絵の構成や色彩のバランスよりも、それぞれがあるべき色で描かれることを優先しているような気がします。収穫の象徴である麦も、その恵をもたらす太陽も空も、すべてが黄色で表現されるべきなのです。
さらにゴッホの色彩に対する考え方を探ってみましょう。ゴッホが友人のベルナール(Émile Bernard、1868 - 1941)に宛てた手紙に、次のような一節があります。
それにしても、君があの野原を散歩するブルターニュの婦人たちの素晴らしい諧調と素朴で上品な画をゴーガンにやったことを知って、僕が嘆息したのをわかってもらえるだけで十分だ。でーどうしても言わなければならないと思うんだがー君は、友情と引き換えに模造品をもらったのだ!
ゴーガンの話ではー去年君はこんな絵を描いたそうだがーそれは大体こんなふうだと思うが、前景の草上には白か青の服をきた若い娘が長々と寝そべっていて、中景には、ブナ林の端がみえ、地面は赤い落葉に覆われて、灰緑色の幹が画面を垂直に区切っている。
髪の毛は白服の捕食として必要な色調で、もし着物が白なら黒だろうと思う、もし着物が青なら橙色だろう。それにしても、簡素ななんでもないものから優雅なものを引き出すのに感心した。
ゴーガンは別の画材についても話した、三本の樹だけの、青い空に対するオレンジ色の葉の効果だ。それをもっと明確に、純度の高い反対色の面にはっきり分けて説明してくれたー素晴らしいじゃないか。
それとこのたまらない『オリーブ園のキリスト』を比較すると悲しくなってしまう。ここで注意しておくが、胸一杯の大声で断乎として君をしかりつけておきたいーもう少し元通りの君になりたまえ。『十字架を担うキリスト』は残酷だ。このなかに調和した色でもあるのか。ありきたりの構図ーいいかい、ありきたりのものーは、赦せないよ。
ゴーガンがアルルにいた頃、君も知ってるように、一、二度は『揺籃』や黄色い書斎のなかの黒を扱った『小説を読む女』のように僕は抽象的になったこともあった、中傷は魅力的な方向のような気がしたのだ。果たしてそれは素晴らしい場所だろうか!だが、すぐに壁に突き当たってしまうんだ。
自然とじかに取っ組んで一生を探求のために闘ってきたあとならいざ知らず、それは危険なものなのだ。だから僕としては、そんなことに頭を悩ましたくはない。一年中僕は自然をいじくり廻していて、印象派もなんにも振り向きはしない。それでもまた星を大きく描き過ぎてしまったーまた失敗だーもうこりごりだ。
それで、いまは『オリーヴ林』の中で、灰色の空と黄色の地面の変化に富んだ効果と樹の葉の暗緑色の調子を求めて仕事している。別の日には黄色の空に対して地面も樹の葉も紫がかっていた。次には地面が赤土色で空は薄紅緑だった。この方が前に挙げた抽象画よりもよっぽど面白いと思う。
(『ゴッホの手紙 上 ベルナール宛』ベルナール編 硲伊之助訳)
https://images.app.goo.gl/BxGH8XKQsftNH2XUA
ここでゴッホが言っている「抽象画」というのは現代の抽象絵画のことではなくて、絵のモチーフや背景の色彩の抽象度を上げた表現のことを指しているのでしょう。つまり「抽象画」というのは、「恣意的」な色の選び方をした絵という意味なのです。ゴッホは一時期、抽象的な色彩表現の方向性に可能性を見出したけれども、やはりそれでは納得できず、今では自然の中に色を見出している、というのです。ただし、その自然の中の色というのは、木の葉は緑、空は青、というような紋切り型の色ではなくて、もっと新たな発見があるような、ゲーテの色彩論の探究のような、厳密な観察や象徴性によって見出された色なのです。そのほうが「よっぽど面白い」というのが、ゴッホの感想です。この点において、前回も書きましたがゴッホはゴーガン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848 - 1903)と袂を分つのです。
さて、これで前回の宿題であった、ゲーテの色彩論とゴッホの色彩表現が「主観的」であることによって共通しているということの証明が、ある程度できたと思います。それでは、ここから私たちはどこへ向かえばよいのでしょうか?
私たちが今の時代から、ゴッホに対して何か言うことができるとしたら、それは「抽象」という言葉の意味が変わってきた、ということでしょう。ゴッホは「抽象」的な色彩表現には真実がないと判断して、そこから引き返してしまいました。しかし私たちは、さまざまな抽象画の表現を経験したので、「抽象画」にも真実の色彩が存在することを知っています。たとえ具体的なモチーフを前提にしていなくても、そして自然の中に色を見出す手続きを経なくても、色彩には真実を込めることができるのです。
それはもちろん、科学的な「客観性」とは異なる真実です。だからと言って、それは「恣意的」な綺麗さを目指したり、「主情的」なセンチメンタルな感情を誘発したりする色彩ではありません。人間の視覚、あるいは場合によっては触覚やその他の感覚と照らし合わせた時に、それは真実の色だと合点がいく色彩が必ずあるはずです。それを私は「主観的な色彩」と呼ぶことにしたのです。
このように書くと、この真実の色彩は簡単に実現できそうに思えますが、実はそうではありません。とくに視覚にばかり頼って絵を描いていると、どうしても色彩は綺麗さを目指してしまいます。あるいは見る人を泣かせるような演出過多の色使いをしてみたくなります。そこで私が頼りにするのが「触覚性」です。触覚的にガッチリと歯応えのある色ならば、それは「主観的な色彩」と呼ぶのに耐えうるものでしょう。それこそ、私の目指す色彩表現です。
言葉足らずであったかもしれませんが、とりあえず私のゲーテの『色彩論』、ゴッホの色彩表現への解釈をここでひとまず終わることにします。
ところで皆さんは、ゲーテの『色彩論』に、あるいはゴッホの絵画にどのような真実を見出すのでしょうか、ぜひそれぞれの目で確認してみてください。とくにゲーテの『色彩論』は、一応体系的に書かれたような体裁になっていますが、内容的には現在の科学的な分類で整理されたものではありません。だから、まだまだ個々の文章に当たってみると、新たな発見の種が埋まっているように思います。私はこれからも、ぼちぼちとその種を拾っていきますので、皆さんもご自身で試してみてください。
そしてゴッホの作品に関しては、「炎の画家」といった一般的なレッテルに惑わされずに、実際の作品を無垢な目で見ていただきたいです。そうすると、彼の複雑な苦悩と喜びが直に伝わってきて、ますますゴッホが好きになります。困ったことに、パンデミックで入場制限をかけられると、私のように休日しか自由に動けない人間は、ゴッホの展覧会を見ることができなくなってしまいます。それでも、多くの人にゴッホの実物の作品を見ていただきたいし、その貴重な機会を得られた人は、どうかご自身の目と感性でゴッホを見てください。