ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard, 1884 - 1962)は、フランスの哲学者、科学哲学者ですが、私にとって、とても悩ましい思想家です。
バシュラールは、その経歴が変わっています。フランスのブルゴーニュ地方の小さな町で生まれ育った彼は、そこで中等教育までを受けます。その後は高等中学の復習教師を経て、郵便電報局職員として働くかたわら、ほとんど独学で勉強しながら物理と化学の教師となります。そして結婚して、娘が出来たのは良かったのですが、すぐに妻に先立たれてしまいます。そのなかで哲学の研究を続けて、38歳で哲学教授の試験に合格したのだそうです。普通の教師よりも10年以上遅れて哲学教授になり、科学哲学の分野で優れた業績を残しました。それだけでの苦労した末の素晴らしい人生だと言えますが、彼は晩年には詩的創造力を研究し、『空間の詩学』、『夢想の詩学』などの著作を残したのです。
バシュラールが悩ましい、と言ったのは、文系、芸術系の勉強さえも中途半端な私にとって、物理や化学などの理系の分野はまったく縁のない世界です。それに加えて、私は散文的な人間で、極めて詩的創造力に乏しいものですから、晩年のバシュラールの著作にも、なかなか手が出せないでいるのです。彼の本に出てくる詩人や学者の名前のほとんどがわからないので、どうしても本の中に入れない気がしてしまいます。
加えて、若い頃に浅田彰(1957 - )の次のような文章を読み、何となくバシュラールを読まなくてもいいのではないか、という言い訳にしていたのです。ちょっと長い引用になりますが、その当時の現代思想の傾向がよくわかる文章なので、読んでみてください。
その分析に入る前に、相互性とその平面的展開というプロブレマティックを今少し問題にしておこう。言うまでもなく、このプロブレマティックは、サルトル的な唯我論の袋小路からの脱出路として呈示されたのであり、それを最も遠くまで追求したのはメルロー=ポンティであった。サルトルの場合、主体が他者たちと出会う平面は、見るか見られるかの死闘の場である。この死闘は限りなく続き、決して解決されることがない。性交すら、いわばメドゥサ同士の絡み合いという様相を呈するのである。けれども、ここで敢えて言えば、この地獄を見詰め続けた見詰め続けたサルトルの方が、殆ど宗教的とも言うべき予定調和へと走ったメルロー=ポンティよりも、ずっと社会に近い所にいるのではなかろうか?そして他方、メルロー=ポンティが探し求めているのが幻の生の世界なのだとしたら?主体と他者の分立の背後にある間主観性の世界の有機的な統一を、また同時に、主体と自然とが展開する殆どエロティックとも言うべき「絡み合い」を、メルロー=ポンティの豊麗な散文は、「両義性」「可逆性」「相互侵入」「キヤスム」といった用語をちりばめながら、詩的にうたい上げる。このとき彼の脳裏にあるのは、有機体と有機体、有機体と環境世界とのconnaissance―「クローデルの意味におけるco-naissance(共に生まれること)」―の世界、あの豊饒な生の世界ではなかったか?そして、「はじめにEXCESがあった」以上、それは夢の国にすぎない。
この夢は、我々が象徴秩序ではなくビュシスの中にいるのだと錯覚させるイデオロギーの効果である。それが象徴秩序のイデオロギーのひとつのヴァリアントだと言っていいだろう。メルロー=ポンティばかりでなく、象徴的なものを生との連続において語ろうとするすべての論者、例えば、バシュラールやユングもまた、同じ夢の中にいる。幸福な、しかし、どこか芝居の書き割りめいた世界。そこに安住しうる感性を「凡庸さ」と呼ばぬわけにはいかないだろう。その最大の特徴は、彼らの芸術論のつまらなさである。素朴な感嘆をこめてイマージュを語るとき、その実、彼らはゲシュタルトを崇拝しているにすぎない。むしろ、イマージュとは、「イマージュの震動、揺れ動き、不安定にゆらめくものの戦慄」を語り「イマージュはたえずそれ自体から外へ出る」と書いたブランショ、それをうけて「イマージュの内奥にほかならぬあの『外』」を見詰め「鏡の暗く危険な魅惑」とたわむれ続けた宮川淳のように、あるいは、「だからあらゆる絵画は/ナイフで裂かれた次元をもつ」と断じた吉岡実のように、語るべき対象なのである。付言しておけば、象徴秩序をスタティックな構造としてとらえ、野の花を嘆賞するようにしてその『かたち』を愛でるレヴィ=ストロース。彼の芸術論は、人を安心させこそすれ、戦慄させることはない。勿論、レヴィ=ストロース、そしてとりわけ、メルロー=ポンティやバシュラールの中に息づいているものこそ、豊かな自然に育まれたフランス精神の精髄だということは、否定すべくもない。サント=ヴィクトワール山を前に沈思黙考するセザンヌ=メルロー=ポンティ。柳の木の下で水の面の水連と交感するモネ=バシュラール。外部を持たぬ完全なイマージネールの王国。カオスに背を向けてエピクロスの園。そして、これほど社会から遠い場所はない。夢の世界の幸福を捨てて本論に戻ろう。そのとき、水平な相互性のひろがりを切り裂いて、超越性の軸が垂直にそそり立つことになる。
(『構造と力』「第一章 構造とその外部」浅田彰著)
何だか、チンプンカンプンな文章に見えますか?
私のような無学の者にとって、ちょっと引っかかる言葉や人名をネットで調べてみました。参照しながら読んでみてください。
プロブレマティック(problematic) 問題の、問題を含む、疑わしい、不確か
サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre、1905 - 1980)フランスの哲学者、小説家、劇作家
メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)フランスの哲学者
クローデル (Paul Claudel、1868―1955) フランスの詩人,劇作家,外交官
ピュシス(physis)自然、単に物質的な自然でなく、生ける霊にみちた能動的・有機的なもの
Excess 過多、過剰、超過、過度
ヴァリアント(variant) 変型、変種
ユング(Carl Gustav Jung、1875 - 1961)スイスの精神科医・心理学者
ゲシュタルト(gestalt) かたち、有機的・具体的な全体性のある構造をもったもの
宮川 淳(1933 - 1977)日本の美術評論家
吉岡 実(1919 - 1990)昭和後期の詩人、装丁家
スタティック(static) 静的な、静止の、活気のない、おもしろみのない
レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908 - 2009)フランスの社会人類学者、民族学者
セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)フランスの画家
モネ(Claude Monet, 1840 - 1926)印象派を代表するフランスの画家
エピクロス(Epikouros、BC341年 – BC270年)快楽主義などで知られる古代ギリシアの哲学者
こんな言葉にいちいち引っかかっていては、現代思想の文章など読めないだろう、と言われそうですが、それでもどんなことが書いてあったのか、私なりに考えてみます。
そもそも人間というのは、自然の秩序からズレた存在、はみ出した存在だというのが、この文章の書かれた立場です。この考え方は浅田彰個人のもの、というよりはこの当時の現代思想に広く共有されたものでした。文化や文明の発達により、どんどん幸福になっていくはずだった人間が、どうもそうなっていません。そのことに気づいた知的な人たちは、人間はそのはじめから自然の秩序からズレた存在なのではないか、と考えたのです。そして大雑把に言って、ユング、メルロー=ポンティ、レヴィ=ストロース、そしてバシュラールらは、そんな人間が幸福になるために、人間の中には自然との有機的なつながりを見ようとしたのです。ところが浅田彰は、そんな考え方は楽観的だし、彼らの語る芸術論はつまらない、と批判したのがこの文章です。それから50年近くが経ちましたが、このような論議を私たちはどう考えたらよいのでしょうか。
私のせまい知見では、モダニズムが崩壊したという点で、当時の浅田彰の予見は当たっていたのだと思います。しかし『構造と力』という本が予見させたような、モダニズムに代わる新しい価値観が私たちに根付いたわけではありません。知的な人たちの間ではどうなのかよくわかりませんが、少なくとも私の周囲の一般的な人たちを見渡したところでは、最新の知識や現代思想の考え方と人々の距離感は、むしろ遠ざかってしまったように見えます。そしてその間隙をぬって、日本やアメリカ、あるいはいくつかの国では反知性主義を前面に出した為政者が国を治めるようになりました。日本では、知性に対する基本的な認識を欠いた出来事が最近もありましたね。昔が良かったとは言いませんが、こんなにひどい事態になるとは、さすがに1980年代には予想できませんでした。世界は目まぐるしく変わっていきますが、その一方で停滞したもの、後退していったものがたくさんあるような気がします。
そして先ほどの問いに戻りますが、私はそんな今だからこそ、若き日の浅田が批判したメルロー=ポンティ、レヴィ=ストロース、そしてバシュラールらの考えたことを、もう一度見直してみてはどうだろうか、と考えています。それは何も、「社会から遠い場所」で「夢の世界の幸福」に浸ろうというのではありません。どうやら世界は、古いものと新しいもの、あるいは清濁を併せたまま進行しているように見えます。つまり、一つのクリアな思想に乗っかって発展しているのではなく、様々なものを含んで進行しているように見えるのです。ですから私たちも、かつては可能性が薄いと見られていた思想や学問を切り捨てずに、現在の目で見直してみてはどうだろうか、と思うです。
例えば浅田彰が例として取り上げた、メルロー=ポンティの語るセザンヌを見てみましょう。確かに浅田彰の書いた通り、メルロー=ポンティの文章はセザンヌを介して自然と交感するという「夢の世界の幸福」に浸っているように読める面があります。しかし、セザンヌが世界と向き合ったその方法論は、その対象が美しい自然ではなくても十分に参照すべき点があると思います。私たちはサント=ヴィクトワール山を目前にしなくても、たとえ無機質なコンクリートの壁の中にいたとしても、セザンヌが世界と接した方法を学ぶことが出来ます。そしてメルロー=ポンティの文章も、その「豊麗な散文」を一歩引いた視点から読み直してみれば、セザンヌの方法論の核となる部分をとらえていることが確認できるはずです。
さて、それではバシュラールはどうでしょうか。
私はバシュラールの思想全体を云々できるほど、バシュラールのことを知りません。ただ、浅田彰が例示した「柳の木の下で水の面の水連と交感するモネ=バシュラール」にあたる小論文ならば、参照することが可能です。それは『夢見る権利』(バシュラール著、渋沢孝輔訳)という文庫本の中の「睡蓮あるいは夏の夜明けの驚異」と「元素に促される画家」の二編の論文です。
まず、その一編目の「睡蓮あるいは夏の夜明けの驚異」を見ていきましょう。
これは詩的創造力を探究したバシュラールらしい、とても美しい文章で書かれた論文です。その美しさゆえに、「外部を持たぬ完全なイマージネールの王国。カオスに背を向けてエピクロスの園。そして、これほど社会から遠い場所はない。」と浅田彰が批判したのも頷けます。
その出だしの部分を引用してみましょう。
睡蓮は夏の花である。それは、夏がもう逆戻りしたりすることのないしるし。慎重な庭師は、その花が池に開くのを見て、オレンジの苗木を室(むろ)から出す。そして九月に入って睡蓮が散ると、永く厳しい冬の前触れだ。クロード・モネのように、水辺の美の充分な貯えをこしらえ、流れに咲く花々の短く激しい物語を語るためには、早起きをして手早く仕事をしなければならない。
だから、わがクロードは早朝から出掛けてきている。睡蓮の入江に向かって道を辿りながら、彼は想ってもいるだろうか、マラルメ、あの偉大なステファヌが、いとおしく慕い寄られるレダのような女性の象徴として、白い蓮をとりあげていることを。その美しい花をこの詩人が、「おのれの精妙な空虚以外の何ものによっても充たされることのない・・・白鳥の気高い卵のように・・・」としているあの頁を脳裡に復誦してもいるだろうか。そう、画布を花咲かせに行くことで早くも胸躍らせ、野外でもアトリエにいる時と同じように「モデル」とたわむれながら、画家はひとり問う、
夜のうちにいかなる卵を睡蓮は産み落としたか
自分を待ち受けている不意打ちを思って、いまから微笑が浮かぶ。彼は足を速める。だが、
すでにして白き花は卵受けのうえ
池じゅうが新鮮な花の薫り、若々しい花、夜の間に若返った花の薫りに匂い立っている。
夕暮れがやってくると―モネは何遍となくそれを見たものだが―この若い花はさざなみの下に夜を過しにいってしまう。花梗(かこう)が収縮して、底泥の暗闇のなかにまで花を呼び戻すのだという話ではないか。こうして暁ごとに、夏の一夜の安らかな睡りのあとで、川の巨きなねむりぐさ睡蓮の花は、光とともに甦るのだ。こうしていつも若い花、水と太陽との清浄無垢な娘として。
これほどたびたび取り戻される若さ、昼と夜とのリズムのこんなにも忠実な服従、黎明の瞬間を告げるこの几帳面さ、これこそが睡蓮をして印象主義の花そのものたらしめている所以のものである。睡蓮は世界の一瞬間。それは両の眼の朝。夏の夜明けの不意打ちの花である。
(『夢見る権利』「睡蓮あるいは夏の夜明けの驚異」バシュラール著、渋沢孝輔訳)
言うまでもありませんが、文中に出てくる詩人、ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842 - 1898)は、19世紀フランス象徴派の代表的詩人です。印象派の画家とも交友関係にあり、マネ(Édouard Manet, 1832 - 1883)の描いたマラルメの肖像画は有名です。彼の難解な詩を、このblogでも取り上げたことがありました。
この「睡蓮あるいは夏の夜明けの驚異」の出だしの部分を読むと、モネの描いた睡蓮の絵について語っていながらも、その主役は睡蓮そのものであるように読めます。睡蓮の花の美しさが、マラルメの詩句も引用しながら流麗な文章で語られているのです。しかしよく読むと、この睡蓮の花の美しさは時間との関連で語られているのであり、その睡蓮の花の時間性はモネの絵によって見いだされたのです。
ここですこし、印象派の絵画と、文学や詩との関係を考えてみましょう。実は印象派の絵画というのは、詩的表現とは隔たりのあるものです。後期印象派と呼ばれるゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)やゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848 - 1903)ならばいざ知らず、印象派の中心となる概念は徹底したリアリズムであり、科学的な光と色彩の探究であるはずです。印象派は古典主義やロマン主義の文学性や歴史性を徹底的に排除したところで成立した美術運動なのです。
そこでバシュラールは、モネの絵画そのものではなくて、モネの視覚的な探究が気づかせた睡蓮の花の美しさに注目します。浅田彰が「豊かな自然に育まれたフランス精神の精髄」というべきものが、確かにこの文章には息づいています。
しかし、ただ美しいものを嘆賞するのではなく、バシュラールはこの文章においても理論的な哲学者としての片鱗を見せている部分があります。睡蓮が美しいと謳いあげるだけではなく、そこにイマージュを介在させて新たな理論の可能性を探っているのです。
モネの水の絵の前で夢想する哲学者は、もしその気になれば、いちはつと睡蓮との弁証法、直立している葉と、安らかに、慎ましく、ゆったりと水に浮かんでいる葉との弁証法を展開することもできるだろう。それこそ水草の弁証法そのものではないか。一方はいかなる反逆の情熱に駆り立てられてか、みずからの出生の基本環境に逆らって立ち上がろうとし、他方は生来の環境に忠実である。睡蓮は、まどろむ水があたえる静穏の訓(おし)えを弁えているのだ。このような弁証法的夢想をもってすれば、おそらく人は、まどろむ水の生のうちにあらわれるあのやわらかな垂直性を、極度に繊細微妙なかたちで感じ取りもするだろう。だがこの画家は、これらの一切を本能的に感じ取るのであり、水中の影のなかに、水の静穏な世界を縦に組み立てている確実な原理を見出す術も心得ているのである。
(『夢見る権利』「睡蓮あるいは夏の夜明けの驚異」バシュラール著、渋沢孝輔訳)
普通に考えると、垂直の葉(もしくは茎?)と浮遊する葉の対照的な形状について「弁証法的」だとは思わないでしょう。それはせいぜい「対比」的な形、という程度の言い方になると思うのですが、それを相矛盾することがらを語りながら思考を高めていく「弁証法」になぞらえる、というのは理論的な哲学と芸術とを結び付けようとするバシュラールらしさが出ている一節、ということになるのでしょうか。
しかし、この「睡蓮あるいは夏の夜明けの驚異」においては、理論的な哲学との結びつきはここまでで、科学哲学者としてのバシュラールの片鱗はどこにも見ることが出来ません。この文章ではモネはひたすらに睡蓮の美しさを世界に知らしめた画家であり、その努力への賛美を送っているのです。最後に、この論文は次のように結ばれています。
クロード・モネは、美へのこうした果てしない思いやり、美を目指すあらゆるものに人間によってあたえられるこうした励ましを、よく理解していたのに違いない。生涯を通じて、自分の眼に触れる一切のものの美を増大させる術を知っていた彼のことである。富に恵まれて―なんと遅かったことか!―ジヴェルニーに住んでいたころには、彼は池専門の庭師たちを雇い入れ、花をつけた睡蓮の広い葉の汚れを全部洗い落としたり、適度に根に刺激をあたえる流れをつけたり、風が吹くと水鏡をざわつかせるしだれ柳の枝を、少しばかり余計にしならせたりした。
要するに、その生涯のあらゆる活動、その芸術上のあらゆる努力において、クロード・モネは、世界を導く美の諸力の奉仕者であり、案内者であった。
(『夢見る権利』「睡蓮あるいは夏の夜明けの驚異」バシュラール著、渋沢孝輔訳)
これはまさに浅田彰が言うように、「柳の木の下で水の面の水連と交感するモネ=バシュラール」という指摘があてはまる文章です。それが批判されるべきことなのか、それともその「交感」の美しさを私たちも賛美すればよいのか、意見が分かれるところだと思います。私には、十分に読み応えのある文章だと思いますが、みなさんはどう読まれるのでしょうか。
ところが、この『夢見る権利』に収められたもうひとつのモネ論、「元素に促される画家」は少し様子が違っています。次にそちらを読んでみましょう。
この「元素に促される画家」においては、バシュラールはそのはじめから科学哲学と芸術との結びつきを論じています。次に引用してみます。
あらゆる創造者と同じく、画家は、作品以前にあのじっと思いをこらす夢想、事物の本性について思いをこらす夢想を知っている。事実、画家は、光による世界の啓示をあまりにも近々と生きるから、一宇宙の絶えざる新たな誕生にその全存在を挙げて参画せずにはいられない。絵画ほど直截に創造的であり、明白に創造的な芸術にほかにはない。大画家にとっては、みずからの芸術の威力について考えてみるとき、色彩がひとつの創造する力である。彼はよく承知している、色彩が物質に働きかけること、それが物質の真の活力であること、色彩は物質と光とのあいだの恒常的な力の交換によって生きるのであることを。それゆえ初めの夢想の必然の成り行きによって、画家は、人間を諸元素に結びつけ、火や、水や、空中の大気や、大地的実質の驚くべき物質性に結びつける大いなる宇宙的夢の数々を更新させる。
(『夢見る権利』「元素に促される画家」バシュラール著、渋沢孝輔訳)
バシュラールは、この短い論文において、色彩と物質との関係について語ります。その物質とは、目に見えるただの物質ではなくて、宇宙にとって根源的なもの、つまり元素にまで遡るものです。
その例示は、モネという一人の画家に限ったものではありません。バシュラールはここで、ほんの一節ではありますが、ゴッホについて語っています。ゴッホの色彩と言えば、あの向日葵の黄色を思い浮かべる人が多いでしょう。ここでバシュラールは、そのゴッホの黄色について語りますが、黄色はたんに向日葵の花の色ではなく、ゴッホの描く麦畑の黄色であり、藁椅子の黄色でもあります。さらにその黄色はゴッホの錬金術によって金色となり、新しい光を生じさせるような元素となっているのです。その部分を引用してみます。
それゆえ、画家の決定的な直観の基本をなすような錬金術的主題を比較してみるとき、その類縁性に人は驚かされる。ヴァン・ゴッホの黄色は錬金術的な金であり、無数の花から採取され、太陽に醸された蜜のように精製された金である。それは決して単に麦や、焔や、藁椅子の金色なのではない。天才の終わりなき夢によって永遠に個性化された金色なのだ。それはもはや世界には属しておらず、一人の人間の財産、一人の人間の心、生涯を挙げての凝視のうちに発見された基本的真実なのである。
彩る力を一種の奇蹟を通じてあらためて見出しながらの、新しい物質のこのような産出の前にあっては、具象と非具象の争いなどは霧散してしまう。事物はもはや単に描かれも塗られもしない。それは色彩を持って生れ、色彩の働きそのものから生れる。ヴァン・ゴッホと共に、色の存在論の一タイプが突如としてわれわれに啓示されたのだ。一人の運命づけられた男に、普遍的な火が刻印を押した。この火は、天にあっては、まさしく星々を太らせている当のものである。活動的な元素、物質を充分に刺戟してそこから新しい光を生じさせるような元素の無謀さは、それほどまでの所業に及ぶのである。
(『夢見る権利』「元素に促される画家」バシュラール著、渋沢孝輔訳)
ゴッホと言えば、その情熱的な生き方や悲劇的な死、そしてゴッホ自身が好んだ作品の文学性などが批評家としては語りやすいところですが、バシュラールはそんなことには目もくれず、ゴッホの色彩についてひたすら語ります。それもゴッホが目指した表現主義的な意味合いの色彩ではなく、もっと普遍的な輝きを持った色彩についてです。私は以前から、ゴッホの色彩について何か不思議な力を感じていましたが、もしかしたらこのバシュラールの分析は、私の実感に近いものなのかもしれません。「元素」、「物質」、「光」などという科学的な概念が語られていますが、バシュラール自身が文のはじめに言っているように、それは「錬金術」と比較されるような神秘的な雰囲気に満ちています。この文章だけを読むと、科学哲学者として出発したバシュラールが、結局のところ芸術を語るに際し、神秘主義的な考え方に陥ってしまったのか、とも思いますが、ゴッホの作品を見たことがある人なら、このバシュラールの文章に説得力を感じるのではないでしょうか。
さて、この「元素に促される画家」で取り上げられているモネの作品は、先ほどの論文で取り上げられた睡蓮ではなくて、「ルーアン大聖堂」を描いた連作です。モネがこの石造りの大聖堂を、朝、昼、夕暮れのそれぞれの時刻の光で描き分けて見せたことは有名です。そのいずれかの作品を見て、モネの眼の素晴らしさを実感した人も多いと思います。ゴッホを例にとって色彩と光と元素について語ったバシュラールは、次はモネの大聖堂の絵を例にとって色彩と物質について語るのですが、ここで彼が注目したのは大聖堂の石と画家との間にある物質、つまり空気=大気です。
たとえば石と空気とのたたかいを見てみよう。
ある日、クロード・モネは、聖堂が真に大気性のものであること―その実質において大気性であり、その石の核心そのものにおいて大気性であることを望んだ。かくて聖堂は、青い靄(もや)から、その靄自身が青い空から奪い取ったものである青の質料をそっくり奪い取ることになった。そのモネの絵全体が、このような青の転移、このような青の錬金術のうちで活気づいているのだ。この種の青の動員が寺院を動性化している。二つの塔が、渺茫(びょうぼう)たる大気のなかであらゆる青の色調に震えているのを感じ取られるがよい。靄のあらゆる動きに、寺院が、その青の無数の濃淡を通じてどんなふうに応えているかを見られるがよい。寺院はつばさを、つばさの青を、つばさの波動を持っている。その周囲の幾分かは、気化し、線の幾何学性に穏やかに逆らっている。一時間も眺め続けた印象をもってしても、灰色の石から空の石へのこのような変容を描き出すことはできなかったろう。それにはただ、この大画家が、元素の変換の錬金術的な声を密やかに聴き取ることが必要だったのだ。石たちの不動の世界から、彼は青い光のドラマを作り出したのである。
(『夢見る権利』「元素に促される画家」バシュラール著、渋沢孝輔訳)
モネの絵画にはこの大聖堂の絵のように、時刻によって描きわけられた連作が多数あります。先の論文で話題になった睡蓮はもちろんのこと、畑の中に積み上げられた積み藁や、ポプラ並木などが有名です。これらの時刻によって描きわけられた作品は、光を科学的に分析した印象派の究極の結果だと見なされていますが、私にはどうも腑に落ちない点があります。それはモネの絵画が、いつも何かを過剰に抱えているように見えることです。例えば「ルーアン大聖堂」にしても、ただたんに石の壁の色が光によって美しく変化する、というだけではなくて、それにおさまらない何かが色彩と同時に変わってしまっているような気がしていたのです。私の考えですが、おそらくバシュラールも私と同じようなものを感受して、それを大気として捉えたのだと思います。「青い靄」と書かれていることから、これは昼の大聖堂を描いたものを見ていることがわかりますが、それが夕刻の大聖堂となると、昼の大聖堂とどのように変わるのでしょうか。次のバシュラールの文章を読んでみてください。
さて別の日、別の元素的夢が画家の石をとらえる。クロード・モネは、聖堂が光のスポンジとなること、その石積みのすべて、その装飾のすべてで夕陽の黄土色を吸収することを望む。かくてこの新しい画布のなかでは、聖堂は一箇の甘美な天体、鹿毛色の天体、陽光の熱気のなかでまどろんでいる存在である。塔は、先に大気元素を迎え入れていたときには、空中のもっと高いところでたわむれていた。それがいまや、より地上に近く、いっそう大地的なものとなり、いくらかの炉の石組のなかに大切に保存されてきた火に似て、ひたすら燃えている。
ここでもまた、単に形態や色を眺めるだけではなく、形態を養っている物質のエネルギーに関する瞑想をそれに伴わせるのでなければ、芸術作品が含んでいる夢想の貯えを台無しにしてしまうことになろうし、もし石が、「内部の熱素の働きでゆさぶられている」のを感じないとすれば、色彩を弾き飛ばしてしまうことになる。
(『夢見る権利』「元素に促される画家」バシュラール著、渋沢孝輔訳)
確かにモネの夕刻の大聖堂の絵は、石壁がスポンジのように見えます。建物の凹凸の明暗が過剰に彩られている一方で、硬質なはずの石の質感にはまるで無頓着な筆致が軟らかく聖堂を包み、建物をまるでスポンジのように見せているのです。それをバシュラールは「夕陽の黄土色を吸収することを望む」という書き方をしているのです。だから大聖堂の昼と夕刻の色の違いは、光の変化であると同時に石壁の質感の変化でもあるのです。なぜ、そのように変化するのかと言えば、それは「大気元素」が動いているからであり、さらには「形態を養っている物質のエネルギー」も変わってしまったからなのです。
時刻による光や色彩の違いが、物質のエネルギーの変化にまで関わると言われてしまうと、ちょっと話が飛躍して感じられるのかもしれません。しかし日常的に、同じ石の壁が朝と昼と夕刻とで、違った質感を持っているように感じられることはないでしょうか。つまり光によって柔かく見えたり、反対にごつごつして見えたり、ということです。本当はそう見えているのに、私たちはそれが同じ壁だと分かっているので、自分の感覚が受け止めている質感の違いに、わざと鈍感になっているのかもしれません。私たちは自分自身の感受性を、無意識のうちに封印してしまっているのです。バシュラールはそのことを指摘しているのだと思います。
「元素に促される画家」の最後において、バシュラールは次のように文章を結んでいます。
もし芸術作品を眺めることでその創造の胚種を見つけ出したいというのなら、人間の想像力に深々と刻印を押している大いなる宇宙的選択を受け容れなければならない。あまりにも幾何学的な精神、あまりにも分析的な視覚の働き、術語で一杯になった美学的判断、これらこそは元素の宇宙的な力への参入を阻むもとである。この参入は微妙なものなのだ。一すくいの水をただ眺めるだけでは、水の絶対的な母性を理解し、水がひとつの生命の元素であり、あらゆる生命にとっての最初の環境であることを感じ取るのに充分ではない。水の神秘に対して必要な特殊な感受性を欠いたどれほど多くの画家が、この液体の広がりを凝固させてしまい、ボードレールが言ったように、「石のなかにアヒルを泳がせて」しまっていることか!このうえもなく軟らかく、このうえもなく単純で、他の元素にも最も従い易いこの物質の同化は、極度の誠実さと、長期間の付き合いとを必要とする。静かな水を理解するためには、長く長く夢をみなければならないのだ。
こうして宇宙というものを見事なものとして思考するためにあれほど長いあいだ哲学者たちに役立ってきた、地・水・火・風の諸元素は、いまもなお芸術創造の原理として残っている。これらのものの想像力に対する働きかけは、すでに遠いものに思えるかもしれず、比喩的なものに思えるかもしれない。それでもなお、元素の宇宙的な力への芸術作品の正当な帰属に気付くとき、はじめて人は、最もすぐれた作品の統一性を裏から支えている統一の根拠を発見した気になる。事実また、諸元素に関する想像力の促しを受け容れることによって、画家は創造の自然な胚種を手に入れるのである。
(『夢見る権利』「元素に促される画家」バシュラール著、渋沢孝輔訳)
色彩について、ちょっと神秘的だと思われる解釈から入ったバシュラールの論文でしたが、結論は意外と受け入れやすいものではないでしょうか。「あまりにも幾何学的な精神、あまりにも分析的な視覚の働き、術語で一杯になった美学的判断」とバシュラールの言っているもの、つまりは私たちが芸術作品と対峙するときに捉われがちな先入観や既成概念にあたるものだと思いますが、それらをのり越えないと「一すくいの水」すらもまともに感受できないのだ、と彼は言っているのです。
このバシュラールの結論は、浅田彰の批判した「外部を持たぬ完全なイマージネールの王国」、「カオスに背を向けてエピクロスの園」、「社会から遠い」「夢の世界の幸福」ということには当たらないと思います。むしろバシュラールは、例えば「術語で一杯になった美学的な判断」から覚醒することを望んでいるのであり、それは感覚まで総動員した知覚の目覚めなのだと思います。
確かにそこには、豊穣な自然と一体となった幸福な世界が背後に横たわっていたのかもしれません。そしてそのような幸福は、すでに私たちには失われてしまっています。しかし、すくなくともバシュラールが知覚の覚醒を促そうとした趣旨は、いまでも有効なのではないかと私は思います。彼の少し神秘的な方法論のすべてが有効だとは言いませんが、私たちはそのなかから現在において継承できることを読みとればよいのだと思います。
それにしても、「具象と非具象」の相違など霧散してしまうようなゴッホの色彩の秘密、あるいはモネが手に入れたであろう「創造の自然な胚種」について、もう少し知りたいですね。ここで取り上げたふたつの論文はあまりにも短くて、私のような鈍い人間にはもう少し説明してもらわないと解明できないところがたくさんあります。バシュラールのどれかの本を読めば、これらのことがわかるのでしょうか。バシュラールは悩ましい、などと言わずに、粘り強く探ってみることにします。
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