平らな深み、緩やかな時間

207.『川西 紗実 展』について

はじめに、前回の村上RADIOの話について、続きを少しだけ書きます。
村上春樹が「でも結果的に言うとジョン・コルトレーンはやっぱり行き詰まっていくんですよね」と言ったことについてです。
実は1月22日のNHKFM の『ジャズ・トゥナイト』という番組を録音して車で聴いていたら、偶然にも前回話題にしたジョン・コルトレーンの遺作『エクスプレッション』から、『To Be』という曲がかかりました。この日の『ジャズ・トゥナイト』のプログラムは、『「メインじゃない方」楽器特集』という趣向で、例えばピアニストのチック・コリアがドラムを叩いていたり、逆にドラマーのジャック・デジョネットがピアノを弾いていたりしている曲が取り上げられていました。この『To Be』では、コルトレーンがサックスではなくてフルートを吹いています。同じ木管楽器ですから「メインじゃない楽器」と言えるのかどうか微妙なところですが、とはいえ、サックスとフルートではやはり全然違う楽器ですね。サックス奏者の渡辺貞夫がフルートを吹くために、わざわざフルート奏者の先生について習ったという話を聞いたことがあります。渡辺貞夫ほどの人でも、練習しないと吹けないのですね、当たり前か・・・。そしてコルトレーンの吹いていたフルートは、亡くなったエリック・ドルフィーから譲り受けたものだったそうです。ドルフィーにもフルートの名演がありましたが、彼の場合だともはやフルートは「メインじゃない楽器」とは言えなさそうです。それはともかく、ジャズ評論家の岩浪洋三がこの『エクスプレッション』について、コルトレーンの「遺作にふさわしい」と書いたことを前回紹介しました。つまり、村上春樹の評価とはそぐわないのです。そんな中でこの『To Be』という曲を偶然にも聴いたわけですが、確かに素晴らしい演奏だと思いました。そして私の耳では、残念ながらコルトレーンが「行き詰まった」のかどうかという微妙な判定は、難しいと思いました。もしもコルトレーンが長生きしていたらこれ以上何ができたのか、などということが私に分かるはずもありませんし、かといってこのコルトレーンの素晴らしい演奏を彼の標榜したフリー・ジャズの限界点と考えべきなのか、私にはわからないのです。
それから、この日の番組では、オーネット・コールマンがヴァイオリンを演奏している『Sound Gravitation』という曲もかかっていました。やはりフリー・ジャズのサックス奏者であるオーネット・コールマンですが、ヴァイオリンだと和音が弾けるので、怪しげな和音を終始かき鳴らしていました。案内役の大友良英は、この演奏はジャズだけでなく、音楽の枠組みを広げる画期的な演奏だ、と熱く語っていました。私のような門外漢が好んで繰り返し聴く音楽ではありませんが、それでも何となくその演奏の凄みを感じました。音楽の枠組みを広げるような演奏、というのは音楽を専門としている人にとっては、とても重要なものだと思います。私のような素人だとどうしても聴きやすい音楽を求めてしまいますが、こういう新しい音楽を模索する、気合の入った演奏も折に触れて聴いてみたいところです。
そんな私ですが、この日にかかった曲では、マイルス・デイヴィスの『Mtume』が自分のアナログLPで聴き込んだ曲ということもあって、とても耳に心地よかったです。この曲だって、十分に気合の入った演奏です。やはり聴き込むことによって、自分の感性を馴染ませることが大切なのかもしれません。
それにしても1950年代から70年代までのモダン・ジャズと言われる音楽には、何か未知のことが起きそうな、そんな予感があって聴いているとゾクゾクします。この予感は、今ではあまり体験することがありませんが、どこに行ってしまったのでしょうか?時代が変わってしまって、こういう新鮮な感情は何処かに失われてしまったのでしょうか?

そんなことを考えていたら、何ごとかが起きそうな展覧会が、今まさにやっていました。それは東京・神宮前のトキ・アートスペースで開催されている『川西 紗実 展』です。
http://tokiart.life.coocan.jp/2022/220125.html
もう本日が最終日になってしまい、遅いご案内で申し訳ないのですが、週末にしか画廊を廻ることができないので、どうしてもこうなってしまいます。
その川西紗実さんですが、私は川西さんの前回の展覧会について、次のようにblogで取り上げました。
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/159.html
その時には、フランスの現代美術の動向「シュポール/シュルファス(Support/ Surface)」や美術作家のフランク・ステラ(Frank Stella, 1936 - )を引き合いに出して、川西さんの作品の、主に外面的な形式について考察してみました。
なぜ、そんなことをしてみたのかといえば、彼女の作品が「絵画」の延長線上にある現代美術の作品とリンクするところがあったからです。平面であるはずの絵画が、不意に立ち上がったり、ねじ曲がったり、そういう元気の良さが川西さんの作品にはありました。
今回ふと思い出したのですが、そんな海外の作家を召喚しなくても、絵画の表面が立体的に立ち上がる画期的な作品を作り続けている身近な作家がいました。それは橘田尚之さんという、私より年長の作家です。橘田さんは春に個展を予定しているようです。
http://gallery21yo-j.com/
http://gallery21yo-j.com/artists/kitta_naoyuki/
この「gallery21yo-j」では、橘田さんの作品集も販売しています。橘田さんのこれまでの作品をご存知ない方にはおすすめです。
http://gallery21yo-j.com/publications/
橘田さんについては、何回かこのblogにも書いたことがあります。そこでも書いたことですが、彼の作品は質といい、個性(ユニークさ)といい、世界的な水準にあるとてもレベルの高い作家だと思います。橘田さんが世界的な作家として認識されていないとしたら、それは美術ジャーナリズムの責任です。もしも美術ジャーナリズムに関わる方がこれを読んでいらしたら、大いに反省してください。このことは何回書いても書き過ぎるということはありませんので、機会があれば同じことを書きます。
さて、そんな大きな輝きを放つ橘田さんと、原石のような可能性を秘めた川西さんとを、ここで比較して論じるつもりはありません。でも、川西さんの作品が進む方向性によっては、そういう機会が訪れるかもしれません。そんなことを想像しながら、こんなふうに世代の違う作家を偶然に思い出すのは楽しいものです。

さて、本題に入ります。
私は前回よりもさらにパワーアップして、密度の濃い展示をしている川西さんの作品を見て、なぜか1900年代初頭のダダイスムのことを思い起こしてしまいました。それはダダイスムが既成の表現に反抗するパワーを爆発させたように、川西さんの作品にも何かを呼び覚ますようなパワーがあったからです。そこでダダイスムを参照しながら、川西さんの作品のパワーについて、あるいはこれからの作品の可能性について考察してみたいと思います。
ところで皆さんは「ダダイスム」について、どんなことをご存知でしょうか。「ダダイスム」は、例えばその後に発展した「シュルレアリスム」ほどには、日本で紹介されていないような気がします。
ダダイスムは、1916年に詩人のトリスタン・ツァラ(Tristan Tzara、1896 - 1963)によって命名された、と言われています。しかしその活動期間は短く、そのことがダダイスム運動が異国の日本で紹介されにくい一因になっているようです。また、ダダイスム運動と呼ばれるものが、チューリッヒ、パリ、ベルリン、ニューヨーク、ハノーファーと転々と拡散し、その動きがとらえ難いということもあります。ダダイスムの作品を回顧する展覧会を開くとなると、結構大変でしょうね。それに、彼らの作品がシュルレアリスムの作品と比べると商品化しづらかった、ということもあるのかもしれません。商品化できないものは、どうしても形として残りにくい、ということがあると思います。
その短かったダダイスム運動ですが、その終息はどのようなものだったのでしょうか。ツァラと袂を分かったアンドレ・ブルトン(André Breton, 1896 - 1966)が、「シュルレアリスム宣言」を出したのが1924年です。そのことが、直ちにダダイスム運動の終息を意味していたわけではありませんが、ダダイスムの勢いが失われていったことを象徴する事件であったことは確かです。ツァラの『ムッシュー・アンチピリンの宣言』という、ダダイスム宣言を翻訳した本が光文社から文庫で出ていますが、その翻訳者の塚原史が「解説」の中でダダイスム運動の拡散と終息について、次のように書いています。

結局、この日(パリのダダイスム運動が1923年にテアトル・ミシェルで催しを開いた日)を最後に、ツァラのパリ到着から数えれば3年半ほど続いたパリ・ダダの活動は終息する。パリばかりではない。ベルリン・ダダは1920年の「ダダ・メッセ」を頂点に衰退に向かい、ニューヨークでは、1921年にデュシャンとマン・レイが小冊子「ニューヨーク・ダダ」を刊行した後、ダダの運動はすでに終わりを告げていた(ハノーファーのシュヴィッタースは一人で雑誌「メルツ」を出し続けたが、大きな運動にならなかった)。
考えてみれば、「何も意味しない」ダダの無意味の祝祭が長続きするはずはなかった。ヨーロッパ中が巨大な墓場と化した大戦争(第一次世界大戦)が終わって、戦後社会が(戦勝国では)秩序と安定をめざし始め、あるいは(敗戦国では)新秩序の樹立を標榜する全体主義者の集団が力を増していく過程で、人びとは意識的にせよ無意識的にせよ「意味あるもの」への回帰を求めるようになったといえるだろう。そんな変化を反映するかのように、1924年10月、ブルトンはパリで『シュルレアリスム宣言』を発表し、自動記述や夢のイメージ化による無意識の探求をめざす新たな運動の公然たる開始を強調したのだった。
(『ムッシュー・アンチピリンの宣言』「解説」塚原史)

ここに書かれているように、ダダイスムの「ダダ」という言葉に何も意味はありません。「ダダイスム」とは、言ってみれば「意味のない主義」なのです。ツァラ自身はこう言っています。
「ダダはおれたちの強烈さだ。」
「DADAは何も意味しない」
「これまでの絵画や造形のあらゆる作品は無用の長物だった。」
これらの言葉には、自分を規制する枠組みをとにかく否定したい、その枠組みを壊したい、という衝動を強く感じます。その先に何があるのか、ということよりも、とにかく自分の殻を破りたいのです。
このような若者の衝動は、現代ではちょっと想像し難いかもしれません。ツァラの頃には、大きな戦争があったとはいえ、ヨーロッパの伝統的な社会がまだ機能していたでしょう。そして一方で、新しく広がる世界の予感もあったことでしょう。その中で未知の可能性だけが、とにかく若者を突き動かしたのです。
しかし、現代はどうでしょうか。今ではインターネットで検索すれば、世界中のことが何となく分かってしまいます。そして、自分たちを規制する伝統らしきものは明らかに形骸化しているのに、窮屈な枠組みだけは存在しています。そんな社会の中で、先を見通せないということに関しては、若者から老人まで誰もが同じです。
そういう、これまでに経験したことのない時代の中で、自分を表現するためには何かしらの戦略が必要だ、と考えたくなります。この情報過多で、それでいて不安定な世の中で成功するためには、いずれ自分の作品も商品化され、マスコミやネットで流通することを考えておかなくてはならないからです。そう考えれば、例えばインターネットで画像が拡散したときに、何かしらまとまりの良い、見る人にとって捉えやすいものにしておく必要があります。自分の枠組みを壊すことよりも、先の見通しを立てて、それらしい枠組みを作って人に見せることを考えた方が、何かと得なのです。
ちょっと前置きが長くなりましたが、ここまで読んでいただければ、川西さんの作品が、今の時代にありがちな戦略的な計算に基づくものではなく、むしろダダイスム的な、自分の枠組みを突き破って少しでも自由な世界を感受したい、という衝動に突き動かされて作られたものだということがわかるでしょう。
そのことをはっきりと認識するために、彼女の制作過程を振り返ってみましょう。
川西さんは、まずロール状の紙を自分の手の届く分量だけ広げ、そこに自分の感性の赴くままにペイントを施します。その時に、おぼろげには彼女の中で作品の全体像がイメージできているのかもしれません。しかし、それが今ペイントしている部分とどう結びつくのか、それはまだ未知数です。とにかく紙を目の前にした川西さんは、自分というものを十全に表現できること、そのことだけに意識を集中して描いているのだと思います。そして、そのペイントした紙を素材として、大きな作品を制作します。紙を破いたり、貼り合わせたりしながら、試行錯誤を繰り返しますが、彼女の中での経験値から、ある一定の大きさの壁にかかる作品であれば、何となくうまく出来そうな枠組みが見えてきています。普通なら、それで自分の表現が完成に近づいた、と安心することでしょう。しかし、なぜか川西さんはそれでは物足りないものを感じてしまいます。結局のところ、自分の枠組みを突き破るつもりが、新たに自分を規制する枠組みが見えてしまい、そのことに彼女は納得できないのです。そこで川西さんは、作品の一部を方向転換して、例えば床に置いた紙の広がりを生かした表現ではどうだろうか、と新たな試行錯誤を始めます。もちろん、ただ床に置くのではなくて、天井から糸で紙を引っ張り上げたり、破いたり、皺を作ったり、そこに自由な風が入るようにあらゆることを試みます。かくしてそこには商品的なまとまりを度外視した、パワフルな作品が出現します。作家自身が未知の作品に出会ってドキドキしているのですから、その作品を見る人たちにとっては、うねるような紙の動きの一つ一つが新鮮なものに見えます。
このように、制作そのものが未知の驚きに満ちた川西さんの作品を、一言で言い表すことなどできません。それは立体作品でありながら、レリーフや彫刻的な作品ではないことは、明らかです。川西さんの作品には、彫刻作品に必要な構造的な形がありませんし、そもそも彼女の作品には彫刻的な「マッス(量塊)」という概念がありません。あるいは、私のような年配の物知り顔の人間ならば、これはよくあるインスタレーションの作品だ、と言うかもしれません。強いて作品の形状を分類しなければならないとしたら、そのように言えなくもないのですが、重要なのは川西さんの作品が、そのペイントされた表面に力点が置かれていることです。先ほども書いたように、ペイントする時には、まだ彼女の中では作品の完成像がはっきりとは見えていません。ということは、彼女のペイントという行為は、立体的な作品に従属するものではないのです。彼女の作品の表面をよく見てください。立体作品の細部と考えるなら、あまり意味のないと思われる細かなペイントやドローイングが、そこここに見られることに気がつくでしょう。それを作品の完成像を想像できない作家の「未熟さ」だと見てしまっては、彼女の作品をありきたりなインスタレーション作品に貶めることになってしまいます。ペイントする行為だけでは物足りない、紙をコラージュして壁に吊るすだけでは物足りない、絵を描きたいのに作品の枠組みだけが見えてしまう、そういうことに反発する衝動が、彼女の作品の力となっているのです。そこを見落としては、作家の可能性の重要な部分を見ないことになってしまいます。
さて、ここでダダイスムの結末について、もう少し考えてみましょう。塚原史はそれをこう書いていました。「考えてみれば、『何も意味しない』ダダの無意味の祝祭が長続きするはずはなかった。」この一文に、自由な表現を求め続けることの困難さが表現されています。見通しのない衝動に突き動かされたダダイスムが終息し、その後に現れたシュルレアリスムは、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856 – 1939)によって創始された精神分析学の方法を取り入れていたものでした。破天荒な表現活動に見えるシュルレアリスム運動ですが、彼らには知的な見通しがあったのです。どちらが良いというわけではありませんが、ダダイスムとシュルレアリスム運動とでは、互いに似て非なる活動であったわけです。このよううに一つの美術運動が、別の美術運動に取って代わったように見えることは、よくあることですが、それは美術史が整理するように、以前の運動の可能性がついえて、きれいになくなってしまうことを意味するのでしょうか。
ここで、冒頭に触れたモダン・ジャズのことを思い出してみても良いのかもしれません。コルトレーンが追求したフリー・ジャズは行き詰まってしまったのかどうか、ジャズを聴く人、演奏する人の中でも意見が分かれています。すでに50年以上前の音楽でさえ、その評価は定まらないのです。芸術活動の方向性に関して、どれが可能性があり、どれが可能性がないのか、その良し悪しは誰にもわかりません。だからダダイスムのことも、フリー・ジャズのことも、そして川西さんの表現方法についても、安易に予測したり批判したりすることはできません。しかし、そうだとしても川西さんの作品の可能性について、もう少しだけ考察を進めましょう。
ここでやや地味な作家ですが、塚原史の文章にも出てきたクルト・シュヴィッタース(Kurt Schwitters、1887- 1948)という作家について取り上げておきたいと思います。彼が独自に提唱した「メルツ絵画」「メルツ建築」は、彼がダダイストとして作家活動を続けた結果、生まれたものです。そして彼の作った何とも言いようのない、インスタレーションのような「メルツ建築」を見ると、作品の良し悪しはともかくとして、一人の作家の創造性が時代を超えてどこまでも広がっていく可能性を感じることができます。
https://www.pinterest.jp/pin/56154326578495641/
何とも言いようのない作品ですね。これは建築ですか?インテリアですか?彫刻ですか?インスタレーションですか?
また、シュヴィッタースの「メルツ絵画」も、作品の出来にばらつきはありますが、面白い作品も多いです。しかしこの絵画作品も、美しいとは言い難いし、コラージュというには貼り付けたものが出っ張りすぎているものもあるし、何とも言いようがありません。だからシュヴィッタースは「メルツ絵画」と言ったのでしょう。ちなみに「メルツ(merz)」という言葉は、破れた紙片に残っていた印刷文字からシュヴィッタースが思いついたもので、「ダダ」と同様に何の意味もありません。
https://www.artpedia.asia/kurt-schwitters/
シュヴィッタースもどこか捉え難く、また語りにくい作家でもあります。しかし、こういう作家を評価しないこと、あるいは紹介しないことは評論の怠慢だと思います。繰り返しになりますが、日本ではダダイスムが十分に紹介されているとは言えません。また、日本にも「ネオ・ダダ」と言われた作家たちがいましたが、彼らは絵画や彫刻といった枠組みに対して根本的な問いや反抗を投げかけるよりも、ヨーロッパの美術運動をどのように日本に取り入れるのか、ということに腐心していたような気がします。彼らの同時代の作家で、絵画という表現に真にラディカルに向き合ったのは中西夏之ぐらいではないでしょうか。
さて、少しまとめましょう。
現在のように世界中を情報が飛び交う時代において、あえて日本的なことに拘泥する必要はないと私は思います。ですから、川西さんのような一人の作家が、絵画表現というのものに何かしらの不自由を感じ、その枠組みを何とか取り払おうと試みることは、すなわち「絵画」の普遍的な問題に取り組んでいることでもあり、それは洋の東西を問わずに有効な問いかけなのだろうと思います。彼女が生半可な知識で容易な解決方法を模索するのではなく、全身全霊をかたむけて今の表現と向き合っていることに、大きな可能性を感じます。自分で試したことでなければ簡単には納得できないという、その感性こそが重要なのだと思います。
それから、あと一つだけ付け加えておきましょう。川西さんの作品は、立体的なものだけではなく、平面作品にも面白いものがあります。私は画廊の奥の台の上に、開かれたように置かれた作品が興味深かったです。ドローイングとペインティングが重ねられて、川西さん特有の重層的なイリュージョンが出現していました。絵画の平面性と奥行きとが合わさって、両方がともに実現しているような、そんな絵画の可能性を感じます。こういう作品は頭の中で構想していても、なかなか生まれてきません。手で、あるいは身体で思考するしかないのです。こういうことが、本当に重要なのだと私は思います。そして、こういう試みを川西さんが発表することは、この情報過多の現代社会にあっても貴重な一撃になると思います。画廊で彼女の作品を体感した人は、インターネット上で知り得た情報とはまったく違った実感を持っているはずです。そういう人たちがまた周囲に影響して、世界は少しずつ変わっていくのだと思います。
そんなわけで、彼女の感性と身体性がいったい何処に行くのか、これからもその表現の行き先を、興味を持って見ていきたいと思います。世界と向き合うことの身体的な実感を、また感じることができればうれしいと思っています。

コメント一覧

川西紗実
石村 実 様

昨日は、ご高覧いただき、ありがとうございました。

メールのご連絡先が分からず、早くお礼をお伝えしたく、こちらにコメント失礼します。

この度は、このような素敵な記事にしていただき、ありがとうございます。

身に余るお言葉ばかりで恐縮です。
作品だけでなく、当方の制作のプロセスや意気込みまで見てくださり、とても光栄に思います。

沢山自分の無自覚な制作意図やプロセスについて気づくことができました。

先ほどお陰様で、無事に個展の会期を終えることができました。

早くも次に向けて、試してみたいことや細かく組み合わせてみたい身体のことが浮かんでいます。石村様にお話いただいたことや、伝えていただいた感覚に沢山の力をいただきました。

こちらに書いていただいたことの内容にももっと具体的にお話させていただけたらと思うのですが、長くなりますので、また今度別の形でお話させていただければ幸いです。

まずは御礼までとなり、失礼いたします。

重ねて感謝申し上げます。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

川西紗実
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「ART」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事