持田季未子(1947 – 2018)の主著『絵画の思考』の中で、気になっていた論文がありました。
それが「震動のエクリチュール」という、日本画家の村上華岳(1888 – 1939)を論じた文章です。
村上華岳と言うと、皆さんはどんな作品を思い出しますか。私は2枚の人物画です。『ウィキペディア(Wikipedia)』で村上華岳を調べてみると、やはりはじめにこの2枚が出てきます。国画創作協会の第2回展に出品した『日高河清姫図』(1919)と第3回展に出品した『裸婦図』(1920)です。ちょうどいまから100年ぐらい前に描かれた作品で、華岳が30歳を過ぎたころになります。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E8%8F%AF%E5%B2%B3)
しかし正直に言って、私は村上華岳の人物画にはまったく興味がわきません。
私は日本の古い絵が好きですし、近代以降の日本画の中でもよいと思うものがいくつかあります。月並みですけど、長谷川等伯(1539 - 1610)の『松林図』は、世界的に見ても、最も優れた風景画の一枚だと思っていますし、これも平凡な感想ですが東山魁夷(1908 - 1999)の『残照』は若い頃に見て広がりのある良い絵だな、と思いました。今見ると広がりもそこそこだったかな、と思いますが、それでも東山魁夷の良質の部分が表れている絵だと思います。
(https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A10471&)
(https://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=2116&edaban=1)
しかし、村上華岳の『裸婦図』は興味がないどころか、残念ながら、どちらかと言えば嫌いな作品だと言えます。裸婦を縁取る円弧のような輪郭線は、日本の絵画の様式美をどこかで勘違いした悪しき例だと感じていましたし、周囲の柔らかな空間から浮き上がって見える人物も、西欧絵画を参照しながらも意図的に日本画らしい処理をしたのだとは思いますが、結果的に両者が分離してしまったミスマッチだと思っています。近代日本画の最高峰だと思われているこの絵に対して、身の程知らずの意見だということは承知していますが、一人の鑑賞者としての率直な感想なので仕方ありません。だからなぜ、持田があえてこの画家を選んだのか、と『絵画の思考』の目次を見た時にはいぶかしく思ったものです。
そんな思いを抱えながら「震動するエクリチュール」を読み始めてみると、持田も華岳の人物的な表現については、あまり評価していないようです。それでもこの画家を論じているのは、村上華岳の風景画に持田が魅せられたからでした。そのことを持田は率直に、次のように書いています。
ここで具体的に語ってみたいのは、日本画家村上華岳のことである。華岳は生前から仏画家として知られ、その真骨頂は観音、釈迦、菩薩などを描いた仏画方面にあるように今日でも見られ、それゆえとかく精神主義的に理解されがちだが、私がいま真実に評価したいのは、むしろ山々、叢林、柳、松などを描いた風景画作品のほうである。とくに最晩年に描かれた『厳山松樹之図』はじめ一連の、何かものに取り憑かれたような一種の狂おしさすら感じさせる山岳画を見て、深く心を動かされるのは私だけではあるまい。華岳は日本画界洋画界を問わずわが国近代の画家のうちで突出した存在であり、ひとつの驚異とさえいえるのではないかと思う。純然たる日本画の技法を駆使した神戸六甲山中の風景を写す一見古風な鬱勃たる作品群から受ける感銘は、死をまぢかにした「モネのオランジュリー館やマルモッタン美術館に収められた、水や睡蓮や柳を描く油彩画の与える圧倒的印象に劣らないのである。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
この持田の村上華岳に対する評価は、おそらく村上華岳を仏画家として「精神主義的に理解」している人たちからすると、とんでもない中傷だと思われるのでしょうが、逆に私から見ると、モネ(Claude Monet, 1840 - 1926)の「オランジュリー館やマルモッタン美術館に収められた、水や睡蓮や柳を描く油彩画の与える圧倒的印象に劣らない」という部分が、びっくりするぐらいの高評価です。
その「最晩年に描かれた『厳山松樹之図』」は、次のアドレスから見ることができます。
(http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2016/02/post-5323.html)
たしかに、これはよい作品だと私も思います。
しかし、それにしても村上華岳の仏画や人物画と風景画との落差を、どう考えたらよいのでしょうか。単にモチーフの違いや作品の精神性だけでは説明ができないと思うのですが、持田はそのことを次のように分析しています。
(村上華岳は)線を引くという行為を、色彩や陰影で面をつくること以上に原理的、決定的ないとなみとして絵画の根底に置き、線を把握することこそ芸術家たるものの重大な使命だという。さらに「心の要求」といった言葉を口にし、それが広く人間生活や自然や宇宙の深奥にあるとさえ華岳は考えていた。
じじつ華岳の絵画はまさしく線の活動する場そのものであって、初期から最晩年にいたる全部の作品をまとめて見ていると、あらゆる性質の線の宝庫という感がある。写生画としての対象がはっきりわかるものにせよ、抽象に近い晩年のものにせよ、動いているのは線の生命であり、作品を生かしているのは多種多様な線なのである。
かれの線にはいろいろな種類が認められる。若いころの絵には形象の輪郭をかたどる素朴な線も使われたが、しだいに消滅していく。輪郭線が最後まで残ったのは皮肉なことに仏画の方面だった。華岳はジオットやフラ・アンジェリコの古雅な絵画を愛好し、直接にはとくにブレークの空想的な宗教画に触発されて仏画を描き始めたというが、その故か仏画にはブレーク宗教画のもつ性質がまるまる移っているように私には思われる。今日見ると、風景画の到達した気品と遠くかけ離れたその卑俗さは、同じひとりの画家の仕事として不可解なばかりだ。そしてブレークの線描を受けて仏画や裸婦像や仙人像などで最後まで用いられた輪郭線という線の性質の平凡さが、作品全体の与える印象とまさしく表裏一体をなしているのではないかと思われるのである。
ほとんど輪郭線を用いることのない山岳や叢林の絵のほうにこそ華岳の本領はあると信ずる。世界を生成させる線として論ずるに値するのはこの方の作品群だけである。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
私のようなどうでもいい人間ならともかく、持田季未子のような高名な研究者が、華岳の仏画や裸婦像や仙人像を「卑俗」で、その輪郭線の表現が「平凡」だと書いてしまって大丈夫なのかな、と他人事ながら心配になりますが、持田の書いているとおりの印象を私も持っています。
私は日本画についてそれほど深く考えたことはありませんが、西欧の絵画と日本画との大きな違いは、遠近表現などの空間把握の差異と同時に、線の使い方によるところが大きいと思います。西欧の絵画の輪郭線は、その描かれた空間の中ではっきりとその属する位置が確定されますが、日本画の線は線そのものの美しさが尊ばれる傾向があり、墨絵における線などは抽象絵画における線と同様に画面の中の構成要素として独立しています。
それが近代以降の日本画では、しばしば西欧の描線と古来の日本画の線とが混同され、どっちつかずの表現になっていることがあります。村上華岳の人の形を表す線描がまさにその好例になると私は考えており、その中途半端さが「卑俗さ」に見える所以ではないか、と思います。釈迦や観音、羅漢、不動明王の顔が、似顔絵のように見えてしまうのです。ちなみに華岳が影響を受けたというウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757 - 1827)の線描にも、空間的に位置づけられない甘い表現が散見されると私は思っています。彼の絵画は、その詩人としての文学性を加味したうえで評価されるべきものなのです。
そのような輪郭を表す線とは異なり、例えば墨絵における木の枝ぶりの表現などは、線そのものが一本の枝を表し、その枝の伸びていく様が絵画空間の中で美しく見えるのです。それは東洋の書画の文化が育んだ、独特の線の表現だと言えるでしょう。西欧において、線の表現が美しい素描の達人は数多くいるものの、そのような線が独立した美しさを発揮するのは抽象絵画の誕生を待たなければなりません。村上華岳は風景画において、西欧の抽象絵画とリンクするような表現を獲得していたのです。
しかし、もちろんのこと村上華岳の線描と、西欧の抽象絵画の線の表現とは、その歴史も文脈も異なります。そのことを私たちはどのように考えたらよいのでしょうか。
芸術論においてはまずテクストそのものを第一とすべきである。日本の画家と欧米の抽象画家が異なる文化圏に生を受け、その用いる線が由来を異にしているのはむろん疑いを容れないが、あえて日本画の独自性にこだわらず、特殊扱いせず、できるだけ一般的に作品を見る視点を探すことが必要である。芸術の学は今後ますます、東西をへだてずに個々の事実を測り得る普遍的な言語を見つけるべく努力しなければならないだろう。線に着眼する理由は、それが純粋に視覚的なそして基本的な要素であり、絵画論において普遍的な言語として機能させうると判断するからである。
また華岳の絵は見る者が当然そのような方向を取らざるを得なくなる類の絵だと言える。日本画の伝統的なメチエとしながら、型どおりの観念を去り主観のまどろみをぬけ出て、自然に直接に迫っていこうとする情熱が感じられる。心境や詩情を山水に託すというより、眼の前にある山岳の存在を、自然の本質を、掴み取ってわがものとして所有せずにはやまないというような、凄まじいまでのしかも冷静な探求がある。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
持田は華岳の絵を見るときに、それが日本画であるという先入観をとり払い、それが「直接自然に迫っていこうとする」絵画であるということを感受するのだ、と書いています。「眼の前にある山岳の存在を、自然の本質を、掴み取ってわがものとして所有せずにはやまない」というメンタリティーは、どちらかと言えば自然と親和的な関係を持とうとする日本画の表現が、本来持っているものではないでしょう。
そしてもちろん、村上華岳がこのような風景画の表現に至るまでには、さまざまな試行錯誤があり、さらにその晩年にあっては、高度な表現の風景画と並行して、持田が卑俗だとまでいった仏画を制作していたわけですから、その複雑な全体像をつかむには時間がかかります。持田はその過程を丹念に追っていきますが、ここでは、華岳の晩年の風景画だけに注目して持田の論考を読んでいくことにしましょう。そうでなければ、この論文をまるごと書き写すことになってしまいます。
さて、私が華岳の風景画で面白いと思ったのは、その絵が「動的」に見えることです。持田が例示したように、その「動的」な特徴は、モネの睡蓮の絵や、セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 – 1906)の晩年の聖ヴィクトワール山やポロック(Jackson Pollock、1912 – 1956)の全盛期のドリッピング絵画などと似た特徴を持っていると思います。それは偶然にそうなったわけではなくて、華岳はセザンヌの絵の生き生きとした「動的」な感じを感受していたらしく、そのことを持田はこう書いています。
山を時間のなかにある存在としてつかむということは、四季折々に千変万化し一日の時刻によって様子を変える山の姿を写すことだけを意味しない。刻々移ろい変わる自然を描くだけなら日本美術においてごく当たり前で、自然や人生をたえざる移ろいとみなし滅びと再生の複雑微妙な相において一切を見るというのは、むしろ伝統的な態度でさえあった。そこにノストラジーや叙情がとけこむ。華岳はあらゆる季節や時刻の山々を描いたが、それだけに終わらずさらに先まで進み入っていた。
かれはセザンヌについてこんなふうに書いている。
「セザンヌは物の置き方に非常に苦心した作家で、たとへば皿の上の林檎一つでも右に転がし左に移し、どうおきかへたら線がうまく出てくるかと考へに考へぬいたといふことである。この皿の上の林檎を転がして位置を移し、いい線の動きを見出さうとした例に似たのはこちらの能楽である。あの沈静な動作で舞台の上をゆるゆると廻る形はつまり皿の林檎の如きもので、これは全く美しい線を追求しながら辿り辿っている姿の移り動きとみることが出来る」(心線微妙)
画家が皿の上の林檎のような堅い不動の魂を手で転がし目で転がして、最も適切な位置に定めいい線を発見してゆくことと、舞台の上でダンスする人が運動しながら追求しているものは、同じであると華岳は言うのである。若いころ都踊りや舞妓を熱心に研究したことが思い出されるが、皿の林檎と人の舞い姿を重ねるというのは、つまりかれにとって形と動くものは等しかった。世界はけっして静止しない確定し得ないものとして認識していたのである。普通なら構図、立体感、色彩、空間構成などに着目されそうなセザンヌを、もっぱら運動と線の視点から見ていたことが注目される。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
セザンヌについては、「移ろいやすい光を追求した印象派の絵画を、堅固なものにした」というような説明がよくありますが、それはおそらく、静物を描くのに林檎が腐るほどの時間をかけて描く画家のイメージでしょう。しかし実際のセザンヌの絵画は堅固であるどころか、皿の上の林檎がいまにも動きそうな自然な臨場感があり、それが考え抜かれた不自然なものの置き方や、動きのある視点によって実現されているというきわめて不思議な表現なのです。村上華岳の時代に、そのようなセザンヌの見方がどこまで研究されていたのかはわかりませんが、少なくとも能楽の沈静な動きと関連付けて考える、というのは華岳独自のものでしょう。
持田の言うところの「芸術の学は今後ますます、東西をへだてずに個々の事実を測り得る普遍的な言語を見つけるべく努力しなければならない」ということが、すでに華岳によって絵画と能楽という大胆な関連付けによってなされていたことに驚きを感じます。その華岳の作品に能楽のような「沈静な動き」、つまり「静」と「動」はどのように表れているのでしょうか。持田が華岳の3枚の絵について解説していますので、それを参照してみましょう。
その文中に出てくる『崔嵬繊月』と『秋柳図』は、次のアドレスから見ることができます。『寒巌枯樹之図』は残念ながらネット上では見つかりませんでした。
(https://www.kyotodeasobo.com/art/exhibitions/murakami-kagaku2012/)
(https://blog.goo.ne.jp/atelier-komorebi/e/847e93a87f2ab1df4603dc1d5dcb6ac2)
静(山)と動(松)という二つの異質なものを絵画のなかの線によって溶解させるという仕組みは、線の性質こそちがえ『崔嵬繊月』にもある。ここでは崔嵬つまりごつごつと険しい岩山の稜線は思い切った一本の淡い墨の線で引かれ、松の方も同様に、単純化されそれでいて的確なに松の本質をとらえた線でたくましく描かれている。揺れる松の枝と不動の岩山は、濃淡の差はあれ同じ目で見られ、同じ強い線描であらわされる。不変なのは空にかかる銀色の鋭い月だけ、あとはすべて揺れ動く世界である。
華岳は晩年にかけて岩山をよく選ぶようになるが、岩という最も堅く不同な存在を、動くものとして見ている。『寒巌枯樹之図』は、真冬の峨々たる岩山を透かし見せて、枯れた樹木が画面いちめんに描かれていると想定されるが、短く丸味のある線の強弱濃淡のくりかえしだけですべて表現されるので、ここでも背後の山の姿かたちは、重ねられた枝と混ざって定かでない。目がたえず運動するうち、山は錯綜する小枝のあいだに吸収されてしまう。かすかに青みがかった、全体に銀灰色の画面は、ちょうど先の『秋柳図』のように抽象に近づいてくる。そして背景を失った秋の柳の枝々が秋の空気を震動させたように、ここでも真冬の枯木の枝は冷たい空気と遠い岩山とを震動させる。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
この解説において、墨の線がそのまま絵画における造形要素として表現されているさまが、みごとに追いかけられています。作家に寄り添う姿勢を崩さない持田の姿勢の表れでもあると思います。
ここで、この論文のタイトルの意味「震動するエクリチュール」の意味を考えてみるのもよいかと思います。「エクリチュール」という言葉の意味は、辞典ではこのように書かれています。
エクリチュール(英語表記)écriture(フランス語)criture
文学上の概念。「書くこと」「書かれたもの」さらには「書かれた言語」などを意味する。批評家 R.バルトによると,言語 (ラング) は作家の活動する場を限定し,文体は作家の体質に内在するものであって,ともに作家の意志に無関係であるが,その中間に,作家が意識的に選択する1つの形態的実体エクリチュールがあり,それによって作家は彼自身になるのだとしている。この概念はフランスのヌーボー・ロマンの作家たちや,雑誌『テル・ケル』 (1960創刊) を中心とするグループによって,さらに発展させられている。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
面白そうなことがたくさん書かれていますが、今回、参考になるのは最初の部分だけ、「書くこと」「書かれたもの」というところだけです。エクリチュールはパロール(仏: parole)という言葉と対にして用いられる言葉です。パロールは「話し言葉」という意味ですので、「エクリチュール」というと「書く」という行為、表現が強調されて感じられる、ということがあるのかもしれません。またペイント (paint)やデッサン(フランス語: dessin)、ドローイング(英語: drawing)といった美術用語がありますが、それらの言葉だと輪郭線で形を捉えて絵の具を塗布して仕上げる西欧絵画の描画のイメージがつきまといます。それであえて持田は「エクリチュール」という、私たちからするとちょっとわかりにくい言葉を使っているのでしょう。
論文のタイトルからすると、その「エクリチュール」が震動するというのですが、先ほどの引用部分でもしきりと「震動する」という言葉が使われていました。さらに持田は次のように説明しています。
哲学がたえず言語の概念を問い直し、言語によって存在一般を把握しようとするように、こうして絵画において線による把握が企てられる。時間と関わりつつ震動するものとしてあらゆる存在を認識し、自身の絵画の目標を「世界を掴むこと」と信じていた画家にとって、線は言語に匹敵するものであった。
それは概念的な言語ではなくまさしく詩的言語、繊細なる言葉、沈黙のうちにすべてに先駆けて直覚する可能性を持つポイエーシスの言葉である。だからこそ華岳はどこまでも、線とは何か、線がいかにして山岳や叢林をとらえ得るのか、はたして揺れ動く世界を線は所有できるか、と問い続けてやまなかったのである。ここに、絵画の諸他の構成要素(主題性など)と共存する単なる一要素ではなく、絵画をつくりだす根源的エクリチュールとしての線の発生がある。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
ちなみにポイエーシス(posisギリシア語)とは、「創ること、創造を意味する」のだそうです。
私は特に、先の引用部分にもちょっと登場した華岳の『秋柳図』において、線描による創造性、わさわさと細かな枝が線となって画面の中から生まれ出て、画面上をうごめいていくような動きを感じます。この『秋柳図』については、持田も少し長めの解説をしています。長い引用になってしまいますが、この「震動するエクリチュール」の一番の読みどころでもあるので、次に書き写しておきます。
掛軸『秋柳図』は、単に柳の絵の代表作というだけでなく華岳の線のひとつの頂点をきわめたものといえよう。とうとう風景は消え去り、あるのは線の錯綜のみになってしまった。横長の唐紙の黄色い地の上に墨で線を引いた、装飾模様のような構成である。もう背後に山なみがあるのか池の水があるのかわからないし、それを問いかけてもあまり意味がない。気味悪いほどに繁茂し、曲がりくねり、交差する太く細くまた長く短い枝々。墨の濃淡のみで描きわけられるおびただしい線が、入りまじって網状をなす。いったいそれぞれの線はどこから始まってどこで終るのか、見ているといつまでも見飽きない。しんと静まった、葉の落ちた秋の柳を描く図だというのに、視線がいつのまにかぐるぐると運動し始める。
これは震動する世界である。震動すると同時に静止している世界である。
「哲学上の言葉に『止揚』といふことがある。止は止める、揚は揚げるので、全然相反せる意味の字を連接せしめた言葉である。この両者をうまく調和せしむることが絵の根本義であると思ふ。
換言すれば動に対して性がある。この二者は常に相反する意味を持つに拘らず、これを調和せしむることが結局芸術の根幹をなすものと思ふ。静動一如といふのは即ちこれである。・・・・又換言すれば複雑を単純化し、単純の裡に複雑性を認むることも『止揚』の渾然たる統一によって達成せらるるものといへよう。(線の行者)
かれは哲学者でも理論家でもないから、必ずしも十分に言葉が尽くされているとは言えないが、日本画らしい「静動一如」という表現のうちに、世界観がよく現れているのだと思う。それは震動し、なおかつ永遠に確実にそこに存在するものとしての世界の発見である。複雑であると同時に単純な、確定できないものとしての世界認識である。「・・・画面を交錯する柳の枝々は繊細に打震え慄いているように感じられるが、それが実に自然な、あたかも宇宙を運行する星座の航跡のように、確信に充ちたものであることが解る」という印象を、私も抱く。
打ち震えながらのたしかさ、やさしさのなかの強靭さ、それは自然の柳の性質に由来するものであろう。だが単なる自然描写ではない。華岳の詩学の特質なのである。そしてそれは絵画からの夾雑物をそぎおとし純度を増すべく、線の実践を積み重ねることを通して獲得された成果であった。
さに、この『秋柳図』や先の『梅柳早春図』において柳の線描が感じさせる一種の気味悪さは、頂点に近づいた絵画の詩的言語が、他人への伝達や説明という機能を離れてついにモノローグの城にはいりこんでしまったことから生じたもうひとつの面だという点も、指摘しておかなければならないだろう。伝達の断念のもと、内なる不安を凝視するがごとくただ事故に対してのみはたらきかけるようになればなるほど、絵画は詩の言葉の場合にも似て、内的独白、つぶやき、リズミカルな音楽、船の揺れ、壁紙の模様、火の明滅のようなものになってゆく。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
村上華岳自身、絵に関する文章を残していて、それを『画論』としてまとめたものがあるそうですが、持田はそれをところどころに引用しつつ、華岳の創作の秘密を解き明かしていきます。『秋柳図』は、まるで現代絵画のように自由に線があらわれ、その交錯する様子が大胆であると同時に繊細な作品です。華岳自身は哲学用語の『止揚』という言葉を用いて論じていますが、その説明としては「静」と「動」という言葉の周りを堂々巡りしているようで、要領を得ません。それを持田が「宇宙を運行する星座の航跡のように」であるとか、「絵画からの夾雑物をそぎおとし純度を増すべく、線の実践を積み重ねることを通して獲得された成果」というような詩的な、また学究的な言葉を重ねて言い表していきます。この文章を読んでいると、日本画というジャンルの中で語られていたものが、いま、私たちの前で広い世界へと解き放たれていくような感じがします。この読書体験の中に、作品を批評することの醍醐味があり、村上華岳の絵画と持田季未子の言葉が両輪のように回りながら、私たちを新たな認識へと導いていくのです。
そして、さらに持田は大胆に、華岳の晩年の絵画の和紙と墨との関係から、西欧絵画のマチエールの問題へと話を広げていきます。そして現代絵画の線描の達人であるサイ・トゥオンブリ(Cy Twombly、1928 - 2011)と、トゥオンブリについて語ったロラン・バルト(Roland Barthes、1915 - 1980)の文章を引き合いに出します。これはもう、ほとんど現代美術論のようです。
間に合紙という紙を水に浸しては何度も薄い墨を重ねたために、紙がももけたようになって皺をつくり、滲みやすい紙質の繊維のなかに墨が散っているのが、そのままざらついた岩肌をあらわすマチエールとなる。日本画材料に通暁した熟達の画家として、華岳はこうした紙の性質を、面白い効果をあげるために利用したまでであろうか。マチエールは、掛け軸用の下地の紙の上に乗っている風景の幻影に奉仕する一援護者なのだろうか。否、私はむしろ芸術にとって根源的なものとはいったい何なのか追求して最後に四角な紙そのものへとそれを解消する地点まで到達してしまった華岳の仕事のなかに、現代芸術のかかえる普遍的な問題を感知することができるように思う。ささやかな村上華岳論を結ぶにあたりその点にすこし触れておきまたい。
華岳芸術は、顔料で絵を描くことと紙の実質とが一体化するという新しい段階に到達した。下地の紙と切り離された映像の内部でだけ、松林と山塊が線描によって溶融するのではなく、今や紙の皺やけば立ちがそのまま岩のひだとなる。絵画はもはや何でもよい下地の上に乗っている幻影ではなく、手ごたえのある物質である。紙の繊維が直接もくもくした綿の繊維のような岩肌を描く。紙の組織(テクスト)がすなわち線で織られた絵画のテクストになったのである。
アメリカの画家サイ・トゥオンブリの気ままな落書きのような絵について、批評家ロラン・バルトはつぎのように書いていて興味深い。
「TW(Cy Twombly)は色を塗らない。せいぜい色づけするくらいである。・・・
しかも、お気づきの人もあろうが、色彩はすでTWの紙にあるのだ。紙がすでに汚れ、変質し、何色ともいえぬ光を帯びているからだ。白く、きれいなのは作家の紙だけである。・・・
落書きの本質をなすのは、実をいえば、書き込まれた文字でも、そのメッセージでもない。壁であり、背景をなす地であり、机である。」
トゥオンブリの絵はまず線の自由自在な活動に属し、さらにいえば活動が展開される場つまり絵を支える紙や壁などの支持体に属するという。華岳は水に滲みやすい間に合紙、地肌が黄色い唐紙、絹地、朝鮮紙、出雲紙などと支持体をきめ細かに使い分け、一方顔料は青墨を主体に描き、色はアルミ泥、金泥、胡粉などで色づけする程度だった。もっとも華岳の場合は抽象ではないし、両者の個性はちがうから、支持体に着目したこの類比は部分的である。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
トゥオンブリと村上華岳という、時代も文脈も異なる画家同士を比較した結果、そのマチエールに関して言えば「両者の個性はちがうから、支持体に着目したこの類比は部分的である」というのは当然のことだと思います。
ちょっとこれは残念です、持田はなぜ村上華岳を論じながら、サイ・トゥオンブリのことを想起したのでしょうか。たぶん、彼女は両者の線描について思いを馳せていたのではないか、と私は推察します。具象と抽象、東洋と西欧、50年の開きがある二人の画家は、何が似ていて何が違っているのでしょうか。線を大切にする両者にとって、画面の地の色や質感はとても大切なものだったでしょう。華岳は繊細に紙を選び、トゥオンブリは意図的に落書きのような無造作さを装います。しかし、線の合間から見える地の部分がいかに大切か、ということを二人ともよく知っています。持田の指摘でそこまではわかりましたが、おそらく、本格的に線について論じていくと、もっと面白い結果が現れたことでしょう。
試みに、バルトの文章からトゥオンブリの線について、興味深い部分を抜き書きしてみましょう。
不器用さが軽やかであることは稀である。多くの場合、不器用に書くとは力を込めることである。真の不器用さは自己主張し、強情を張り、愛されたいと願う(母親に作ったものを見せ、得意げに見せびらかす子供にそっくりだ)。私が述べたこのような非常にねじれた不器用さをひっくり返すのがTWの仕事である。TWの不器用さは、まったく逆に、力を込めない。少しずつ消えてゆく。
(『美術論集』「サイ・トゥオンブリ または 量ヨリ質」ロラン・バルト著 沢崎浩平訳)
ちょっと話が横道にそれますが、文中に出てくる「得意げ」な子供の例は、母親との結びつきが強かったバルトその人ではないのか、と思えて少し微笑ましくもあります。バルトも絵が好きで、実際に彼が描いた現代美術風の美しいデッサンが本のカバーに使われていますが、もしかしたら母親に褒めてもらいたいと思いながら描いたのかもしれません。
それはともかく、このバルトの解釈の特筆すべきところは、トゥオンブリの線に軽やかさを見出しているところです。トゥオンブリがわざと不器用に描いていることは誰でもわかりますが、それが軽やかであることに価値がある、という点は見過ごされがちです。トゥオンブリの絵画に魅入られた人は、その軽やかさに魅かれているのですが、そのことに気が付かず、トゥオンブリのように描こうとしても、妙に力の入った月並みの絵しか描けないのです。
私が村上華岳の『秋柳図』を見て感心した点は、その消え入るような線の特徴にあります。その力の抜け具合が多様であり、線の表現に豊かさがあるのです。表現の豊かさが力を込めて描くことにあるのではなく、逆に力を抜くことにある、ということを、まったくタイプの異なるこの二人の画家が教えてくれているようで、興味深いです。
さて、いろいろと書いてきましたが、冒頭に書いたように私は村上華岳の人物画からこの画家に対する興味を失い、その風景画を意識して見ることがありませんでした。このような先入観は、改められなくてはなりません。持田がこの論文の最後に、1939年の華岳の作品群についてその素晴らしさを語っているのですが、それと同時に「日本人だから」、「日本画だから」という色眼鏡で作品を見てはいけない、と戒めてもいます。最後にその結びの部分を引用して、自分への教訓としたいと思います。
和紙と一体化したその絵には無秩序を包摂したひとつの秩序が実現している。線へ華岳をここまで導いた。濃淡のある墨線だけで存在の万感をあらわす1939年の作品群こそ、震動した世界、雑音としての世界の驚くべき表現ではないだろうか。輪郭をきっちり決めない幅の太い線や多数が重なって初めてテクストを生成する線を選んだという事実により、この画家は重要な問題提起をおこなっているように思われる。
華岳の仕事を20世紀芸術のコンテクストでこのように位置づけることができる。一般に過去から現代にいたる芸術史を線という観点から再展望することが可能であろう。運動、生成、軌跡、連結、区画、分割などの小テーマをそれぞれ浮かび上がらせて論じることが構想されよう。日本の芸術家も、世界の現代芸術に対するときと同じ普遍的な基準で測定されなければならぬ。日本人だから、日本画だからといって特殊な基準で評価することは今後意義を減じていくだろう。どんな作品に対するときも、一見古風に見えようが孤立した作品に見えようが、それをグローバルな視野に向けて開く視点が探されなければならならぬと言いたいのである。だが今は、概念で語るのではなく感覚しうるかたちで秀麗な芸術作品を現実に成立させた一日本画家の孤独のなかでの力わざに、敬服するのみである。
(『絵画の思考』「震動するエクリチュール」持田季未子著)
それでは、最後まで読んでいただけた方、ありがとうございます。
次はできれば、バシュラールについて書いてみたいと思います。
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