2023年6月3日(土)ー7月9日(日)の期間に開催されていた、三浦市の諸磯青少年センターの『HAKOBUNE』という展覧会の情報です。専用のホームページが開設されました。次のリンクをご覧いただいて、できればお知り合いの方へも教えてあげてください。
また、この展覧会のパンフレットのpdfファイルが私のHPからご覧いただけます。そして私のHPからも、私の作品と展示風景の画像がご覧いただけます。次のリンクを覗いてみてください。
http://ishimura.html.xdomain.jp/work/2023hakobune%20etc..html
さて、ところで展覧会のタイトルは、なぜ『HAKOBUNE』なのでしょうか?
会場となる「諸磯青少年センター」は2階の窓から磯の風景が広がる海沿いの建物ですが、もちろん「船」ではありません。『HAKOBUNE』は何かの比喩表現、つまりメタファーだと思いますが、展覧会を企画された倉重さんのパンフレットの文章には、そのことについて触れていません。しかし、私は展覧会のタイトルを聞いた時から、何となく企画の意図を感じ取ることができました。
この展覧会については、詳細なカタログができるそうです。それぞれの作品についてはその中で語られたり、あるいは写真を見ることができたりすると思いますので、私はここで『HAKOBUNE』がイメージするものについて書いてみたいと思います。
その「船」というメタファーですが、動力のない「船」はしばしば共同体の運命を託するものとして、文学等で取り上げられてきました。現在では、さまざまな移動手段が発達する中で「船」は忘れられがちですが、私よりも少し上の世代の、いわゆる1960年代後半の「ヒッピー・ムーヴメント」を経験した世代にとっては、目に見えない目標に向かって進んでいく運命共同体をイメージするものとして、方舟(箱舟)、木の船、葦の船などは格好のモチーフでした。
私が倉重さんと勝又さんから展覧会のタイトルは『HAKOBUNE』だと連絡をいただいた時に、ああ、私たちは21世紀になっても一緒に「船」に乗っているのだな、とあらためて気付かされました。しかしこんな事を言っても、とくに若い方にとっては何のことだかおわかりいただけないでしょう。
これからこのblogで二回にわたって、三つほどの事例をあげながら、「船」というメタファーについて考察してみましょう。そして最後に、その怪しげな船長である倉重さんの航跡についても、少しだけ紹介しておきましょう。
さて、私が「船」というメタファーではじめに連想するのは、「ヒッピー・ムーヴメント」の象徴とも言える「ウッドストック・フェスティバル」で歌われた『Wooden Ships』です。
『Wooden Ships』は1968年にデヴィッド・クロスビー(David Crosby、1941 - 2023)さん、ポール・カントナー(Paul Lorin Kantner, 1941 – 2016)さん、スティーヴン・スティルス(Stephen Arthur Stills , 1945 - )さんによって作詞・作曲された曲です。この楽曲はクロスビーさんとスティルスさんのバンド、「クロスビー、スティルス&ナッシュ」と、カントナーさんのバンド「ジェファーソン・エアプレイン」の両方のバンドによってレコーディングされました。
Wikipediaによれば、「フロリダ州フォートローダーデールでクロスビーが所有するマヤン号という船上で作詞・作曲され、クロスビーが作曲し、カントナーとスティルスがほとんどの歌詞を書いた」とされています。クロスビーさんはちょっと幻想的な曲が得意な人ですが、このロックっぽい曲でも聴く人を不安にさせるような要素があります。
詩の内容は核戦争後の世界(?)に生き残った、敵対する若者二人の会話から始まります。
「誰が勝ったのか教えてくれないか」
「紫色のベリーを少し食べさせてよ」
「たぶん俺たち二人を生きながらえさせてくれるよ」
そんな投げやりな、あるいは新たな世界を生き抜こうとしているような、そんな曖昧な気分が漂う歌詞です。その後の、歌のサビの部分の歌詞です。
水面に浮かんだ木の船はとても自由で安らか
どんなふうになっているのか分かるだろう
海岸にいる銀色の人々が見過ごしてくれたおかげで
自由で気楽に話が出来るのさ
君が死ぬのを見る時、恐怖が俺たちを支配する
俺たちに出来ることは君の苦悶に満ちた叫びを響かせるだけ
すべての人間の感情が死滅するのを見つめて
俺たちは去って行く
君には俺たちが必要ではないから
Wooden ships on the water very free and easy
You know the way it's supposed to be
Silver people on the shoreline, let us be
Talking about very free and easy
Horror grips us as we watch you die
All we can do is echo your anguished cries
Stare as all human feelings die
We are leaving, you don't need us
最悪の近未来の話ですから、内容がシュールになり、わかりにくいのは仕方ありません。それにボブ・ディランさんが書いた詩のような、言葉の美しさと深い意味を他のソングライターに望むのは酷だというものです。それでもこの歌詞には、その時代の気分がたっぷりと表現されていると思います。
20世紀の科学文明の負の側面に気付いた若者たちは、自分たちが明るい未来に向かって突き進んでいるという夢を持てないでいます。彼らはそんな現代社会からドロップアウトして、自給自足の共同体を形成しようとします。そこには物質的な豊かさはないかもしれませんが、何よりも大切な「自由」があるはずなのです。それは風まかせの古い木の船に乗るような気分だったのでしょう。
そして俺の肩越しに心地よい風が南から吹いて来るぬくもりを感じて
俺は進路を定めて出発することにしよう
And it's a fair wind blowing
warm out of the south over my shoulder
Guess I'll set a course and go
しかし現実には、そんな若者たちも大人になって健全な市民になっていきます。ポピュラー音楽の世界でも、音楽ならではの楽しみを享受する曲が好まれるようになります。それは一概に悪いことではありませんが、そんな時代の流れの中で、動力のない「船」というメタファーは、いつしか不似合いなものになっていったように思います。
それにさらに現実的なことを言えば、現代文明批判という若者たちがかつて獲得した視点も、地球温暖化や環境破壊の進行によって、「ヒッピー・ムーヴメント」のような若者だけの運動では太刀打ちできないものになっていきました。「物質的な豊かさに囚われない」というヒッピーの理念は、もっと継続可能な形で昇華されなくてはなりません。
私はそこに、芸術の果たすべき役割があると思います。おそらく『HAKOBUNE』に参加された芸術家の皆さんも、似たような気持ちを持っていると思います。物質的な豊かさに囚われずに、自由を追い求める気持ちを持つことは、若者だけの特権ではありません。作品の中に本当の「自由」を追い求めてきた芸術家は、創造することを継続すればこそ、得られる結果があることを知っています。それはむしろ、ある程度の年齢を重ねた芸術家なのかもしれません。『Wooden Ships』の中で表現された「現代文明」への批判と「自由」を尊重する気持ち、それらが入り混じった不安感など、これらをたんなるノスタルジーにしてはいけません。
あれから数十年が経って、私たちは現在でも『HAKOBUNE』が継続可能であることを確認しなければなりません。
次は、ちょっと個人的な想起になるかもしれません。
私は若者の夢のメタファーとしての「船」というと、庄司 薫(しょうじ かおる、1937 - )さんの最後の長編小説だと言われている『ぼくの大好きな青髭』(1977)に出てくる「葦船ラー号」を思い出します。今の若い方にとっては、庄司薫さんも、彼の書いた「薫くんシリーズ4部作」も、その最後の作品である『ぼくの大好きな青髭』という小説も、そして小説のモチーフとなっている「葦船ラー号」も、あまり馴染みのないものでしょう。一つ一つに簡単な説明をつけておきましょう。とは言っても私は『ぼくの大好きな青髭』をほとんど出版と同時に読んでいるので、再読した時期を考えても40年以上昔のことになります。うる覚えなので、不正確な点があったらお許しください。
まず庄司薫さんですが、何となく小説の主人公である「薫くん」と庄司薫さんがダブってしまうのですが、世代的には随分と差があります。庄司薫さんは都立日比谷高校から東大に進んだエリートとして、経歴としては「薫くん」と一致しますが、小説中の「薫くん」は1969年の東大紛争のために東大受験を見送った設定(1950年ごろの生まれ?)になっていますから、現実の庄司薫さんとは十歳以上の年齢の開きがあります。庄司さんは、学生時代に文学賞を受賞するような俊英でしたが、その後十年ぐらい作品を発表せず、東大紛争の時にその煽りを食った「薫くん」を主人公とした『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969)をタイムリーに発表して、芥川賞を受賞したのです。その後『さよなら快傑黒頭巾』(1969)、『白鳥の歌なんか聞こえない』(1971)を矢継ぎ早に発表し、作品がテレビドラマや映画にもなって、1970年代のはじめにはそうとう話題になったのでした。私は中学生の頃に庄司さんの原作のテレビドラマを見て、小説を読んで、後追いで庄司薫さんのことを知りました。少し時間を空けて出版された『ぼくの大好きな青髭』は唯一、私が発表と同時に読んだ庄司薫さんの小説です。余談ですけど、庄司薫さんはピアニストの中村紘子(なかむら ひろこ、1944 - 2016)さんと結婚されていて、芸術家カップルとしても有名でした。
その「薫くんシリーズ」ですが、読んでみるとわかるとおり究極の口語体とも言えるような、「薫くん」の独白の文体が特徴となります。まだ村上春樹さんがデビューする遥か以前のことですから、その文体が衝撃的で、そうなると批判する人たちも当然、出てくるのです。一部には、野崎孝訳版、サリンジャー(Jerome David Salinger、1919 - 2010)さんの『ライ麦畑でつかまえて』と似ているのではないか、という批判もありました。主人公の設定も似ているし・・・、という批判だったそうですが、私のような人間から見ると、「薫くん」はとんでもないエリートです。まだ受験生とはいえ、いずれ東京大学に入るのでしょう。そんな「薫くんシリーズ」と比べると、『ライ麦畑でつかまえて』はもっとハードな現実と直面しているような気がします。
ここからは私の評価も混じってくるのですが、庄司薫さんの作品の主人公である「薫くん」の悩みは、心優しいエリート青年が持つ形而上学的な悩みだと言えます。そんな特殊な事例なのにベスト・セラーになったのは、庄司薫さんの巧みな構想と文章表現によるものだと思います。
そして『ぼくの大好きな青髭』ですが、この小説は自殺未遂をする「薫くん」のお友だちのことから話が始まります。この友人は人付き合いが不器用で、見た目もぱっとしない人ということになっています。しかし、裕福な家庭のエリートであることには変わりません。その友人が、なぜか新宿のアンダーグラウンドの世界では若者から慕われる存在であり、彼は「葦舟」の「船長」と呼ばれているのです。
その「薫くん」の友人、「高橋くん」たちの仮想敵は、エリート思考を信奉する一方で、自由を求める若者を食い物にする現代社会です。そして、それを扇動するマスコミが当面の敵ということになります。
ところでこの小説の舞台となっている1969年は、近代文明の結晶である「アポロ11号」が月面着陸に成功した年であり、その一方で古代文明を検証しようとしてパピルスで作った船「葦舟ラー号」が海に沈んだ年でした。私が思うにこの小説の成功は、「アポロ11号」と「葦船ラー号」の対比を、うまく活用したことにあると思います。この二つの事件を象徴的に扱うことで、一気に冴えない若者の失敗を広く共有できるものにしたのです。
この二つの関係性について、『ぼくの大好きな青髭』の中では次のように説明されています。
あのトール・ヘイエルダールが企てた、パピルスで造った小さな葦船で大西洋を渡る試みは、二ヶ月位前に公開を開始して大きな反響を読んだけれど、ちょうど月ロケット、アポロ11号の打ち上げと重なったせいか次第に忘れられてしまって、まるでほんとうに大西洋の波間にうかぶ小舟よろしく、新聞を埋め尽くすアポロ関係記事の片隅に小さな消息が時々顔を覗かせているかと思ううちに、ちょうど昨日とうとう沈んでしまったものだった。
(『ぼくの大好きな青髭』「9」庄司薫)
1969年からはるかに時代を隔たった今ですから、このことについてもう少し説明しておきましょう。「アポロ11号」と「葦船ラー号」に関する事実は次のとおりです。
アポロ11号は2人の人間を世界で最初に月に着陸させた宇宙飛行であった。ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン月着陸船操縦士の2名のアメリカ人が、1969年7月20日20時17分(UTC=協定世界時)にアポロ月着陸船「イーグル」号を月に着陸させた。アームストロングは7月21日の2時56分15秒(UTC)に月面に降り立った最初の人物となり、その19分後にオルドリンがアームストロングに続いた。
(Wikipedia「アポロ11号」より)
1969年、(トール・ヘイエルダールは)「アステカ文明はエジプト文明と類似しており、エジプトからの移民が作った文明ではないか」と考え、古代エジプトの葦船に大西洋を渡る能力があることを証明しようとした。このため、古代エジプトの図面と模型に基づいて設計され、エチオピアのタナ湖産のパピルス葦を使ってチャド湖から招請した船大工と建造した船「ラー号(ノルウェー語版)」で、ヘイエルダールを含めた7人の乗組員でモロッコのサフィからカリブ海を目指した。数週間の航海の末にラーは浸水しており、設計ミス(エジプトの技術の中の重要な要素を見落としていた)が判明した。ラー号は6000km以上を航海して残り数百kmまで来ていたが、最終的にはバラバラになった。乗組員は救出された。
(Wikipedia「トール・ヘイエルダール」より)
『ぼくの大好きな青髭』の「高橋くん」たちはアポロ計画を憎み、自分たちを「葦舟」の船員になぞらえていたのです。「高橋くん」はその「葦船」の船長だったのです。しかし、どうやら夢やぶれて「高橋くん」は自殺未遂をしてしまったのです。「高橋くん」は意図しない妊娠をしてしまった少女を助けようとしましたが、それも果たせませんでした。彼に賛同した若者たちがその後どうなったのか・・・、具体的に書かれていませんが、苦い余韻を残す小説です。
その「薫くん」が大冒険を繰り広げる新宿の街ですが、正直な感想を書けば、現在の行き場のない少年少女たちが食い物にされる現実の新宿に比べると、何だか意図的に危険を作り出しているようにも見えます。例えば作中の「高橋くん」が助けようとした少女がこう呟く場面があります。
「あたしは馬鹿で、勉強が嫌いで、才能もないし、だからあたしみたいなのが生きていくには、おとなしくお行儀よくしている他ないって、よく分ってたのね。だって、人間が好き勝手に生きるってことは、頭がよかったり力があったり才能があったりする人にだけ許される贅沢なんでしょう?
そうじゃない人は、周りの言うことをよくきいておとなしくしている他ないんでしょう?
人間はみんな同じだなんて嘘で、自由に生きる資格のある力のある人と、一所懸命おとなしくしていてそれでやっと生きていける人とがあるんでしょう?」
(『ぼくの大好きな青髭』「15」庄司薫)
これを読んで、皆さんはどうお感じになりますか?
この小説が書かれた1970年代なら、「一所懸命おとなしくしていてそれでやっと生きていける」時代だったのかもしれません。あるいは、恵まれた人たちはそういう認識で生きていたのかもしれません。しかし今では、「頭がよかったり力があったり才能があったり」などという個人差の問題ではなく、生まれながらにして教育格差があることが明らかになっています。つまり「頭がよかったり力があったり才能があったり」しても、格差社会の中では浮かばれないことがあるのです。この数十年間で、世界の現状がより深刻であることがわかってきた一方で、そのことへの改善や対策はさっぱり進んでいないように見えます。それはなぜでしょうか?
例えばこの小説の最後で、「薫くん」は次のような感想を持ちます。
高橋が、シヌヘが、そしてぼくの出会ったすべての人々が、みんなそのそれぞれの方法で精いっぱい真剣だったという思いが、そしてそのそれぞれが精いっぱい真剣だったことが今あまりにも確かに思われるというそのことが、わけの分らぬままぼくの背筋を顫わせるように思われたのだ。みんなそれぞれが精いっぱい真剣でありながら、それでもなお、いや、恐らくはそれだからこそ敗れ去るとしたら、その彼らがそんなにまで激しく見つめ、結局はそんなにまでも激しく愛し憎んだこの現代をこのぼくもほんとうに彼らと同じように激しく愛し憎むことができるだろうか……。ぼくは思わず足をとめて、既に暗くなった両側のビルの合間の異様に明るい夜空を見上げた。思いも及ばぬほど巨大な目差しがじっとぼくを見つめているように思ったのだ。
(『ぼくの大好きな青髭』「16」庄司薫)
1969年の若者の感慨はこのようなものであったのかもしれませんが、その後の社会を作っていく私たちは、これではダメなのです。「精いっぱい真剣」だということだけで、満足してはいけないのです。先ほどの少女の呟きとも重ねて考えてみましょう。力のない人たちが「おとなしくしていて」はいけません。
今、私たちは何かを行動しなければいけません。それは一般生活者としての抗議の活動である場合もあるでしょう。そしてあなたが芸術家ならば、何かを表現しなければならないのです。それはロマンチックな古代の「葦舟」ではなくて、現在の多くの人が共有できる「船」でなければなりません。そしてそれは、継続可能な活動でなければならないのです。その活動には、若者と年寄りの差異はありません。若いあなたも、年寄りの私も、何かをしなければならないのです。
さっきの繰り返しになりますが、私はそこで芸術の果たすべき役割が小さくないと思っています。芸術は、現実の社会に先んじて何かを示すことができます。その力を発揮すべき時だと思います。
今回の『HAKOBUNE』はそんな試みの一つだと私は考えていますが、いかがでしょうか?この続きは次回、考えましょう。