はじめに、ポピュラー音楽の話題です。
デュオのポップ・グループ、シールズ&クロフツのジム・シールズが亡くなりました。享年80歳だったそうです。1972年に最初のヒット曲“Summer Breeze”をリリースし、翌年には“Diamond Girl”がヒットしました。日本では、私がラジオをよく聴いていた頃に、”I’ll play for you”が大ヒットしました。彼らの曲はメロディに憂いを含んでいるので、日本人好みということもあったのかもしれません。その当時はラジオのFM放送をカセットテープに録音するのが流行っていたので、FMの番組表を掲載した雑誌がよく売れていました。その表紙に彼らの新作LPのジャケット写真が使われていたのを憶えています。そういう遠い記憶と結びつくような、印象的な曲の多いデュオでした。
“Summer Breeze”
”I’ll play for you”
それから、渋いミュージシャンですが、62歳でケリー・ジョー・フェルプスというシンガー・ソング・ライター、ギタリストが亡くなりました。私はこのミュージシャンのことをピーター・バラカンさんのラジオで知りました。そして6月にピーターさんの番組で追悼特集をやっていましたが、どの曲も素晴らしい演奏でした。あらためて良い音楽家だったのだとわかりましたが、そのことに言及したサイトを見つけました。
https://www.radiomusic.jp/entry/2022/06/21/070000
ケリー・ジョー・フェルプスさんは、若い頃にフリー・ジャズのベーシストをやっていたとのこと、その経験からのちにプリミティブでシンプルな音楽を志向するようになったそうです。それがブルーズやカントリーの味わいのある音楽だったのです。ジャズの即興演奏の経験もあって、一人で即興で演奏することが好きだったそうです。
亡くなったのが惜しまれますが、私よりちょうど一歳年上で、まだ若いのに、と言って良い年齢なのかどうか、微妙なところです。いずれにしろ、こんなに美しい音色のギターを弾く人が亡くなるなんて、時の流れの過酷さをあらためて思い知ります。
さて、本題に入ります。
今回は関口裕昭(せきぐちひろあき)さんというドイツ文学者で、明治大学の教授をなさっている方が書いた『翼ある夜 ツェランとキーファー』という本を取り上げます。
ツェランとは、ドイツ系ユダヤ人の詩人、パウル・ツェラン(Paul Celan、1920 - 1970)さんのことです。そしてキーファーとは、このblogを読んでいる方ならば言わずと知れた現代美術家のアンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer、1945 - )さんのことです。
私は現代詩に疎い人間ですので、ツェランさんの詩集を読んだことがありません。ただ、キーファーさんの作品にツェランさんの詩が関わっていることを知っていましたので、ツェランという名前だけは聞いたことがありました。この本を書かれた関口裕昭さんは、私とは逆にドイツ文学の専門家で、パウル・ツェランの研究書も何冊か書いておられるようです。
彼は美術評論家というわけではありませんので、キーファーの美術表現について、とくに現代美術のなかでのキーファーの評価について、直接触れた部分はありません。それにもかかわらずこの本が興味深いのは、キーファーさんが先の戦争について、とりわけナチズムについて、繰り返し表現していることに、関口さんが注目しているからです。
ご存知のように、ロシアはウクライナの侵攻について、「ナチズムからの解放」ということを言い訳にしています。まったく正当性をもたない言葉ではありますが、少なくともヨーロッパにおいては、いまだに「ナチス」の亡霊が影を落としていることがわかります。それなのにキーファーさんは、「ナチス」との親和性とも取れるような表現や、とりわけ「ナチス式最敬礼のようなパフォーマンスの写真さえも残しているのです。このような表現と、ユダヤ人であるツェランさんの詩を作品のモチーフとすることは、いったいどのような理由で両立しているのでしょうか?
この『翼ある夜 ツェランとキーファー』は、そのことを探究した著作だとも言えます。その冒頭は、次のような戸惑いからはじまります。
アンゼルム・キーファーは現代ドイツを代表する、いや世界でも有数の画家である。しかし、彼ほど評価が極端に分かれる芸術家もめずらしい。その最大の理由として、キーファーが特に初期の作品において、タブーとされてきたドイツの歴史、とりわけナチスの蛮行やゲルマン神話と真正面から取り組んでいたことがあげられる。これらの作品は難解をきわめ、作者の真意が必ずしも正しく理解されてこなかった。
忘れもしない、今から20年以上も前のことである。セゾン美術館で開催中だったキーファー展に足を踏み入れた私は、大きな衝撃を受けた。目の前に並ぶ、圧倒的なスケールと質量をもった作品群。それらは見る者に一種の陶酔感をもたらすと同時に、強い反発と嫌悪感を掻き立てるものだった。キーファーの名を一躍有名にした、ヒトラー式敬礼をしている自分を撮影した一連の《占領》という作品。真っ黒に焼け焦げた大地のあちこちで火がくすぶっている《飛べ、コフキコガネ》や《ニュルンベルク》。ナチスの荘厳な建築物を遠近法的に描いた《知られざる画家に》・・・。
これらの作品を目の前にして、私はキーファーの真意がどこにあるのか分からなくなってしまった。それらはナチスへのシンパシーを完全に消し去ってはいなかった。その一方でキーファーは、ユダヤ文化にも深い関心を寄せ、カバラや旧約聖書を題材にした作品を多く手がけている。彼には戦後ヨーロッパ最大の詩人とみなされているパウル・ツェランの詩から着想をえた作品も少なくない。両親を強制収容所に失い、ナチスによる辛酸をなめ尽くしたユダヤ人の生き残りの詩人を、ドイツ人である彼はどのように理解し、作品に取り込んでいったのであろうか。
それ以来、キーファーの作品と動向には絶えず注意を払い、画集を取り寄せ、新聞や雑誌の記事に目を通してきた。しかし彼について何度も書こうとしたものの、複雑な想いをうまく表現することができなかった。ドイツの知人たちの「彼は危険すぎる」という声も脳裏を離れなかった。そして数年前、久しぶりにキーファーの近作を画集で見る機会があり、画面がいっそう緻密となり、格段に進化していることに驚いた。こういってよければ、言い知れぬ感銘を受けたのである。
とりわけ私の眼をとらえたのは2005年に製作された一連の《パウル・ツェランのために》と題された作品であった。それらはツェランの詩に寄り添いながら、時にはその詩句をそのまま絵の中に書き写しつつ、傷の奥深い所に触れ、痛みを追体験しながら、ドイツの歴史と真摯に対話しようとしているように見えた。そのとき長らく腑に落ちなかったもの、もやもやしていた不安も少しずつ溶解していったのである。
(『翼ある夜』<第一章「死のフーガ」と灰の花>関口裕昭)
ここには、キーファーという美術家を解釈することの難しさが書かれています。その要因に一つである「ナチス」との親和性は、本当にあるのでしょうか?ドイツの知人たちが「彼は危険すぎる」と言ったというのも、懸念されるエピソードです。
それにもかかわらず、関口さんがこの本を書いたこと、そして彼はキーファーとツェランとの関係について、あるいはキーファーとナチスとの親和性についてどのように考えたのか、手短なblogの中では限界もありますが、とりあえず探ってみることにしましょう。
例えば、キーファーさんの建物の内部を描いた作品に『ズラミート』という暗い絵があります。
https://storiesinart.wordpress.com/2015/05/30/shulamith-by-anselm-kiefer/
この作品について、この本ではこう書かれています。
1983年には、ヴィルヘルム・クライスが設計した納骨堂を描いた絵に『ズラミート』というタイトルをつけている。この絵を見る者は一瞬わが目を疑う。ナチスの記念碑的な建造物にユダヤ人の犠牲者の名前をつけるとは何かの誤りではないか、それとも意図的な冒涜行為なのか、と。
多木浩二もこの作品に注目し、次のように書いている。「『ズラミート』は、当時の長老的建築家ヴィルヘルム・クライスが設計した偉大なドイツ兵士のための慰霊堂をモデルに描いたものであった。奥にキーファーらしく陰気な火が燃えている。火はさまざまな意味を持つ象徴である。そこにはいくつも相反する死、無名であるからこそ栄光ある兵士の死と、名を奪われた上で絶滅されたユダヤ人の死が重なっている。その絵では第二次世界大戦とホロコーストが、時期が同じせいもあって分離しがたく混じり合っている」。
多木が「ドイツ兵士の死」の背後に「ユダヤ人の死」を見抜いたのは炯眼である。彼はけっして安易にタイトルからそう判断したのではないだろう。この絵のただならぬ雰囲気の背後に、二つの死が「分離しがたく混じっている」ことを敏感に察知したのである。そのことを絵に即して証明してみよう。よく見ると画面の奥には小さな炎がちろちろ燃えているが、数えると七つある。つまりこれはユダヤ教の儀式で用いられる七本の燭台メノラーである。さらに両脇には黒い旗が死者に対する哀悼を表す半旗の状態で掲げられている。ナチスの納骨堂にはユダヤ人の死者たちが眠っているのである。
キーファーがしばしば、ネオナチだなどと非難されたのも、このような危険をはらんだ両義的なしかけに起因する。彼の作品を観る者は、細心の注意を払って作品の細部にまで目を凝らし、タイトルとその背後に隠された歴史的・文化的コードを総動員して考えなければならないのだ。
しかしこのような背景を知った上でも、私はまだこの時期のキーファーの絵には、ゲルマンの過去の遺産に深く没入し、一種の陶酔と憧れが色濃かったように思われてならない。実際、キーファーの極端な伝統主義は、1980年代後半のドイツで激しい批判を浴びた。彼が危険な復古主義者とみなされたのも故なしとは言えない。煙のないところに火は立たぬものである。しかしキーファーは故意に煙を立て、煙をとおしてしか見えないものを直視しようとしているのだ。
1990年、キーファーは久しぶりに『ズラミート』と題した64頁からなる一冊の鉄製の書物を製作した。その表紙の上には人間の黒い髪ひと房と一握りの灰が撒かれているだけである。これこそズラミートのイメージにぴったり合う傑作である。全体をその一部で代用するPars pro Toto(全体に代わる部分名称)と呼ばれる技法は、キーファーにもツェランにもふさわしい表現形態である。この簡潔な表現に至るまでに、キーファーは10年の歳月を要したともいえよう。では、この部分から全体を再構築することは可能なのであろうか?
(『翼ある夜』<第一章「死のフーガ」と灰の花>関口裕昭)
まずは基本情報を押さえておきましょう。
ヴィルヘルム・クライス(Wilhelm Kreis、1873 ~ 1955)はドイツの著名な建築家であり、建築の教授であり、ドイツの歴史における4つの政治システム、ヴィルヘルム時代、ワイマール共和国、第三帝国、連邦共和国の創設を通じて活躍しました。(Wikipediaより)
その大建築家の建てたドイツ兵のための慰霊堂をモデルにして描いた作品ということですから、立派に描けば描くほどナチス讃美ということになるのでしょう。しかし、その建物の真ん中で燃える炎がユダヤ教の儀式を彷彿とさせることから、ここにはドイツ兵の霊とユダヤ人の死が重ね合わされて表現されている、というのが関口さんの、あるいは美術評論家の多木浩二さんの解釈です。
ちょっと横道にそれますが、多木 浩二(たき こうじ、1928 - 2011)さんは美術評論の他、写真、建築、芸術学など広く研究された方です。キーファーさんについても、『シジフォスの笑い』という立派な評論があって、このblogでも以前に参照したことがあります。日本の美術評論で、キーファーさんを本格的に取り上げた唯一の著作ではないか、と思います。キーファーさんはここでも書いたように、評価の分かれるところがあって、日本では本格的な美術評論としてフォーマリズムに影響を受けた批評が盛んだったので、キーファーさんのような作家は取り上げにくい、というところもあったと思います。多木浩二さんは、その点で視野の広い評論活動をしていたので、キーファーさんの作品が射程に入ったのでしょう。
話を戻します。キーファーさんは先程も書いたように、ナチスを賛美しているとも受け取れるような作品の作り方をしています。しかしそこには、ナチスが弾圧したユダヤ人を象徴するような図像も一緒に盛り込む、ということもしていて、作品解釈が両義的に読めるのです。キーファーさんの芸術に惹かれている人たちは、キーファーさんはナチス賛美の表現の姿を借りながら、実は強烈に批判しているのだ、と思いたいところです。
しかし、そこには微妙な問題がある、と関口さんはとらえています。「ゲルマンの過去の遺産に深く没入し、一種の陶酔と憧れが色濃かったように思われてならない」と関口さんは書いていますが、実はゲルマン的な神話や民族意識に魅了された芸術家はたくさんいるのです。エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867 - 1956)はその代表的な画家だと思います。その作品は素晴らしいのですが、政治的に彼がどのような立場を取り、社会的にどのように評価されたのか、という点では、いまでも評価が揺れている画家です。そのことを私は以前にここで書いたことがあります。ちなみにノルデの神話的な作品は、例えば次のようなものです。
http://art.pro.tok2.com/N/Nolde/Nolde.htm
もう少し有名なところで言うと、そういうドイツ的な民族意識をもった音楽家としてリヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner,、1813 - 1883)がいます。ワーグナーとキーファーの類似点について、関口さんはこの本で触れていますが、ちょっとピンとこないところがあります。それよりも、わたしは次のような、映画を介したイメージで話をしたいと思います。
映画「地獄の黙示録」では、ヘリコプターによる爆撃の場面で、ワーグナー作曲の「ワルキューレの騎行」が効果的に使われていました。クラシック音楽のファンでなくても、そのワクワクするような旋律を聴いたことがある人も多いと思います。
その『地獄の黙示録』を撮ったのはフランシス・フォード・コッポラ監督ですが、彼は名作『ゴッドファーザー』でも有名な人です。『地獄の黙示録』は、『ゴッドファーザー』に比べると難解な映画で、評価が大きく分かれました。しかし少なくとも、「ワルキューレ」が使われている有名な戦闘シーンは、誰もが息をのむ出来栄えだったと思います。そして「ワルキューレ」という曲が、「戦意高揚」をうながすような魔力をもった曲だということを、意識せざるを得ないシーンでもありました。戦争を描いた映画ですから、フィクションだとはいえ爆撃された土地には罪のない人たちがいたはずなのです。本来なら嫌悪すべき場面なのに、つい見入ってしまうのは、まさに芸術の魔力でした。
ノルデ、ワーグナー、キーファーのようなドイツ的な傾向の芸術家は善悪の判断を超えて、そのゲルマン的な色彩の濃厚さがあって、それがとても魅力的なのです。ナチスは、そういう民族意識を利用して台頭しました。実に巧みな、政治的手法であったと思います。
キーファーの芸術はその際どい境界線を歩むようにして、言わば「故意に煙を立てて」きたのだ、と関口さんは解釈しています。しかし、どこまでが意識的に「煙を立てた」のか、どこまでがゲルマン的なものに魅入られてしまったせいなのか、それは誰にもわかりませんし、おそらく本人にもわからないことでしょう。だからこそ、彼の芸術は「危険だ」と思っていても気になるのです。私はクラシック音楽をまったく聴かない人間ですが、ワーグナーの濃厚さ、押し付けがましさ、壮大さが、キーファーさんの芸術と似ているのだろう、と思います。だからこそ、関口さんは二人を結びつけて考えたのでしょう。
さて、ドイツ的なものというのは、このように際どいものばかりではありません。基本的には虚飾のない率直なもの、真っ直ぐにものごとと向き合うようなイメージが、ドイツ的な思考や芸術のなかにあります。その典型的な例のうちの一人が、アーダルベルト・シュティフター(Adalbert Stifter, 1805 - 1868)という画家で小説家だった人です。やや地味な人なので、関口さんの紹介文を書き写しておきます。
アーダベルト・シュティフター(1805〜1868)。19世紀オーストリアを代表する写実主義の作家であり、日本でも多くの愛読者を持っている。生まれはボヘミアのオーバーブラーンとい現在はチェコの小都市である。故郷の町と豊かな自然、特に森を愛し、小説に描き続けた。12歳の時に父を失い、修道院の附属小学校に通った後、ウィーン大学で法学を学んだ。ゲーテとジャン・パウルに影響を受けて創作を始め、「コンドル」の成功で作家生活に入った。教養小説の傑作に数えられる長編小説『晩夏』のほか、連作短編集『石さまざま』、とりわけ「水晶」は珠玉の作品として有名である。彼の小説ではとりたてて重大な事件が起こるというのでもなく、日常茶飯の事柄や自然が細かく描写され、ゆったりとした時間が流れている。
(『翼ある夜』「変転する水晶」関口裕昭)
このような人が、キーファーさんとどのような関わりがあるのでしょうか?関口さんは次のような、キーファーさんがシュティフターについて言及した言葉を引用しています。
石自体が燃えている。そうロマン主義者たちは表現しました。生命をもつものと生命をもたない対象との間の違いをロマン主義者は取り除きました。少なくともシュティフターはそうです。彼は樹木や石といった対象を、まるで生き物であるかのように描きました。そして人間のさまざまな関係を、まるで死んでいるかのように、石であるかのように。彼は無生物から生物へのたやすい移行を描いたのです。彼は生物を無生物として、無生物を生物として解釈しました。そこに彼の関心はあり、けっして多くの人々が思っているようなビーダーマイヤーの作家とは違います。彼はもっと深い所へ達しています。
<中略>
生きているものだけが生きているというのは、せまい考え方です。ひとつの石も生きている。そのことを私はとりわけシュティフターから学びました。このような理由から、シュティフターはビーダーマイヤーの退屈な作家であり、読むに値しないという多くの意見とは裏腹に私を魅了してきたのです。シュティフターはもの(Ding)に価値を与えました。物質のなかに精神を発見する私も彼と同意見です。こうした思想は特にシュティフターに見られます。その限りでは、シュティフターは哲学的な意味におけるロマン主義者であり、ビーダーマイヤーの作家ではないといえます。
(『翼ある夜』「変転する水晶」関口裕昭)
参考までにビーダーマイヤー(Biedermeier)とは、19世紀前半のドイツやオーストリアを中心に、もっと身近で日常的なものに目を向けようとして生まれた市民文化の形態の総称だそうです。シュティフターの小説は、例えば悪役にあたるような極悪人が現れて、物語全体を引っ掻き回すとか、最後になって思いがけない大逆転が起こるとか、そういうことはありません。そういう意味では「日常的なもの」に目を向けて、ささやかな「市民文化」を描いた創作だという見方もできます。しかし彼の小説は、そんな定型に収まらない何かがあルのです。それは「自然」や「もの」に目を向けた、深い洞察があるからでしょう。シュティフターの「自然」へのリスペクトは、生物と無生物との境界を意図的に曖昧にして創作活動を続けるキーファーさんに、大きな影響を与えたようです。
この部分を読んで、私はさまざまな「もの」に囲まれたキーファーのアトリエの映像を思い出します。一般の人から見れば、廃品回収の倉庫ではないか、と思われるようなガラクタが集められ、それがハリボテの飛行機だの、鉛のベットだの、金属の書物だのに変わるのです。なぜ、これらのガラクタから作られたものが、人々を魅了するのでしょうか?
そこには、ゲルマン文化を中心としたキーファーさんの膨大な教養があり、それが作品の背景を形成しているからでしょう。キーファーさんのイメージする物語を、たとえ私たちが知らなくても、キーファーさんの作品を見る上ではあまり影響がないのです。それは私たちの五感に直接訴えてくるので、細かな事情を知らなくても楽しめるのです。
さて、このようにキーファーさんの作品には広大な文化的バックボーンがあって、それが私たちの感覚に直接何かを投げかけてくるということが、わかりました。今回はその一部に触れただけですし、肝心のパウル・ツェランさんの詩との関係、その影響については触れることができませんでした。しかし、この『翼ある夜』はそうした知見の豊富な宝庫であることを皆さまへご紹介できました。私自身もあらためて、この本を読み込んでツェランという詩人についても勉強してみたいと思っています。
最後になりますが、キーファーさんの作品の美術的な特徴について、私の思うことを少しだけ触れておきたいと思います。私はキーファーさんの作品には多少の不満があって、とにかく作品が大仰に見えるところが私の好みではないのです。しかし、今回の『翼ある夜』を読んでみると、そこにはキーファーさんなりの必然性があることがわかりました。ですから、その点はとりあえず保留しておきましょう。
そして、キーファーさんの画家としての技術が、それほど高くは見えない点も、作品によっては気になります。たぶん、ドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーでは、そんな些細なことはどうでも良いのでしょう。しかし私は、彼がもう少し画家としての腕自慢があって、彼が絵画にこだわって制作していたなら、もっと興味深い作品が生まれたのではないか、と夢想してしまいます。不遜なことを言うようですが、もちろんこれはキーファーさんが世界的に優秀な作家である、という前提に立った上での話です。
彼の優秀さは、おそらく「もの」との独特の関係性によって発揮されます。キーファーさんは錬金術師のように、ただのガラクタに生命を吹き込む感性を持っているのです。そして今回、それが感性ばかりではなくて、深い教養や洞察に裏付けられたものであることがわかりました。そういう意味でやはりキーファーは偉大です。その作品の背景を考えるだけで、楽しくなるような作家なのです。
そして彼は、アメリカの安っぽいオブジェを使った作家たちとはまったく異なります。作品を観る楽しみが格段に上なのです。また、現代美術のフォーマリズムの批評からすると、明らかにキーファーさんは逸脱していますが、だからと言ってそれがどうだと言うのでしょうか?そんなことよりも、作品が興味深いということの方が、よほど大切です。
私自身は、彼の「もの」を扱う感性から、いろんなことを学んでみたいと思っています。そしてキーファーさんよりも、もっと絵画的な観点から、彼の芸術の乗り越えを試みます。それこそが、彼に対して最大限の敬意を表することになると思うからです。