外国語を専門とする若い友人と、「nudge(ナッジ)」という言葉について話す機会がありました。高校の英語のテキストに「nudge」の話題が出ているのだそうです。ちなみに、この言葉は、辞書にはこう書かれてます。
nudge;<動詞>(肘で)軽くつつく、(水準・数量などに)近づく
<名詞>(肘で)軽くつつくこと
しかし、現在の行動経済学において、「nudge」は「行動を強制することなく、人間の行動パターンを利用して他者の行動を誘導する手法」のことなのだそうです。
https://frontier-eyes.online/nudge/
この手法を政策に、例えば環境問題の解決に活かそう、という動きについてニュースでも取り上げられています。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9ca55bff3ec1bb40447e3f3aa90c4165ea135598
これはこれで興味深い問題ですが、芸術表現に関わる者として、「nudge」という日本語に訳せば「軽くつつく」という意味の言葉が、「行動を強制することなく、人間の行動パターンを利用して他者の行動を誘導する手法」という意味にまで広がっていることが気になります。
この言葉の用法は、ノーベル賞を受賞したリチャード・セイラーさんというアメリカの学者が、 キャス・サンスティーンさんと共著で書いた『NUDGE 実践 行動経済学』という本によって広まったようです。もともと行動主義心理学が盛んであったアメリカらしい、合理的でプラグマティックな考え方の用語だなあ、と感じます。
言葉というのは、住んでいる地域や国、民族によって異なりますから、それぞれの言葉が一語ずつ、相互に対応しているわけではないのはあたりまえですが、このような「nudge」と「軽くつつく」という言葉の食い違いは、その言語を使っている人たちの意識や内面の違いをも表してもいる、と私は考えるのですが、いかがでしょうか?
さて、その若い友人と話していて思い出したのは、日本の近代哲学に大きく貢献した哲学者、九鬼 周造(くき しゅうぞう、1888 - 1941)さんのことでした。
彼が1930年に発表した『「いき」の構造』という本には、西洋哲学を本格的に学んだ九鬼さんが、日本独自の美意識を考察するために、「いき」という言葉に注目して、その意味や概念について徹底的に考えた成果が書かれているのです。
もちろん、「いき」に対応するような外国語はありません。日本語においてさえ、厳密に説明することが難しいこの言葉に対し、九鬼周造さんは現象学的な手法によってその意味を探り、さらにそれを厳密に言語化していったのです。その過程で、「いき」という言葉によって表現された日本独自の美意識が浮かび上がってくる、というわけです。
私は学生時代にこの本をはじめて読んだのですが、「いき」という極めて曖昧な、そして俗っぽくもある言葉について書かれた本が、日本の哲学を語る上で欠かせない本として位置付けられていることに不思議な感じがしました。おそらく、多くのみなさんが、どうして「いき」なのだろうか、と思われるに違いありません。これが「わび」とか「さび」というような、芸術性の高い言葉なら納得できますが、「いき」にはどこかに卑俗的な響きがあります。「いよ、いきだねえ!」とちょっと江戸っ子っぽく囃し立てる言い方が、私の子供の頃には、まだあったと思います。それは間違いなく、庶民の言葉遣いです。
しかし今では、この「いき」についての本が、九鬼周造さんという人の強烈な個性によるものだということが理解できます。このことは、後で書きましょう。
そして私はその若い友人に、ぜひこの本を読むようにすすめたのですが、帰宅して実際に本のページをめくってみると、いま『「いき」の構造』をいきなり読めと言われても、何のことやらよくわからないだろうなあ、と実感しました。言葉遣いが古いのは当然だとしても、「nudge」などというインターナショナルな概念が高校の英語の教科書に出てくる時代に、日本のもはや古めかしい言葉となった「いき」について書かれた本を読んでも、何が面白いのかよくわからないでしょう。
そこで今回は、『「いき」の構造』について私なりのガイダンスを試みたいと思います。私は哲学や言語の専門家ではないので、的外れなところがあったらごめんなさい。そしていつも通り、事実誤認があったら教えてください。
それでは、まず九鬼周造さんという人について、少しだけ予備知識を持っておきましょう。
九鬼周造さんは文部官僚だった九鬼隆一男爵の子として生まれました。名家の恵まれた環境に生まれた、ということになります。そうでなければ、当時の日本で東京帝国大学(東大)を卒業し、ヨーロッパに哲学を学びに行く、などということはできなかったでしょう。
しかし実際の家庭環境は複雑で、母親が周造さんを妊娠していた時に、東京美術学校を開設した岡倉覚三(天心、1863 - 1913)さんと恋愛関係になり、両親が別居、離縁するということになります。
岩波文庫の『「いき」の構造』の解説(多田道太郎)によれば、不確かな話としてですが、九鬼周造さんが幼い頃に母親の元を訪ねてくる天心さんを父親だと思った時期があり、天心さんが実父だったらいいなあ、と思っていた、という伝聞もあるそうです。
九鬼周造さんご自身の家庭も不安定で、Wikipediaによると最初の配偶者は亡兄の妻だった方だそうですが、ヨーロッパに一緒に帯同したものの、帰国後に離婚されたそうです。そして九鬼さんは、京都帝国大学(京大)で教鞭をとり、教授にまで登りつめますが、そこで二度目の配偶者に選んだのは、祇園の芸妓の中西きくえさんだったそうです。そのことについて、松岡正剛さんは『千夜千冊』で次のように書いています。
最初の妻を捨て、二度目に選んだのは祇園の芸妓の中西きくえであった。失った母を近づかせたとはいえないだろうものの、京都帝国大学の教授としては、かなりきわどい選択だ。祇園から人力車で帝大に乗り付けているという噂も、しきりにとんだ。
むろん、そんなことは覚悟のうえのことである。
(『千夜千冊』「『いき』の構造」松岡正剛)
このように九鬼さんの人となりを辿っていくと、九鬼さんが「いき」という際どい言葉を選んだことが、理解できるのではないでしょうか。おそらくは、ヨーロッパで自由な空気を吸って帰国した九鬼さんは、「いき」にあたるような生き方を自ら実践したのだと思います。古めかしい言葉遣いの文庫本を開くと、いかにも堅苦しい学者が「いき」という言葉を外側からつまみ食いしたような印象を受けますが、内容はまったくそういうところがなく、むしろこんなことまで語っていいの?とつっこみたくなるような文章が各所にあります。
例えば「四 『いき』の自然的表現」という章では、人間の身体と「いき」との関係について考察しています。そこで「全身に関して『いき』の表現として見られるのはうすものを身に纏うことである」などという例を出した後で、女性の浴衣姿について、次のように書いています。
「いき」な姿としては湯上がり姿もある。裸体を回想として近接の過去にもち、あっさりした浴衣(ゆかた)を無造作に着ているところに、媚態(びたい)とその形相因とが表現を完(まっと)うしている。「いつも立ち寄る湯帰りの、姿も粋な」とは『春色辰巳園(しゅんしょくたつみのその)』の米八(よねはち)だけに限ったことではない。「垢抜(あかぬけ)」した湯上がり姿は浮世絵にも多い画面である。春信(はるのぶ)も湯上がり姿を描いた。それのみならず、すでに紅絵(べにえ)時代においてさえ奥村政信(おくむらまさのぶ)や鳥居清満(とりいきよみつ)などによって画かれていることを思えば、いかに特殊の価値をもっているかがわかる。歌麿(うたまろ)も『婦女相学十躰(ふじょそうがくじったい)』の一つとして浴後の女を描くことを忘れなかった。しかるに西洋の絵画では、湯に入っている女の裸体姿は往々あるにかかわらず、湯上り姿はほとんど見出すことができない。
(『「いき」の構造』「四 『いき』の自然的表現」九鬼周造)
これは分かりやすく言えば、お風呂上がりに浴衣を羽織っている女性の姿には、その少し前にお風呂で全裸になっていたということを思い起こさせる過去があり、それが男心をそそる確かな要因となっている、それと浴衣を羽織っている目の前の美しい姿とが一体となっていることから、湯上がりの女性の姿は「いき」という概念をまっとうしていると言えるのだ、ということでしょう。
こんなふうに詳しく説明してしまうと「いき」でも何でもなくなってしまいますね。
そして続けて九鬼さんは、そのような絵画(浮世絵)がたくさんあるのだから、湯上がりの浴衣姿がいかに「いき」であることかがわかるだろう、と言っているのです。さらにヨーロッパにおいては、湯に入っている女性の裸体姿ならば多く描かれているけれども、湯上がり姿を描いたものはほとんどない、だから湯上がり姿は日本独自の美学である「いき」にあたるのだ、とダメ押しの文章まで付け加えています。
このように読んでいくと、へえ、そうなの?というところが各所にあって、小難しい学問的な興味とは別に、この本を読んで楽しむことができます。
さて、それでは簡単に、この本の中身を章ごとに追っていきましょう。
「一 序説」は、ここまで書いてきたような「いき」という言葉の構造を探る意義について書いています。九鬼さんは次のように文章をはじめています。
「いき」という現象はいかなる構造をもっているか。まず我々は、いかなる方法によって「いき」の構造を闡明(せんめい)し、「いき」の存在を把握することができるであろうか。「いき」が一の意味を構成していることはいうまでもない。また「いき」が言語として成立していることも事実である。しからば「いき」という語は各国語のうちに見出されるという普遍性を備えたものであろうか。我々はまずそれを調べてみなければならない。そうして、もし「いき」というごがわが国語にのみ存するものであるとしたならば、「いき」は特殊の民族性を持った意味であることになる。しからば特殊な民族性を持った意味、すなわち特殊の文化存在は如何なる方法論的態度をもって取り扱われるべきものであろうか。「いき」の構造を明らかにする前に我々はこれらの先決問題に答えなければならない。
(『「いき」の構造』「一 序説」九鬼周造)
今となっては「特殊の民族性」という言葉が若干引っかかりますが、西欧的な学問の積み上げがない時代にヨーロッパにわたった日本の若者が、自分たちの国の特性について考えてみたい、という思いが滲んでいることを理解しましょう。そして九鬼さんは上記の文章の通り、各国の言葉を比較しながら「いき」について考えていきます。
例えば、九鬼さんはフランス語から発したchicという言葉について考察しますが、この言葉の意味は「いき」ほど内容が「限定されたものではない」のだそうです。このほかにもいくつかのドイツ語やフランス語をあたっていきますが、「いき」の概念に類する言葉はあるものの、詳しく解釈していくと一致する言葉はないようです。
そこで九鬼さんは次の段階に、つまり「いき」という言葉の構造を探究する段階へと進みます。その探究の方法として九鬼さんが示しているのは、次のようなものです。
しからば、民族的具体の形で体験される意味としての「いき」はいかなる構造をもっているか。我々はまず意識現象の名の下に成立する存在様態としての「いき」を会得し、ついで客観的表現を取った存在様態としての「いき」の理解に進まなければならぬ。前者を無視し、または前者と後者との考察の順序を顛倒(てんとう)するにおいては「いき」の把握は単に空しい意図に終わるであろう。
(『「いき」の構造』「一 序説」九鬼周造)
これも難しい言葉の連続ですが、幸いなことに私たちは九鬼さんが学んだ現象学について、多少の知識をもっています。例えば、哲学者の木田元(1928 - 2014)さんが書いた『現象学』という入門書に現象学について、次のようなモーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)さんの言葉が引用されています。
現象学とは本質の研究であり、いっさいの問題は、現象学によれば、結局は本質を定義することに帰着する。たとえば、知覚の本質とか、意識の本質とか、といった具合である。だが現象学は同時にまた、本質を存在のうちに据えつけなおす哲学でもあり、人間と世界とはその<事実性>から出発する以外には了解のしようのないものだ、と考える哲学でもあるのだ。それは一方では、人間と世界とを了解するために自然的態度の諸断定を停止せしめる超越論哲学であるが、だがまた他方では、世界は反省に先立って、ゆるがしがたい現存として<すでにそこに>在るとする哲学でもあり、その努力のすべては世界とのこの素朴な接触をとりもどし、結局はこの接触に一つの哲学的な規約を与えようとするものである。それは一方で<厳密学>としての哲学たらんとする野心であるが、他方でまた、<生きられる>空間や時間や世界についての報告でもある。一方でそれは、現にあるがままのわれわれの経験の直接的記述の試みであって、その経験の心理学的発生過程とか、自然科学者や歴史家や社会学者がこの経験について提供しうる因果的説明とかには、いっさい顧慮を払わない。
(『現象学』「序章 現象学とは何か」木田元)
この現象学の、ものごとの「本質」を理解しようとする態度が、九鬼さんの「我々はまず意識現象の名の下に成立する存在様態としての『いき』を会得し、ついで客観的表現を取った存在様態としての「いき」の理解に進まなければならぬ」という態度に反映されているのです。ちなみに九鬼さんのヨーロッパでの学習環境は驚くほど本格的なもので、岩波文庫の解説で多田 道太郎(ただ みちたろう、1924 - 2007)さんは次のように書いています。
九鬼周造がヨーロッパにいたのは1921年(大正10年)から昭和4年(1929年)までである。その間、時間の問題について講演したり、フランス語で論文を書いたりした。パリの哲学界では若い俊英としてみとめられ、とくにハイデッガーには高く評価され、ベルグソンにもみとめられた。無名の実存主義者サルトルのパトロン的役割をはたしたという説もあるが、サルトルが九鬼の家庭教師であったことは少なくともまちがいない。
(『「いき」の構造』「解説」多田道太郎)
そのような筋金入りの哲学者が、パリ時代に考案し、日本で完成させたのが『「いき」の構造』だったのです。ですから、先ほどの浴衣姿の「いき」の解釈にしても、本質に迫る九鬼さんの直観が先にあり、そこから浮世絵などの具体的な事例に話が及ぶのです。
さて、先を急ぎましょう。
そのような現象学的な方法論で、九鬼さんは「いき」の構造に迫ります。次の「二 『いき』の内包的構造」において、「いき」がどのような意味をもっているのか、九鬼さんは三つの要素を挙げています。三つ続けて引用します。
まず内包的な見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。異性との関係が「いき」の原本的存在を形成していることは、「いきごと」が「いろごと」を意味するのでもわかる。「いきな話」と言えば、異性との交渉に関する話を意味している。
(『「いき」の構造』「二 『いき』の内包的構造」九鬼周造)
「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である。意識現象としての存在様態である「いき」のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児(えどっこ)気概が契機として含まれている。野暮と化物とは箱根より東に住まぬことを「生粋」の江戸児は誇りとした。「江戸の花」には、命を惜しまない町火消(まちひけし)、鳶者(とびのもの)は寒中でも白足袋はだし、法被(はっぴ)一枚の「男伊達(おとこだて)」を尚(とうと)んだ。
(『「いき」の構造』「二 『いき』の内包的構造」九鬼周造)
「いき」の第三の徴表は「諦(あきら)め」である。運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。「いき」は垢抜けがしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒(しょうしゃ)たる心持ちでなくてはならぬ。
(『「いき」の構造』「二 『いき』の内包的構造」九鬼周造)
これらの「媚態」、「意気」、「諦め」をまとめて、九鬼さんはどう解釈しているのでしょうか。ちょっと難しいのですが、次を読んでください。
要するに、「いき」とは、わが国の文化を特色附けている道徳的理想主義と宗教的非現実性との形相因によって、質量因たる媚態が自己の存在実現を完成したものであるということができる。したがって「いき」は無上の権威を恣(ほしいまま)にし、至大の魅力を振るうのである。
(『「いき」の構造』「二 『いき』の内包的構造」九鬼周造)
いかがでしょうか?江戸時代の道徳観や宗教観が複雑に絡まり、それらが「自己の存在実現を完成したもの」が「いき」という概念だという結論です。一つ一つの内容を読むと、なるほどなあ、と思いますが、結論はちょっと難しいです。
さて、これらが「いき」そのものから、つまり「いき」の内側から「いき」について解き明かしたものです。それを九鬼さんは「内包的構造」と呼んでいるのですが、それとは反対に、「いき」と近い意味でありながら「いき」とは異なるものから、つまり「外延的」にその構造を説明するとどういうことになるのか、を次に九鬼さんは問いかけています。
前節において、我々は「いき」の包含する徴表を内包的に弁別して、「いき」の意味を判明ならしめたつもりである。我々はここに、「いき」と「いき」に関係を有する他の諸意味との区別を考察して、外延的に「いき」の意味を明晰ならしめねばならない。
「いき」に関係を有する主要な意味は「上品」、「派手」、「渋味」などである。これらはその成立上の存在規定に遡って区分の原理を索める場合に、おのずから二群に分かれる。「上品」や「派手」が存在様態として成立する公共圏は、「いき」や「渋味」が存在様態として成立する公共圏とは性質を異にしている。そうしてこの二つの公共圏のうち、「上品」および「派手」の属するものは人性的一般存在であり、「いき」および「渋味」の属するものは異性的特殊存在であると断定してもおそらく誤りではなかろう。
(『「いき」の構造』「三 『いき』の外延的構造」九鬼周造)
これらについて、少しだけ説明しましょう。
九鬼さんは「上品」については、「上品」さの中に「媚態」がないから「いき」とは違うのだ、と言っています。例えば、上品な上流階級の装いをした紳士や婦人に対して、「いきだねえ!」とは言いません。その上品な装いを少し崩した伊達男が登場すれば、その崩し方がうまくいっていれば「いきだねえ!」ということになります。ですから、「いき」は「上品」と「下品」の間にしばしば位置付けられるものなのだ、ということです。
次に「派手」についていえば、ただ「派手」なだけの装いでは、そこに「諦め」が感じられないから「いき」とは違うのだ、と九鬼さんは言っています。「派手」な衒(てら)いばかりではダメだ、というわけです。その一方で「地味」な装いであっても、そこに一種の「さび」のようなものがあって、「いき」のうちの「諦め」の要素が入ってくると、「地味」であっても「いき」に近づくことができる、と九鬼さんは書いています。
こんな具合に、上に書かれている「上品」、「派手」、「渋味」に加えて「意気」を入れた四つの要素を四角形のそれぞれの頂点にすえ、それと反対の意味の「下品」、「地味」、「甘味」、「野暮」でやはり四角形を形成し、「上品」・・・を上の四角形とし、「下品」・・・を下の四角形とした立体をイメージした図を九鬼さんは描いています。そして、それぞれの面や辺の関係性についていろいろと考察しているのですが、そこまでくると「よく考えるなあ」と、ただただ感心してしまいます。
その次に九鬼さんは「四 『いき』の自然的表現」について書いていますが、これについては、先ほどの浴衣姿の例のような考察をしているので、ここでは割愛します。
さらにその次に九鬼さんは「五 『いき』の芸術的な表現」について書いています。芸術表現における「いき」の問題ですから期待してしまいますが、しかし、これはそれほどのものではありません。これも先ほどの浴衣姿の例を思い出してください。浮世絵のように、具体的な浴衣姿などを描写すると、「いき」の様態をそのまま表現することができる、ということになります。ですから、具象絵画においては、それほど難しい問題はありません。
それでは、そうではない表現、例えば抽象的な模様などの場合はどうでしょうか。
それを「自由芸術」と呼び、九鬼さんは次のように書いています。
自由芸術として第一に模様は「いき」の表現と重大な関係をもっている。しからば、模様としての「いき」の客観化はいかなる形を取っているか。まず何らか「媚態」の二元性が表わされていなければならぬ。またその二元性は「意気地」と「諦め」の客観化として一定の性格を備えて表現されていることを要する。さて、幾何学的図形としては、平行線ほど二元性を善く表わしているものはない。永遠に動きつつ永遠に交わらざる平行線は、二元性の最も純粋なる視覚的客観化である。模様として縞が「いき」と看做されるのは決して偶然ではない。
(『「いき」の構造』「五 『いき』の芸術的表現」九鬼周造)
確かに、「いき」に見える模様というのは、あるかもしれません。しかし、上の理屈はちょっとこじつけに近いような・・・。
そうは言っても、あなたが服飾デザイナーであるならば、そういう見方を身につけておくのも面白いと思います。しかしとりあえずここでは、上のようなことを九鬼さんが言っている、ということだけを確認しておきましょう。
ちなみに、九鬼さんは建築や音楽にも言及しています。興味のある方は原書に当たってください。
さて、いよいよ最後に、九鬼さんがこの論考をどのようにまとめているのか、確かめておきましょう。
九鬼さんは次のように、この論文を結んでいます。
かように意味体験としての「いき」がわが国の民族的存在規定の特殊性の下に成立するにかかわらず、我々は抽象的、形相的の空虚の世界に堕してしまっている「いき」の幻影に出逢う場合があまりにも多い。そうして、喧しい饒舌や空しい多言は、幻影を実有のごとくに語るのである。しかし、我々はかかる「出来合」の類概念によって取交される flatus vocis に迷わされてはならぬ。我々はかかる幻影に出逢った場合、「かつて我々の精神が見たもの」を具体的な如実の姿において想起しなければならぬ。そうして、この想起は、我々をして「いき」が我々のものであることを解釈的に再認識せしめる地平にほかならない。ただし、想起さるべきものはいわゆるプラトン的実在論の主張するがごとき類概念の抽象的一般性ではない。かえって唯名論の唱道する個別的特殊の一種なる民族的特殊性である。この点において、プラトンの認識論の倒逆的転換が敢えてなされなければならぬ。しからばこの意味の想起の可能性を何によって繫ぐことができるか。我々の精神的文化を忘却のうちに葬り去らないことによるよりほかはない。我々の理想主義的非現実的文化に対して熱烈なるエロスをもち続けるよりほかはない。「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。
(『「いき」の構造』「六 結論」九鬼周造)
さて、ここでは「わが民族存在の自己開示」というような思い入れを濾過して、読むべきことを読み、いろいろと学ぶことにしましょう。
九鬼さんが書いているように、日本古来の言葉や概念、あるいは表現があった場合に、私たちはその固有性を度外視して、無理にヨーロッパの哲学や思想、芸術に寄り添い、比較する必要はないでしょう。そんなことをすれば「抽象的、形相的の空虚の世界に堕してしまう」ことになるでしょう。
考えてみれば、現象学的な考察というのは、それらの夾雑物を取り除いて、あるがままの本質を掴むための方法論であるはずです。そのような考察の最後に、結論を見誤ることがないように気をつけなさい、ということでしょう。その限りでは、九鬼さんの結論の言わんとしていることが、わかるような気がします。
しかし私は、何といっても九鬼さんが手がかりも何もない日本の哲学の世界の中で、「いき」という概念の構造を現象学の方法論で探究しようとした、その過程に惹かれます。これこそが哲学的な考察の、最もスリリングな部分ではないか、と思うのです。九鬼さんがちょっと変わった人であった(らしい)からこそ、「いき」といういささか無謀なテーマを設定し、そこに挑むということが実現したのです。その姿が興味深いのです。
だから、この本の前半部分が私は好きです。さあ、どうやってこの難題に挑もうか、という九鬼さんの心の声が聞こえてくるようです。
私の読みはこんなところですが、九鬼周造という人をもっと深く読みたい人は、例えば先ほど例示した、松岡正剛さんの『千夜千冊』を読んでみましょう。そこにはこんなことが書かれています。
8年におよんだヨーロッパの日々を終えて日本に戻った九鬼は、いまのべたように、「寂しさ」を本質的に抱えた者こそが、その喪失感覚がゆえに何かに出会うことで、きっと新たな異質の快感を得るのではないかという期待をもちはじめる。
その期待の思いを結実させようとしたのが、帰国後1年にして書きあげた『「いき」の構造』なのである。どうだろうか、これで何が「いき」になったのか感得できるのではないだろうか。
そもそもヨーロッパでは、哲学においてすら、恋愛の基底に自己同一性や自己発見をおいている。せっかく「無」に到達したハイデガーの哲学ですら西欧の論理に邪魔をされ、来たるべき相手を求められないものになっている。
そこでは美の堪能が塞がれている。
九鬼はそれがおかしいと考えていた。男女の関係はもっともっと自由でなければならないのではないか。そこからはもっと新たなものが創発してもよいのではないか。そう考えた。それが見えれば、恋愛によって精神と肉体を分断する必要はなく、結婚と結びつける必要もない。
では、その美の堪能をどこに求めるべきか。それでいて「無の堪能」にもなるものを、では、どこに求めるか。
日本の美が浮世の片隅において磨きに磨いた「いき」こそが、あるいはその「いき」の感覚を交わしうる相手との出会いこそが、美の堪能であって、無の堪能だったのである。九鬼の新たな哲学は、いや存在学は、こうして一気に「婀娜な深川、勇の神田」に向かっていく。
(『千夜千冊』「『いき』の構造」松岡正剛)
うーん、深いですね。松岡さんは九鬼さんの他の仕事にも触れた上で、上記のような考察を進めているのです。さらに深読みをしたい方は、よかったら松岡さんの文章にも当たってみてください。
https://1000ya.isis.ne.jp/0689.html
現象学の論理的な方法だけではなく、それぞれの思想家が何を求め、どこに辿り着こうとしていたのか、そんな読みをしないと、一冊の本を読んだことにはならない、と松岡さんの文章を読むとそんな気持ちになります。
私も他の論文を含め、九鬼さんの本を読み返してみることにしましょう。
というところですが、いかがだったでしょうか?『「いき」の構造』のガイダンスになったのでしょうか?
言い訳になりますが、何かこのようなことが書かれているのだな、とあらかじめわかっているだけでも、だいぶ理解度が違うのではないか、と思います。
「いき」という概念に興味が湧かなくても、日本の思想家が西洋哲学に挑んだ軌跡として重要な一冊です。
未読の方は、ぜひ手に取ってみてください。