平らな深み、緩やかな時間

290.エゴン・シーレをご存知ですか?高橋幸宏、ジェフ・べック逝去

高橋 幸宏(たかはし ゆきひろ、1952 - 2023)さんが亡くなりました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230115/k10013950081000.html

世界的に人気を集めた音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」などで活躍した、ということもあって、テレビのニュースでも取り上げられているようです。YMOの代表曲、『ライディーン』の作曲者という言葉が目につきますが、若い方はYMOも『ライディーン』もご存知でしょうか?

https://youtu.be/nB5g2cUM2FQ

YMOはテクノ・ミュージックのグループとして世界的にヒットしましたが、テクノのグループとしては、クラフト・ワークというグループが先にありました。YMOのすごいところは、テクノの電子的な音があらゆる音楽をフラットに表現できる方法であることに目をつけて、それをフルに活用したことにあると思います。三人のメンバーがそれぞれ違ったルーツの音楽をやっていたのですが、それらを一元的に融合させたことで幅広い人たちにアピールできたのだと思います。その中でも細野晴臣さんは、YMO以前に世界中の音楽を渉猟するような活動をしていましたから、それを表現するときにバンド編成や楽器を変えなくても思い通りに演奏できるツールを得たということが大きかったと思います。

その中で高橋幸宏さんは、ポピュラリティーを得るためのアンテナのような役割を果たしていたと、私は思います。ドラムの演奏の素晴らしさはもちろんですが、バンド全体の雰囲気を形作っていたのだろうと思います。

個人的には、ピーター・バラカンさんのラジオのトークで登場する時の幸宏さんが、人間味豊かでとても好きでした。バラカンさんにとって、最も気のおけない友人だったのではないか、と思います。それにしても若すぎました。

坂本龍一さんも闘病中ですが、是非ともご自愛いただいて、もう少し表現活動を続けていただきたいと願っています。



それから、世界的なギタリスト、ジェフ・ベック(Geoffrey Arnold "Jeff" Beck、1944 -2023)さんが亡くなりました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230112/k10013947401000.html

日本では、エリック・クラプトンさん、ジミー・ペイジさんと並ぶ3大ロック・ギタリストの一人とされていますが、レッド・ツェッペリンが解散してずいぶん経ちますので、ジミー・ペイジさんはいかがなものか、とちょっと思っています。この三人を比較すると、その音楽を最もよく聴いたのはエリック・クラプトンさんですが、ロック・ギタリストらしい人といえば、ジェフ・ベックさんが一番だと思います。ジェフ・ベックさんのレコードはLPで二枚、CDで二枚ほど持っていますが、私はあまり良いリスナーとは言えません。そこで、ジェフ・ベックさんへのコメントと言えば、やはりこの人の記事を読んでいただくのが良いと思います。

https://rockinon.com/blog/shibuya/205217

そして、ジェフ・ベックさんらしい曲の動画といえば、これでしょうか。

https://youtu.be/4dP229dyCCU

1970年代半ばの曲ですが、この頃が中学生から高校生の頃で、私が最も頻繁にロック・ミュージックを聴いていた頃です。渋谷陽一さんも書いていますが、エリック・クラプトンさんよりもずっと長生きする人だと思っていたので、なんだか急な話に思えます。

ご冥福をお祈りします。




それでは、今日の話題です。

オーストリアの画家、エゴン・シーレ(Egon Schiele 、1890 - 1918)の大規模な展覧会が東京都美術館で開催されるようです。

 

『レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才』

Egon Schiele from the Collection of the Leopold Museum 

– Young Genius in Vienna 1900

2023年1月26日 (木) ~ 4月9日 (日)

https://www.egonschiele2023.jp/

https://youtu.be/usZKMrllc7I

 

エゴン・シーレは19世紀末から活躍したグスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862 - 1918)らのウィーン分離派、象徴派に影響を受けつつも、独自の絵画を追求した画家です。ただし、クリムトほどの装飾性はなく、むしろ意図的に捻じ曲げられたポーズの人物画などから、表現主義の画家として見られることが多いのではないでしょうか。

展覧会の紹介文を読んでみましょう。

 

エゴン・シーレ(1890-1918)は、世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンに生き、28年という短い生涯を駆け抜けました。シーレは最年少でウィーンの美術学校に入学するも、保守的な教育に満足せず退学し、若い仲間たちと新たな芸術集団を立ち上げます。しかし、その当時の常識にとらわれない創作活動により逮捕されるなど、生涯は波乱に満ちたものでした。孤独と苦悩を抱えた画家は、ナイーヴな感受性をもって自己を深く洞察し、ときに暴力的なまでの表現で人間の内面や性を生々しく描き出しました。表現性豊かな線描と不安定なフォルム、鮮烈な色彩は、自分は何者かを問い続けた画家の葛藤にも重なります。

本展は、エゴン・シーレ作品の世界有数のコレクションで知られるウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点を通して、画家の生涯と作品を振り返ります。加えて、クリムト、ココシュカ、ゲルストルをはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品を紹介します。夭折の天才エゴン・シーレをめぐるウィーン世紀末美術を展観する大規模展です。

(展覧会の公式サイトより)

 

シーレの肖像写真を見ていただくとわかるように、パンク・ロッカーのような風貌の二枚目の画家です。早熟で若死にしたことから、若者の共感を呼ぶところがあると思います。私も美大受験の頃から作品に注目し、その後、展覧会にシーレの作品があると聞くと、まめに足を運んだものです。ですから、シーレの作品の本物を何回か見ています。

今度の東京都美術館の展覧会は、日時予約制で、もう予約受付が始まっています。私は公私共に忙しい時期なので、見に行くことができるかどうかわかりませんが、とりあえずシーレについて、紹介かたがた、思いついたことを書いてみます。

 

エゴン・シーレは鉄道員の父のもとに生まれ、子供の頃から美術の才能があったようです。しかし、父親が15歳で亡くなり、そのショックのせいか、彼の作品にはどれも死の影が宿っているように見えます。

その後、クリムトと同じウィーン工芸学校に学びますが、そのまま職工にならずに、ウィーン美術アカデミーに進みます。しかし学校のアカデミックな指導になじめず、クリムトのところに弟子入りします。私が思うに、クリムトの作風は革新的ではありましたが、描写そのものは端正なもので、シーレの即興的な画風とは異なっています。しかしクリムトは、シーレの面倒をよくみたようです。

ここで画家としてのシーレの個性を見ていくに当たり、師であるクリムトと比較をしながら見ていくことにしましょう。

まずシーレとクリムトに共通する点は、モデルとなった女性が多彩で、なおかつその女性たちと性的な関係を持ったことでしょう。あまり絵の内容とは、関係ない話のような気もしますが、そうでもありません。後でご紹介するドキュメンタリー映画を見ていただくと、その頃のウィーンの退廃的な雰囲気がよくわかります。そして女性との関係性が、彼らの表現と結びついているように思えるのです。彼らの作品の制作動機には、女性に対する思いや欲望があるような気がしますし、とくにクリムトにおいてはモデルの女性が持っている個性が、作品に影響していると思うのです。

そして彼らのデッサンを見比べてみましょう。

クリムトは女性の官能性とともに、画面構成に感心があったことがわかりますが、シーレの場合は、それとはちょっと違っています。その点について、もう少し書いてみましょう。

クリムトのデッサンは、人物が描かれているところと描かれていないところ、つまり空白の空間が描画部分と同様に重要な意味を持っています。クリムトのデッサンは、そのままタブローに置き換えられるほど、余白を含めて見事な構成力を持っているのです。

一方のシーレのデッサンは、クリムトと同様に構成に妙があるものの、その関心は人物の描写にあります。よく言われるように、彼のデッサンの人物のデフォルメは、痛々しいほどにその人の美と醜を炙り出します。そしてシーレの場合は、描かれた描線がシーレならではの表現となっています。師のクリムトの装飾性に影響を受けつつも、シーレはクリムトよりも描くという行為そのもの、つまり描写する線の表現力が際立っているのです。その描画の行為性に重心を置いている点を考えると、シーレはクリムトの次の時代の画家だったと言えると思います。そしてシーレのデッサンは、タブローと引けを取らない表現力を持っているのです。

 

そしてシーレもクリムトも、第一次世界大戦という過酷な時代を生き抜きましたが、1918年に二人ともヨーロッパで猛威を振るったスペイン風邪で亡くなっています。シーレの若死には本当に残念ですが、その一方で長生きしたシーレというのを想像するのは難いと思います。それぐらい、激しく生き急いだ画家だと思うのです。そこが大作を次々と実現したクリムトと違うところでしょうか。

この師弟の本質的な違いを見るときに、タブローや大作においてはクリムトの方が圧倒的な質と量を持っているので、やはりデッサンやスケッチで見た方が分かりやすいのではないか、と私は思います。

クリムトが近代絵画の末裔だとするならば、シーレは現代絵画の始まりの画家なのかもしれません。活躍し始めた時期が、クリムトが19世紀末であったのに対し、シーレは20世紀の初めだったというのも象徴的です。世紀の境目というのは、たかだか西暦の暦の上のことですが、その中で生きている人間にとっては、気分的な区切りになっていると思います。クリムトには世紀末の爛熟した文化を感じますが、一方のシーレにはそれらを削り落としたモダニズムの始まりを感じます。

 

さて、エゴン・シーレに関して、何か良い本はないか、と思って探してみたのですが、手軽に入手できるものが見当たりません。

しかし、このような劇的な人生を生きたハンサムな画家ですから、シーレは映画として格好の素材だと思います。

シーレに関する映画が何本かあるので紹介します。

 

『エゴン・シーレ 死と乙女』は、2016年にオーストリア・ルクセンブルクで製作された伝記映画です。監督はディーター・ベルナー、出演はノア・ザーヴェトラとマレジ・リークナー、ヴァレリー・パフナーなど、ということです。

残念ながら、私は見ていませんので、予告編のご紹介だけしておきます。

https://youtu.be/yoxopgK-muU

 

それ以前に、1980年に『エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々』という映画があります。こちらは監督がヘルベルト・フェーゼリー 、音楽はブライアン・イーノです。そういえば、学生の頃にこの映画が評判になっていたように記憶していますが、こちらも見ていません。残念です。

この映画の人気も相まって、その頃シーレの作品が盛んに紹介されていたのかもしれません。私の学生時代は、20世紀末という時代の雰囲気もあって、19世紀末のことを振り返ることが多かったのです。シーレのことも、今よりも話題になっていたと思います。

 

そして、少し前にはクリムトとシーレのドキュメンタリー映画が製作されました。

『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』(2018)

KLIMT & SCHIELE EROS AND PSYCHE

 

こちらの映画は、ネット上で容易に見ることができます。私も見てみました。よくできた、そして真面目なドキュメンタリー映画です。展覧会をご覧になるなら、予習としてみておくことをお勧めします。本当に勉強になります。

それでは、映画の紹介を読んでみましょう。

 

19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムトとエゴン・シーレ。人間の不安や孤独や恐れを、世紀末的官能性のなかで描いたその作風は、今も色褪せることなく輝きを放ち、人々の心をとらえ続けている。

本作『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』は、その没後100年となる2018年に製作された注目の美術ドキュメンタリー。豊富な映像資料で、クリムトとシーレが生きた19世紀末ウィーンに花開いたサロン文化と、彼らの愛と官能性に満ちた絵画をつまびらかに見せつける。その精密な絵画の世界は、我々見るものを、いつしかウィーンの世紀末にいざなってゆく。

(映画の紹介より)

 

PRの動画を次のリンクから見ることができます。

https://youtu.be/YrzGZw4Rgco

多くの作品と、ウィーンの街を映像で見ることができるのは、映画ならではのことです。当時、オーストリア=ハンガリー帝国の首都であったウィーンには、多くの芸術家が集っていました。そこではカフェの文化が花開いていて、新聞を自由に閲覧できるカフェに入り浸り、噂話に聞き耳を立てていれば、広く浅く当時の知識が身につけることができたのだそうです。とても羨ましい環境ですが、ウィーンの文化そのものは保守的で、建物も過去の様式を模倣したものが林立していたそうです。クリムトたちは、そこに現代の息吹を吹き込もうとしていたようです。

クリムトやシーレの同時代には、音楽家のリヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss、1864 - 1949)やグスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860 - 1911)らがいて、この映画の中でもBGMとしてマーラーの曲が流れていました。他の作曲家の曲は、恥ずかしながらよくわかりません。

また、ジークムント・フロイト( Sigmund Freud、1856 – 1939)が精神分析の研究を発表し始めたのもその頃ですが、一般的にはまだまだ認められていなかったようです。人間には、理性でコントロールできない無意識がある、などという話は、当時の保守的な人たちには受け入れられなかったでしょう。また、フロイトの初期の思想に関していえば、精神分析の性愛や欲望に関する部分ばかりがクローズアップされて、社会の風紀を乱すものとして危険視されていた、ということもあったでしょう。

そんな時代の中にあって、シーレの絵画も、性器をあからさまに描写していたので、ポルノグラフィとして分類されていたそうです。日本で言えば、春画専門の画家というところでしょうか。そのような危険な画家であったシーレの行動は、時に警察沙汰になり、作品を目の前で焼かれたこともあったようです。その一方で、その頃には写真の技術が定着していたので、女性のヌード写真が闇で盛んに売買されていて、画家の作品にもたびたび応用(?)されていたようです。時代は確実に進んでいたのだと言えるでしょう。

それから、先ほど、シーレが長生きしていたら・・、ということは想像しにくい、と書きましたが、シーレはアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler、1889 - 1945)より一歳年下でした。長生きしていたら、ナチスによる第二次世界大戦に、何らかの形で巻き込まれていたことでしょう。シーレが合格した翌年に、ヒトラーもウィーン美術アカデミーを受験しましたが、結果は不合格だった、というのは有名な話です。そのヒトラーは、前衛的な作品に退廃芸術のレッテルを貼って弾圧しました。シーレが生きていたら、さぞかし辛い仕打ちを受けたことでしょう。

 

最後になりますが、そのシーレの現代美術から見た場合の評価について書いておきましょう。

シーレの芸術は、その作品のレベルの高さに比べて、決して現代的な意義が高いものではない、と考えられていると思います。シーレ以降、抽象芸術が隆盛を極め、オブジェを持ち込んだ表現やコンセプチュアルな表現などが矢継ぎ早に通り過ぎていく中で、シーレの絵画はやや前時代的な、ロマンチックなものに見えてしまっていると思います。

先ほど私は、クリムトは近代の末裔で、シーレは現代の始まりだと書きましたが、その見方は一般的ではないでしょう。どちらかといえば、クリムトとシーレは同時代の画家だと捉えるのが普通だと思います。しかし私には、この両者の間には、絵画に対する考え方に大きな相違があるような気がします。

それは何かといえば、二人の絵画に対する触覚性の違いです。クリムトにとっては、絵画は平面的な芸術であって、だからこそ彼は大胆な装飾性を導入しました。それがクリムトの芸術の新しさになっています。

しかし、シーレはさらにそこに、絵を描くときの感触を表現として持ち込んでいるように、私には感じられます。シーレのデッサンがタブローと同様に重要であること、あるいはタブロー以上に重要に感じられることは、その触覚性に関わることだと思います。彼の鉛筆の筆圧、筆の勢い、そういった筆触に関するむき出しの表現が、そのままシーレの魅力になっているのです。シーレの触覚に関するデリケートな感性は、端正な表現の抽象絵画よりもよほど新しいと私は思うのですが、いかがでしょうか?

 

さて、いろいろとエゴン・シーレに付随した話を書きましたが、シーレの作品は構成力に優れているため、写真や画像で見ると気の利いたイラストに見えてしまうかもしれません。やはり本物の作品を見ることをお勧めします。とくに彼の本物のデッサンにおいては、その生き生きとした描線、描写行為の息吹を見て頂きたいと思います。私が最後に書いたことは、本物の作品を見ないとわかりません。

 

今回は同時に、クリムトやオスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka, 1886 - 1980)の作品も展示されているようです。ココシュカとシーレを比較してみたらどう見えるのか、その辺りも興味深いところです。それに、ココシュカの作品を見る機会が、日本ではあまりないので、その意味でも貴重です。もしかしたら、シーレはクリムトよりもココシュカに似ているのかもしれない、と私は思うのです。

ぜひ、ご覧になった感想を聞かせていただけるとうれしいです。

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