9月6日には、大型客船の「パシフィックビーナス号」が大船渡港にその優雅な姿を見せてくれた。
この寄港は、震災のあった2011年以来のことで日本一周クルーズの途中であり被災地を励ますという意味合いもあって、地元大船渡市としても市を挙げて大歓迎をしたところである。
今回の寄港では、地元大船渡の子ども達を船内に招待したりして交流を図った。
*歓迎の舞を披露する「綾里大権現」
り
*大船渡市のゆるキャラ「おおふなトン」
9月6日には、大型客船の「パシフィックビーナス号」が大船渡港にその優雅な姿を見せてくれた。
この寄港は、震災のあった2011年以来のことで日本一周クルーズの途中であり被災地を励ますという意味合いもあって、地元大船渡市としても市を挙げて大歓迎をしたところである。
今回の寄港では、地元大船渡の子ども達を船内に招待したりして交流を図った。
*歓迎の舞を披露する「綾里大権現」
り
*大船渡市のゆるキャラ「おおふなトン」
7日の早朝、「2020東京五輪開催決定」のその瞬間をテレビの前で当地での日本人関係者の喜びを感動とともに見つめ心の中で拍手を送っていた。
東日本大震災を受けて、今それどころではない等いろいろな批判などもあったが、一般にスポーツ祭典の最高峰であると言われる「オリンピック」が、1964年以来50数年以来2度目の東京開催となったのである。
スポーツの良さはいうまでも無く、民族や宗教などにも左右されない世界共通ルールのものであり、また一方では「平和の祭典」とも呼ばれ、これまでも世界各地で起こっている様々な紛争や内戦をも乗り越え参加してくるものである。
日本においては、福島などの原子力問題を早期に安全に解決することで今回のプレゼンの責任を果たすことにより、一層東京五輪を世界にアピールできるのではないかと思っている。
また、それとともに日本のスポーツ界が被災地に対して、今後7年間どのようなサポートをしていくのか問われるのである。
ついては、被災地を聖火が巡りサッカーの予選リーグを宮城県で開催すれば良いのではなく、それだけでは何かが足りないのである。
今後、東京五輪までの7年もの間被災地への復興に向けた支援をどのように関わり進め継続していくのかを、世界の人々は見ていることを決して忘れてはならないのである。
希望の2020に向かって、夢は広がるばかりである。