♪話す相手が居れば、人生は天国!

 人は話し相手を求めている。だったら此処で思いっきり楽しみましょう! 悩み事でも何でも、話せば気が安らぐと思うよ。

小説らしき読み物(53)5章

2016年02月11日 12時35分32秒 | 暇つぶし
                 
 第一章  永遠の別れ

 数日間、元の生活に戻った和久と夕子……和久は今後の相談に、夕子とダイスケを残して診療所に出掛ける……武は和久の話を聞いて、夕子が所属する事務所に連絡を取り、事の一部始終を社長に話した。
「和さん、社長が感謝していたよ! 宜しく伝えて欲しいとの事だ!……明日迎えに来ると言っていた!」
 報告を聞いた和久は黙って頷き、大きく溜息を吐いた。
「武さん、今から用意をするので、後で加代さんと来てくれや! 夕子に送別会をして遣りたいから……」
 急な出来事の中、和久の誘いを快く受ける武夫妻……朝霧に帰って来た和久は、夕子に事の説明をして調理に掛かった。
 武夫妻と共に送別会を終えた和久と夕子は、ダイスケと共に武夫妻を見送り、ベランダの椅子に腰を下ろした……大きな月が朝霧を照らし、和久と夕子を優しく照らしている。
「綺麗なお月さま……」
 ぽつりと呟いた夕子は静かに立ち上がり、ベランダの手摺に両手を突いて月を見ている……その様子を見て立ち上がった和久は、月を見上げる夕子の肩にそっと手を掛けた。
「本当に待っていてくれるのよねっ!」
 静かに振り向いた夕子は、和久を見詰めて問い掛ける。
「うん、ずーと待っている! 夕子が帰って来るまでなっ!」
 和久の返事に小さく頷き、見詰めていた目を閉じて佇む夕子……佇む夕子を抱き締めた和久は、夕子の唇にそっと唇を重ねた。
 翌朝、何時もの様にダイスケを連れて散歩に行く和久と夕子……明日からは夕子の居ない山道を登る和久! 和久は、そっと夕子の手を握り締め、ゆっくりと階段を上って行く。
 山頂に着くまで何も言わなかった夕子……山頂で和久を見詰める夕子は、涙を滲ませている。
「行きたくない! 此処に居たい! 和さんと居たい!……」
 消え入る様な声で言い、和久の胸に顔を埋める夕子……夕子をそっと抱き締めた和久は、夕子の黒髪を優しく撫でて無言で夕子を諭した。
 山頂から帰り朝風呂を勧めた和久は、朝食の支度に掛かった……支度をして部屋から出て来た夕子は、調理をしている和久の前で佇んでいる。
「一緒に入ろう……」
 寂しそうな眼差しで見詰め、呟くように声を掛けて来た。
「うん、入ろう……直ぐに終わるから、ダイスケと先に行っててくれるか……」
「うん、和さん……」
 嬉しそうに答えた夕子は、爽やかな笑顔を投げ掛けて居間を出た……風呂に入り夕子の背を流す和久は、夕子と暮らした日々を振り返り、一筋の涙を流した。
 風呂から上がり自分の部屋を片付けた夕子は、荷物の準備をして囲炉裏の側に座った……ダイスケは、夕子との別れを感じているのか、夕子に纏わり付いて離れない。
 無言の内に朝食を終えた和久と夕子……夕子はダイスケを膝に乗せて、優しく全身を撫でている。
 互いの感情を労わる重苦しい空気の中で、ダイスケの仕草が和久と夕子を和ませた。
「そろそろ社長達が着く時間や……」
 夕子を見詰めて、重い口を開く和久。
「うん、和さん……」
 寂しそうな眼差しで、呟くように答える夕子……二人が外に出ると、武の車の後に迎えの車が見える……車は朝霧の入口を曲がり、奥の駐車場で停まった。
 車を降りた社長は、迎えに出ている和久に頭を下げて礼を言い、夕子に歩み寄る……夕子は挨拶の後、満面の笑みを浮かべて社長の温情に応えた。
 社員が夕子の荷物をトランクに積み、武と和久に挨拶をした社長も、後部座席に乗り込んだ。
 夕子を見送る和久と武夫妻……車に乗り掛けた夕子は、足元で自分を見詰めているダイスケを抱き上げる。
「ダイちゃん、元気で居るのよ! 病気をしない様にねっ……ありがとう、ダイちゃん……」
 優しく礼を言う夕子の頬を、ペロっと舐めたダイスケ……ダイスケを加代に渡した夕子は、武に礼を言い加代に別れを告げて、後部座席に乗り込んだ。
 愛しそうな眼差しで、和久を見詰める夕子……和久は、二度三度と大きく頷いて、夕子の気持ちを和らげた。
 車が動き出し、和久の前をゆっくりと通り過ぎる。
「夕子! 待って居るからなぁ……」
 涙を流して叫ぶ和久……和久の声に振り返った夕子は、涙を流して和久を見詰めて頷いている……ダイスケは吠えながら車を追い、その姿を見た夕子も手を振ってダイスケに応えていた。
 朝霧の入り口を曲がり、夕子を乗せた車は朝霧の里を後にした……吠えながら、入り口まで追い掛けて行ったダイスケは立ち止まって、夕子の後ろ姿に吠えている。
 そして、此の別れが今生の別れに成ろうとは、誰も知る由が無かったのである……朝霧を旅立ち、再び和久の元に戻る事を誓った夕子は、生きて再び朝霧の土を踏む事は無かった。
 夕子の車が見えなくなっても、ダイスケは後を追う様に見詰め、その場を動こうとはしなかった。
「ダイスケ! おいで!」
 大声でダイスケを呼び戻す和久……和久の声を聞いたダイスケは、入り口を振り返り振り返り、和久の所に駆け戻って来た。
 ダイスケを抱き上げた和久は、旅立った夕子の面影を追っている。
「寂しく成るなぁ……」
 和久の肩を軽く叩き、慰める様に呟いた武……武の言葉に黙って頷く和久。
 空は良く晴れ、温かさを増した一陣の風が、爽やかな笑顔を残して旅立った夕子の笑顔と共に、青葉を揺らして見送る三人の頭上を吹き抜けて行った。
 そして、歌謡界に戻った夕子は、再び復帰公演を催した……朝霧の囲炉裏の側で公演の中継を見る和久と武夫妻。
 夏が過ぎて、秋風が心地よい朝霧の里……優しく朝霧を照らす中秋の名月! ダイスケを膝に乗せ、期待を込めて見詰める和久……超満員の観衆が見詰める中、舞台に立った夕子は深々と頭を下げて顔を上げた。

小説らしき読み物(52)

2016年02月11日 08時46分38秒 | 暇つぶし
                   
 和久の翼に飛び込んだ夕子……静かに翼を閉じて、優しく抱き締める和久! 朝日に照らされた二つの影が、朝露の光る山頂で一つになった。
 少しの時が過ぎ、足元に来ているダイスケに気付いた夕子は、静かに抱き上げて頬擦りをする。
「ダイちゃん、ありがとう……ダイちゃんのお陰で声が出たよ! 歌が歌えたよ!」
 可愛い目で見ているダイスケに、語り掛ける夕子……喜びの仕草をしたダイスケは、頬を伝う夕子の涙をぺろりと舐めた。
「やっぱり夕子は凄いなぁ……流石は天才や! 茜 夕子は天才や!……夕子の歌に感動した! 感動して鳥肌が立ったわっ……流石に茜 夕子やっ!」
 流れる涙を拭おうともせず、夕子を見詰めた和久は心の内を夕子に伝えた。
「和さん……」
 綺麗な瞳に涙を溜めている夕子は、愛しむ様に名を呼び、ダイスケを抱いたまま和久の胸に寄り掛かった。
 空は晴れ渡り、昇った朝日が夕子の門出を祝う様に、優しい光を投げ掛けている。
「さぁ夕子、家に帰ろうやっ! 朝風呂に入ろうやっ! 一緒に入るか? 背中を流してやるわ……」
 夕子の復活を確信した和久は、興奮してはしゃぐように言う。
「本当! 和さん、背中を流してくれるの!」
 嬉しそうに微笑みを投げ掛けて、和久の言葉を確かめる夕子。
 山小屋を片付けて山を下りた和久と夕子は、家に着くと朝風呂に行く……風呂で夕子の背を流す和久は、小さな体で苦難と戦い、苦難に打ち勝った夕子に涙した。
 風呂を出て、朝食の支度に掛かろうとした時、駐車場に車が停まり、武が入って来た……武は和久と夕子の採血をする。
「武さん、朝飯は?」
「ありがとう、済ませて来たよ! 何軒か回るので失礼するよ!」
 住民の採血に行くと言う武は、慌ただしく帰って行った。
 武を見送った後、朝食を済ませた和久と夕子は、ベランダの椅子に座って小川のせせらぎを聞いていた……夕子は小川の流れに目を移して、何かを考えている様に川面を見詰めている。
「何か心配事でも?……」
 夕子の心情を察している和久は、其れとなく問い掛けてみた。
「此れから如何したら良いかなぁ?」
 天性の歌声を取り戻した夕子は、進む道に迷っている様に小さく囁いた。
「夕子は如何したいのや? 歌謡界に戻りたいのやろ?」
 夕子の心情を探る様に、優しく問い掛ける和久。
「うん、でも此処に居たい! 和さんの側に居たい! 歌は捨てても良い!」
 和久を見詰めて、訴え掛ける様に言った夕子。
「ありがとう夕子……そやけどなぁ夕子、人には天分と言うものが有るのや! 夕子の天分は歌や!……大勢のファンが夕子の歌を待っているのや……天才、茜 夕子の歌をなっ! 人の生涯は短い、今歌謡界に戻らんかったら、後で後悔すると思う! わしはなぁ夕子、お前が歌謡界の頂点に立って輝き、魂を揺さ振る歌を歌う姿が見たいのや! 此処には何時でも帰って来られる……疲れたら翼を休めに帰って来たらええ! わしはダイスケと一緒に、夕子が帰って来るのを此処で待ってるから……此の部屋も、何時夕子が帰って来ても使えるようにしとく! そやから、安心して行ったらええ……」
 夕子の迷いを取り払う様に、優しい眼差しを投げ掛けて諭す和久。
「本当にずっと待っていてくれる?……」
 目を潤ませて、縋る様に確かめる夕子。
「うん、何時までも夕子を待っとく、大切な夕子をずーと待ってるでっ……」
「本当! 本当ねっ和さん、嬉しい……」
 感極まった夕子は、何度も確かめて手で顔を覆い俯いた……俯いて泣く夕子を見た和久は静かに立ち上がり、夕子の小さな肩をそっと抱き寄せる。
「ずーと待ってるからなっ……」
 小刻みに震える肩を抱きながら、優しく語り掛ける和久……和久の腕の中で小さく夕子が頷いた。
 初夏の日差しの中で、小川のせせらぎと時たま聞こえる小鳥の囀りが、二人に安らかな時を与えている。

小説らしき読み物(51)

2016年02月10日 12時35分13秒 | 暇つぶし

 山小屋の戸を開け、中に入った夕子が明かりを点けて驚いている……山小屋の中も綺麗に飾られ、夕子の好きな花が置かれていたからである。
「和さん、此れ?……」
 言葉に詰まった夕子は、目に涙を溜めて和久を見詰めた……囲炉裏の側に夕子を座らせてグラスに酒を注いだ和久。
「夕子、おめでとう……生まれて来てくれて有難う……」
 愛しげな眼差しで夕子を見詰め、夕子の誕生を感謝した和久……それまで我慢をしていた夕子は和久の一言を聞き、涙を流して抱き付いた。
「和さん……和さん有難う……」
 和久の胸の中で消え入る様に言い、子供の様に泣き出した夕子。
「泣いたらあかん……わしは、夕子の笑顔が好きなのや……」
 小さな肩を抱き締めて、泣きじゃくる夕子の黒髪を撫でる和久……その言葉に小さく頷いた夕子は、涙に濡れた瞳で和久を見詰めた。
 夕子の涙をそっと拭う和久……少しの時が経ち、笑顔が戻った夕子を誘って外に出た……暗闇の中、佇む夕子と和久の頭上には無数の星が輝いている。
「天の川や!……綺麗やなぁ……」
夕子を癒す様に、ぽつりと呟く和久。
「うん、綺麗ねぇ和さん……」
 短く返事をした夕子は大きく深呼吸をした後、自分の歌を小さな声で歌い始めた……夕子の声を聞いたダイスケは夕子の足下に座り、歌っている夕子の顔をじっと見詰めている。
 星空に向かって歌い終えた夕子は、恥ずかしそうに和久を見詰め、佇んでいる和久の手をそっと握り締めた……満天の星空の中、大河の様に流れる天の川が夕子の誕生を祝福する様に光り輝いている。
「やっぱり夕子には歌が一番似合っているなあ……綺麗な声や!……」
 歌に聞き入っていた和久は、握り締めた手を労わる様に呟いた。
「和さん、私は此処に居て良いのよねっ! 和さんの側に居て良いのよねっ!」
 何かを感じ取っているかの様に、何度も問い掛ける夕子。
「うん、此処は夕子の家も同じや、夕子の好きなようにしたらええ……」
 夕子の心情を察した和久は、安心させるように言った。
「良かったぁ……」
 嬉しそうに言った夕子は、微笑んで和久を見詰めている……物音一つしない朝霧の山頂で、天の川を見詰めて佇んでいる夕子と和久。
「そやけど、夕子は歌が好きなのやろ? 歌いたいのやろ?」
 夕子の気持ちを汲み取った様に問い掛けた。
「うん、歌は好き! 歌いたいけどマイクを持つのが怖いの!……マイクを持つとね、復帰公演の事を思い出して声が出なくなるの……」
 悲しそうな顔をして、寂しそうに言った夕子。
「そうか、そうやったんか……」
 夕子の小さな肩を抱き、呟く様に言った和久。
「でも和さん……私、歌いたい!」
 赤心を伝える夕子は、和久を見詰めて泣きながら言った……夕子の赤心を知り、抱き締めている手に力を込めた和久は、夕子の涙を拭って肩を抱き寄せる。
「夕子、人は忘れる事が出来るのや! 嫌な事や辛い事をなっ……夕子は長い間、怒る事を責められて笑いを強要されて来た! そやけど、もう大丈夫や! 夕子は歌えるのや! もう大丈夫なのや夕子!」
 自分にも言い聞かすように、怒りを取り戻した夕子に伝える和久である。
「うん、和さん……でも怖い……」
夕子の気持ちを確かめた和久は、頷いて夕子の黒髪を撫でた……天空に光る無数の星が、夕子の歌を待つ様に輝きを放つ夜である。
「ちょっと冷えて来たなぁ……夏になったとは言うても、やっぱり山の上は冷えるなぁ、夜は……」
 独り言の様に言った和久は、頷いた夕子の肩を抱いて小屋に入り、囲炉裏に火を熾した……囲炉裏の側が暖かいのか、そろりと火の側に来て眠り始めたダイスケ。
「夕子、スープ飲むか?」
 ダイスケの寝顔に目を細め、囲炉裏の縁に盃を置いた夕子に、呟く様に言った和久。
「うん、お酒よりスープが良い……」
 爽やかな笑顔を見せて、嬉しそうに言った夕子……降り注ぐ星空に包まれた山小屋の夜は静かに更けて行く。
 翌日、陽が昇る前に目を覚ました和久は、静かに物置を開けて、前以って用意をしていた携帯用のプレーヤーを持って外に出た……夕子は眠っていたが、気が付いたダイスケが付いて来る。
 ベンチにプレーヤーを置き、白み始めた東の空に向かって大きく深呼吸をした和久……足元に来て、和久を見詰めるダイスケを抱き上げて頬擦りをした。
「ダイ、おはよう……」
 小さく囁くと、嬉しそうに頬を舐めるダイスケ……夜明け前の山頂は風も無く、朝露に濡れた青葉が、朝日を待ち浴びるように連なっている。
 和久は曲だけのCDをセットして、小さな音量で再生した……流れ出したメロディは、山頂の静けさを震わせるように響き渡る……曲が聞こえたのか、山小屋の戸を開けて、夕子が起きて来た。
 夕子を見たダイスケは喜んで、足に纏わり甘え出す……ダイスケを抱き上げて頬擦りをする夕子。
「おはよう和さん、此れは?……」
 爽やかな笑顔で問い掛けて来た夕子。
「おぅ夕子、おはようさん! 此れなぁ、夕子の曲だけのCDやっ……歌を聞こうと思って買うたんやけど間違ってしもうたんや! それで、歌の練習をしてたのやっ……そやけど、ええ歌は曲だけでも、ええものやなぁ……」
 問い掛けの説明を聞いて、にっこり微笑んだ夕子。
「どうや夕子、練習して見るか?……」
 さり気無く、夕子に勧める和久……夕子は、和久の勧めに戸惑いながら迷っている。
「わしなぁ、大勢の観客の前で輝いて歌う夕子が見たいのや! 夕子の歌が聞きたいのや! わしに勇気をくれた歌がなぁ……」
 訴え掛ける様に言った和久……和久の言葉に無言で佇み、ダイスケを抱き締めている夕子は、和久を見詰めて小さく頷いた。
「和さん……でも、怖い……」
 呟くように、和久を見詰めて答える夕子。
「歌えんかったら歌えんでもええやんか! 勇気を出してやってみっ、大丈夫やから……」
 和久の言葉に勇気付けられた夕子は、静かにダイスケを下ろして、和久に近寄って来た……夕子を見詰めて微笑みながら、そっとマイクを手渡す和久。
 ためらいながらも、震える手でマイクを受け取る夕子……陽が昇り始め青葉に付いた朝露が、宝石の様に輝く朝霧の山頂。
 和久が再生のボタンを押した……静かに流れ出す夕子のヒットメロディ! 前奏を聞いている夕子は、不安そうな眼差しで和久を見ている。
 夕子の不安を汲み取っている和久は、見詰めていた目を閉じて大きく頷き、にっこり微笑んで夕子を見詰め直した。
 朝日に照らされた夕子は、和久の仕草を見て微笑みを取り戻し、大きく深呼吸をして歌い始める……曲に乗った夕子の表情! 和久が憧れ、人を魅了し、人を和ませた笑顔が戻った夕子……昇る朝日がスポットライトの如く夕子を照らし、朝露に濡れた青葉が静まり返った観客の如く、天才歌手! 茜 夕子の歌に聞き入っている。
 時には優しく、時には静かに! そして、怒涛の如く押し寄せては帰す夕子の歌!……その歌声は往年の夕子の声であり、天性の歌声であった。 
 夕子の復活を聞く和久の目から、宝石の如く光って落ちた涙が、朝霧の大地に吸い込まれて行く。
 朝露の様に澄み切った歌声は魂を揺さぶり、山間を駆け抜けて何処までも響き渡った……天才歌手、茜 夕子が数々の苦難を乗り越えて、朝露の光る山頂で十数年の沈黙を切り裂き、不死鳥の如く蘇って来たのである。
 曲が終り、たった一人のコンサートは終わった……和久は立ち上がり、流れる涙を拭こうともせず、割れんばかりの拍手を送った……拍手を聞いて振り向いた夕子! 見詰める瞳に浮かんだ涙がキラリと光っている。
「和さん、歌えた!……声が出た!」
 和久を見詰め震える声で言った夕子は、ゆっくりと近付いて来た……夕子の言葉に、二度三度と頷いた和久は、大鳥の翼の如く大きく手を広げて夕子を待った。

小説らしき読み物(50)

2016年02月10日 08時17分50秒 | 暇つぶし
                   
 和久の手際の良さを見ていた夕子が、ぽつりと呟いた……笑って夕子を見詰める和久。
「ほれっ、夕子……」
 味の付いた煮物を皿にとって手渡した……出された煮物を食べた夕子は、目を細めて頷いている。
「美味しい……」
小さく呟いて、和久を見詰める夕子。
「そうか! おおきに夕子……夕子に気に入ってもろうて良かったわっ!」
 和久は、嬉しそうに答えて夕子に微笑んだ。
調理が全て終わった時に、囲炉裏の側で眠っていたダイスケが起き上がり、大きな声で吠えながら外に飛び出して行った。
暫くして車が停まり、武と加代に抱かれたダイスケが入って来た……何とも言えない笑顔を見せて挨拶をした夕子。
「武さん、加代さん、いらっしゃい!……早速やが、風呂に行こうや! わしと武さんは家族風呂や!」
 挨拶もそこそこに、風呂を勧める和久……夕子と加代はダイスケを連れて家風呂に行った。
 家族湯に行った武と和久は早めに風呂から出て、居間の飾り付けをして席を作り、夕子と加代を待っている。
 囲炉裏の縁に名前を書いた献立表を置き、前菜を並べた時に夕子と加代が居間に戻って来た。
「何? 此れ……」
 飾り付けを見て、驚きの表情で加代を見る夕子……加代は微笑んで、夕子を主賓の席に座らせた。
 和久はダイスケに食事を出し、シャンパンを開けて其々に注ぐ……皆がグラスを持ったのを確かめた和久。
「夕子! 誕生日おめでとう……」
 にっこり笑って夕子を見詰め、祝いの言葉を掛けた和久……武と加代も、気持ちの籠った言葉を掛けた。
 祝いの言葉を聞いた夕子は自分の誕生日に気付き、持っていたグラスを囲炉裏の縁に置くと、感極まった様に顔を伏せて頷いた。
「主役が泣いたらあかん……」
 夕子を見詰める和久は、優しく囁く様に言葉を掛ける……和久の言葉を聞いて顔を上げた夕子は涙を拭い、爽やかな笑顔を投げ掛けて来た。
 和気藹々の中、和久の料理を堪能した武夫婦は帰り仕度を始める。
「和さん、ご馳走様でした……美味しかったぁ……」
 最高の礼を言って武を見詰める加代。
「流石に天才料理人、味の魔術師だ!……生きてて良かったよ和さん! 料理とは、こんなにも凄いものかと感じ入ったよ!」
 和久の苦労を知っている武は、良かったなぁ! と言う様に頷いた。
「先生、加代さん、本当に有難う御座いました!……」
 二人に微笑んだ夕子は、心からの礼を言って頭を下げた。
「夕子さん、良かったですねっ! 元気になって……」
 病との葛藤を知っている加代は、自分の事の様に喜んでいる……不貞腐れているダイスケを連れて、二人を見送った和久と夕子。
「夕子、山小屋に行こうか? 二人だけでもう一回お祝いをしょうや……」
 夕子の肩を抱き、優しく問い掛ける和久。
「うん、和さん行きたい! 星が綺麗だろうねっ……」
 喜ぶ夕子を見て準備をする和久……少しの荷物を持ち、階段の明かりを点けて山頂に向かう……途中で湧水を汲み、山小屋に着いた和久と夕子。

小説らしき読み物(49)

2016年02月09日 16時13分15秒 | 暇つぶし
                  
 第4章  蘇る不死鳥

 爽やかな笑顔を取り戻した夕子……家に入り診察を終えた武が、夕子の部屋から出て囲炉裏の側に座った。
「優しい笑顔だなぁ、良い笑顔だ!……安心したよ和さん! 風邪も治ったし他に異常は無いよ! ただ、少し気に掛かる事が有るので、その内に血液検査をしょうと思っているんだ……」
 ほうじ茶を入れている和久に、含みのある事を言った武。
「気に掛かる事? 夕子の体で?……」
 思いも掛けない事を聞いた和久は、ほうじ茶を飲みながら考えている武に問い質した。
「いやぁ、大した事は無いと思うけど、念の為になっ……」
 話している最中、夕子の部屋のドアが開き、笑いながら夕子と加代が居間に来た……夕子と加代は、目が会った二人に微笑み掛けて、ほうじ茶が置かれている囲炉裏の側に腰を下ろした。
 囲炉裏の側で目を瞑っていたダイスケは、夕子が座るのを見て皆の顔を見回し、そろりと夕子の膝に上がり目を瞑っている……暫く話していた武夫妻を見送った和久と夕子は、初夏の太陽が照り付ける中、ダイスケを連れて山女の所に歩き出した。
 時折吹く風が夕子の黒髪を撫で、木々を揺らしている……何時もの様に山女に吠えるダイスケを見て、夕子が笑っている。
「夕子、何か食べたい物があるか?……」
 夕子の希望する料理を作ってやろうと、問い掛ける和久。
「何でも良いの?……」
 和久の問い掛けに、何か希望がある様に聞いて来た。
「うん、何でもええよ!……何か有るんか?」
「太閤楼のお料理が食べたい!」
 夕子は、懐かしそうに言った……3日後に迫った夕子の誕生日を前に、夕子の気持ちを確かめた和久である。
「そうか! そんなら、腕によりを掛けて最高の料理を作ってやるわ!……楽しみにしときや夕子……」
 自分の思いと同じであった事に喜んだ和久は、目を細めて夕子に告げた。
「本当! 和さん、嬉しい……」
 和久を見詰めて、満面の笑みで答えた夕子。
 七夕の早朝、朝食と昼食の支度を終えた和久は、伝言を書いた紙を囲炉裏の縁に置いて、食材の仕入れに向かった……和久が出掛けた後、起きて居間に来た夕子は囲炉裏の縁に置いて有る伝言を見ている。
 伝言の通り、ダイスケを連れて散歩から帰って来た夕子は、ダイスケに食事を与え、一人だけの朝食を済ませた……朝食を終えた夕子は部屋と居間の掃除をして、部屋のベランダの椅子に腰を下ろして、暫しの休息を取っている。
 初夏の爽やかな風が夕子の頬を撫で、小川のせせらぎが優しく夕子を包み慰めていた……そして一人に成って初めて、和久の存在の大きさに気付いた夕子である。
 自然と調和する夕子は、和久の居ない寂しさを紛らわす様に、自分の歌を小さな声で口ずさんでいる……少しの休息を取った夕子は、ダイスケを連れて外に出た。
 河原に降りて岩に座り、川面に流れる木の葉を見詰めている夕子……ダイスケは小魚を見つけ、水しぶきを立てて追い掛け出した……ダイスケの仕草を見て夕子が微笑んでいる。
 家に戻り早めの昼食を済ませた夕子は、和久の帰りを待ちながら、ダイスケに吠えられて泳ぎ回る山女の姿を楽しんでいる……山女を追い回していたダイスケは山女に飽きたのか、チラッチラッと夕子を見て小川の水を飲み始めた。
 つまらなさそうな表情に変わった夕子が、何げ無く朝霧の入り口に目を向けると、和久の車が入って来るのが見えた……その途端、喜びの表情に変わった夕子は、急いで駐車場に走って行く。
 小川の水を飲んでいたダイスケは夕子の様子を見て、慌てた様に土手を駆け上がって追い掛けて来た……車を降りた和久は、笑みを浮かべて夕子を見詰めている。
「お帰りなさい!」
 夕子は満面の笑みを浮かべて抱き付いて来た。
「ただいま! ごめんなぁ夕子……一緒に行こうと思ったんやけど、よう寝とったんで一人で行って来たのや!……昼飯食べたか?」
 抱いている夕子の黒髪を撫で、笑いながら言った和久。
「うん、食べたよ!……和さん、寂しかった……」
 抱き付いている手に力を込めて、喜びを隠す様に呟く夕子……一緒に走って来たダイスケは、和久の足下に来て和久を見詰めている……ダイスケを抱き上げて頬擦りをする和久。
「ダイ、ご苦労さん……夕子を守ってくれてたのやなぁ……」
 抱き上げた耳元で労うと、和久の頬をぺろりと舐めた。
 車から荷物を下ろして家に入り、急いで下準備に掛かる和久。
「和さん、何か手伝う事は無い?……」
 荷物を運んで来た夕子が、荷物を下ろして和久に問い掛けた。
「おう、ありがとう……それやったら、此の器を洗ってくれるか?……」
 出掛ける時に出していた、食器の洗いを頼んだ和久。
「はい! 和さん……」
 嬉しそうに返事をした夕子は、楽しそうに洗い出した……鼻歌交じりに食器を洗っている夕子は、今日が自分の誕生日である事を、すっかり忘れている様である。
 食器を洗い終えて、調理の様子をじっと見詰めている夕子。
「美味しそうだね、和さん……」

小説らしき読み物(48)

2016年02月09日 08時24分45秒 | 暇つぶし
                   
 食事が終り、和やかに話す夕子と和久を、月明かりが優しく照らしている。
「薬を飲んで寝たらええ……ぐっすり寝たら、明日には治るからなっ!」
 薬を飲んだ夕子は、ベッドに上がり布団に入った。
「また星が見たい……」
 布団に入った夕子は、和久と見た満天の星空を思い出している様に、小さな声で呟くように言った。
「うん、夕子が治ったらキャンプに行こう……星を見に行こうなっ、そやからゆっくり寝るのやでっ夕子……」
 優しく労わる様に言った和久。
「和さん、本当に嫌いになってない?」
 不安そうな眼差しで、再び問い掛けた夕子。
「嫌いになんか成る訳が無いやんか!……夕子が一番好きや、世の中で夕子が一番好きや!」
 夕子の不安を取り除く様に、優しい眼差しで見詰めて微笑んだ。
「本当? 和さん……」
 愛しげに和久を見詰めて、問い質す夕子。
「本当や! 夕子が好きや!……さあ、ゆっくり寝るんやでぇ夕子」
 夕子を見詰めて優しく言い、夕子の綺麗な黒髪を撫でる和久……和久の言葉に安心した夕子は、爽やかな笑顔を投げ掛けて目を瞑った……夕子の頬笑みと綺麗な寝顔を見た和久は、目を瞑っている夕子の唇にそっと唇を合わせる。
 夕子が眠るまで部屋に居た和久は、布団の上で目を瞑るダイスケを残して部屋を出た……早朝、目を覚ました和久は、静かに夕子の部屋に入って行く……夕子は良く眠っていた。 布団の上で眠っていたダイスケは和久の足音で目を開け、和久の姿を見てベッドから飛び降りてきた。
 梅雨が明け、初夏の太陽が燦々と降り注いでいる朝霧の里……生い茂った青葉が光を浴びて、一層の青さを見せ付けている。
 二、三日静養をした夕子は元気を取り戻し、散歩を兼ねて山女の所でダイスケと遊んでいる。
「おーい夕子! 昼飯の支度が出来たでっ!」
 遊んでいる夕子に、大声で知らせる和久……其の声を聞いた夕子は、和久に手を振って応え、ダイスケと一緒に駈け寄って来た。
「和さん! 止めて止めて!……」
 坂道で勢いが付き、大きな声で叫びながら手を広げた和久に抱き付いた……笑って抱き止めた和久は、爽やかな夕子の笑顔に、此れまでと違う感覚を覚えたのである。
 夕子と一緒に走って来たダイスケは、凄い勢いで和久の横を走り抜け、息を切らせて立ち止まった。
「ダイ、おいで!」
 足元に来たダイスケを抱き上げて、頬擦りをする和久。
「腹が減ったやろ? 昼飯にしようや!……後で武さんが診察に来てくれるから……」
 ダイスケを撫でながら、武と加代に見せるであろう夕子の笑顔に、淡い期待を抱いている和久である……そして、以前の笑顔が戻っていなくても、其れはそれで仕方の無い事だと思い始めた和久でもあった。
 昼食が済み、小川の側に有る大きめの石に腰を下ろして、せせらぎを聞いている和久と夕子……ダイスケは走り回った後、浅瀬に足を踏み入れて水を飲んでいる。
 時折聞こえて来る木の葉の擦れる音が、小川のせせらぎに調和して、二人の気持ちを和ませていた。
「静かだねぇ和さん……」
 感慨深げに、ぽつりと呟いた夕子。
「うん、静かやなぁ……此処に居ると時間が経つのも忘れるわっ! ええ所やろ夕子……源三さんと言う人が譲ってくれたのや……」
 和久は、懐かしそうに当時を思い出して経緯を聞かせた。
「そんなにお客さんが来たの?……」
 夕子は、綺麗な目を輝かせて驚いたように問い掛けてきた。
「そらぁ凄かったでっ! 口コミで来てくれだしてなっ……休日なんかは特に凄かった! 入り口近くまでお客さんが並んでたなぁ……源さんが喜んでくれてなあ、娘さんの所に行く時に、お礼や! と言うて、此処を譲ってくれたのや……源三さんのお陰で、武さんや加代さんとも知り合えたのや、ダイスケともなあ……」
 源三と過ごした半年余りの出来事を、懐かしそうに話す和久。
「良い人だもんねっ、先生も加代さんも……」
 話を聞いた夕子は、嬉しそうに言った。
「そうやっ、武さんのお陰で、夕子を此処に連れて来る事が出来たのや、大切な夕子をなあ……」
 和久は、夕子への思いを大事そうに語った……嬉しそうに話す和久を見詰めて、夕子は無言で頷いている。
「良かった! 此処に来れて、和さんに逢えて……」
 夕子は嬉しそうに和久を見詰め、微笑みながら小声で呟いた。
 初夏の日差しを避けて、せせらぎが聞こえる岩に座っている二人は、小川で遊んでいるダイスケを見て笑っている。
 暫くすると、浅瀬で遊んでいたダイスケが大きな声で吠え、土手を駆け上がって駐車場に走って行った……駐車場に武の車が停まるのを見た和久は、夕子の手を取って、小川の狭まった所を渡って駐車場に急いだ。
先に行ったダイスケは、車から降りた加代に抱かれてご機嫌である。
 車に近付き、武と加代に先日の礼を言った和久は、不安の中で夕子の顔に見入っている。
 夕子は、武と加代に礼を言った後、爽やかな笑顔を見せた……その笑顔は、此れまで見せた作り笑いでは無く、人を引き付け、人を和ませた天才茜 夕子の笑顔に違いが無かった……怒りを取り戻し、天性の笑顔を取り戻した夕子に言い様の無い喜びを感じた和久である。

小説らしき読み物(47)

2016年02月08日 14時38分43秒 | 暇つぶし
                
 「夕子君が目を覚ましたら、何か食べさせて薬を飲ませてくれ……」
 立ち上がった武は、和久に言って履物を履いた……何時もの様に不貞腐れているダイスケを抱いて、車の所まで見送りに行く和久……車のドアの前で立ち止まった加代は、不貞腐れているダイスケを見て微笑んでいる……そして、笑いながら和久から受け取り抱き締めた。
「ダイちゃん、また来るからねっ!」
 加代の言葉が分かるのか、機嫌を直して加代の頬を舐めるダイスケ。
 雷雲が去った後の夜空には大きな月が有り、月明かりが静かな朝霧を照らしている……武夫妻を見送った和久は家に戻り、ダイスケを居間に下ろすと、夕子の食事を作り始めた……準備を終えた和久は、夕子を冷やしている額のタオルを変えようと、ダイスケと共に夕子の部屋に入る。
 部屋の中は電灯が要らない位に明るく、眠っている夕子に、月明かりが優しく降り注いでいる……冷やしているタオルを取ると、気が付いた夕子が目を開けた。
「和さん?……」
 まだ記憶がはっきりしないのか、目を開けた夕子が虚ろに問い掛けて来る。
「うん、わしや……ごめんなぁ夕子、起してしもうたなぁ……」
 夕子の額に手を当てた和久は、微笑んで答えた。
「ずーと付いて居てくれたの?」
「うん、よう眠って居たなぁ夕子……武さん達は少し前に帰った。 熱も下がったし、もう大丈夫や!……」
 夕子の額に当てていた手を退けて、安心させる和久。
「和さん……」
 優しい眼差しで和久を見詰めた夕子は、愛しそうに和久の名前を呼んだ。
「夕子、汗を掻いてへんか?」
 和久に言われて体を起した夕子は、汗で湿っているパジャマに気が付いた。
「うん、汗掻いてる……」
「そうか! 急いで体を拭いて着替えなあかん……また、熱が出たら大変やからなっ」
 夕子に聞いて、着替えを取り出した和久は、絞ったタオルで夕子の背中を拭いてやる……そして、其のタオルを洗って夕子に手渡した。
「夕子、食事を作って来るから、着替えたら寝てるんやでっ……」
 食事を作る為に部屋を出た和久は、暫くして料理を持って戻り、部屋に有る木のテーブルに食事を置いた……夕子は、ダイスケを抱いて和久を見ている。
「夕子、其処で食べるか?……」
 和久の問い掛けに首を振った夕子は、ダイスケを膝から下ろし、ベッドから降りてテーブルの椅子に座った。
「寒うないか?……」
「うん大丈夫! 部屋が暖かいから……」
 微笑んで穏やかに応える夕子……和久は土鍋の蓋を取り『おじや』を注いで夕子の前に置いた。
「熱いから、ゆっくり食べるんやでっ……」
「うん……」
 愛しげな眼差しで見詰め、小さく答える夕子。
「美味しい!……和さん、此れは……」
 一口食べた夕子は、和久を見て問い掛けた。
「そうや! 夕子が思っているものや……あのスープで作ったのや! やっぱり夕子の味覚は大したものやなぁ……いっぱい食べるんやでっ」
 夕子を労わり、目を細めて勧める和久……お代わりをした夕子は、和久が注ぐのを見て涙を流している。
「如何したんやっ、涙なんか流したりして……」
 涙の意味が分からない和久は、夕子を見詰めて優しく問い掛けた。
「和さんが優しくしてくれるから……酷い事を言って怒った私を、大切にしてくれるから嬉しくて……和さん、怒ったりしてご免なさい!」
 泣きながら詫びる夕子。
「アホやなぁ夕子は……大切な人を、大切にするのは当たり前やないか!……其れになぁ夕子、怒りたい時には怒ったらええのやっ! 無理に笑う事なんか無いのや……夕子が本気で怒って、わしは嬉しかったのや……」
 夕子は、和久の慰めに泣きながら頷いている……泣いている夕子を見た和久は静かに立ち上がり、タオルを洗って絞り、泣いている夕子に渡した……渡されたタオルで涙を拭き、照れたように微笑んで食事を終えた。

小説らしき読み物(46)

2016年02月08日 08時53分03秒 | 暇つぶし
                
 「夕子、如何した! 大丈夫か?……」
 倒れている夕子の上体を起し、和久を見た夕子に大声で叫んだ。
「和さん、寒い……」
 か細い声で、呟くように言った夕子……和久は夕子の額に手を当てた。
「あかん、熱がある……夕子、ちょっと辛抱せいよ!……服を着替えんと駄目やからなっ!」
 和久の腕の中で震える夕子に言い、ずぶ濡れの服を脱がしたのだが、下着まで濡れている……全てを脱がした和久は、夕子の全身を拭いて着替えさせ、小柄な夕子を抱き上げて部屋に運んだ。
 寒がる夕子をベッドに寝かせ、毛布の上に布団を重ねた。
「和さん、寒い……」
「夕子! もうちょっと辛抱せいよ、武さんに来て貰うからなっ……」
 和久の言葉に頷いた夕子は、布団の中で震えながら力無く微笑んでいる……夕子を気遣って部屋を出た和久は武に連絡を取り、部屋の薪ストーブに火を熾して、氷枕で夕子の額を冷やした。
「和さん……和さん……」
 熱にうなされて、うわ言の様に和久の名前を呼ぶ夕子。
「夕子、心配せんでもええでっ……此処に居るでっ!」
 夕子の耳元で優しく言って、手を握り締めた和久……和久の言葉が聞こえたのか、夕子も手を握り返して来た。
「和さん、寒い……」
「夕子、もう直ぐ武さんが来てくれるからなっ! 辛抱するんやでっ!」
 和久の言葉に、少し笑みを浮かべた夕子は力無く頷いた。
 武を迎えに表に出た和久……雷雲は去って、激しく降っていた雨は止んでいる……朝霧の入り口付近を見詰める和久! その時、入り口を曲がって武の車が来た……車は駐車場に止まり、迎えに出ている和久を見て家に入った。
「武さん、こっちや!」
 和久の案内で、夕子の部屋に入る武と加代。
「加代、熱を測ってくれ!」
 注射の用意をしながら指示をする武……熱を計った加代は、少し驚いた様に報告した。
「四十一度もある!……」
 パジャマの袖を捲り、夕子の細い腕に注射をした武。
「加代、薬を飲ませて……」
 夕子の上体を起した加代は、小さな声で囁くように言う。
「夕子さん、薬を飲んで!……」
 加代の言葉に頷いた夕子は、出された薬を飲んだ。
「此れで少し様子を見よう。 和さん、心配は要らんよ! 直ぐに熱は下がるから……」
 心配そうに見ている和久を、安心させる武。
「うん……」
 武の言葉で安心した和久だが、返事は重たかった……暫くの間見守っていると、微かな寝息をして夕子が眠り始めた。
「薬が効いて来たようだ! 暫くは眠るだろう……」
 静かに部屋を出た三人は、囲炉裏の側に腰を下ろした。
「和さん、あんたも濡れたのだろう……此処は良いから風呂に入って来いよ! あんたまで風を引いたら大変だからなっ!」
 武の言うまま風呂に行った和久……風呂から出た和久は、脱衣場に置いて有る、濡れた夕子の衣類を持って居間に戻って来た……ダイスケは加代の膝に乗って目を瞑っている。
「武さん、加代さん、おおきに! あんたらも風呂に行ってくれや……何も無いけど、食事を作っておくから食べてくれや……」
 武と加代が風呂に行くのを見た和久は、食事を作って待っている……出て来た二人に食事を出した和久。
「武さん、加代さん、助かったわ……ほんまに、ありがとう!」
 和久は武に酒を勧めて、心からの礼を言った。
「何を言うのや和さん、友達や無いか!……なぁ加代!」
 武は笑って、和久の気持ちを和らげた……傍らの加代が小さく微笑み、和久に頷いている。
 食事が一段落したところで、加代が夕子の部屋に行き、頭を冷やしているタオルを変えて戻って来た。
「良く眠っていた! 熱も下がって来たみたい……綺麗な寝顔だった!」
 加代の言葉を聞いた和久は、安堵の表情を浮かべて盃の酒を飲み干した。
「和さん、何が有ったのだ!」
 武が重い口を開いて問い掛ける……武の問い掛けに、全てを話した和久。
「そうか、誇りか!……何となく分かる様な気がするよ。 派手な芸能界で頂点を保つには、誇りが必要なのだろうなぁ……」
 武は盃を傾けて、夕子に同情するように呟いた。
「あの小さな体で頂点を極め、持っていた誇りをズタズタにされたのに、良く耐えていたと感心するよ! やはり、茜 夕子はスーパースターだ!……しかし、酷い事をする男が居たものだなあ、和さん……」
 話振りは穏やかな武だが、体罰を加えた男に対して、言い様の無い怒りを抱いているように感じた和久である。
「そうやなぁ……本気で怒った夕子は、初めて会った時と同じ迫力があった! あの小さな体の何処に、そんな力が有るのかと思ったわっ……」
 思い出しながら話す和久は、何故だか喜んで居る様にさえ見える。
「武さん、夕子は怒りを取り戻したやろか?」
 期待はしているのだが、それとは別に、不安が大きく圧し掛かって来た様な問い掛けをした。
「うん、そうなら良いけどなあ……」
 自信が無さそうに答え、加代を見る武……加代は武と和久を見て微笑むだけで、膝のダイスケを撫でている。
「そうや! 武さん、来月の七日は夕子の誕生日なのや! 夕子には内緒でお祝いをしてやるつもりなのやっ……予定に入れといてくれや! 勿論、病が治っていたらの話しやがなっ……」
 和久は、病が治っている事を願って話した。
「七夕の日か……喜んで参加させて貰うよ、なあ加代……」
 加代は微笑み、和久を見て大きく頷いた。
「ありがとう……夕子が喜んでくれた太閤楼の料理を作って遣ろうと思っているのやっ、あんた達が来てくれたら夕子が喜ぶからなっ! 武さん、加代さん宜しくなっ……」
 快く承諾した武夫妻に、心からの礼を言う和久。
「そうか、天才料理人! 味の魔術師と言われた霧野 和久の料理が頂けるのか! 此れは楽しみが出来た、なあ加代……どうあっても夕子君には治っていて貰わなくてはなぁ……」
 武もまた、夕子の病が回復している事を願っているのである。
「太閤楼のお料理って、美味しいのでしょうねっ?」
 加代は、夕子の病が回復している事を確信している様に、武を見て聞いた。
 黙って頷く武に変わって、和久が笑いながら答える。
「加代さん、大した事はあれへんよ……気持ちを込めて作るだけのもんや!」
 和久は、調理の真髄を謙遜した様に話した。
「でも、日本一の料亭の味だから……」
 楽しみを待つ様に話す加代も、夕子の病が治ってる事を願っている……二人が帰り仕度を始めると、目を瞑っていたダイスケは、加代の膝からそろりと降りて囲炉裏の側で寝そべった。

小説らしき読み物(45)

2016年02月07日 17時15分36秒 | 暇つぶし
                 
 「夕子!……」
 夕子の心情が分かっていながら、言い掛けた和久。
「もう良いって言ってるでしょう!」
 語気を荒げ、置いて有った陶器の花挿しを持って立ち上がる夕子……寂しそうな目で、花挿しの花を見詰めている。
「あの時死んでいれば良かった!……歌えない歌手が憐みを掛けられ、同情されて生きて行くなんて最低よねっ……」
 涙を流し自分に言い聞かすように、花に話し掛ける夕子。
「夕子! 違うんや!」
 和久が立ち上がり、夕子に近付き掛けた時。
「もう良い! 近寄らないでっ!」
 怒りを露わにした夕子は怒声を発して、握っていた花挿しを、思いっ切り壁に投げ付けた……陶器の花挿しが壁に当たって砕け散り、音を聞いたダイスケは驚いて和久に飛び付いた……和久の胸に抱かれて怯えているダイスケを宥めて、夕子に近付いて行く和久。
「来ないでっ!」
 和久を一括した夕子は、雷雨の中に飛び出して行った……太閤楼で見せた、天才、茜 夕子を彷彿させる威厳を感じた和久は、制止する事も出来ずにダイスケを抱いたまま、その場に立ち尽くした。
 雨は激しさを増し、容赦無く振り続けている……飛び散った破片を片付け、夕子が摘んで来た花を別の花瓶に挿して、囲炉裏の縁に置いた和久。
 少しの時が流れ、和久は静かに戸を開けて外を見た……軒下で雨を避けていると思っていた夕子は、降り頻る雷雨の中で落雷に怯えながら、駐車場の電灯の下に佇んでいる……滝の様な雨の中、ずぶ濡れになって立っている夕子の姿に驚いた和久は、慌ててタオルを取り、ダイスケを残して駆け付けた。
 夕子に傘を差し掛けた和久。
「アホ! 何を遣ってるのやお前は!」
 一括して、夕子の頭にタオルを掛けた……和久を見た夕子は、綺麗な目に涙を滲ませて見詰めている……そして、次の瞬間。
「バカッ! 和さんのバカッ!」
 激しく和久の胸を叩き、子供の様に大声で泣き出し、和久に抱き付いて来た夕子……小刻みに震え、泣きじゃくる夕子をしっかりと抱き締めた。
「夕子、ごめんなっ……わしが悪かった! お前の気持ちは分かっていたのやが、何かをして夕子に嫌われるのが怖かったのや……」
 和久の言葉を聞いて、泣きながらも優しく見詰めた夕子は、顔を小さく左右に振って和久の胸に顔を埋めた。
「わしが悪かった、ごめんなっ夕子……風を引いたらあかんから、家に入ろうやっ! 風呂に入ろうなっ夕子、一緒に入ろう……」
 抱き締めている手に力を込めて、夕子の黒髪を手で梳かした。
「うん……和さん、ごめんねっ……酷い事を言ってごめんねっ……」
「心配せんでもええよっ夕子……」
 涙を流しながら和久を見詰めて、謝る夕子を優しく労わる和久。
「怒って酷い事を言った私なんか、嫌いになった? 和さん……」
 涙に濡れた目で和久を見詰め、心配そうに問い掛ける夕子。
「いいや、本気で怒った夕子が嬉しかった! 前よりもっと夕子が好きになった……」
 不安そうに見ている夕子を見詰めて、優しく語り掛けた。
「本当? 和さん……」
 夕子は、和久の言葉を確かめる様に問い直した。
「本当やっ! 誰よりも夕子が好きや!」
 夕子を見詰め、目を細めて答えた和久。
「良かったぁ……」
 降り頻る雨の中、和久を見詰めて目を瞑った夕子の唇に、和久はそっと唇を重ねる……少しの時が流れ、ずぶ濡れの夕子を連れて家に入った。
 和久と夕子を見たダイスケは、夕子の足下に来て、甘える様に尾っぽを振っている。
「ダイちゃんごめんねっ、大きな声を出して……」
 足元で甘えるダイスケを抱き上げて、頬ずりをする夕子……ダイスケは嬉しそうな仕草を見せて、夕子の頬を舐めた。
「夕子、着替えを持って風呂に入れや! 濡れた服を着替えんと風邪を引くでっ! わしも直ぐに行くから……」
 部屋に行き、着替えを持って出て来た夕子は、囲炉裏の火を整えている和久に微笑み、ダイスケを連れて風呂への階段を下りて行った。
和久が支度をして風呂に行こうとした時、風呂からの階段を駆け上がって、ダイスケが居間に飛び込んで来た……そして何かを知らせる様に吠えては風呂の方を振り向き、和久を見詰めている。
ダイスケの仕草に異常を感じた和久は、慌てて風呂に降りて行き、ずぶ濡れの服を着たまま脱衣場で倒れている夕子に驚いた。

小説らしき読み物(44)

2016年02月07日 08時50分03秒 | 暇つぶし
                 
 先日より、言い掛けては言葉に出さなかった夕子の思いを知り、恥らいながら佇み、頷いている夕子が愛おしく思える和久である……だが、気持ちとは裏腹に、和久の口から思いも掛けない言葉が出た。
「またまた、夕子は! 冗談きついわっ……本気にするやんか!」
 夕食の支度をしながら、照れを隠す様に言った和久……思惑と違う返事を聞いた夕子は、戸惑った様に和久を見たが、直ぐに笑顔を取り戻した。
「やっぱり、冗談だと分かった?……」
 精一杯の笑顔で、冗談にすり替えた夕子。
「そらぁ分かるわ!……ああ、びっくりした! 脅かすなよ夕子……」
 和久は、ちらっと夕子を見て答えた。
「ごめんね、和さん!……ダイちゃんお風呂に行くよ!」
 夕子は寂しげな眼差しを残し、和久に背を向けると、ダイスケを連れて居間を出た……何時もなら、ドアの所で立ち止まって振り返り、和久に笑顔を見せる夕子だが、一度も振り返らずにドアを出て行った。
 そして、風呂に行く夕子の目から、大粒の涙が零れ落ちた事を、和久は知る由も無かったのである。
 支度を済ませて家族湯に行った和久は、遠雷を耳にしながら、夕子に詫びる気持ちが募っていた。
 風呂から出た和久が居間に帰ると、囲炉裏の側にはダイスケが居るだけで、夕子の姿は無かった……ダイスケは甘える様に和久に近付いて、抱き上げられると、嬉しそうに頬を舐め回し始める……和久はダイスケを下ろし、夕子が置いた花挿しの横に、出来上がった夕食を並べた。
 暫くして風呂からのドアが開き、夕子が居間に入って来た……夕子を見たダイスケは、喜びを体いっぱいに表して夕子の所に走り寄る……足元に来たダイスケを抱き上げた夕子は、和久に微笑み掛けて部屋に行ったのだが、何処か様子が違っている。
 遠くで聞こえていた雷が近くなり、曇り空から雨が落ちて来た。
 夕子の部屋のドアが開き、居間に来て囲炉裏の側に座った夕子は、何かを思い詰めて居る様に、無言でダイスケを撫でて花挿しの花を見ている。
「夕子、酒飲むか?」
 自分の盃に酒を注ぎながら、夕子に問い掛けた。
「うん、少しだけ……」
 言葉少なに答えた夕子……和久は夕子の前に盃を置き、酒を注いでやる……盃を合わせて飲み始めた和久と夕子……夕子は一気に飲んで、静かに囲炉裏の縁に盃を置いた。
 料理に箸を付けた夕子の盃に、酒を注ぐ和久……食事は進むが、何時ものように会話は無く、少し激しさを増して来た雨音が、居間に聞こえて来るだけである。
「和さん、和さんは私の事を大切な人だ! 好きだ! って言ってくれたけど本当?……」
 食事の最中、思い詰めた様に問い掛けて来た夕子。
「うん、何でや……」
 戸惑いを感じながら答えた和久。
「和さん、はっきり言って!……」
 夕子の、激しく思い詰めた様な問い掛けに、少し驚いた和久。
「そうや、夕子……夕子は大切な人や! 誰よりも好きな人や!」
 夕子に向かって、初めて本音を打ち明けた和久である。
「嘘でしょ? 和さん……」
 夕子は和久を見詰めて、寂しそうな眼差しで言い、視線をはぐらかした。
「和さんは優しい人だから、歌えなくなった私に同情しただけなんでしょう?私が、どんな気持ちで誘ったのか分かる?……」
 視線を落したまま、悔しさを噛み殺す様に話す夕子。
「夕子……」
 返答に困った和久は夕子を見詰めて、名前を呼ぶのが精一杯であった。
「随分昔の話だけど、年末の歌番組でトリを任せられた時期、私は誰にも負けない誇りを持っていた……歌謡界で頂点を保つには、人一倍の誇りが必要だった! でも、あの結婚で私の誇りは踏み躙られた。 優しかったのは半年位だった……私も悪かったのだけどねっ! 後は(怒るな! 笑え!……僕の前では笑顔を絶やすなっ!)何年も、そう言われて来た……あの人にもスターとしての誇りが有ったのだと思う……私の気持ちなど関係無くねっ! その内、体罰を加えられるようになり、言われるままに従う様になって行った……もう、誇りも何も要らない! と思う様に成って行った……」
 話す夕子は悔しさが込み上げて来るのか、大粒の涙を落して拳を握りしめている。
「夕子……」
 夕子の胸の内を察する和久は、労わる様に名前を呼んだ。
「でもねぇ和さん、こんなに汚れてしまった私でも、少しの誇りは残っていたのよ……その少しの誇りも捨てて、大好きな和さんを誘ったのに……」
 俯き加減に話しながら、目頭を拭う夕子……雨が一段と激しさを増し、居間にも落雷が聞こえて来た。
 何の返答も出来ず、夕子の話を聞く和久。
「和さん……私、そんなに汚れている? 一緒に、お風呂にも入りたくない位に汚い?……」
 寂しげな眼差しで和久を見詰め、問い掛ける夕子。
「夕子、それは……」
 和久が返答し掛けた時。
「黙って聞いて!」
 語気を強めて、和久の言葉を制止した夕子。
「誇りの高かった人間が、一番嫌な事は何だか分かる? 和さん……」
 怒りを表した眼差しで、優しく問い掛ける夕子の言葉に、応える術が無かった。
「和さんには分からないでしょうけど、情けとか憐みを掛けられる事が、誇りの高かった者には一番嫌な事なのよ!……掛ける方は気持ちが良いでしょうけどねっ!」
 言葉は柔らかいが、夕子の怒りが伝わって来る言葉に、黙って聞き入るしかない和久である。
「でも、もう良いの……もう、歌は歌えないのだから……」
 寂しそうに消え入る様な声で言い、花挿しの花を見詰める夕子。
「そんな事は無い! 歌はまた歌える!……」
 夕子を見詰めて、労わる様に言った和久。
「良いのよ和さん、慰めなんかは……」
 和久の慰めに少し笑みを浮かべ、反発するように返答した夕子。
「慰めなんかや無いでっ、夕子……」
「もう良いの……気持ちが良いでしょうね和さん! 人に憐みを掛けるって!」
 夕子の口から、思いも掛けない言葉が出た。