昔の事を考えると、
青春時代って何であんなにキラキラしていたのだろうと思う。
今も楽しくない訳ではないけれど、
もしももう人生が終了しても、
それはそれでいいかな?なんて考えるのは何故?
ずっとそんな事を思って答えが出せなかったが、
答えが出ちゃったわ🤣
青春時代って喜びも悲しみも全て自分軸だったんですよ。
つまり世界は自分中心で回っていたのです。
でもある程度大人になると責任というものが出てきて、
(会社の為)仕事が喜び。
(子供の)成長が喜び。
(家族の)幸せが喜び。
隠された主語が全て「他人軸」になってしまうのです。
もちろん自分の喜びでもあるけれど、
それでも「他人軸」という付属が常にあります。
孫が生まれた時「これから孫の成長が楽しみね」と言われた事があって、
確かにそれは間違いではないのだけれど、
何となく腑に落ちないところがあったのは、
きっとそれも(孫の)という主語のせいだったんだね。
もちろん孫は手放しで可愛いし、
存在は喜びでもあるけど「自分の」おもちゃじゃない。
小さくても別の人間なのですよ。
先日上島竜兵さんが亡くなった時に、
その死因から皆が何で?と言ったけれど、
私は何処か「ああ、そうだね」と思ってしまい、
自◯願望なんてないのに何故と思っていたけど、
きっと面倒見の良い竜兵ちゃんは、
可愛がっていた後輩たちの成長に「もう大丈夫」って安心したのだと思う。
そして今まで後輩の成長という喜びが他人軸であったので、
「もういいかな」と同時に思ってしまったのかな?
いい加減な事は言えないけど、
そう考えると自分が感じた感情にも納得できる。
長くなるのでまた明日w