高尾サポートレンジャー会

このブログでは高尾山で活動するボランティア「高尾サポートレンジャー会」の活動についてご紹介します。

2016年1月23日(土) 自主巡回(高尾山内~南高尾)

2016-01-28 22:19:04 | 2006~2018年度リンク 高尾山 活動&情報

2016/ 1/23 自主巡回 高尾山内~南高尾

参加者:9名(内サポレン体験参加者3名)

コース:清滝駅前~1号路~薬王院~高尾山頂(昼食)~学習の道~大垂水峠~大洞山~中沢峠~山下~高尾山口駅(解散)

 今冬最強の寒波到来、5日前に降った雪が融けずに残り高尾山は久しぶりの雪山登山、1号路も奥の院から先はアイゼン必携でした。

本日の巡回は、サポレンメンバー6名と養成講座受講中のサポレン体験参加者3名の9名、午前中は歴史チーム特別活動として高尾山内1号路を、文政6年(1823)に発行された、江戸時代の観光マップ「武蔵名勝図会・高尾山の図」を見ながら、当時の高尾山の様子と現在を比較しながら巡回しました。

特に興味深いのは、清滝に残っている宝暦5年(1755)の石に刻まれた『清滝開創の碑』であります。碑には『植田魯石(八王子千人同心組頭)なる敬神の者が同志と語らい高尾山直下の岩場に滝を掘削したが、それはあたかも天然の滝の様であった。(以下略)』と清滝が人の手によって創られた滝であると記されています。清滝が開創された宝暦5年(1755)は飯縄権現社の拝殿が再建された2年後にあたり、居開帳には大勢の参詣者が訪れ、夏には小名路の追分に鳥居を建てる計画も地元民から出されるなど、高尾山詣が大きな高揚を見せた年であった。(外山徹著「高尾山歴史の散歩道7」より)

このことから、江戸中期には、すでに多くの参詣者がいたことが分かります。

また、薬王院境内の鐘楼の脇に残る寛永8年(1631)に鋳造された「寛永の古鐘」には、戦国末期に荒れ放題になっていた薬王院が寛永期(1624~1644)に再興された様子が記されています。

どちらも巡回中に見ることができますので是非観察してください。

午後からは、雪の残る学習の道から大垂水峠を経由して南高尾中沢峠まで、アイゼンを装着して登山道を点検しながら巡回しました。

巡回コースには雪の重みで登山道をふさぐように倒れている倒木が学習の道に2本、大垂水峠から大洞山に向かって200mほど行ったところに1本の計3本ありました。体験参加の3名も作業に協力して(写真参照)、無事に処理し安全に通行できるようになりました。

本日の活動に参加された皆さんお疲れ様でした。特に、体験参加の皆さん、手際のよい作業ぶりに感心させられました。ご協力ありがとうございました。皆さんの入会を心よりお待ちしております。

 

 (高尾SR会 藤川、写真編集 川原田)

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