takatoriasia

2013年4月、ホーチミンへ移住
2020年6月、ハノイへ移住
 2022年1月、永久帰国

八ヶ岳

2021年12月31日 | 福岡

 

 大学時代のブログ仲間Tさんと話していたら、八ヶ岳の話題になりました。

 八ヶ岳

 思い出しただけで、40年前の青春の記憶がよみがえります。楽しかった~。

 八ヶ岳に登山後、サイクリングで次の目的地へ向かう。途中、夏とはいえ雨に降られてずぶぬれになり、あるペンションの軒先で雨宿りをしていた時

 ペンションのオーナーが「どうぞ中へ」と招き入れてくれました。そして暖かい飲み物を出していただきました。

 あれから40年、まだあの時のお礼を言っていません。

 Tさんに聞くと、「オーナーと映っている写真を持っている」

 そのオーナーはたぶん、今70代だと思う。 

 そのオーナーに当時の写真を持って行って、40年ぶりにお礼を言いたい。

 そして、そのペンションに数泊して八ヶ岳に登りたい。

 この夢かなうかな?

 


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大晦日

2021年12月31日 | 福岡

 大晦日ですね。

 12月26日からホテルでの隔離生活が6日目になりました。健康状況は至って良好です。ですが、ホテルから外出できませんので退屈でしかたありません。

 14日間、生活を制限されるのはちょっとしんどいですね。でも、しかたありません。帰国できただけでちょ~ラッキーです。

 2013年4月、ベトナムへ渡ってから、毎年、ベトナムの旧正月(1月下旬から2月上旬)を挟んで帰国していましたので、大みそかに日本にいるのは9年ぶりです。

 今日は、激動の一年を振り返り、来年が皆様にとっていい年になることを祈りつつ、6時半からのお笑い番組で締めくくりたいと思っています。

 


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Mに会えるかも

2021年12月31日 | ハノイ生活

 

 大学時代の友Mは、卒業後、東京で就職し、現在は社長をしていて、多忙でなかなか会えません。

 Mとの思い出は

 〇大学時代に、ブログ仲間のT達合計6人で信州をサイクリング、登山したこと

 〇Mの結婚式に、ワンゲル同期のT、H達と一緒に島根県松江へ旅行に行ったこと

 〇Mの新婚家庭(新宿)に泊めてもらったこと

 〇Mの会社の社員旅行(スキーツアー)で上越国際へ行ったこと

 〇私が一時帰国していた2~3年前、Mが東京から駆けつけてくれたこと

 など

 そのMと、もしかすると会えるかもしれない。

 再会できるのを夢見てゆっくり待っています。

 

 


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送別会

2021年12月30日 | ハノイ生活

 

 Q副社長から、社長が、「25日見送りには行けないので送別会をしたい」と言っていると聞きました。

 出国2日前の12月23日です。当日、社長と奥様、Q副社長など7人で送別会をしていただきました。

 私が働いていた会社の主な顧客は、福岡県にある会社です。社長は何度か出張で福岡を訪問したことがあるそうです。

 社長「コロナが収まり、また福岡へ出張する機会があれば、必ず連絡するので会いましょう」とQ副社長が通訳してくれました。

 最後のベトナム料理でした。

 

 

 

 

 

 


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コロナ禍が人生を変えた

2021年12月30日 | ハノイ生活

 

 今年の8~9月頃、友人のTさんから連絡がありました。友曰く「羽田でも、成田でも愛車を飛ばして迎えに行くから、真剣に帰国を考えたらどうですか?」

 その言葉を聞いて、6000キロ離れた遠い空から、いつも私のことも気に留めてくれる友に

 「ありがとう、でも、もうしばらく現地で頑張ってみるよ。もう少しすればコロナの状況が改善するかもしれないから」と返事をしたのでした。

 しかし、その後の現地の状況は更に悪化の一途をたどり、会社の閉鎖は続いたままで全く再開の見通しが立ちませんでした。

 仕事がない、給料がない、毎日することがないという状況が続きました。

 そして、感染者が16,000人を超えた頃から、「これは危ない、現地にとどまっていたら、いつ誰から感染させられるかもわからない」と恐怖を覚えました。 

 このままでは、だめだ。行動を起こさないと。

 友の言葉が私の背を押してくれました。自分と家族のことをもっと真剣に考えようと。

 そして、一時帰国ではなく、永久帰国を決め、そのために何をすべきか行動に取り掛かったのです。

 そして、いろいろな困難を乗り越えて、無事、日本へ帰国出来て、今、当時を振り返り、背を押してくれた友の言葉にただひたすら感謝しています。


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