たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

ちょっと思いついた⑬ ノラ猫と反抗期

2023年10月06日 | 思いついたこと

夏の終わりごろから、家の前の空き地にノラ猫が居付いている。真っ黒で、目がクリクリとしている。小さいのと、少し大きいのと二匹。親子かな。誰もエサやりなどしていないと思うのだが、フェンスに囲まれて安全だからか、空き地の草陰に寝転んだり、のびのびしている。洗濯物を干しにベランダへ出ると、さっと寄って来て、お座りして私を見上げる。その様子がとても可愛い(既にノックアウトされている)。あまりの可愛さにエサをやりたくなるが、そこは我慢している。

夜、月を見ようとベランダに出ると、いつの間にか暗がりの中から黒い影がこちらを見ている。暇なのかな?

 

我が子にしてもノラ猫にしても、頼られている、懐かれている相手には愛情を持つものだ。自分の自尊心がくすぐられるし、自尊心を満たしてくれたお礼に(?)世話を焼きたくなってしまう。そう考えると、適度に反抗期があったり衝突があるのは良いことだ。どこまでも可愛い存在だと、世話を焼きすぎ、愛情を与えすぎてしまうから。それでお互いが苦しくなってしまうと、しんどい。気まぐれだったり、ケンカできるくらいが丁度いいのだろう。…でも、やっぱり反抗期の子どもは憎たらしい(一歩引いた大人の対応は難しい)。


ちょっと思いついた⑫ 運の貯金

2023年09月20日 | 思いついたこと

3連休が終わった…と言っても、私は毎日出勤。たとえ出勤でも、こうして毎日出掛ける用事があるのは悪くない(家に引きこもるのも好きだが)。

 

仕事は毎日同じことの繰り返しがほとんどだが、それでも風景は毎日変わる。その日のメンバーの体調や気分、仕事量の多少、イレギュラーな事象、それによって少しずつ変化がある。そして何より私の職場は自然豊かなところにあるので、季節や天気によって景色が違い、私を慰めてくれる。なのでそのお返しに、時間があるとき人知れず周囲のゴミ拾いをして(ゴミならぬ)徳を集める。

何だかこっそり徳を積む(ゴミ拾いをしているだけなんだが)ことで、ヨイ人になった気分。私の中の徳貯金がチャリーンと音を立てる→いつもヨイ人でいる訳ではない。気が向いた時だけ。

 

『ちはやふる』というコミックの中で、主人公と同じかるた部のかなちゃんも、他人の脱ぎ散らかしたスリッパを整えることで、運の貯金をしていたことを思い出す。そんな迷信を笑う人もいるかもしれないが、私は『そういうものかもしれない』と感じている。それに、ヨイ人の気分になることは、単純に嬉しい。

自分の気分がすごーく落ち込んでいるときと、とても前向きな時、この両極端な時に徳貯金をしたくなる(今回は落ち込み型)。だから、気まぐれ貯金。なかなか預金高が増えない。

 

徐々に気候が良くなってきて、仕事以外にも出かけてみようという気になる。せっかくの秋なので、神社巡りついでに美しい庭園でも…と思う。早速図書館で、神社・仏閣の由来や庭の説明などが書かれている本を借りてきた。有名どころは、あまり紅葉が深くなると大混雑するので、きっと今がタイミング。落ち込んだ自分を、神様の領域で見つめ直してこよう。


ちょっと思いついた⑪ 受診圧力

2023年09月19日 | 思いついたこと

昔と違い、体調不良に対する周囲の視線が厳しい。コロナ以降は、特にそう感じる。人にうつす可能性がある病気の場合は、出歩く(出勤する)と厳しく非難されるようになった。ちょっと前までは、体調が悪くてもそれを押して出勤することが真面目と言われていたのに。以前から、病気によっては空気感染するという知識があったにもかかわらず…だ。世の風潮は変化しやすい。

さて、体調不良の出勤が、勤勉さと結び付けられて褒められること、感染をまき散らすとして敬遠されること、どちらの社会的圧力も決して病人の心配をしているわけではない。前者は、周囲が病人の担当している仕事の負担を負わずに済み助かるし、後者は、周囲の人たちの感染リスクを低減する。単にそういう意味だ。

 

インフルエンザの流行で学級閉鎖とするのは、そうすることで感染拡大をある程度抑えることができるから。それはよく分かる。でもちょっと辟易していることがある。発熱して学校を欠席すると、すぐに学校から連絡があって

「病院へ行きましたか、検査しましたか」

と聞かれる。病院へ行っていないと、遠回しに『行って検査をしてほしい』と求められる。おそらく感染症に罹患した頭数をカウントし、出席停止期間を定めるために。

私は医者ではない、ただの親だ。専門家ではない。でも、熱が出たら何でもかんでも病院で検査するというあり方には首をかしげてしまう。子どもの様子を見ながら、まだ家で様子を見ようだとか、熱はないが様子がおかしいので早目に受診しようという勘働きや、子どもへの丁寧な観察がそこにはない。子どもの機嫌や食欲など全体を見て判断する能力が失われてきたのか。それともそういう判断に価値がなくなってしまったのか。子どもを見ずに体温や数値と検査結果を見て分かったつもりになるのは、どういうことだろう。

繰り返すが、私は医者ではない。だからこう書くと、子どもにもしものことがあったらどうするのか、無責任じゃないかと非難する人も出てきそうだけど…。

私はあまり病院には連れて行きたくないのだ。病人を疲れさせ、他の病気をもらうリスクを負い、必ず投薬される。(病院に行かず自力で治せる場合でも)受診すれば薬が出てくる。お土産のように。おそらく世の受診者はそう求めているから、そうなったのだろう。それもちょっとモヤモヤする。


ちょっと思いついた⑩ 失敗の効用

2023年09月15日 | 思いついたこと

小心者の私は、失敗するととても落ち込む。こんな時、あぁ出勤したくない、隠れてしまいたいと、心の中で身もだえする。私の真面目そうな外観(でも実は、ちょびっと真面目で、大半はいい加減で忘れっぽい)が災いして『一見デキそうだけど、ダメダメさん』という、相手をがっかりさせるポジションにいると感じている。特に失敗したときの自分はそう感じる。本当に隠れてしまいたい…。はぁ~。

失敗するたびに、次は失敗しないようにと対策を考えるけれど、自分では思いもよらない落とし穴にはまる。あとで思い返して、何故こんなことをした?!と、自分でもびっくりすることをやらかす。私はミスのデパートだ。こうして書いていると、恥ずかしくなる。今のところ、大きなトラブルは回避できている(と思う)のが救い。

自分のミスを意識するのは辛いが、それでも良いこともある。他人のミスに対しておおらかになれることだ。人が失敗してもあまり腹が立たなくなってきたように思う。まあお互い様だよねって、笑って済ませられるようになった。もっと早くにこの境地に達していれば、子ども達に対して怒ることも少なくて済んだのにって思う。他人に腹を立てない生活は楽だ。

 

失敗同様、自分の弱点(欠点)に自覚的でいると、相手の弱点に出会った時に少し寛容になれる気がする。自分の弱点を認めることは、自分にがっかりすることにつながるので悲しくなるけれど、その悲しみが相手に対する優しさをも生むのではないか。そんなことを考えていると、なんだか周囲のみんながイイ人に見えてくる。そしてイイ人に囲まれた私は、なんて運がいいのだろうと嬉しくなる。

そういえば、この前職場の人との会話で「イイ人ばっかりで、楽しく働けてる」と、お世辞でなく本気で言ったらビックリされた。「イイ人ばっかり??○○さん(私のこと)は、イイ人に出会ったことないんじゃない?」と。うーん、そうかな?うちの職場、比較的穏やかな人ばかりだと思うんだけどな。でもまあ、そう思っていれば、腹を立てたりイライラすることも減って、生きるのが楽になる。

 


生活を創る~無駄を省いて、無駄を満喫する㊱

2023年09月14日 | 日記

臨時収入で買ったごちそう肉を食べた。久々の焼肉!

久々過ぎて、どんな野菜を一緒に焼くのか忘れてしまった。もやしは買い忘れ、玉ねぎも切り忘れてた。頭の中は肉ばかり。

焼肉のたれを作る。といっても、分量は適当。玉ねぎ一個を細かく刻んで、ごま、ニンニク、ショウガ、細ネギを水、醤油と梅シロップで煮て、ごま油を少し。食べるラー油みたいな感じで、具ばかりのタレ(タレというのか?)。大根おろしも入れればよかったと、後で思いつく。次の焼肉がいつになるのか分からないので、忘れてしまいそう。

自分のうちで焼肉をすると、何故かお店よりもあっさりした焼肉になる。家でもお店でも、焼いて出てきた油は捨てているはずなのに、何が違うのだろ?焼肉に限らず、ギョーザでもハンバーグでも、さっぱりした出来上がりになる。すると、どうしても食べる量が増える。今は落ち着いたが、一時期は1回に100個以上ギョーザを作ってた(あんまり食べるので、野菜の分量多めの緑のギョーザを作った。これは不評で「もっと肉の入ったギョーザがいい」とリクエストされたこともある)。

ところで、詳しくは分からないが、牛肉には多幸感を感じさせる物質(ホルモン)の原材料が含まれているらしい。それが、満足感につながる…という。けどね、牛肉なら何でもいい訳ではないと思う。申し訳程度に牛が入っているコンビニエントな食べ物(それが何なのかは言えないが)を手早く摂取する食事に幸福を感じるだろうか?多幸感を味わえるので牛肉を!という宣伝、ちょっと野暮だなと思う。

ホルモン云々は事実かもしれないが、多幸感の大元ではない。整った食事、食卓のメンバー(一人でこっそりおいしいものを食べる食事も、幸せなんだけどね)、食事への期待や空腹感、こうしたものが多幸感に大きくかかわってくる。

次の焼肉、いつになるか分からないけれど、それまで頑張ろうって思う。