2月1日に亡くなられましたが奥様もこも3月8日に亡くなられたんですね。
冒頭に「令和三年十月十九日」と書き、「己の季節の終り」を見つめ、「いつかは沈む太陽だから」などとしたためた。1956年の芥川賞受賞作「太陽の季節」を掲載した雑誌「文芸春秋」に渡すよう遺族に託しており、今月10日発売の同誌4月号に掲載された。
膵臓(すいぞう)がんが再発し、「どれほどの命ですか」と医師に問いただす石原さんが、宣告される場面から始まる。「以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」。その文言の通り、「私の文学の主題でもあった『死』はより身近なものとなりおおせた」と冷静に書く一方で、「『死』の予感とその肌触りは人間の信念や予感までを狂わせかねない」と揺れる思いも率直につづっている。
「『太陽の季節』なる小説でいささか世に名を馳せた私が己の季節の終り」に浮かぶ言葉として、美空ひばりの歌の文句ではないがとしつつ、「いつかは沈む太陽だから」とも記していた。その上で「私が比類のない私と言う歪な人間として生きてきた」と人生を回顧する石原さんの死への覚悟も決然と書きとどめた。
「私の死はあくまでも私自身のものであり誰にもどう奪われるものでありはしない。私は誰はばかりもなく完璧に死んでみせる」
作家のヘミングウェイ、マルロオ、哲学者ジャンケレビッチに言及した遺稿には政治色は一切なく、文学者として自らの人生に幕を引いていた。
最期を看取(みと)った四男の画家、延啓(のぶひろ)さん(55)によると、遺稿を書き終えた石原さんは年が明けると、次第に意思疎通がままならなくなり、2月1日に亡くなった。
さようなら 男の中の男 安らかに眠れ。
冒頭に「令和三年十月十九日」と書き、「己の季節の終り」を見つめ、「いつかは沈む太陽だから」などとしたためた。1956年の芥川賞受賞作「太陽の季節」を掲載した雑誌「文芸春秋」に渡すよう遺族に託しており、今月10日発売の同誌4月号に掲載された。
膵臓(すいぞう)がんが再発し、「どれほどの命ですか」と医師に問いただす石原さんが、宣告される場面から始まる。「以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」。その文言の通り、「私の文学の主題でもあった『死』はより身近なものとなりおおせた」と冷静に書く一方で、「『死』の予感とその肌触りは人間の信念や予感までを狂わせかねない」と揺れる思いも率直につづっている。
「『太陽の季節』なる小説でいささか世に名を馳せた私が己の季節の終り」に浮かぶ言葉として、美空ひばりの歌の文句ではないがとしつつ、「いつかは沈む太陽だから」とも記していた。その上で「私が比類のない私と言う歪な人間として生きてきた」と人生を回顧する石原さんの死への覚悟も決然と書きとどめた。
「私の死はあくまでも私自身のものであり誰にもどう奪われるものでありはしない。私は誰はばかりもなく完璧に死んでみせる」
作家のヘミングウェイ、マルロオ、哲学者ジャンケレビッチに言及した遺稿には政治色は一切なく、文学者として自らの人生に幕を引いていた。
最期を看取(みと)った四男の画家、延啓(のぶひろ)さん(55)によると、遺稿を書き終えた石原さんは年が明けると、次第に意思疎通がままならなくなり、2月1日に亡くなった。
さようなら 男の中の男 安らかに眠れ。